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鉄道懐かし
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長距離・夜行各駅停車
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UPLIFTで広告なしで体験しましょう!快適な閲覧ライフをお約束します!
いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離鈍行・夜行鈍行のスレッドです。
マタリ語りましょう。 - コメントを投稿する
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1945年初頭の博多駅
始発の普通列車が
東京行だった -
ちょっと待った。長距離普通列車ならその昔は数多くあったが、
各駅停車となると、意外に限られるんじゃないか? -
>>3
列車は限られるかも知れないが反面、思い出は多くの鉄オタにあるんじゃないかな?
俺にとっては中央客レの夜行425レ。休前日は通路まで立客が出るほどの混雑だったが
殺伐とした雰囲気はなかったね。
姉妹列車として新宿に4:30頃に着く426レがあったがそちらは当然回送列車に近いほど
ガラガラで薄暗いオハ61などでくの字になって眠ったものだった。
未明の新宿で眠い目をこすって乗り換えたものだが、こちらの方が夜行各駅停車らしく
乗り鉄的にはいい思い出。 -
紀勢線の太公望列車が実質最後の定期夜行普通だったな。
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ようつべで、
「松山千春 生きがい」でググるとこのスレの趣旨に沿う動画をお楽しみいただけます。
昭和50年代の前半、つまり今から30年前の動画ですなぁ〜。
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末期の4大夜行鈍行は
からまつ はやたま 山陰 ながさき
寝台に乗りたかった -
でも一部のホームが短い駅は通過だものなぁ
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昼行で米原発長岡行とか走ってたよねえ。
鉄抜け期間が長かったもんで、気がつけば
思い出の列車がたくさんなくなってる。
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東京→大垣夜行(ながらの前身、って書かなけりゃダメか)は
登山シーズンには金谷に臨時停車して、大井川鉄道の臨時に
接続させてたというのはこの板的には比較的最近の出来事なのか? -
始発駅から終着駅まで
走行線区の全駅停車した夜行普通列車という条件で考えると
なにがあっただろう。
首都圏近畿圏の国電区間通過なんて普通だし・・・
「からまつ」あたりか?
でも,臨時乗降場を含めて全停車していたかなー???
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>>14
1979.9の時刻表を見るとからまつも、張碓・豊幌・東滝川・滝里・島ノ下・布部・東鹿越・幾寅・羽帯と結構通過している -
全駅停車にこだわることもあるまい
片道旅行で347M(ながらの前身)〜死ぬほど乗り継ぎ〜「ながさき」に乗る、という
普通列車二泊旅行をしていたら、下関駅で同じことをしてる奴(しかも同じ日に!)に
出会って凹んだなあ。
二人でいろいろ話しながら関門トンネルを抜けたよ。
その時お世話になったオハネ12が今では横川で展示されてる。
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>>7
冬場に乗ると暖房の熱気と混ざり合って、生臭さが増強してたな。 -
昭和50年代前半、上野を11:17頃発車する、一ノ関行きの長距離普通列車が
ありました。ヨンサントウまでは青森行き夜行列車だったことを知るfァンは
いないだろうか?
この列車、EF57の定期運用だったので当時の鉄ちゃんには大人気だったよ。
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全国的に長距離普通のダイヤ分断が進んでいる中、山陽線だけは逆に距離が伸びているんだがw
国鉄末期にも無かった岡山発下関行き(一部区間快速だが)が当たり前のように走る。 -
>>12
345Mだね。上りは344M。 -
山陰、上野ー長岡、新宿ー長野(塩尻まで)、大垣夜行(上り)に乗った。
山陰は下りは浜坂まで、上りは完乗 -
>>25
同意。
終戦直後ならともかく、昭和50年ごろで旧型電機のデッキはないだろな。
扉が開け放し客車デッキでの飛び乗り&飛び降りなら実際にあったけどね。
自分は我孫子在住だったが、昭和57年までは実際に日常茶飯事だった。
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カラー動画(70年代くらい?)で見たことある様な気もする >旧型電機のデッキ乗り
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>>28-29
昭和40年頃までなら、高崎線で旧型電機牽引の客車列車があって、
朝ラッシュ時の上りの上野行きは超満員でデッキにまで乗っていた光景が。
ニュースで風物詩としてよく放映されていた。
さすがに真冬は危険だったろうな。 -
奥羽線経由青森行き421列車かな。
実際青森まで乗り通したことはなかったんだけど、正月の前後は板谷峠で夜明けだった。
中坊の頃だから曖昧な記憶だけれども板谷駅か峠駅で初日の出を拝んだ。
その後壇上完爾氏がRJ誌上で列車追跡シリーズの名作「421よあれが青森の灯だ」を発表したね。 -
ウチに421レのレコードがあるw
石坂浩二が語ってる奴。 -
私は若い頃、壇上氏の列車追跡シリーズが大好きだった。
昭和45年6月増刊号に「421よ、あれが青森の灯だ」を
何度も熟読した。
エンディングの『汽車キチよ、あれが青森の灯だ』・・・・・
が大好きだったな。 -
>>31
S54頃だが函館本線の124レが函館到着時に俺も停車前に飛び降りた。
当時、チョコレートのCMで三浦友和(だったかな?)がホームで待つ恋人に
早く逢いたいために旧客から飛び降りるシーンがあり、結構インパクトが
あったものだ。それをまねてみたもの。
でも当時、カノジョはいなかったので1人でやって自己満足しただけだけどね。 -
鹿児島発東京行普通列車
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50が入る前の播但や姫新でも見慣れた光景だったな。
って、スレ主旨が違ってきたw -
信越線321も長距離各駅停車の部類に入るかな?
あの列車のレコードが出ていたのを鉄道誌の広告で見た希ガス。
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幼稚園のころ鉄道ので山陰に昼間(というか早朝から深夜まで)ずっと走る長いのがあると書かれていた記憶がある。
さすがに乗る前に廃止されたが。 -
824には及ばないけど726レ・浜田→大阪
翌朝の721レ・大阪→出雲市 -
824列車? ああ、横綱826列車の露払いを務める
あの列車の話ですか…。
堂々とロザを連結し、風格ある編成で出発してゆく
京都行826列車の1本前に、
まるで前座のようにハザだけの単純な編成で出てゆく
福知山止の列車のことですね。
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小学生の頃,釧路〜小樽の「からまつ」が走っていた.
当時,名前の付いた鈍行は全国で4本だけだった.
既に廃止が決まっていた頃だったが,どうしても乗ってみたく,父親に頼んで早朝の札幌駅まで連れて行ってもらい,札幌〜小樽まで乗車した.
是非とも経験してみたかった寝台車には入れてもらえなかった. -
からまつ、山陰、南紀/はやたま、ながさき、であっています?
からまつ以外は何回かお世話になりましたが、寝台は予算の関係で乗車体験ゼロ
一度くらい乗っていればよかったと後悔
これ以外では、41/46レ、上野⇒長岡、新宿⇔長野(⇒上諏訪/甲府、下りだけ)、347/344・345/340、高松⇒中村
どれも重宝しましたけど、部分的とはいえ夜行のロングシート(115)がすいていれば意外と楽
特に3人(5人)がけの端部は一番重宝しました
混んだ場合は勘弁ですが -
新宿⇒長野の夜行普通列車はS50.3まで、雑型客車でした。
個人的には、12系EF64牽引で運転して欲しかったですね。
唯一の救いは、上諏訪止まりになっても、新宿駅構内の
アルプスの広場に列車専用待ち合わせ場所があったこと。
シーズン中は午後3時ごろから集合していた山男もいたな。
>>42
サンクス -
>>41門司→福知山ね824列車が有名だが、同時期に下りにも豊岡→下関というのがあった
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母の生家が長野市なので、上野からの2321レ〜321レと326レ〜2326レ、中央夜行の441Mは何度か乗った。
一度だけ、2321レをEF58-154(宇)が牽いたことがあって、ビックラこいた記憶がある。あと、321レと326レは、唯一西松井田だけは通過していた。
441Mでは、大月と甲府での徘徊が結構気分転換になった。南塩尻信号所跡もまだ残っていて、篠ノ井線内のスイッチバックも楽しみだった。
442Mと長岡夜行の735Mは、廃止直前に一度だけ乗った。3月の長岡はまだ冬で、駅前を徘徊するも飲食店などあるはずもなく、待合室でひたすら待っていた記憶が…
今の時代なら職質でもされてるかな?
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失礼、「南塩尻信号所」じゃなくて「東塩尻信号所」でした。大変失礼致しました。
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>41
>42
>49
それです、ありがとう。
旧客が延々と連なった写真が載っていたと思います。 -
>>16
1981年の夏休み、青春18のびのびきっぷで実践したよ。当時厨房・・・
山陽本線では初めて見る穏やかな瀬戸内海を車窓に居眠りをしていた。
大垣から下関までは湘南色の113や115ばかり・・・非冷房もあった。
小倉からは「ながさき」に乗継。
2連泊後長崎では若い改札係が切符の途中下車印をみて「すごかぁけんねぇ〜」。
さすがに疲れてしまい観光すらせず・・・
翌日、下関の親戚宅でお世話になり、懲りもせず山陰本線の鈍行に乗車。
交通公社の時刻表とウォークマンは必需品だった。
当時高価なメタルテープに石毛礼子「旅の手帖」ばかり入れていた・・・
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TDKのMA-Rは今手に取っても
高級感あふれて胸が高鳴る -
お金なかったからARしか買えなかった(/_;)
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いつもソニーのCHFかTDKのDを使っていた俺の出番か!
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大学生協の店員がバカで
時々ARと同じ値段で出してた
もちろん速攻買い
POSのない いい時代でした -
俺はDENON DX3だったよ。
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マクセルUDシリーズとかXLシリーズとか、懐かしいな…
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いつからここはメタルテープを語るスレにwww
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俺はそうは思わないが、仲間うちではソ○ーのテープは
伸びやすいと言われていた。 -
長野→新宿の夜行は末期に乗った
115系だったが夕方18:00過ぎに長野を出発した
新宿到着は翌早朝の4:00過ぎ
よくよく考えると長時間停車を無くせばその日のうちに新宿に着けそうなダイヤだった -
>>66
自分も高校の夏休みに当該列車にのった。
指摘の通り新宿着がえらく早い時刻だったのだが、
池袋方面から来た乗り継ぎの山手線が混んでいたのに大変驚いた。
いわゆる朝帰り集団にでくわしたのだが、高校生には未知の世界だった。
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長野夜行はよく乗った。宿がわりに。
大月でキックターン。やった人おおいと思う。 -
のぼりは一番電車の代用
これで新宿⇒日暮里⇒平⇒仙台⇒盛岡⇒青森の普通乗り継ぎが可能でした(快速含む)
大月折り返し以外、初鹿野折り返しも、両方経験しましたけど18切符さまさまでした -
東京0520-名古屋1308
東京1333-大垣2312
東京2330-大阪1058
東京0534-福島1247
東京1112-青森0748
東京1538-福島2244
東京2048-青森1658
東京2240-青森2200 (奥羽線経由)
上野0547-長岡1215
上野1303-長岡1907
上野2203-秋田1558 (上越線経由)
上野0540-仙台1455
上野1229-仙台2123
上野2220-青森2026 (常磐線経由)
新宿0115-上諏訪0738
新宿0615-長野1628
新宿1235-長野2314
新宿1615-松本2249
新宿2345-長野1018
新宿0050-岡谷0654 「八ヶ岳高原」「蓼科高原」 (小淵沢0548-野辺山0732)
新宿0045-岡谷0715 「霧が峰高原」
ケツが痛くなりそうな列車ばかり。。。(;´Д`)
エコノミークラス症候群とか大丈夫だったんだろうか。 -
長距離普通列車は、一部を除きうんと混んでたりはしなかったからね…
ベルトに拘束されることもなく、身体を動かすチャンスもあるし
うまくすれば1ボックス1人で占領だ(だからそんな列車が減らされた?)。
特急指定席→婚約者の親戚の迎えのクルマに長時間乗車→
飲み物休憩をリクエストする隙もなく→カラオケボックスに直行
でエコノミー症候群発症は苦い思い出w -
昔は新聞輸送も兼ねてたよね。
いまじゃトラックばかりだけど。 -
通信回線が発達して、新聞社の印刷所もあちこちに建ったしね。
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新宿23:45発長野行425レは当時EF13+旧客で小淵沢まで小海線のC56撮影のためよく
利用した。冬季は暖房車マヌ31が連結されてて都内からSLの香りが楽しめた。
厨房だったので寝ずに長い停車駅毎に機関車を見に行ってたら暖房車の罐焚き
のお兄さん(機関助手になるのかな)がしばらく走行添乗させてくれたのが
良い思い出です。B6のボイラーはSLそのもので真冬でも暑かった。暫くしてEF64に
置き換わり暖房車は見かけなくなった。 -
新宿発23:45長野行425レは厨房の頃EF13+旧客だった。
小淵沢まで小海線のC56撮影にてよく利用したものだ。
冬季は機関車の後に暖房者マヌ31が連結されてて都内から
SLの香りが楽しめた。夜も寝ずに長い停車毎に機関車を見に
行ってたら暖房車のお兄さん(機関助手になるのかな?)に
走行添乗させてもらった。B6のボイラーはSLそのもので真冬
でも暑かった。後にEF64に置換わり暖房車は見なくなった。
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昭和50年頃、直江津発長野行き・長野発高崎行き・高崎発上野行きの
旧型客車列車がありましたが、実は一本の同じ列車で、長野・高崎で
長時間の停車で列車番号のみが変わるというものでした。
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>>75
鉄道ジャーナル昭和44年4月号に425レでのマヌ34の添乗レポートが掲載されてる
ジャーナル誌によるとB6(2120形)の廃車発生品のボイラーを流用して製造されたのがマヌ34
またマヌ34始め昭和43年末時点で現役だったのが下記5形式
ホヌ30が10両
スヌ31が17両
ナヌ32が4両
オヌが10両
マヌ34が29両 -
SGの蒸気の圧力って、どのくらいだったのでしょうね…
いえね、暖房車はともかく、末期の機関車搭載のSGは全自動らしいから
資格とかの規制もゆるいだろうし
川場村のD51や若桜のC12の汽笛鳴らすのに使えるんじゃないかと思って… -
キンキン…カキンコキン…
-
川場村のD51や若桜のC12の汽笛鳴らすのに
電動コンプレッサ1台あればおk -
↑>>83のレス番が一つずれているようだ。
漏れのgikoNaviがずれているのかと思ってIEでみてみたがやはりずれている。
専用ブラウザ使ってるなら一度ログ消して再取得するがよろし。
新橋駅前のC11が時々汽笛ならしてる。SG持ち込んでるとも思えないから
圧空だろう。根性さえあれば自転車用の空気入れでも汽笛を鳴らすくらいの
圧は作れるだろう。 -
>>79
暖房車はマヌ34でしたか。確か[甲]のでEF13は[八]だったと記憶してます。
中央線には初狩とか長坂なんかにスイッチバックがあった様な気がします。
425レ甲府には30分位停車した様な気がします。後のEF64前面窓のツララ除け
が檻のようで印象的でした。今も走っているのかな? -
暖房管が膨張するカンカン音は、国鉄時代は聞くのが珍しかった。
拠点駅では留置線に蒸気管が張り巡らしてあって、留置中も暖房されていたから。
この音が耳障りになったのはJR化後。
客車も機関車も夜間放置、蒸気が入るのは機関車が始動してから、それも発車15分前とか。
冷え切った客車は蒸気が通ってすぐに温もるものではない。
ガラガラの早朝客レは寒くてたまらなかった。(これは電気暖房も同じ) -
>>85
そのジャーナル誌によるとマヌ34は甲府機関区所属
またEF11牽引により飯田町から新宿へなんと発車1時間40分前に入線
新宿駅は黒煙防止からカマ焚き禁止で飯田町出発10分前から新宿への回送の間にカマ焚きして客車内を暖めて予熱で管理
新宿からは牽引はEF13になり出発後いよいよカマ焚き本番
マヌの連結は沿線の給水&給炭設備の都合で甲府まで
この取材日のカマ焚きは品川機関区から冬場だけ応援に来てる機関士が担当とのこと -
渡哲也の無頼シリーズで、この客レの中での格闘シーンがあるね。
EF13にマヌも付いてたと思った。
第何作だったかな。八王子あたりが舞台だった。 -
425列車と言えば末期に残す会みたいなのがあったな。
マスコミも一緒になって騒いでいた気がするが、某組合の合理化反対闘争に絡めてあったみたいで興ざめしたことがあった。 -
425レ(中央夜行)の「残す会」は
「なくなる」という誤報が発端だったとRJにあったよ。
441Mとして結果的に残ったけどね。
それよりずっと前に143レ(→143M→347M→・・・→ながら)
は本当に廃止にするところ廃止反対の声に当時の国鉄総裁が存続を決断したとか。
-
昭和45年頃、上りの422レに乗車した記憶がある。塩尻を午後9時頃に出て新宿着は明朝4時半頃。
今では考えられない時間ですよね。 -
今を去ること30年否もう40年以上前か…おそらく43−10以前だったと思うが…
当時山陽本線に大阪発門司行きの客車鈍行があった。富海駅朝9時台だったので気付かなかったが
鈍行列車である以上朝大阪を出て3〜4時間で山口県まで走るなんてまず無理
(特急ダイヤにでもしない限り…)。
おそらく大阪を出たのは前夜のうちだったのであろう。
(寝台車などは連結していなかった。荷物車・郵便車・ハザ車のみで10両程度の編成。カマはEF58)
この頃はまだEF58は茶色でたまにブルトレカラーが入ったことがある程度。ある時新塗装(風邪引きマスク)
が牽引してきたのを見た記憶がある。
しかしやがてこの列車もクモニ83を繋いだ80系に変わってしまった。
リアル消防低学年の頃の話。多少の記憶違いがあったらスマソm(_ _)m -
18きっぷ黎明期に大垣夜行〜新快速から大阪経由で
山陰線米子まで一気に行った
大阪発米子行き直通!!はたしか10時過ぎぐらいで
米子着はもう21時近くだったような記憶が -
浜田→大阪とか、原ノ町→青森は異常に同乗者がいた。
それにしても、今となっては、何のために「下関→岡山」の153に
乗り通したんだろうと思う。今だったら山ほどある。
むしろ、松山→高松って鈍行に思い入れがある。旧客も186Dも。 -
昭和39年10月の山陽全線電化で、大阪から柳井まで一直線の電車鈍行2433Mが走ってたな。
大阪12:03→柳井22:25の片道一本だが、電車の鈍行では412.9kmと当時の最長距離。 -
小5、6の頃は733Mでオヤジの田舎へよく行ったな。
徹夜で鉄ヲタ兄さんらと話してから赤谷、魚沼、越後、弥彦、磐越西と
回った体力と気力は今はない・・・ -
少し前に下関→岡山間の苦行をしたけど、いくら115系1000番台とはいえ
座りっぱなしで7時間とか、夜行ならともかく昼行しかも近郊列車では
耐え難いものだったな。いくらボロくとも、やっぱりデッキがある車両とは
落ち着きが違うわ。 -
1945年1月(敗戦目前の正月)、超満員の東京発博多行の普通列車を乗りとおした。
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昭和59年の8月の暑いときに
京都→出雲市 の山陰号の10系寝台乗ったよ。高校でバイトで貯金してね
感想は・・・
? DD51の後ろで騒音すごいけど迫力あった。
? 白熱灯で薄暗く冷房のダクトが丸かった。
? しかも冷房の効きは悪くて暑かった。
? 乗り心地はソフトで良かった
? 寝台は狭かった。
そして出雲市から博多行きの50系鈍行に乗って下関で降りたよ。
単線だから待ち合わせ時間の長い上に非冷房だから扇風機だけが
頼りだった。
その翌年に山陰号は廃止されたからいい思い出になったよ -
いまは都道府県によっては18歳未満徘徊禁止条例があったりするから大変だ。
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今となったらお客の入れ替えせずに「始発駅」から「終着駅」まで
もっとも長距離かつ長時間運転する列車って・・・・
ひょっとして同じ駅を何度も通るアレか???
走行距離が34.5の倍数キロだったりするやつwwww
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>>103
始発から終電まで20周近く走る運用もあるが、周回ごとに列車番号が変わるから、微妙だな。 -
手持ちの1970年10月の時刻表見ると、青森発平経由上野行きとか、中央西線夜行とか、門司港発熊本・人吉経由都城行きとか、超マニアックな夜行普通が色々あって面白い。
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ながさき は暑すぎ
すずらん は寒すぎ
うまくいかないもんだ -
>>105,106
マニアック定期夜行普通列車の話ですね。
私も、そういう列車は大好きなクチです。
博多→中津
池田→上野
等の超マニアック列車も仲間に入れてやって下さい!
ちなみに、経路は
博多(鹿児島本線)八代(肥薩線)吉松(吉都線)都城(日豊本線)中津
池田(福知山線)神崎(東海道本線)米原(北陸本線)直江津(信越本線)高崎(高崎線)大宮(東北本線)上野
です。 -
>>109
昭和59年じゃ北海道の10系寝台車ですらエア・コンディショナは装備されていたはずだが。 -
大阪発北陸線まわり青森行。ガキの頃はまだあったが乗る機会なく区間短縮。実際に乗車したのは大阪発新潟行。昭和40年代に部品即売会があり、この列車に使ったサボが今も手元にあります。今回
-
久しぶりに常磐線乗ったけど、上野からいわき行き全滅かあ。グリーン車つないだから?
ちょっと前まで四ツ倉行きとかあったような気がするけど。 -
ぁぁぁ旧客の夜汽車で遠くへ行きたいぃぃぃ
近郊区間の混雑がなくなって、少し寂しいくらいに静かになる瞬間が好きだったよ。
-
カタン・・・
(遠くのほうのデッキからドアの開閉する音)・・・
(しばらく静寂)・・・
(遠くのほうから・・・『○○○列車発車ァー』・・・)
(ややあって)
ピーーーー
ガッチャン・・・・コ ッ ト ン コットン・・・・
コットンコットン・・・・
コットンコットンコットン・・・・・・
ピー -
やっぱり夜中のホイッスルっていいな〜
-
熱い熱い気持ちでいたい
ドキドキする トキメキの中で
いつも はじめる合図はここにある
胸にひびくホイッスル -
>>116
私の場合、ピーがボーに変わるんデスガ -
旧客は扉あけっぱなしで走っていたから、
車掌のドア開閉業務がなく、
車内放送や駅の構内放送も今と違っていて良かったな。
「駆け込み乗車はお止め下さい都城行発車しております」
とか
「(略)…なさらぬよう、お願い致します、停車駅は竹下です、この駅出ますと雑餉隈・二日市の順に停まります」
なんてね。 -
四国ならでわのDC 夜行普通列車
300円で乗れるグリーーン車ののエアコン効きすぎで寒かった。 -
過去に実在した夜行鈍行で一番インパクトの強かった列車といえば、
やはり 博多発中津行 をさしおいて他はないだろうね。 -
>>122 詳細kwsk
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ながらの券転売屋タイーホ…18シーズン以外は価格競争力無しか…スレチ失礼…
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今日久しぶりに岡山まで行って来た。
岡山駅に到着後、まずは腹ごしらえ。
宮本むなしで、380円の朝定食(ウインナー3本、目玉焼き、生野菜サラダ、味噌汁、漬け物、豆腐1/8、ご飯)
ご飯はお替わる自由だった。2杯おかわりした。
そして、岡山駅構内に入って、旧西口まで。
旧西口から、済生会病院まで、徒歩。
済生会病院からバスで20分。片道210円。
大学時代を過ごした、富原までバスで行って(笹ケ瀬)、当時を過ごした下宿を見てきた。
済生会病院前から、笹ケ瀬バス停まで。片道210円。両方とも、珍しく中鉄バスだった。
帰りに、ビックカメラに行ってみた。
時代の流れは遅いようで早いものだった。 -
大垣逝き165系を懐かしむ声はあれど、
あれをフカーツしる!という意見が出てこないのは、まっこと面白い。
居住性が懐古趣味に勝るん棚w -
日本海縦貫線に2夜行にまたがる普通列車があった。下りは大阪を2200頃出て
青森には翌々日の早朝にやっと到着した。ついに全区間利用する機会は持てな
かったことがとても残念。 -
平成2年正月2日に
名古屋から熱海行普通列車に乗った。
今となってはあっと驚く長編成。
豊橋〜静岡間はワンボックス占領できたのも懐かしい範囲になってしまうな。
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>122 距離はともかくインパクトならこれ
上郡発青森行き 507列車(山陽・東海道・北陸・信越・羽越・奥羽経由)
上郡発6:59→青森着17:06(翌日)
宮脇俊三氏著「増補時刻表昭和史」より -
日本国内で史上最長距離を走った旅客列車って何だろう?
時刻表に掲載された列車で言えば、青森発東小倉行きがロンゲストだと思うが、荷物列車だったからなあ。
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>>122さしおいて?
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「普通列車限定なら」という条件付きだから、問題無いんちゃうの?(´・ω・`)?
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本当にいい年したオッサンばかりの板なのかたまに疑問に思うこともあるな
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>>138の文章力の無さにびっくりw
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馬鹿が馬鹿を馬鹿呼ばわりする馬鹿馬鹿しいスレw
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うっとおしいからそろそろよそでやってくれんか
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>>132氏,>>135氏,>>138氏が過去の歴史的な事実に反した認識をしているから
>>134=>>137=>>140さんが暴れている
ということは、わかりました。
>>134=>>137=>>140さん、貴方の知識が正確だということはわかりましたから、
もっと素直に>>132氏,>>135氏,>>138氏に教えてやったらどうですか?
それが、無知な厨房たちに対する博識な大人の対応というものです。
このように書いてやったら、荒れずに済みましたのに↓
「史上最長距離の普通列車は、戦争直後の東京発早岐行ではなく、
戦争末期の鹿児島発東京行です。それぐらいの基礎的な事実は、
ちゃんと覚えておきましょうね」 -
だれかわかりやすくまとめて!
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>>146
日本語の不自由なID:ovi6XDymが火病を起こしている。 -
>>145さん
わたしは、別に「エリート意識(笑)」を持っていないですが、
わたしのレスがそのように受けとめられて、不愉快な思いをさせてしまったようで、
本当にすみませんでした。
最長距離を走った普通列車が鹿児島発東京行だったという事実は、かなり有名で、
大抵の人が知っておられるものだと、思いこんでいました。
別に、悪意はありません。反省します。 -
「東京ー鹿児島の普通列車があった」とだけ書いとけば、済む問題だった訳か。
まぁ少なくとも、俺は知らなかったけどなw -
>>123 409列車
博多537ー鳥栖622/632ー久留米641/645ー大牟田734/738ー熊本858/907ー八代958/1006ー人吉1131/1140ー
吉松102/108ー都城232/236ー宮崎345/350ー延岡553/555ー佐伯725/730ー大分914/920ー別府941ー中津1149
(昭和34年末 主要駅のみ) -
雑形客車といいココといい何でこんな典型的な連中ばっかりなんだこの板はorz
-
ウラジオストックからモスクワまで「ロシア」号以外に「普通列車」があるという話だが
これに乗りとおす人はさすがにいないだろうなwwwww
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>>152
「こんな連中ばっかり」だからこの手のスレが路線車両とかから分割されたんだろう。 -
>>151
人吉−吉松の所要時間が謎だ。 -
12時間制表記
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>>152
ヒント:団塊 -
>>151
補遺
人吉11:40−吉松13:02/13:08−都城12:32/12:36−宮崎15:45/15:50−延岡
15:53/15:55−大分21:14/21:20−中津23:49
S9,9月時点では博多ー都城
S9,12/1改正で博多ー中津
S14,11/15改正で博多ー隼人になる。
-
昨日の「欽ちゃんの全日本仮装大賞」、ファンタジー賞は「夜汽車の窓」
だったな。
欲を言えばもう少し窓枠や壁の色など、旧型客車を忠実に再現して
くれれば良かったのに・・・・・・・
全体(ストーリーや車窓)の出来が良かっただけに残念。
あと、あの2人にはぜひ幸せになって欲しいと思ったね。 -
ドミソド(高)ソミド ミ〜レ〜ド〜 ド(高)
-
>>163 HeykensのSerenade
2ミ1ソ2ミ〜 2ファ2ミ2レ〜
2ド2レ2ミ2ド1ソ〜 1ソ〜
2ファ1ソ2ファ〜 2ミ1ソ2ミ〜
2レ2フ#2シ2ラ2ソ〜 2ソ〜
2ミ1ソ2ミ〜 2ファ2ミ2レ〜
2ド2レ2ミ2ド1ソ〜 1ソ〜
1ラ2ド2ファ2ラ2ソ2ミ2ド〜
2ミ1ソ2レ1ソ2ド〜 3ド〜
こういう曲である。 -
やっぱり途中駅で車内清掃員が乗り込んでゴミ集めしてくれたの?
もしそれが無かったら終着近くではゴミの山だよねたぶん -
実際終着近くではゴミの山になったりしたよ。
多客期の夜行列車なんてピーク区間すぎるとまず
座席にありつけなかった人が敷いた新聞紙が散乱し
吸殻入れからこぼれた吸殻に空き缶空き瓶があちこち
ゴロゴロ。
そんな中に通勤通学客がのってきて網棚に新聞紙と週刊誌を
おいていく。
だれもいなくなった昼下がりそれらのゴミの山は片付けられることもなく
そのまま運ばれていく。
だから長距離客レなんかに乗ると普段みかけない地方新聞があったりする。 -
私の記憶はもう少し古い時代かも知れない。
車内清掃員は日中4時間に一度くらい来ました。
竹かごを紐で引きずって椅子の下まで丁寧に掃除してくれます。
夜行で発車して朝になったあと、1回来るが午後2回目を見るとさすがにウンザリです。
当時は、週刊誌とは言え勿体無いから、網棚に捨てて行く人は少なかった。
自販機が無いから飲み物は余り買わないし、ホームの水を飲んでた。
カンビールは売ってない。
弁当殻を椅子の下に置くのはマナーの良い人、床に置きっぱなしは悪い人。
鶯谷→上野の線路上は、到着直前に持ち物を整理し、弁当殻を徐行中の客車窓から捨てる人が多かった。
彼らは車内美化に協力してるつもりだったのでしょう。 -
山陰
-
列車内でタバコよく吸ったな。(高校時代)
家→親がうるさい
学校→先生がうるさい
街中→いろいろとうるさい人がいる
列車→だれもいない解放区!
国鉄さんごめんなさい
-
時刻表の1965(昭和40)年7月号が手元にあったので、当時の長距離ベスト10を調べてみた。
233・236 大阪⇔八代
411・412 上野⇔青森(奥羽経由)
211・212 上野⇔青森(常磐経由)
111〜114 上野⇔青森
232 鳥栖→京都(呉経由)
231 京都→鳥栖
811・818 京都⇔門司(山陰経由)
419・420 函館⇔釧路
819 京都→下関(山陰経由)
143・144 東京⇔姫路
走行距離が800kmを超える列車はこの時点ではもうない。
10月改正以降は421・422が最長距離の座に就く。 -
↑411・412改め421・422。
-
昭和十五年十月一日改正列車番號 409
博多發 525
鳥栖發 627
熊本發 912
八代發1022
人吉發 006(以下午後)
吉松發 144
隼人著 253 -
4ヶ月も前のネタまだ引っ張ってるのかw
-
山陽系の客車長距離鈍行は須磨駅(ホームは電車線側のみ)に停車する列車が多かったが、
神戸を出てから電車線側に転線してたのかな? -
>>177
その辺の複々線化は1965年ですが、それ以後も客車鈍行残ってましたっけ? -
>>178
鷹取〜西明石間の複々線化は1965(昭和40)年3月28日。
この年の7月時点の下り列車だが、
143レ 東京〜姫路
321レ 大阪〜小郡
323レ 大阪〜小郡
826レ 大阪〜姫路
229レ 大阪〜門司
325レ 大阪〜広島
641レ 大阪〜宇野
327レ 大阪〜広島
231レ 京都〜鳥栖
341レ 大阪〜糸崎
949レ 大阪〜上郡
233レ 大阪〜八代(最長)
645レ 京都〜宇野
と、これだけの列車が須磨駅に停車していた。
姫路〜鳥羽間の参宮快速はこの複々線完成を待たずして廃止。
西明石に列車線ホームができるのは山陽新幹線岡山開業時。 -
今日静岡駅行ったら駅のコンコース2:15〜4:00まで閉鎖って出てたけど今までそうでなかったんだね。
やっぱり景気悪くなって ホームレス対策やら節電対策やらをしてるんかね。
例年春の18期間になると朝の上りで、在来線では西から来れない時間帯に乗っても2月より混むようになる。
特に土曜と春分の日〜4月初め、それでも米原以西からつながる時間帯に比べると別世界だが。
一泊した人も居るんだろうけど、静岡県民18キッパーも実はかなり居るんじゃないか?
夜遅い時間でも有人改札が混むようになるし結構な人数が居るだろ
横断乞食って話の時はタブーとして触れられない事実なだけで自由通路になってるところは、閉め切れない場合も多いからな。
橋上駅にもそういう例(通路部分は建設も管理も役所持ちで、公共通路扱いのため終夜開放)が多いんじゃないか?
今度のダイヤ改正で熱海〜浜松直通が増えて、18利用者にもやさしくなったのかと
おもっていたが、よく見たら、静岡でバカ停ばっかり・・・
下りの浜松止まり多過ぎ。一部を豊橋延長出来ないのかと。浜松分断なんて事になったら最悪。接続がやたらと階段使用の乗換が多い感じ。
静岡、沼津、三島の長時間停車は昔からだろ。遅延の回復時間と新幹線接続の両方だろうね。
長距離乗り通し客にとっては朗報じゃないの?
元々、熱海(三島)〜島田と興津〜浜松系統で分断されていたのが1本で行けるし、
多少遅れても、遅延を吸収できるし。
静岡での時間調整は熱海発豊橋行きや米原発熱海行きの113系が走ってたころからあった
良き時代からの伝統がぶつ切りダイヤで忘れられていただけ
静岡の長時間停車って昔から? 改正後の441M(熱海12:57発)だと
静岡着14:10、発14:22なんだが、停車中に14:12発島田行きというのがある。
なおかつ興津1404発の139Mが14:20に静岡についてこれが静岡発14:32。
静岡が目的地な人はどっちでもいいんだろうけど、通過する人にとってはわけわからんって思うわ
あとは乗降の時間確保だと思うね。静岡は一部を除いて2・3分停車が定位だから。
去年のダイヤ改正前までは掛川もあったな(地元からも不評だったアレ)。新幹線のダイヤ変更のお陰で解消されたけど。
普通列車で博多⇔広島⇔京都⇔静岡⇔東京まで
http://anchorage.2ch...cgi/rail/1235374959/
普通列車で博多⇔岡山⇔大阪⇔静岡⇔東京まで
http://www.23ch.info....cgi/rail/1234906815
大いに参考になるよな。特に京阪神地区のダイヤ改正と首都圏・近畿圏の銭湯情報は
誰がどこに泊まろうが自由だ。お好きなところへどうぞ。ただし、風呂に入らずに汗くさいまま列車に乗るのは許さん。
けれども、ぶっ通しなのは構わないが、風呂くらい入ってくれよw
野洲駅なら駅前に、大垣駅なら駅から歩いて20分くらいのところにスーパー銭湯がある。
東の大田区、西の尼崎と言われるほど「銭湯どころ」ならば18切符で行ってきたい。東京は銭湯マップとかスタンプラリーをやっているらしいな。
都内では港区は「港区が運営する公営の銭湯」があるんだな。 東京都港区立公衆浴場「ふれあいの湯」
http://www.city.mina...ta/fureai/index.html
午後3時〜午後11時 (ただし、1月2日は、午前9時〜午後1時)
休業日
・毎週月曜日(ただし、月曜日に当たる日が1月2日、1月5日、5月5日のとき、または9月の第3月曜日は、その翌日に振り替えます。)
・年末年始(1月1日、1月3日、1月4日)
地下鉄浅草線・大江戸線大門駅A3出地下口徒歩10分
地下鉄三田線芝公園駅A1出口徒歩5分
ふつうの銭湯です。 洗い場のカランが少ないので譲り合って使いましょう。
敷地が狭いので、1階が受付、エレベータ、または階段で2階が女湯、3階が男湯、4階が休憩所。
脱衣所はぎりぎり、風呂場はジェット付きの浴槽が一つのみというシンプル構成。 -
今日静岡駅行ったら2009/03/15(日)から 静岡駅のコンコース深夜2:15〜早朝の4:00まで閉鎖って出てたけど今までそうでなかったんだね。
やっぱり景気悪くなって ホームレス対策やら節電対策やらをしてるんかね。
例年春の18期間になると朝の上りで、在来線では西から来れない時間帯に乗っても2月より混むようになる。
特に土曜と春分の日〜4月初め、それでも米原以西からつながる時間帯に比べると別世界だが。
一泊した人も居るんだろうけど、静岡県民18キッパーも実はかなり居るんじゃないか?
夜遅い時間でも有人改札が混むようになるし結構な人数が居るだろ
横断乞食って話の時はタブーとして触れられない事実なだけで自由通路になってるところは、閉め切れない場合も多いからな。
橋上駅にもそういう例(通路部分は建設も管理も役所持ちで、公共通路扱いのため終夜開放)が多いんじゃないか?
今度のダイヤ改正で熱海〜浜松直通が増えて、18利用者にもやさしくなったのかと
おもっていたが、よく見たら、静岡でバカ停ばっかり・・・
下りの浜松止まり多過ぎ。一部を豊橋延長出来ないのかと。浜松分断なんて事になったら最悪。接続がやたらと階段使用の乗換が多い感じ。
静岡、沼津、三島の長時間停車は昔からだろ。遅延の回復時間と新幹線接続の両方だろうね。
長距離乗り通し客にとっては朗報じゃないの?
元々、熱海(三島)〜島田と興津〜浜松系統で分断されていたのが1本で行けるし、
多少遅れても、遅延を吸収できるし。
静岡での時間調整は熱海発豊橋行きや米原発熱海行きの113系が走ってたころからあった
良き時代からの伝統がぶつ切りダイヤで忘れられていただけ
静岡の長時間停車って昔から? 改正後の441M(熱海12:57発)だと
静岡着14:10、発14:22なんだが、停車中に14:12発島田行きというのがある。
なおかつ興津1404発の139Mが14:20に静岡についてこれが静岡発14:32。
静岡が目的地な人はどっちでもいいんだろうけど、通過する人にとってはわけわからんって思うわ
あとは乗降の時間確保だと思うね。静岡は一部を除いて2・3分停車が定位だから。
去年のダイヤ改正前までは掛川もあったな(地元からも不評だったアレ)。新幹線のダイヤ変更のお陰で解消されたけど。
普通列車で博多⇔広島⇔京都⇔静岡⇔東京まで
http://anchorage.2ch...cgi/rail/1235374959/
普通列車で博多⇔岡山⇔大阪⇔静岡⇔東京まで
http://www.23ch.info....cgi/rail/1234906815
大いに参考になるよな。特に京阪神地区のダイヤ改正と首都圏・近畿圏の銭湯情報は
誰がどこに泊まろうが自由だ。お好きなところへどうぞ。ただし、風呂に入らずに汗くさいまま列車に乗るのは許さん。
けれども、ぶっ通しなのは構わないが、風呂くらい入ってくれよw
野洲駅なら駅前に、大垣駅なら駅から歩いて20分くらいのところにスーパー銭湯がある。
東の大田区、西の尼崎と言われるほど「銭湯どころ」ならば18切符で行ってきたい。東京は銭湯マップとかスタンプラリーをやっているらしいな。
都内では港区は「港区が運営する公営の銭湯」があるんだな。 東京都港区立公衆浴場「ふれあいの湯」
http://www.city.mina...ta/fureai/index.html
午後3時〜午後11時 (ただし、1月2日は、午前9時〜午後1時)
休業日
・毎週月曜日(ただし、月曜日に当たる日が1月2日、1月5日、5月5日のとき、または9月の第3月曜日は、その翌日に振り替えます。)
・年末年始(1月1日、1月3日、1月4日)
地下鉄浅草線・大江戸線大門駅A3出地下口徒歩10分
地下鉄三田線芝公園駅A1出口徒歩5分
ふつうの銭湯です。 洗い場のカランが少ないので譲り合って使いましょう。
敷地が狭いので、1階が受付、エレベータ、または階段で2階が女湯、3階が男湯、4階が休憩所。
脱衣所はぎりぎり、風呂場はジェット付きの浴槽が一つのみというシンプル構成。 -
昔よく山陰本線の長距離普通列車に乗りました。京都を朝出て夜やっと江津でしたから。今では考えられない偉大なる鈍行です
-
>>180
壮そうたる顔ぶれですね。現在の敦賀〜赤穂の新快速が霞んで見えます。
ウチの親父の同僚が大阪発の客レで曽根に帰ろうとして居眠りして気づいたら糸崎…
昔の鈍行は風情あったけど乗り過ごしたら地獄見ると言ってたのを思い出しました -
>>180
>>184
あの年の10月改正では、春完成の鷹取〜西明石間複々線が本格使用となり、
客車列車は完全に列車線に移動して須磨には停車しなくなり、西明石も当然ながら通過。
最長距離233・236レ(大阪⇔八代間)も消滅。
山陽系の主な客車鈍行(40年10月改正)
141・142レ(東京⇔姫路)
221・222・225レ(大阪⇔門司)
224レ(門司→京都)
223レ(京都→鳥栖)
226レ(鳥栖→大阪)※呉線経由
326・328・329・331・335レ(大阪⇔広島)
322レ(広島→京都)
421・422レ(大阪⇔糸崎)
621・622レ(大阪⇔宇野)
623・624レ(京都⇔宇野)
921〜924レ(大阪⇔姫路) -
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
-
山陰号だけ乗ったことがある。
あと高松ー中村夜行。でもこれ快速を名乗ってたし、気動車だから外れるね。
京都から乗り、遅い通勤客が降りると、すいてさびしかった。
倉吉で下車、今はなき倉吉線に乗りました。
倉吉線には山陰線より古いオハニがいて楽しかった。 -
保守
-
保全
-
中学時代、原ノ町発青森行(列車番号は失念)の普通に乗った。尻と背中が痛くなったが、感慨深いいい思い出です。「はつかり」の通過待ちで、ホームでまったりするのが気持ちよかったなぁ・・・
-
諏訪ノ平で8分停車
-
祖母が新潟に住んでたからよく長岡行きに乗ったな。
高崎でありえないくらい停車すんだよな。
いつもすいてた。 -
>>193
確か60-3で上野〜長岡通し運用はなくなったかと。改正前の長岡夜行を
録り鉄したカセットテープがあるから、間違いないと思う。
車両は115系11連で、シマで4連落とし。クモニ付きだったはず。
改正後の長岡夜行は、通常新前橋行で季節延長が越後湯沢だったと
記憶している。日中の長岡は全て水上で系統分離した。 -
一度だけ乗った、上野→長岡の115系
ただし乗車区間が、赤羽→宮内
そのあと、→来迎寺→西小千谷
魚沼線で長岡行きから降りた同じパターンの人が10人くらいいました -
>>194
季節延長の越後湯沢で間違い無いね。
S47年生まれの私が、中学生の時に何度もその季節延長でスキーに行った。
越後中里の駅で仮眠して、6時の早朝ナイターから滑って一日券が終わるまで。
その後、高校生で利用したシュプール号や大学生のころの関越道大渋滞よりずうっと快適だったよ。 -
その臨時の越後湯沢行き夜行っていつまであったかわかる方いますか?
たしか10数年前まではあった記憶があるのですが、いつまで走っていたかという明確な時期がわからない… -
湯沢夜行s61・12に乗ったなぁ、水上過ぎたら乗客は俺達のグループだけになって、窓全開にして鉄郎になった気分を味わった。
湯沢で時間潰して始発で上野にとんぼ返り。
前夜大垣夜行で翌日は上諏訪夜行、高校1年の冬に名古屋からの当時の自分達には大旅行、いい時代だった。 -
ものすごく古い話なんだけど、
京都―下関
とか
大阪―新潟
とかの夜行があったな。
前者は厨房の時に乗った。乗車時間20時間以上。
寝台車もついてた。 -
>>199
下関じゃなくて門司じゃないか? -
>>200
確かに下関でした。
京都を夜10時頃に出て、下関着は翌日夕方の7時頃。
下車後、幡生周辺をうろついた記憶ありますから。
で、山陽線電車夜行急行に乗ってトンボ帰り。夜の広島駅で駅弁がよく売れてました。
岡山辺りで降りて廃止直前の井笠鉄道を撮り鉄し、80系湘南型で帰宅。
厨房はさすがに体力ありますな(w。帰ってから1日寝込みましたが。 -
>>202
そう言われると自信なくなってくるけど・・・。
サボの記憶や、終着駅まで乗り鉄貫徹というわしの性格、
下記のサイト情報では下関かと(817レ)。粘着スマン。
↓
http://www.jnrpc.com...me/kyotor-sanin.html
-
時期はそれぞれずれますが、長距離普通の記憶
東海道線:大垣行き、昼では浜松行き
中央線 :長野行き
高崎上越線:長岡行き
高崎信越線:高崎行き、ただしこの後長野行き、さらに新潟行き
東北線:一ノ関行き、福島行き
常磐線:仙台行き
通しで乗ったのは、大垣行きだけでした -
中央線の長野行きというのは、いささか不思議に感じたもんだ。
-
あの時の朝方小淵沢で極寒のなか食べた立ち蕎麦旨かったなぁ
よくあんな時間に開いていたもんだ
先日行ったらまだ健在なのが嬉しかったよ -
各停ではないけど、小淵沢から白馬方面に行くときに夜行のアルプスに2回ほど乗ったな。
夜中3時頃だったけど、待合室のそば屋は開いてたっけかなぁ。
夜中でもストーブは点いていて、回りに人が群がっていたのは記憶にある。 -
>>206
朝6時20分に出て途中長時間停車しながら長野に15時過ぎに着いた思い出がある。
潮沢のスイッチバックにも入った記憶がある。
荷電が付いていたかは忘れたけど車両は115系。
あれから20年以上経つけどまだ115系走っているんだよな。 -
戦後すぐの混乱期は通勤電車にブラインドがないのは当たり前だったが夜行列車には必ずブラインドがあった
-
上越線新前橋〜越後湯沢延長の半夜行は一番利用した1995年夏は985M〜9985M
という列車番号だったと覚えている。
上野を出る頃は通勤客と登山客が呉越同舟、「この電車は本日に限り越後湯沢まで
参ります」の車掌の放送にサラリーマンが「寝過ごし出来ないな」とヒソヒソ話している
のが面白かった。
新前橋で大体通勤客は捌けちゃって馬鹿停のあとは快速運転、沼田、土合で登山客の
大量下車があり結構利用されていたと思う。終点の越後湯沢まで行く人は朝一番で
浅貝行きのバスに乗ったりしてたね。
そのちょっと前までは冬季も走っていて石打まで行っていたそうなんだけど、
生憎その頃はスキー熱が再発する前だったから利用出来なくて残念。 -
>>212
冬の越後中里も、待合室の俺一人のためにストーブ焚いてくれたな。
今のJRだったら、無駄な燃料費とかいわれてしまうのだろうなあ。
昔と比べて、夜行動人口は増えているはずなのに、夜行列車は減っている不思議。
夜間の人件費と光熱費の削減のためってのも大きいのだろうね。 -
昭和20年2月、福岡から北海道の塘路に疎開した。
途中駅から乗ると絶対に座れないので、
座席を確保するため、博多始発の列車を選んだ。
と言っても、選択の余地はなく、
当時、博多を始発とする列車は1本だけ。
前日の夕方から駅に並んで列車を待ち、翌朝、
博多を朝5時前に出る東京行鈍行に乗った。
夜8時頃に底冷えする上郡で降り、駅で夜明かし。
朝6時か7時頃に上郡始発の青森行に乗り、
次の日の夕方、青森着。
決死の連絡船で、函館には深夜に着いた。
函館の街中にある親戚宅へ行く。
親戚と合流して、午後3時頃発の根室行鈍行に乗り、翌朝釧路に着いた。
釧路から網走行に乗って、いよいよ塘路に到着、
ちょっと歩いて疎開先に着いたらすぐに日が暮れた。
釧路に着いたのが朝で、ほど近い塘路の疎開先ですぐに日没。
自分でもよく分からない。すでに記憶が曖昧だ。 -
疎開経験ありの2ちゃんねらって凄いな
-
一年くらい前だったか、84才vipperとかいうスレがあったなw
-
35年前位まえに山陰本線で京都駅から普通列車に寝台車が付いていた列車に
乗った覚えがあります
どなたか、その列車のことわかるひといますか? -
>>218
夜行鈍行「山陰」だな。俺も何回か乗った。 -
>>220
おおっ、これは懐かしい。山陰とだいせんは福知山で相互に乗り換えが出来たのですね。これは初めて知った。
この頃は時刻表を眺めているだけで、旅への思いを馳せながら何時間でも過ごす事が出来たなー。 -
確か西村京太郎の小説ネタにもなったな…>福知山での「山陰」の「だいせん」待ち
福知山でリヤカーに積んだ駅弁売りめがけて走ったなぁ。真夜中にw -
ここのスレでは「はやたま」くらいしか知らない俺は若造なのであろうか。
-
ありがとうございます。
青春がよみがえってきます。
-
>>223
はやたましってるならながさきとか山陰も知ってるだろ? -
>>225
そのころは「はやたま」じゃなくて南紀じゃね? -
からまつも追加で
-
夏のながさきは寝苦しかったなー
人いなくて必ず横になれたんだけど -
S47.8の事だったが中央東線の夜行で
新宿23:45南小谷行き「アルプス11号」、23:55発長野行き425レの間に23:50発臨時の
普通電車で上諏訪行き夜行があった。
これが165系4+4の8連で冷房付き。これだけでも乗り得だが乗った車両を今でも記憶
しているがモハ165。当時の電車編成で調べるとモハ165の入った4連は身延線の「富
士川」で甲府停泊中の間合いは間違いないところ。
またダイヤも面白く、甲府では1番線に停車中の「アルプス11号」に追いつく。この
列車は3番線に入線して2〜3分の停車後に「アルプス11号」に対し先発。
そして次の竜王でバカ停があり、「アルプス11号」、後続の臨時の「たてしな?」に
抜かれる。ちょっと推理ネタにでも使えそうなダイヤだった。
ちなみにこの列車は小淵沢の大築堤でC56牽引の「八ヶ岳高原」の撮影には大変便利な
列車だった。この板の中でもこの列車にお世話になった人もいると思う。 -
時刻表かぁ。
10系寝台車内部かと思たw
山陰、はやたまは乗りました。座席ですが。 -
>>235
70年7月号ですo(^-^)o -
万博プレミアじゃないか
-
糸崎駅のうどんスタンドに長距離列車のニオイを感じる。閉鎖されてるけど…
あの駅、基本無人なんだけど未だに管理局境界駅(岡山・広島。現在は支社境界)で運行上の「要衝」なんだな… -
凄い大ベテランが居るw
健康で長生きされてください、214さん。 -
>>214
上郡発青森行きねえ? -
二等車って長距離列車の連結はデフォだったのですか?
三等級制時代の話です。 -
瀬戸大橋開業一年前のダイヤ改正で、高松→高知に奇跡の客車夜行鈍行が復活したけど、乗った人いる?
50系の夜行鈍行では唯一だと思ったけど。
俺は一回だけ乗ったけど、もっと乗っておけばよかったなあと思う。しかし当時のリア十には東京から四国に行くのは18切符とはいえ遠すぎたよ。 -
>>243
自分が乗ったときはガラガラで、車端のロングシートに横になって爆睡できたな。
早朝の高知駅は寒かったが、接続する中村行きはグリーン車開放でこれまた天国だった。
あの頃は鈍行の旅そのものを楽しめた最後の時期だったと思う。
18切符の利用人口は当時より増えていると思うけれど、列車自体は単なる安価な移動手段になってしまった。 -
>>244
おお仲間よ。
俺が乗ったのは9月だったんだけど、結構寒くて眠れなくて、高知に着いたらトンボ帰りで高松行きに乗って寝てしまったよ。気が付いたら大歩危小歩危。
そういえば50系の発電機ベルトが一晩中キュルキュルいってたわ。それもあって寝不足だったのかも。
もう一度、あんな体験してみたいが、もう無理なんだろうなぁ。
-
今売ってるピクに、長距離夜行普通列車の特集?が・・・
-
数ある二等車のなかでも
オロ30 スロ33 オロ36 オロ40
が、俺は好きだったな。 -
>>229
あの列車、一度は乗ってみたかった… -
PCの普通長距離にはそれこそ普通に付いてたオハネ/オハネフ12。
あまりに普通だったので撮りもしなかったのが悔やまれる。 -
あの窓と「寝台」の白文字。
-
>>252
その形式名に、12系にも寝台車があるんだと勘違いしていたガキの頃の俺・・・。 -
>>254
ノシ -
ノシ
-
最後まで生き延びたのは、大垣⇔東京
-
82年の時刻表が出てきたので見たら
新宿-長野の普通夜行があった
懐かしかったなぁ -
>>258
山男列車?の上野-長岡も残ってなかった? -
-
札幌〜大阪間と東京〜鹿児島中央間に長距離普通列車復活!(急行でもいいけど)を妄想してみる。
-
>>261
その前に石北本線に全線をまともに走る各駅停車の普通列車がほしいな。 -
長距離列車は乞食の超低価格休憩所になるから治安のために今後も減らされる一方だな
-
高千穂を姫路の3番線で見た事があったんだけど、
姫路って運転停車だっけ?客扱いしてたっけ? -
下りなら、まだ客扱い可能な時間に姫路を通っていたので、客扱いしている筈。
-
昭和47年(1972)3月に下りに乗車した。確か姫路駅に進入するとき播但線のホームにC57の牽く列車が
煙をあげていたのを見た記憶があります。 -
上野−長岡夜行は深夜時間帯でもほぼ各駅に停車していて、停車駅の少ない
大垣夜行と違って律儀な列車だとガキの頃思ってた
時刻表に通過のマークがあったのは俺の記憶だと
浦和、井野、上牧、岩原スキー場前、八色
急行ゆけむりが停車する上牧通過だけが謎だった -
昭和57年11月14日までは宮内で米原行き客車鈍行522列車に接続して神だった
-
そのルートで来迎寺で降りると、魚沼線乗り潰しに好都合だった
-
>>267
駅員の勤務の関係じゃないか?
山陰地方の朝4時頃の下り列車で浜田〜益田間を全部通過する
客車普通列車も記憶にある。途中当時特急が停車しだした
三保三隅もあった。
この頃定期特急が1本でも停車して定期普通列車(含快速等)が1本でも通過する
という駅に凝っていて
三島,新大阪,神戸,西明石,青堀,佐貫町,保田などと並んで三保三隅があった。
三島は新幹線停車で上り大垣夜行が通過
新大阪,神戸,西明石は新幹線停車で新快速通過
青堀,佐貫町,保田は一部「さざなみ」停車で快速通過
三保三隅は夜行でもなく快速でもない普通列車が通過していたので印象が深い。
1980年頃のお話でした。 -
神戸に新幹線の駅はない。
-
今となっては三保三隅も普通はおろか快速も停車する。
-
わたしの旅スタンプパクったやつ出てこい!
-
鎌手ー岡見ー三保三隅ー折居ー周布ー西浜田ー浜田
いまでも空んじて言える駅名(なぜか東海道〜山陽〜山陰と駅名を暗誦したんだっけ) -
当時は青春18のびのびきっぷだったな
どこで略したらいいか困ったもんだ -
なんでも4文字にしないと気がすまない4つな人ですか
-
券売機で売ってないから
フルネーミング言って購入って恥ずかしいよ -
>>8
画面に映ってる髪がフサフサのグラサンの男は誰ですか? -
62年頃まで大垣夜行の車内で「青春のびのびきっぷではグリーン車のご利用はできません」とアナウンスする車掌がいた。
-
青春18のびのび切符の末ページのワッペンを
胸に張るのがかっこ悪いと思った。 -
>>270
>この頃定期特急が1本でも停車して定期普通列車(含快速等)が1本でも通過する
>という駅に凝っていて
>1980年頃のお話でした。
季節列車(臨時列車ではない)を入れると湯河原も加わったんだよね
特急のあまぎの最終便が湯河原停車
大垣夜行上下と下りの大垣夜行の前の普通列車熱海行きが、小田原〜熱海ノンストップで湯河原通過
-
「ながさき」のこげ茶色の夜行鈍行にまた乗りたい
北海道ならワイドでの夜行「すずらん」より函館−札幌山回り鈍行
冷房ないから夏は地獄だったなー -
夜風に当たるのが乙ってモンです。
-
混んでるとき風上側はまるで風来なくて全開にするのに
風下の奴が寒いって閉める
よく喧嘩が見られたもんだ -
ガキの頃に親に連れられて
長岡行き乗ったなあ〜
暗くなった車窓の街灯の流れ方が
つい最近乗ったあけぼのと同じだったなぁ
(´・ω・`) -
>>285
スレ違いだけど、ある年の夏に乗ったミッドナイト自由席、キハ57の非冷房車はマジで地獄だった。
まさに車内は蒸し風呂状態、あんなでも窓は開けなかったんだから、みんな余程我慢強かったんだな。
これが指定席と自由席の差とみんな思っていたのかも。 -
おい、キハ56だろ
夏の夜の「ミッドナイト」56自由席は
押し込み式通風器全開、扇風機フル回転、
窓は二重窓の内窓を当然上げっぱなしにして、外窓の下一段を細く開けてる客が多かった。
いつ降り出すかわからないし、騒音も激しいからな。
夏だけど、明け方は寒かったよ。
それに懲りて、以後はカーペットカーの指定席確保に努めた。
どっちにせよ、森や長万部での深夜の長時間停車に独特の風情があったな。
全車指定席シーズンには全区間ノンストップ扱い(末期は新札幌のみ停車)だったが
自由席車連結時には森、八雲、長万部、東室蘭、苫小牧、新札幌、と客扱いだったかな。
特に長く止まる森と長万部では、寝付かれない連中が三々五々とホームから改札抜けて、
コンビニもない真っ暗な駅頭で自販機の缶ジュース飲んで、
DMHエンジンのアイドリングのみをBGMに、ぼそぼそと雑談していたものだった。 -
>>290
深夜にもかかわらず森と長万部は窓口が空いてたな。硬券入場券を買った覚えがある。 -
北海道といえば41列車だな初めて北海道に渡って最初に乗ったから、印象に残ってる。夏でもSGが効いていたのが、びっくりしたな。
-
>>292
「摩周丸」から乗り換えた列車だったんだよね? -
20年ほど前に秋田発福島行に乗車しました。確か50系の客車でしたよ。
-
>>290
コンビニもない真っ暗な駅頭で自販機の缶ジュース飲んで
これぐらいしかすることがなかった時代もまた楽しかったね。
たしか夜中の長時間停車で「駅前コンビニ殺到」が話題になったのは中央本線の電車鈍行あたりだったかなあ。
(「旅と鉄道」かなんかのルポでそんなのやっていたような・・・7ー11も名前のとおり23:00頃までしか
やっていなくて24時間営業がぼつぼつでだした頃かな) -
夜行「ながさき」に使用していた旧客車両、廃止になって運行が終了になったすぐ直後(もしかして翌日?)、
寝台車両を除いて直ちに早岐から高知運転所へと回送。
土讃線で余生を送っていた旧客のシートの横には夜行「ながさき」時代に乗客によって書かれた落書きがそのまま残っていた…
尚、この昭和59年2月ダイヤ改正による「ながさき」廃止→四国への回送を以って、九州地区の全線区から旧客は一掃。
-
↑No
鹿児島本線に残存 -
鳥栖発西鹿児島ゆきもあったな
-
うむ
-
>>300
http://jnr1980.at.in...p/contents3-4-1.html
少なくとも
>この昭和59年2月ダイヤ改正による「ながさき」廃止→四国への回送を以って、九州地区の全線区から旧客は一掃。
これは違うみたいだな -
>>300
石川優子のふたりの愛ランドが流行っていまる時に旧客で水俣まで行きました -
いまる
-
鉄道ジャーナル列車追跡リバイバル「懐かしの国鉄客車列車」を見ると
昭和59年5月7〜9日の九州編で
鹿児島本線125レ 鳥栖→西鹿児島
日豊本線522レ 大分→門司港
が旧型客車の運行になってるから、昭和60年3月まで残存していたのではないかな -
ふたりの愛ランド (1984.04.21) 作詞:チャゲ,松井五郎/作曲:チャゲ/編曲:平野孝幸 チャゲとのデュエット、JAL『沖縄キャンペーンソング』
wikipedia 石川優子より -
824レにはブドウ色の未更新車が一番合う
-
定期本州旧客終焉の地、山陰線にいれた俺は幸せ者だったのか…。
キハ58や12系の冷房付き普通列車が単純に嬉しかったあの頃。 -
>>310
さすがに平成になると京都口にイベント以外旧客は入ってないよ。 -
オハニ36を一回だけ見に行った(始発駅近隣に住んでたから)のが唯一旧客を意識して見た
経験でしたね。昭和60年か61年頃。あの頃夏になると駅寝してる人の目的も旧客だったのかな
と気付いたのは相当後年でした。汽車通学してたからいつも不思議な目で見てた。 -
乗った旧客が全て蛍光灯に更新された車だった俺は、このスレでは若者ですか?
キハ22なら白熱灯車に乗ったことあります←S58夏 -
米子・福知山機関区のヌシだったDD51と、
8両程度の旧型客車。
オール未更新の旧客で走ってた日もあれば、
更新43系が多かった日やら。
43系は特急向けだけあって、乗り心地は良かった。
824レには旧客が一番似合うけど、
12系近郊化車両でも824レ運行して欲しかったな。 -
末期の頃だけど北陸線の普通で急行用に整備されたオハ46なんかにあたったらラッキーだったな、フカフカでシートで背もたれのまん中にモールで区切ってある奴。ノーシルノーヘッダーのオハ35もいたよね。
-
>>270 が書いてある浜田-益田を全部通過する早朝の列車に乗りました。浜田駅の外のベンチで
夜を過ごして
C57+D51の重連でした。ほぼ乗客0の車内で給気、絶気の汽笛を聞きながらウトウトして
いたのを思い出しました
人生半世紀生きております -
山陰本線の長距離列車は824列車スレのレスにもあるように、
主に荷物・郵便輸送の為にあった。
84年2月改正で荷物・郵便輸送のあり方が変わったこと、
ヤード集結方式の貨物輸送が廃止された関係で、
機関車の運用上の都合からも、長距離列車を運行する必要が無くなった。
一時期、米子機関区のDD51は全国最多の配置両数だったとか。 -
>>318小浜線のオハユニ61が無くなるらしいので乗りに行きました。東舞鶴からワンボックス占有、狭いシートピッチが足を向かいの席に置くとちょうど快適、しかし 小浜から団体のおばさんが大挙して乗車〜定員乗車で敦賀までは地獄でした。
-
>>318
ちっ、若者じゃねーのかよwww
って、パンチ知らんのかいな若者は
改札口でリズミカルに鳴らしてる音を聞くのは
一種の楽しみでもあったもんです
ゴム印に切り替わった時はちと嫌だった
インクが手につくは切符が汚れるわで
あー60系ね、気持ち解ります
オレも初めて座った時(S59、東北線)一時間持たずに隣のオハ47に移りました
鎧戸はガタガタいぢくって遊んだけどそこまでだったな
夜7時台の郡山黒磯間だったけど、
そのオハフには誰も乗ってこなかった事を覚えてます
-
宗谷本線、324レ 321レ は夜行ではありませんが、
のんびりしていて好きでした。各駅に駅員さんがいて、
ゴミひとつ落ちていない構内、きれいな花壇もよかったなぁ -
82年位だと思うんだけど、
急行だいせん号で飛び込み自殺があったん
だけど知りませんか?
下りのだいせんで、場所は米子駅の
すぐ手前辺り。
だいせんに乗ってるお客が自らドアを
開けて飛び込んだんだけど、大阪駅を
発車する時にその人と話ししたんだよね。
オレはまだ小学生だったんだけど、
あまり衝撃で記憶が定かでない。 -
自分の乗っている列車から飛び降りて轢かれるのも結構そっと降りないと無理だね
-
塩狩峠のようだ
-
大学の時に一度興味半分で乗ったけど
二度と乗りたいと思わない -
吹田発浜松行
-
昔は新宿発河口湖行きの夜行があったんだから大したもんだよ
三時を跨がないから夜行かと問い詰められるとちょいきついが
あと、たしか2003年にムーンライト信州の前調査か三日だけ115系山岳夜行が出たよな -
80年代になっても、夜行山陰に乗ると深夜の小駅でポツポツ乗降があったものだ。あの人達は、いったい何の必要があって利用してたんだろか。今考えると不思議でならない
-
指定券を買わないで駅に新聞紙を敷いて待つ
結局座れずにデッキでボストンバッグやリュックに座る -
>>332
1972年3月には、新宿発23時20分の甲府行きにくっ付いて行って、大月駅で1時2分に分割、河口湖着1時47分
となってるな。季節列車やね。しかしこの当時は真夜中に新宿を出て甲府までいく
不定期の夜行電車がたくさんあったみたいやな。新宿発午前1時で甲府着が4時14分とか。
ここらあたりは115系だったのかな。連休前に運転してるからやっぱり帰省客用かな。
毎週金曜の夜運転で、新宿発23時50分、甲府着が2時33分なんてのもあるし。
どういう人が乗ったのかね〜 -
>>336
登山客
甲府までだと大菩薩とか南アルプスあたりかな
富士急直通だと富士山とか三ツ峠とか
山男列車って呼ばれていたのも、登山客がメインユーザーだったから
当時の山行は「夜行日帰り」ってのが多かった
(週休2日じゃなかったし、山は早い時間に下山するのがセオリーだから、時間を有効に使うには必須だった)
今じゃほとんど自家用車に移ってしまったけどね
-
-
夜行普通列車が存在できた理由の一つはその列車が行う荷物や郵便輸送の重要性が辛うじて
存在させていたのだと思う。ターミナル駅での早朝終着もある意味ブツの荷役や継送が目的とか。
そのせいか“山陰”も荷物や郵便の鉄道輸送を廃止した翌年かな?あえなく廃止となった。
その昔、ダイヤを作成するために各地からスジ屋が集まる場所に新聞社など荷主がやって来て
「こいつはもっと早く着けてくれ」とか「こっちはもう少し遅く出せないか」とか注文を付けたり
してたみたいだ。つまり荷物や郵便は荷主が注文を付けられるぐらいの主導的な立場だったのだと思う。
-
18きっぷとかの夜行紹介では2ドアデッキ付きで座るのが一番とか書いてあるが
山岳夜行の115系に馴れた身としては、ボックスとかで窮屈に座るより
足を投げ出すロングや新聞紙敷いて床に寝る方が楽だったわ
近郊型夜行派は少数か? -
キハ17夜行浜坂行き
-
深夜の夜行列車の発着する駅って一種独特だったな。
幹線で急行が一部停車する小規模駅だったりすると・・・
冬の寒い日にポツポツと1人2人利用者がくる。
「次」がないのでみんな時間に余裕をもってくる。
居場所は出札前の「待合室」くらいしかない。
こんな深夜に夜行列車に乗るわけだからたいがいそれなりの
「事情」があったりして下をむいてみんな無口。
一度なんぞ列車到着前にパトカーがきて1人の男を連行していったこともある。
-
>>324
豊富付近でSL撮影後にC55の牽く321レで稚内に向かった時、夕暮れのサロベツ
を見ながらウトウトするのが至福の時間だったな。
宗谷本線の駅で花がきれいだったのは智東、豊清水?(うろ覚え)
この列車だが隅田川から稚内までの荷物輸送のために客車で残ったもので、荷物
車は3夜行はかかっていたようだ。荷物と一緒に乗っていたいなんて思ったもの
だけどね。
-
夏休み山陰に乗った時の思い出
向かいの居眠りしてるおばちゃんが
窓に思い切りおでこぶつけて
痛そうにしてた。 -
今でも深夜帯に停まるバス停のある高速バスだと
深夜でも結構降りる人いるよ -
臨時同士ながら、急行アルプスを追い抜く普通夜行がなかった?
-
>>352
S47.8だったか、新宿23:50の上諏訪行き臨時普通夜行。
甲府で3番線に入線、1番線に停車中の先発の「アルプス11号」を抜くが竜王で
バカ停があって抜き返され、後続の臨時「アルプス」にも抜けれるダイヤ。
165系8両で乗ったのがモハ165だったので「富士川」の間合いと思う。 -
>>352
JR記念時刻表で発見
昭和62年5月3日のみ
急行アルプス87号(新宿23:52発松本行き)を
臨時客車快速岡谷行き(新宿0:10発)が甲府で抜かし
岡谷まで先着(快速4:15着、アルプス4:25着)
珍しいことがあったもんだ -
どなたか教えて下さい。
昭和63年ごろの大垣夜行に乗ったのですが、形式が思い出せません。165系だと思うのですが… -
165系か169系じゃね?
-
草津発草津線関西本線紀勢本線経由和歌山市行き。
草津と和歌山市以外、天王寺鉄道管理局管内をぐるっと一回りする、奇妙な列車。
惜しいことに、宮前駅のみ通過していた。 -
>>359
39.10には既に走ってますね。47.3改正で廃止になったみたいですが。
39.10時刻表では列車番号が742ですが、草津線にも関西本線にも紀勢本線にも
対になる列車番号の列車が全くないです。何か理由はあったんでしょうか。 -
なぜ宮前だけ通過してたんだろ
-
12系の時代に和歌山→新宮の客レに乗ったけど、(昭和59年2月)
このときも宮前は通過だった。
ちなみに、同じ12系の紀勢線普通夜行にも乗ったが、
寝れなかったので、これ以降は夜行を敬遠するようになった。
旧客に時代に乗りたかったのだけど、ギリギリ間に合わず。
今となっては「客レ」というだけでも良い思い出。 -
昔、大阪天王寺駅から釣り客ばっかりが乗る夜行列車があったらしいのですが、知りませんか?
-
↑なんていうか、
もう、
なんていうか。
ぐぐる以前に、このスレ最初から読め。 -
>>364
!? -
>>363
はやたま -
今から思い返せば、165系に変身してまで走り続けたのだから、
165系の時代にも乗っておけば良かったかな、という気もするけど。
その頃には、釣り客もまだかなり残っていたが、
どちらかといえば「きっぱー専用列車」で、
往年の、中央東線長野行きや、上越線長岡行きのような、
「きっぱーと無関係で、一般の若者の明るいレジャー夜行」
の趣は、味わえなかったと聞く。 -
>>363
921レ 924レね
旧客時代は南紀→はやたま
12系になって愛称が消えたけど臨時でいそつりも走った
EF58牽引末期(1985年〜)からは撮り鉄も多く乗っていた
更にその前はキハ28・58の臨時「きのくに」もあったな -
京都から出雲市まで一度乗りました。深夜にローカル駅に停車したときに、静まった車内に響く
誰かのイビキの音が懐かしいです。 -
中央夜行は山岳列車みたいな感じです
甲府に着くと大量に降りてコンコースに仮眠するのが定番らしく、たくさんの人が寝ていました
紀勢夜行は天王寺始発から新大阪始発に変わってから一度使いましたが、やはり18切符時期外だったので和歌山まで通勤者で満席でしたが、そこから先は1車両貸切状態になりました
新大阪始発時点は6両で紀伊田辺で3両切り離してましたが、それでも空いていました -
で、ちょっと深刻な話題を振るけど、
「上流社会の人間と下流社会の人間の境界はどこか?」
という質問に、
「夜行普通列車に乗車体験があるかどうか」
という答えがある。
僕が、91年夏の大垣夜行を最後に、夜行列車と縁が切れたのは、
もう、その当時、すべての夜行列車に「プロレタリアイズム」を感じていたから。
自分は、それなりのレベルの大学を卒業しており、
「これ以上、レベルの低い世界には巻き込まれたくない」という思いがあった。
現在、身近に、
「ムーンライト九州がなくなったから九州へは行けなくなった」
「18きっぷ愛好。行きは521M限定。帰りは338M限定。普通列車グリーン車など論外」
という人がいる。
前者の関西人(郵便局外務職員)など、
「特急利用は郵便局の組合の大会に合わせての旅行のみ」と、言い切る。
つまり、「郵便局の社費利用で、撮り鉄、乗り鉄を実行する」
(10日間の有給休暇で、組合の大会には、1日の数分、顔を出せばいいだけらしい)
こういう人ばかりなのね。現在の夜行普通列車の愛好者って。
50歳近い年齢で、このようなセリフを言ってしまう人って、
どういう経済状況なのだろう? と思う。
大学時代の友達や、鉄道趣味と無関係の友達は、ほぼ全員、
「大阪から東京へはのぞみに限る」
中には、「もう、のぞみはグリーン車にしか乗れない」という人もいる。
そんなレベルなのに。
「夜行普通列車」と、「社会の底辺層」について、
このスレの住民はどう考えますか?
「中央東線長野行きや、上越線長岡行きの時代は、そう密接な関係ではなかった。
むしろ、登山などのアウトドアの世界で、健全な世界であった」
のでしょうか? -
>>371
時代にもよるけど,昭和40年代後半〜50年代は,急な所用で旅立つとき
夜行列車の自由席は当たり前だった。
たとえば東海道スジならば昭和50年3月改正以降,東京〜名古屋を通して運転して
かつ自由席があるものは新幹線と大垣夜行しかなかった。新幹線が終了したあと大阪に
いく用事がある場合名古屋まで大垣夜行を利用すれば翌朝1番のひかりよりも
1時間は稼げた。この1時間が貴重で当時朝1番のひかりは新大阪到着が9時10分だった。
そもそも青春18などは存在しない時代でごく普通に一般の旅行者も利用した。
夜行普通列車=青春18愛用者=社会の底辺層などという図式は当時はそのカケラもなかった。
-
>>372
キチガイを相手にすんな -
じゃあ夜行バスの利用者はどうなるんだろうな?
はい次〜 -
夜行は疲れるから嫌だけど、昼間の長距離ならあちこち立ち寄ったりしながら楽しめるから、中年になった今でも時間があればやる。
定年になったら18きっぷ5枚くらい使ってゆっくり旅したいな。 -
まあ、良い想い出だけ記憶に残すことにしましょう。
84年夏に18きっぷで乗った、
上野→長岡の上越線普通夜行、新宿→長野中央東線普通夜行は、
「初めて乗った夜行列車」だけに印象深い。
どちらも夏休みピークで混んでいて、新宿駅では、伝説の、
「アルプスの広場に行列」してワッペンを受け取った。
特に、寝れなかった夜行から解放されて、乗り継いだ、
長岡→新潟普通、松本→南小谷普通の早朝のさわやかさは忘れ難い。 -
夜行連泊していると不思議と熟睡時間は昼過ぎ以降に固定されていくんだよね。
-
>>371
すまんな、年収2500万超の50代だが、
独りで乗る時は新幹線は自由席だし
独りでは絶対にTAXIには乗らない。
10円でも安くなるなら乗車券分割買いするし、
バスの待ち時間が長ければ、暇つぶしに1つ先のバス停まで歩いて行く。 -
>>378
ほめてもらいたいの? -
年収330万円の31歳ですが新幹線はグリーン車以外乗る気がしません
-
>>378
俺もそんなもんだよ。
子供のころ、一等車の横の緑線が珍しくて(いい車両とか、高いとか知らずに)
「あれに乗りたい。」と親に言ったら、「大きくなって自分で働いて、いっぱい
お金をもらうようになったら乗りなさい。」と言われた。
あれから45年、手取りが月200を超えてもいまだに、緑の線が入った車両に
乗れないでいる。
-
なんてこった馬鹿が馬鹿を呼んじまったよ
-
たまにホームライナー使うときどうせ500円贅沢するなら700円でもいいや
となる場合はあるけどなー。 -
>>381
単なる見栄っ張りですな。 -
>>381
つ常磐快速線 -
新幹線はいつもグリーン車と書いておいて、実は新幹線そのものに
全然乗らない生活だったら、ウソはついていないともいえるだろう。 -
グリーフ車はぜりたくか
-
あれ、総長さん、懐かし板にいたの?
高校時代の武庫川の女友達
(こちらは男子校なので、女子校の生徒と喫茶店で集団でつるんでいたのだ)
なんか、高校生の頃からタクシー三昧だったよ。
僕は通常のレベルの金銭感覚だったので、
男子高校生独特の「怖気づかず、どこにでも入り込んでいく」、
(具体的には、「安い飯屋でも遠慮なく入っていく」など)に対し、
「もー、そんなー、男の子気質の感覚でやらないで。
女の子はそんな荒っぽいのに、ついて行けるものやないんよ」
と、忠言されたことがあります。
「女の子は、夜行列車に乗るなど、親が許してくれないもの」
と、教えてくれたのも彼女でした。
そんなに、「超、お嬢様系」の学校ではないことは知っているでしょ?
比較的「庶民に近い」女子学校の生徒でも、これが常識でした。 -
>>386
東京大阪を年間1〜2往復なら大丈夫じゃない? -
北海道でキハ40のボックスを独占し、シートに身を沈めれば
汽車旅をお手軽に再現できる…かも… -
キハ40いいねえ
-
あのあたりが、特別料金不要列車で最後の喫煙車だったりして? >北海道
もう平成1ケタ時代の話なんだっけ? -
ムコ女って、高いよ。超・お嬢様系の私学は阪神間にいくつもあるんで、そんなの
に比べれば、庶民的かと思うけど、実際はけっこう高い!
中小企業のおやじさんたちには、娘を短大まで通わせるのは、かなりしんどいと
聞いたことがある。
ま、セーラーフェチの俺としては、制服が安泰でさえあれば、貧民が混入して
乱れるよりもいいことなのだが。 -
外国の夜行列車もこのスレでいいかな?
-
>>397
鉄道(海外)板って使えないの?俺は見たことすらないんだけど -
紀勢線にもグルッと一回りする鈍行がかなり遅い時期まで残ってたはずだが
-
35年ぐらい前に京都発出雲市行の鈍行に乗ったことがある。
深夜に何処かの無人駅(?)にギギーという音を立てて停まる。
もちろん車内外の案内放送は全くない。
車内はイビキや寝息だけが響き、窓の外からは虫の声。
暫くしてガクンという振動とともに列車が再び動き出す。
そんな想い出です・・・。 -
>>401
いい経験したね -
函館発札幌行き41レ
1両だけ付いていたカーペット車に乗るために、手近にいた中学生をつかまえ
「飲み物おごるからちょっと手伝え」と。
列車が入線してきたら中坊に飛び乗りさせて、カーペット車の真ん中当たりの
窓を開けてもらい、そこから荷物を投げ入れて場所取り。
車内が落ち着くと誰とも無く「ホーム側のカーテン閉めろ!」
連絡船到着客の混乗を防ごうというわけ。(これ以上窮屈にはなりたくない一心)
さっきまで殺伐としていた連中が一気に団結(笑
デッキとの仕切り戸に新聞を貼り、鍵を掛け、あまつさえ車内灯を勝手に消灯。
回送車になりきり、車内は声を押し殺して連絡船からの乗り換え客が前方の車両へ
乗り込むのを待つ・・・
件の中坊にはもちろんコーヒー牛乳をおごってお礼したよ。 -
酷いネタだなw
-
鈍行寝台のスレにも
同じ嘘つきちがいが
すみついてる。
駆除してほしい。 -
昔の夜行の鈍行は結構混んでいて通路でまでねている人がいた。
でも、途中の主要駅に着く度に客が減り、朝の通勤時間帯が始まるまでは、
ガラガラだったなぁ。 -
>>410
山岳夜行みたいに敢えて床で寝るのを選ぶやつもいたけどなw -
よく座席をはずして床に敷いて寝てた。
-
寒暖対策さえしていれば床のほうが快適だったらしいね
完全に横になれるし -
車内販売の女性とセックスしたい!
-
大阪〜青森の普通列車あったな
-
>415
北斗星のロイヤルでしたよ。 -
妄想もここまでくると病気だねえ
-
>415
俺は、15年ぐらい前に北斗星で食堂車の営業終了後にソロでした。 -
特急電車の車掌室の密室感憧れだったな子供の頃
-
>420
ビールを買ったときにナンパして、パブタイムに誘った。
普段はB寝台(コンパート)で仮眠を取ると言ってた。 -
>>421
でも大概、扉を開けてだらしなく足を通路にはみ出させて同僚の客専とダベッてるw -
>>422
うそつけとは言わんが、現実味が乏しいなあ。 -
>424
別に信じて貰いたいとも思わんよ。
因みに、相手は当時王子の辺りに住んでいたバイトの専門学校生。
夜行列車にもバイトが乗ってるとは思わなかった。
地面にでも何度か会ったよ。 -
どうやったら初対面でそこまで持っていけるの?
最後にその流れのヒントを書いてくれ -
バイトの女側の視点に合わすと、
初対面しかも客に、その客の寝室まで入る=体を許すということになるよね。
短時間でそこまではすごいなと思うので。 -
長距離夜行「各駅停車」のスレなので、
個室で車販バイトとやったとかは大きくスレ違い。
どうでもいい。 -
こうなったら話の流れで「コツ」をききたい
-
下らん。
個室寝台でセクーススレだったかオナヌスレだったか、あっただろ。
そっちでやれよ。それとも落ちた? -
出会いとは突然やってくるものだから、旅先等で知り合った人と付き合う・結婚する、などのケースは割とあるとは思うが、
列車内で知り合って列車を降りるまでにセクロスとか普通ありえないと思う。
なので、詳細kwsk -
>426
女性にも色々な人がいるから、兎に角数打ちゃ当たるという気持ちが
大切。
但し、自分のストライクゾーンからはずれたコースには手を出さない
が・・・。 -
なんか、旧にクソスレになったな。
-
すまそ。
×旧に ○急に -
>>432
あなたが425ならせめて最後にちゃんと書いて去っておくれよ -
>435
ちゃんと書くとは、もっと細かい描写をということかい? -
マン毛の濃さやフェラーリの具合とかさ
-
>437
車外から見えにくいように照明を消していたから濃さは分からん。 -
>439
それってA○BAちゃん? -
>>405
ネタがどうかは別としていいねいいね。
>飛び乗り
やったねえ
>鍵
あったねえ
それから1975時点でのふるーい客車で、ブラインドが布製ではなく
木製のがあった。いかにも俺の乗ってる車両は古いのか・・・って感じ。 -
相馬AM6時台発青森行普通列車(電気機関車プラス客車)。青森着17時台。
通学でほぼ毎日のように使っていたけど、いつも仙台で降りた。
一度くらい乗り通してみたかったねえ。 -
>>440
旧型客車だと、ブラインドの変遷はダブってる時代があるのだ。
古いスハ32系に属するグループは二段式の木製鎧戸、
昭和14年の広窓オハ35系で巻き上げ式のブラインドカーテンが採用されて以後の標準になったけれど、
昭和24年から作られた木造客車鋼体化の60系グループは北海道用の62系以外、昭和31年の製造終了まで、一段式の木製鎧戸だった。
(62系は鎧戸の分の厚みを二重窓内窓に割くため、ブラインドカーテン採用) -
鎧戸は内側が黴てしまうのが欠点だね。
-
444Mゲト
-
ワイド、ミニなら夜行は急行乗るだろうしな
-
242
-
あと10年早く、SLブーム真っ只中に18切符が登場したら、どんな事になったんだろうね?
-
久しぶりに、中央東線を普通列車で乗り通してみたのだけど、
登山の中高年の人々の人数は、すごいねえ。
やはり、441Mが当たり前の世代なら、
松本や茅野からでも、普通列車で都内まで、が平気らしい。
茅野駅前発、
6:40東白樺湖行き、6:40美濃戸口行き、6:45麦草峠行き、7:00渋の湯行き。
登山バスだから時間が早いのは分かるけど、
「あずさ」ではもちろん間に合わないし、甲府始発のローカルでも間に合わない。
登山者は茅野や上諏訪に前泊している。
夜行を使わないというだけで、登山者の動き、というものは、
441Mの流れが残っているわけだ。
-
441Mの流れってのが分からん
-
昭和60年前後ぐらいの鉄道ジャーナルに
夜行列車内の治安が悪くなったと書いてあったことがあるんだけど
昭和50年くらいまでの夜行はそんなに治安よかったの? -
置き引きのようなのは昔からあったですよ。
自分が夜行にはじめて乗ったのが昭和40年代前半の東海道線夜行。
近くの席の人が弁当を買いにホームに行っている間に
財布の入ったバッグを盗られたと車掌に言っていましたから。
いまほどトラブルはなかったと思います。 -
でも財布をバッグに入れたまま席離れるなんてどんだけ平和ボケしてるんだって話だよなw
財布は持ち歩くだろw -
中高年の登山している人だったら、425レの客車世代かもしれん。
-
>>455
今月某日の下りながらでもポーチ盗られたという騒ぎが起きた -
>>459
ながらよりもえちごの方が女性専用車両もあるしいい -
夜行というより早朝列車かも知れませんが、
78年頃の福島発3:18発盛岡行き521レの使途というか存在理由がわかりません。
行商列車とも思えませんし。
乗車経験のある方いらっしゃいます? -
新聞輸送とか荷物輸送では?
昔のそういう「?」な列車って、だいたいそうらしいじゃん -
>>461
(交通公社の時刻表復刻版1980年10月号より)
福島3:28発仙台行普通列車は
福島発青森行荷物列車1041レというのが本来の姿
客車はたしか4両、荷物車のほうがはるかに多かったと記憶.
仙台以北は客扱いは無くというか、たぶん客車を切り離して主要駅のみの停車となって
終点青森には13:45着というダイヤ
福島2:42着「津軽3号」からの乗継で何回かお世話になった.
福島発車時点では乗客は1両あたりせいぜい5人、途中白石、岩沼で1、2人増えて
長町で乗り込んできたゴム長の一団は、5:08着の仙台駅で仙石線地下道目指してダッシュ.
会話の内容からすると塩釜の市場関係の方々?
厳密には夜行列車ではないけれど、旧客の夜汽車を満喫できた貴重な存在だった.
1982年11月改正以降も存続、
混雑する「津軽」を避けて1時間前の「おが」から乗継ぐこともあったが、
福島駅2-3番線上野方の待合室で石油ストーブにあたりながら
時間をつぶすことができた.1984年2月改正で廃止 -
>>463
この列車、以前調べたのだけど、かつては上野からのスジがあって(急行だったか
普通だったかは忘れた)長距離夜行列車だったらしいね。それが福島で短縮されたのかと。夜行乗り継ぎでお世話になりました。
「旅と鉄道」で「日本一早い一番列車」(深夜またぎの国電や連絡線接続の「鷲羽」などを除く)
で紹介されていた記憶があるけど、山陰西部の長門市前後の魚行商列車を兼ねたものと双璧をなすものでしたね。
「夜行ではない日本一早い始発列車」はやはりこの列車が気になりました。 -
ざおう55号と接続してましたね。
-
>>464
その昔には、新津発2:50大阪行というのもあった -
市場に出かける商人のための列車ですな
みんな運転免許を取れてトラックを乗り回すようになった時、その役目は終わりました -
18きっぷ発売の最初は82年3月から5月まで。その時は東北・上越新幹線大宮
開業の前。在来線特急がビュンビュン走っていた。
その時は、上野発仙台行きの常磐まわりの普通列車や上野発長岡行きの夜行
普通電車、北海道には函館ー札幌の夜行普通、山陰本線には京都ー出雲市間
の夜行「山陰」、門司港ー長崎の夜行「ながさき」、天王寺ー新宮間夜行普通、
高松ー中村間のディーゼル夜行(グリーン車付き)そして東京ー大垣の夜行(グリーン車付き)があった、
今から思うと夢のような時代だった。ただし、この時は18きっぷではグリーン車には
乗れなかった(グリーン券と乗車券が必要)
俺はその最初の18きっぷで上野を6時台にでる鈍行で上野ー高崎ー長野ー直江津ー
と乗った。碓氷峠もEF62、63で越えた。 -
>>468
すまん
改行はキリの良い所でしてくれないか
他人によって一行の文字数は違うから
18きっぷ発売の最初は82年3月から5月まで。
その時は東北・上越新幹線大宮開業の前。
在来線特急がビュンビュン走っていた。
その時は、上野発仙台行きの常磐まわりの普通列車や上野発長岡行きの夜行普通電車、
北海道には函館ー札幌の夜行普通、山陰本線には京都ー出雲市間の夜行「山陰」、
門司港ー長崎の夜行「ながさき」、天王寺ー新宮間夜行普通、 高松ー中村間のディーゼル夜行(グリーン車付き)
そして東京ー大垣の夜行(グリーン車付き)があった、
今から思うと夢のような時代だった。
ただし、この時は18きっぷではグリーン車には乗れなかった(グリーン券と乗車券が必要)
俺はその最初の18きっぷで上野を6時台にでる鈍行で上野ー高崎ー長野ー直江津ーと乗った。
碓氷峠もEF62、63で越えた。
こんな感じでさ
青春18はグリーンに乗れる今の方が違和感があるな
当時は普通列車の夜行が充実してた良い時代ですね
東北本線、奥羽本線あたりの夜行普通列車って何時頃まででしたっけ? -
仮に戦前に青函トンネルと瀬戸大橋が開通していたら、東京〜札幌(〜稚内)とか東京/大阪〜高知とかの夜行も運転されたんだろうね。
-
>>470
そんなターミナルからターミナル、じゃなく、米原〜窪川とか、平〜長万部とかもw -
>>472
どこが細かいんだよ -
改行はキリの良い所でしてくれないか ←これがこまけえんだよ
自分のセンスを人に押し付けるなということ -
/)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ / -
>>474
みんな普通にやってることだろうが -
>>479
お前が一人でおかしいのに気付けよ -
>>481
よみづらいよ -
長距離各駅停車は客車
短・中距離各駅停車は電車
って感じだったの? -
昭和50年3月10日改正当時の東北地方で電車普通列車が運転していた区間
仙台〜石巻,白河〜郡山,(大津港)〜勿来〜四ツ倉
以上のみ -
仙石線は当時は充実していたなあ。
特別快速、快速も充実していたけど
103系もどきの72系電車が良かった
仙台ー塩釜・松島間で便利だった。 -
四国で短期間50系の夜行列車があったよな。
-
大垣夜行、90年頃までよく乗ったなあ
洗面所まで、人が占領してたなあ -
皆デッキで身動きできないまま立ったまま朝まで乗ったもんな。
車掌も巡回できないくらいだったし
こういうのも信じてもらえない時代が来るんだろうか -
そしてそんな混雑の時の唯一のお楽しみが静岡の少し長い停車。
缶の麦茶にはじめて出会ったり、深夜の駅弁販売で大賑わい。
なぜか幕の内の他、「えび寿司」かなんかが売られていた。 -
横浜から下り大垣夜行に乗ったら、ちょうどコミケ最終日で地獄を見たこともあったなあ
-
東京駅での席取り行列のかオス
それに緩急線運行発表後のパニック
いい思い出だなあ -
そのうち路線夜行バス・長距離バスもここに入るようになるのかな?ツアーバスがここまで増殖すると旧路線バス系は壊滅しそうな気が。
-
乗ったことあるのは
山陰、長野夜行(新宿ー塩尻)、長岡夜行、大垣夜行
大垣夜行は上りはあまり混んでなかった。
下りは乗ったことない。 -
ながらは大垣夜行の時代に乗ったし信州も115時代に乗ったけどムーンライトえちごだけない
-
大垣夜行はグリーン車の席取りで20時頃から並んだものだ
-
修学旅行であったとんでもないこと
http://uni.2ch.net/t...sepia/1276411640/l50
↑
このスレで山陽新幹線で踏み切り事故にあったなどと捏造をする朝鮮人を潰して下さい。
ちなみに在日韓国人のババアです。 -
時期や曜日によるだろ。
-
コミケの日は修羅場
-
>>502
坂井隔離板にも平戸ボボみたいなのが居るのか -
床屋行ったら50代くらいの人が上越線の夜行話してた
話に入りたかったが若いから分からないと言われそうな雰囲気やったから止めた
やっぱ入れば良かった -
乗った事のある夜行は、大垣夜行・はやたま・ながさき・山陰・
土讃線DC・函館本線(函館―札幌)荷レ位だったかな。
もっと色々乗ってみたかったよ。 -
まもなく都営地下鉄で夜行列車やるだろw
-
いまの臨時快速ムーンライトは夜行鈍行には含まれないんだよね?
長距離鈍行は岡山から山口までのとか、滝川から釧路までの乗ったことある
前者は完乗、後者は帯広まで
鈍行もいいけど、長距離在来特急の話もしたいんだけどな・・
いまは亡き新潟から青森の「いなほ」とか、今ではいい思い出
もっと早く乗り鉄になっていれば、
確実に大阪〜青森の「白鳥」に乗ってたな -
あと30分ほどで新宿行の夜行が発車した時刻かぁ…、まだ明るいのに。
-
篠ノ井線長野発上り最終が新宿行きだったね
-
>>514
え!長野から松本方面が18時30分頃が最終!? -
新宿ー長野通しで乗る人は
どのくらいいたのかな?
普通なら信越経由だよな。 -
この三往復は途中駅でキャラが変わる
俺は上野まで行くのが面倒くさいのと中央線篠ノ井線のスイッチバックが面白くて何度も乗ったけどね -
昭和40年ころまでは20:45発のがある(松本〜新宿は準急)のに、そのあと無くなったのか。
そんなに乗車成績が悪かったのか。 -
それってたぶん準急→急行上高地
オロハネとロもつないでいたし
松本清張の小説にも出てくる
のちにアルプスに統合 -
この三往復は牽機がEF64になる前は暖房車をつないでいた
暖房車はボイラーだからちゃんと機関士が一人乗務していた -
DE10のような新しい機関車のSGは貫流ボイラーだとかで、
助士が要らなくなっちゃったんだっけね… -
>>524
確かに鉄かも知れない -
未明に発車する長距離鈍行が必ずあった
-
始発駅から乗って
夜になれば宮澤賢治の銀河鉄道の列車を体験できそうだ -
日本にホームレスがほとんどいなかった古きよき時代だからこそ長距離鈍行が存在できた
-
>>528
昔のほうが沢山いたよ -
昔のルンペンは分を弁えてた
-
静岡とか名古屋の待合室がある時期から24h開放ではなくなったな
-
見知らぬ街を走ってるときに車窓から見た花火
あれからもう30年
長生きしちまったわ -
昔々、松本に住んでいた。
知合いのお兄さんが音楽をやっていて、日曜日毎に東京までピアノのレッスンに通っていた。
松本発朝 5時台の普通車を使っていた。
後の急行、特急より早く新宿に着くので仕方なしに使っていると言っていた。 -
>>534
だから何? -
昭和58年(1983)2月のことだが高松を20時31分の「土佐9号」に乗り
後免で夜行折り返しをしたっけ。夜行といっても深夜乗り降りが多かったけど。
高松2031ー209D急行「土佐9号」高知行→後免2325
?キハ58 194四カマ 5all 右
後免2340/42ー764D高松行→(車中泊)→高松0322
?キハ65 36四カマ 1all 左逆
高松0352ー第一乗船口2便「土佐丸」〜→宇野0452 -
旧型客車の車内のニスの臭いが今となっては懐かしい・・・。
-
今となっては考えられないが昔の夜行鈍行は自由席があったために床に新聞紙を敷いて雑魚寝する人多かったのでは?
-
多い少ないでなく「居た」が正しいかな。
今は出来ないよね。状況的に。 -
最後まで自由席があった夜行列車は2010年3月で臨時化された急行「能登」か?
末期の頃葬式鉄殺到で床に雑魚寝する人出たのでは?
流石に臨時化で全車指定席になったが -
「はまなす」・・・
-
グリーン車の指定もなかったしな(それ以前の2等→1等の流れで)
-
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>>214氏はまだ生きてるのかな?
-
その「くじらなみ」の初登場は何年?
-
>>548
昭和43年だと思うが -
国鉄の最短走行距離の夜行は東京→御殿場じゃなかろうか?
昔、父が富士登山の際に乗ったそうだが列車名称はわからない。 -
>>550
ナインドリーム甲子園という常識外れが存在するのよ -
↑
それJR化後だから。
550は、後出しじゃなくて、ちゃんと「国鉄の」って基準を最初から明確に記してるよ。 -
つ筑波万博
-
夜行どん行で思い出すのが夜明け前の保津峡を走る車内から見た光景はまるで墨絵の世界に居るみたいだった。
-
>>556
それは分かってるよ -
>>550
本人様でつよw
国鉄とだけ書いたために悪かったのぉ!
ところで件の甲子園とつくば万博のヤツは電留線や運転所に収容されてる時って列車番号が与えられ“列車”として
扱われていたとすれば夜行列車と言うことにはならないか? -
懐かしなのだから、国鉄という限定であるのは別に良いのではないかにゃ。
さておき、俺も筑波エキスポを思い出したんだけど、
例に挙がってる御殿場の奴というのは定期列車だったのかな?
不定期なら、件のエキスポ列車とかイベント系の物はいくらでもありそう。
数年前だからJR時代だけど、583系の両国ー銚子(117キロ程?)
なんてのもあったらしいし。
あとは何をもって夜行列車と定義するかってのもあるよね。
あまりに極端だけど山手線最終列車を「深夜発早朝着」
なんて言っちゃったらキリがないしw
でも東京ー御殿場が本当にあったのなら、興味深いです。 -
スレ違いかも知れんけど、
国鉄じゃなくて私鉄(勿論JR以外で)の
夜行列車なんて歴史上あったりしたのかな?
戦前の山陽鉄道に〜とか、そういうのは無しですよw -
御殿場のは臨時だと思うよ。御殿場に富士の五合目まで行くバスが待機してるんだってさ。
土曜休じゃない時代、土曜の夜に東京を出て、日帰りで富士山頂往復したらしい。
オヤジは非鉄なんで、その列車について写真も撮ってないし、時刻や編成も記録してないorz
ただ夜行だったとは言っているがなんだかなぁw
あちこちググって見てるけど出てこないんだよなぁorz
PS ちなみに民鉄だと西武鉄道で特急“こぶし”が夜行列車として存在したようですね。
民鉄を含め、コイツが最短かな? -
御殿場のって
東武の尾瀬夜行か -
昔のジャーナルにそもそも夜行とは何ぞ?という話があったな
日付をまたげばいいのか?始発が0:02の列車は?3時始発の鈍行は?とか
'69年の時刻表だと下関23:32発−長門市2:11着 77.7?がある
こんなのどう扱うんだよw -
大井川鉄道に下りの大垣夜行と接続を取っていた「山岳夜行」がありましたね。
東武や西武と違ってこちらは各駅停車だったようだし距離的にも40km切ってるから最短だったかも -
意外にも東京ーいわきの夜行は無かったな。バスは片道だけあるけど。
-
>>565
特急ゆうづるや貨物が通った後の保守点検時間に充ててたからじゃね? -
探せば色々と面白い話があるもんですなぁ。
皆さん、ありがとうございます。 -
>>563
69年のヤシな…。東武の“奥日光”、国鉄の“ハイランドスケート”が似通った時間帯で存在するけど、“奥日光”は
民鉄唯一の夜行列車とも言われる。一方“ハイランドスケート”が夜行列車だと言う話しは聞いた事がない。
高松→高知の普通列車で0時過ぎに高松を発車するのがあったが、多くが夜行列車と言っている。
夜行列車の定義の一つとして「使命上、性格上、乗客の睡眠に考慮する必要のある列車」と言えまいか?
例えば車内減光、放送の制限、深夜のバカ停等々…。
それらのうち、一つでも該当がなければ、それは終列車や初発列車としか到底思えない…と、思うが? -
定義として、取りあえず、列車愛称名が付いている、
(=寝台が無いとしても指定席がある)
というのも一つの基準としてあっても良いかなという気もする。
そうすると↑で書かれている四国の列車には、
特に愛称名が無かったのも多かった気がするなぁ。
宇高連絡船の接続使命があったのかな?
函館本線48レとかもあったっけね。 -
中央夜行に接続して富士急でシーズンに走らせてた河口湖行、あったよね?あれは夜行にならない?
-
>>569
そしたら345M、阪和・紀勢本線のなんかは夜行じゃなくなっちゃうんだよ? -
>>570 臨時の「遅い終電」ないし「早い始発」なんでは?
これを「夜行」に入れるならば、二年参りの客のための「成田臨」や、深夜発の初日の出臨時なんぞも「夜行」になっちまうよなあ。 -
>>572
阪和紀勢本線のも紀伊田辺止になってからは流石に夜行でなく最終電車ということだろうな。 -
>>573
愛称名なしで寝台って、事前に予約購入できないってこと? -
そういや昔、福島3:28発の仙台行き普通列車があったけど、あれはどんな客を受ける列車だったんだろう?
-
>>575
まず345M前身の大阪行きに寝台てか指定席はなかった。
次に、山陰とかながさきになる夜行普通に連結していた寝台は
主要駅と交通公社の営業所で指定席券、寝台券を発売してた。
寝台マークを□でかこって記載されているやつね。 -
>>575
他の指定券と同様に事前購入もできましたが、列車番号で管理していた筈。 -
>>575
はやたまという愛称があった。 -
愛称名無しだったのを、マルスに入れるために愛称をつけた
-
>>576
あれは時刻表のその線区の一番後ろに仕切られて掲載されている荷物列車の時刻表を見るとわかる。
つまり、この本体の列車は隅田川からやってくる荷物列車なんだね。
その荷物列車に福島から客車を増結して客扱いをしていたという訳だ。
未明の時間に客扱いするのは、上りの「津軽」からの客を受けていたというのもある。
早起き列車と言えば、滝部を2時台に発車して下関に向かう列車があった。
“夜行”というには微妙だが、こちらは、行商人御用達の列車だった。
また、釜石を日付が変わってから発車し、遠野や陸前高田に向かう列車もあった。
三交代で勤務する製鉄所作業員の通勤の便宜を図った列車だったが、その性格から一般の時刻表には掲載されていない“幻の列車”だった。 -
>>577
確か、43-10による電車化以前には、当時の1等座席車をつないでたんだっけ(後年のグリーン車同様)
昭和20年代以前から優等寝台(モノクラス化後の開放A寝台相当)をつないでいた夜行普通列車の場合は、
後年、準急→急行まで格上げしちゃったのが多いよな。
そういう列車にマロネロ38が繋がれていたりして。
(マロネロって戦前の新製時点では、木造2等寝台車が入っていた
長距離夜行普通列車への連結も視野に入れて増備された車両だったと聞く) -
>>583
釜石製鉄所の高炉に戦後火が入った昭和23年から高炉の操業を止めた平成元年まで。
高炉というのは、夜間に火を止めるという事はできないから、必然的に24時間操業になる。
(高炉の火を一旦止めると、再開まで数ヶ月必要になる) -
>>587
陸前高田じゃなくて陸中山田らしいぞ -
種村氏逝去
同氏の「鈍行列車の旅」には、巻末に当時の鈍行夜行列車の紹介があった。
これを読み返すと、こうした列車に憧れていたまだ中学の頃の俺に戻れる。
その長距離夜行鈍行もほぼ消滅し、今その後を追うように同氏も歴史の彼方に遠ざかって行った。
合掌 -
夜行列車はマニアにとっては楽しいものだけど
沿線住民にとってはどうなんだろうね -
笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン
笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン -
>>590
騒音公害と言い出すやつも出てくるかもな -
そういえば、昔俺の親父(故人)が、出張で博多から門司まで行って、同僚とたらふく飲んで、
帰りに「ながさき号」に乗ったら、酔っ払ってるから、長崎まで行っちゃった、って事が有ったなw -
>>595
世知辛いのう。 -
大学生の頃に1回だけ乗った
直角のシートに腰かけての長時間乗車は苦行だったことしか覚えてない
後半は1時間と座っていられず、立ち上がって体操したり、意味もなく車中をウロウロ歩き回ったり…
完全に不審者だったw
これが原因で長年の腰痛持ちに? -
急行型のクロスシートは、隣に誰も座ってなければの話だが、簡易リクライニングより座り心地良かったけど
個人差か -
https://www.youtube..../watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(アエロ沖縄空港ドナルド凍結バイト)
https://www.youtube..../watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube..../watch?v=O1HRbHpBK9k
https://www.youtube....watch?v=O1HRbHpBK9k(河北なぜ大阪人ヘアカラ福祉バンクドーハの悲劇ビジネス
(ゆとり不動産取締王過払いポイント著名店員廃炉舞台監督カクテルナイト -
>>600
いやほんと、何時頃乗った話かってのあるだろね。
国鉄末期からJR初期に乗り回してた時なんて、
急行形でも近郊形でもクロスシートなら1日10時間以上乗ってても
それほど疲れた感覚なかった。
当時はまだ長編成で混雑は地方都市近郊だけで
それ以外はボックス独占できてたからだけども -
客車列車というと種村氏を思い出すよな。
あちこちの長距離普通列車に信者と共に乗り
共に遊び,客車列車の魅力を説き・・・
旅が終わると1人空路で帰京する。
空路は教祖様だけに許された特権のように・・・。
○原ナントカ(△本ナントカ)に似ているな。 -
種村氏は確かに個人的に好きではないが清○ナントカ呼ばわりは言い過ぎだろw
と思ったが種村氏は学生時代サボを盗むれっきとした犯罪を犯してたからなorz書類送検で済んだから就職はできたけどもし逮捕されて実刑でも食らっていれば毎日新聞内定取り消しになってただろう言うか個人的に種村氏好きでない理由はまさにその犯罪を武勇伝的に語る所orz
種村氏の取り巻きもいい年なんだろうが種村氏清○ナントカのように道踏み外しかつ開き直っていない事を祈りたいorzちなみに四行わざと空けているが理由はまさに種村氏が乗った長距離普通列車の824列車4両編成だったのが理由でありその件に関してだけはリスペクトが理由 -
>その犯罪を武勇伝的に語る所
懐かし板なのに、当時は「若い頃の経済的利益目的でない万引き」程度は
許容されていたことくらい判らないの? -
>>605
許容されてねえよ -
>許容されてねえよ
犯罪に該当するのはあたりまえ。その意味合いで「許容」と書いたんじゃないんだが(笑)
つか、詩集を万引きしました、未成年でタバコ刷ってました的な
若かりし日のアレ記述がT氏のエピが書かれたころは普通に出版されていたってのは一般ナレッジだがねえ。
だいたい未成年どころか小学生がタバコや酒をやるシーンがOKだったとか
具体例に思い至れば理解できることなのになあ -
>>607
お前分かってねえな -
どうせやるなら、大井川鉄道の往復みたいなのではなく、復刻版824レとか運転して欲しい。
-
>>595
カモレ走ってるやん -
高校時代の夏休みに、京都から出雲市まで乗った。
大阪からのだいせんと接続していたからか、福知山から少し混んだような気がする。 -
着せる自慢するのが鉄ヲタだろ
-
鳥栖から西鹿児島まで乗って死んだw
-
運転士は岡山から広島まで通しで乗務してると思ってたわ。
糸崎は戦前、岡山−広島間で最も重要な駅とされ特急「富士」「櫻」を含めて全列車が停車してた。
戦前の特急が福山・尾道・三原をさしおいて糸崎に停まってたのは機関車の給水などの必要があったため。
糸崎は元々から機関区があったり管理局の境界駅だったりで主要駅だった
だから寝台特急などは営業停車はしていなくても運転停車はしていた
鉄道の運行上重要な駅と乗客数の多い駅は必ずしも一致しないわけでして糸崎も運転停車はして当然の駅なんですが客扱いですからね
糸崎はちょっと離れたところにファミマはあるが、相変わらず大したもんはない
糸崎は大体、たまたまあそこの駅が境界駅になって機関区とかがあっただけだから
だから糸崎は駅の規模は留置線なんかも含めてかなり大きいけど、周りは何もないね
糸崎は戦前、岡山−広島間で最も重要な駅とされ特急「富士」「櫻」を含めて全列車が停車してた。
戦前の特急が福山・尾道・三原をさしおいて糸崎に停まってたのは機関車の給水などの必要があったため。
糸崎鉄道学校がかつて中等学校ラグビー大会の全国大会に出場した記録がありますね。
かつては鉄道の町だったんかな…糸崎って夜になるとたくさん優等列車が止まるようになるから
てっきり夜の街、ネオンギラギラだと思っていた。
元々から鉄道の街でしたよ
国鉄時代から広鉄局と岡鉄局の境界駅で乗務員の交代なんかもここ
東から伸びてきた電化区間の延伸もこの駅が区切りだった
呉瑞・E山陽線で使覧pする蒸機が糸麹闍@関区に所属bオていた
呉線は今は単なるローカル線だけど、かつては本線に等しい扱いを受けていた関係で軸重の重いC59とかC62などの巨人機が入線できた
電化が遅くなった関係で、糸崎はこれら巨人機が見られる最後の本線機関区と言われた
過去の写真とかを見ても巨大な構内を持ってる
今も構内は巨大だけど、今は分断化した電車の留置線に使われてる -
懐かしき「ながさき」号よ、永遠なれ。
-
長距離夜行各駅停車といえば小樽〜釧路間を札幌・滝川・富良野経由で
走っていた「からまつ」こと、423列車。428.7kmを12時間1分で結んで
いたB寝台連結の旧型客車で走っていた。
当時札幌〜釧路間を走っていた夜行急行「狩勝」には自由席が連結されて
いなかったので北海道ワイド周遊券では利用できず、423列車は何回も乗った。 -
急行でもないのに愛称が付いていたのが風情があったな。
指定席発券のために、必然的に付けられた訳だけど。 -
>>622
からまつ はやたま 山陰 ながさき ムーンライト ミッドナイト ふるさとライナー -
10系寝台も、なかなか味が有った。
-
快速ミッドナイトは今でも走らせればかなり客いそう
-
41レを
-
しかも貨物併結で!
-
それなりの鉄オタを自認しているつもりなのに、
荷物列車と貨物列車の違いが、よく分からん(´・ω・`) -
頑張って調べるのだぞい
-
>>630
だからこそあんたは第一級のオタだよ。 -
荷物列車=荷物主客おまけじゃないの?
-
荷物列車は国鉄末期に廃止されたけど急行荷物列車は一般の時刻表に掲載された。
(昭和60年3月のJTB大型時刻表から東北本線下りページから抜粋)
http://www.dotup.org....dotup.org946489.jpg
上記とは別に電車の郵便・荷物車もあって、クモニ83やクモユニ74などが
あって単体で走らせたり、在来幹線では113系や115系の前か後ろに連結して
走らした荷物電車という種類もあった。鈍行夜行列車で名高い、347M/344Mや
441M/442M、733Mにも先頭か一番後ろにクモニ・クモユニを連結していた
時期もあった。 -
白兎、南紀
-
>>636
普通車と寝台車、どちらが混雑していたんだろう? -
>>637
寝台車は定員分しか乗れないからね -
寝台車が満員(満床? 何だか病院みたいだw)になったら切符が買えないということですか?
寝台車が下火になった後の世代なので基本的な質問ですがお教えください -
>>639
今の指定席車両も満席になったら売ってもらえないでしょ?それと同じ。 -
札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ。
オホーツクで札幌に出て、そこから千歳空港へ飛行機に間に合うようにするには、この方法しかなかったんだよ〜
その一本前の列車にぎりぎりで間に合わなかった。ごく稀だけど。 -
普通列車の寝台車の場合も、車内入らずにデッキにいれば、運賃だけで乗れるのだろうけど、そこまで混雑することはなかったんだろう。
-
大垣夜行の上り列車がちょうど名古屋辺りでは終電か終前になっていた。
刈谷か安城に住んでいた元上司が酔って爆睡し東京で駅員に起されること3回。
○○さんの東京出張として社内で有名だった。
そのお方も定年退職し5年前にご他界。合掌 -
うちの親父が若い頃札幌で飲んだ後小樽へ帰ろうとして寝過ごし、慌てて飛び降りたところが黒松内。
よりによって何で数少ない函館行きなんかに乗ったものやら。 -
……………………
土手の下から見上げる常磐線(佐貫駅の2番線からゆっくりと出発する常磐線普通上りE531系)
https://www.youtube..../watch?v=x4teBF5x1qg
…………………… -
>>621
その距離を12時間って時間かかりすぎなかんじですね -
>>649
上野から長岡いき夜行733Mが宮内04:40着で
長岡から米原いき522レが宮内04:45発というジャストの接続だった。
直江津で長時間停車で、駅の食堂で朝ごはん。
糸魚川で快速に乗換、さらに富山でも快速に乗換で金沢で途中下車。
約2時間後に同じ522レに再乗車。
宮脇さんのマネして、網棚に雑誌を置いといたら、ちゃんと残ってたよ。 -
昭和51年頃に通勤電車からの光景で、鴬谷駅から上野駅へ走っている時に
毎日走ってくる急行電車(米山号?北陸線米山行き?)を思い出すな〜 -
165系はよねやまになったり佐渡になったり赤倉になったり普通になったりした
165系の思い出と言えば長岡発新潟行きの最混雑ピーク時の鬼のような運用だな -
急行尾瀬号?
当時、5歳くらいの娘を連れて上野駅のホームで沼田行きの
電車を待って超満員でギュッギュウ詰めで、たしか自由席だったが
席を確保できず通路でガマン・・・
沼田着は2時か3時頃で、そこから大清水まで?バス移動
尾瀬走破前にに大根・なめこの味噌汁(売店で)を飲み
途中福島側から歩いてくる人たちに”え、こんなに小さい女の子で大丈夫”
みたいな顔されて・・・むかしがなつかしい!! -
終着駅に真夜中に到着して、どういう需要なんだろう・・・って思ってたな尾瀬1号
2号3号・・・はないけど号数が振り当てられてた -
ようつべにと1985年冬の函館本線46列車の動画が最近投稿されていたのを発見。
当時にビデオカメラ撮影できたなんて相当のマニアだったんだろうけど、30年以上経ってみるとNHKドキュメントのようで涙もの。
「北海道の夜行どん行列車 函館行 札幌から長万部までの記録 」
https://www.youtube..../watch?v=YBhRJIcy4BQ -
ドラマでの護送シーン、普通列車だった。
昼間、松本から新宿行き普通に手錠を掛けられた犯人と刑事が乗る話があった。
こんな列車あるのかと思って時刻表を調べたら、存在していた。
ちゃんと調べてるなと感心した。 -
>>657
高尾行きじゃ無くて? -
ドラマでの護送シーン、普通列車だった。
223列車上野発仙台行き赤い激流最終回 -
>>659
水谷豊が実父殺しの冤罪で死刑判決を受け仙台拘置所に護送されるシーンだよね -
熱血先生が実父殺し…
-
>>659
それスカパーか何かの有料放送? -
結局重要なカギを握ってたRの女はどした?
-
国鉄晩年(1980年代)、
夜行普通客車列車と夜行普通電車列車は
有名な列車が複数ありましたが、
夜行普通気動車列車は無かったのですか?? -
>>664
四国の方になかったかな。
70年代末期くらいだったかも知れんけど。
北海道は・・・聞いたことないなぁ・・・
殆どの路線が非電化の上に広大だから、ありそうだけどね。
客車列車の方が色々と効率が良いのかも知れんね -
さっそく恐縮です。
なるほど、あったとしても遡りそうですね。
普通夜行に気動車が一般的でないのは燃費の問題かもしれませんね
まだまだ客車列車が煩わしく扱われてなかった時代ですし -
>>664
快速列車は定義に入るかわからんが高松-窪川ってなかったかな? -
坂井はんどうもです
調べたら中村線直通の
高松→中村というDC夜行快速が出てきました。
ありがとうございます。 -
上りが窪川発だったみたいですね。
-
1980/10
731D:宇高連絡船31便、0:37着〜高松発0:49→中村着7:51
762D:窪川発20:48→高松着3:31〜宇高連絡船2便、3:52発
762Dのみに[快速]の表記アリ、731Dにはなぜかない。
停車駅はほぼ同じなんだけどね。 -
>>670
グリーン車両が普通座席として開放されてお得でしたね。 -
後にレッドトレイン50系客車に置き換えられましたけど
-
岡山発 さらば日本一の長距離列車 JRダイヤ改正で下関行き廃止
http://www.sanyonews...jp/article/495327/1/
JRグループの春のダイヤ改正に伴い、定期の普通列車として運行距離が国内最長だった山陽線岡山発下関行きが、3日の運行を最後にダイヤから消える。
道中82駅に停車しながら384・7キロを7時間33分かけて走る鈍行列車が“日本一の座”を明け渡す。
JR西日本によると、岡山―下関間の直通運転(午後4時17分岡山発、11時50分下関着の片道)は2016年春のダイヤ改正に合わせ、4両編成で始まった。
「検査や整備のために下関総合車両所へ車両を届けるためのダイヤ」(同社広島支社)だったが、4日の改正で東広島市の山陽線に新駅「寺家」が開業。
各駅への停車時刻が変わった影響などで直通運転がなくなった。
廃止を目前にした1日、岡山駅では名残を惜しむ鉄道ファンの姿が多く見られた。車両や「下関」の行き先表示をカメラに収めていた大学4年男子学生(22)=大阪府=は
「この列車に乗りたくて在来線を乗り継いできた。長旅になるが、景色や雰囲気を楽しみたい」と話した。
改正後はダイヤ上、定期の普通列車としてはJR根室線滝川発釧路行き(308・4キロ)が最も長い距離となる。この便は16年春以来1年ぶりに日本一に返り咲くが、
昨夏の台風被害で一部区間が不通となり、再開のめどが立っていない。実際に乗車できる最長距離の普通列車は山陽線糸崎発下関行き(297・2キロ)になりそうだ。
(2017年03月01日 23時28分 更新) -
途中駅で列車番号が変更されても、お客の入れ替えをしないならば
1本の列車とみなすならば、日本最長は別にあるけどね。 -
途中列番変更の長停車でほり出されない列車なんてあるか?
存在自体が公然のものだから隠し通せるものじゃないんだから
それだったらきちんと書いてよ。 -
夜行でないが山手線21時間はまだあるかな
-
>>676
山手線で15周するくらいの運用があるよ。 -
>>675の正解は
-
>>657-658
亀レス&すれ違いなんだが、
TBS系「東芝日曜劇場」で1989年9月17日に、「護送」という単発作品が放送された。
詐欺事件を犯した容疑者(被告かも?)が松本から都内へ、
鈍行列車で二人の刑事と鈍行列車で護送されることになり、松本10:54発の立川行き列車に乗り込む。
ところが偶然にも、容疑者と刑事の一人が幼なじみの間柄だったうえ、
容疑者は12:48着の甲府駅で途中下車し、甲府駅近くの飲食店で働く、
同じく幼なじみの女性に会わないか…そして、13:28発の「かいじ10号」に乗れば、立川到着は2分差だ…と提案する。
40分足らず滞在した飲食店で、3人の幼なじみ同士で過去の日々を語り終えて、
「あと2分ですよ〜」と甲府駅前広場で叫ぶ同僚刑事にせかされながら、
二人は甲府駅へジャンプするようにかけ出す…という終わり方だった。
ロケで使用された車両はなぜか165系で、車内のシーン(当然スタジオのセットで収録)は
緑色のボックスシートに淡い水色の化粧板で、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」などで
使い回したような、見覚えのあるセットだった。 -
東芝日曜劇場でサスペンスは意外だが、火曜サスペンス劇場廃止どころか元祖、土曜ワイド劇場まで本当に廃止とか来月4月からTBS月曜名作劇場のみになるがTBS月曜名作劇場までもし廃止なったら日曜劇場が唯一のサスペンスになるか?
明らかにスレチかつスレ汚しと思うが、TBSには昔の民放の雄TBSドラマのTBS戻ってほしいと思うけど無理だね(>_<)
あの頃は普通に中山美穂のドラマママはアイドルとか若奥様は腕まくりだとか、卒業とかおもしろかったんだがな(>_<)
TV情報番組ばかり鉄道ロンシーばかりどちらも本当につまらなくなった(>_<) -
昭和55〜60年くらいの話だが、、、
旧型客車列車で「上野〜高崎〜長野〜直江津〜長岡〜新潟」ってのが上下1往復あって、
途中で列車番号が3回くらい変わって、たしか長野では1時間以上停車してた。
もちろん客は追い出されなかった。 -
>>686
長岡〜米原旧客とセットで乗った事ある
485系電車糸魚川快速廃止は残念だが、そんなことよりも糸魚川〜直江津間は、32年前1985年昭和60年3月今から丁度、32年前まで普通列車はディーゼル車旧客onlyだったわけだけれども今からまさに32年前の姿に戻ってしまうのは残念だし(32年前までは特急電車はあった訳だし)
1両編成ディーゼル車いうのはあれだ、32年前より更に悲惨惨めな姿だな(>_<) -
>>686
下り:上野〜2321レ〜高崎〜321レ〜長野〜323レ〜直江津〜325レ〜新潟
上り:新潟〜322レ〜直江津〜324レ〜長野〜326レ〜高崎〜2326レ〜上野
だったと記憶。
ただ、下りの長野は一度構内に引き上げていたと思うんだけど、記憶間違えてるかな? -
>>685
昔は、出会いと別れといえば駅のホームが定番でしたからね。
1975年12月7日放映の東芝日曜劇場。題名は「嘘」
舞台は札幌で、恋人の鈴木ヒロミツに見切りをつけて、
秋吉久美子は東京へ旅立つ。このときの列車は「黄金ルート」の
「おおぞら3号」・・・だけだとスレ違いだけで終わるから
>>686>>688
昭和50年3月ダイヤで、
上野0620(2321レ)0857高崎0936(321レ)1253長野1612(323レ)2234新潟
新潟0600(1324レ)1011直江津1118(324レ)1352長野1458(326レ)1838高崎1913(2326レ)2132上野
これとは別に
上野1052(2325レ)1315高崎1548(325レ)2129直江津
直江津0507(322レ)1138高崎1227(2322レ)1431上野
というペアもあった。
しかしまあ上野〜高崎間で他の普通電車に抜かれそうなダイヤだが、
この当時朝夕こそ7分毎に運転されるも日中の電車は少なかった。 -
遅かったな、2321
特急や急行にボコボコ抜かれてた。
〜57.11.14
2321レ 上野6:14発高崎8:53着 表定速度 38.8km/h
いま
825M 上野発6:12高崎8:01着 表定速度 55.9km/h
とき301号 上野6:14発高崎6:58着 表定速度 138.5km/h
57.11までよく残ってたよ。よく乗った。高崎の58が必死になって走ってた。
面倒なのか、運転荒い人が多かった -
滝川釧路を上回る長距離気動車普通列車ってあった?
-
電車は湘南電車で長距離運用が定着したけど、気動車はいろいろ厳しいのかもしれぬね
-
昭和40年以降ならほぼ数年間隔で時刻表があるから
北海道、四国、紀勢を中心にみてみたが・・・ない。
滝川発根室行だの亀山発新宮経由和歌山行だのあってもよさそうだがない。
昭和30年代はどうか知らないが、
それより遡ると客レ全盛期になるからほぼ絶望的かと。
気動車急行だと変態経路はやまほどあるのに、
普通列車はわりとおとなしい。 -
運行面での従事者が人的豊富で
客レの運行が現代みたいにまったくウザがられてなかった時代だし、
気動車で燃料浪費さすより(往時は複数両〜長大。単行は区間列車の概念)
機関車牽引の客レになるのは自然な流れだね。
単行(ワンマン)DCが長距離って、いかにも現代らしい。
いかにも合理化と省力化って感じ -
上野から急行津軽か八甲田で北海道入り
青森まで普通車に座ったままでいると本当にケツがマヒして麻酔注射したような状態に
それが青函連絡船で雑魚寝してるうちにだんだん感覚が戻ってくる -
上野発奥羽本線経由青森行普通列車に乗車した種村氏のルポは
「運賃・・・・円、駅弁3個、駅ソバ数え切れず。尻も背中も痛いが
とてつもない贅沢な思いをした感じがある」みたいな記述で
しめくくっていたな。 -
客車列車(機関車牽引)はどうして123レとレをつけるの?
時刻表では数字だけでレはついてないはずだが -
>>698
列車の「レ」を意味すると思われる。
もともと電車だからM
ディーゼルだからDというのはなかった。
すべて番号だったから
機関車牽引の客車列車という意味で
区別していたと思われる。
123レ
1121電車 -
>>697
その時代の普通列車のグリーン車言うか1等車言うか知らんし解らんけども今のG車ではありえないとても考えられない信じられない高価なものじゃないのか?
種村氏が上野発青森行き普通列車一等車G車に乗ったかどうか死後今となっては20000%確認しようがなく残念だがもしG車で上野発青森行き普通列車だったらとてつもない贅沢なイメージなのは解る
G車特に今の首都圏の普通列車のそれはserviceし過ぎbargain価格だろうし青春18(乞食)が勘違いしてしまうだけだからG車は昔の価格帯に戻すべきではと思う -
>>698
逆に電車列車や気動車列車でも「レ」は付けるのが略し方での本来だよ。「121Mレ」とかね。
ところが、客車列車にレをつけるから、
電車列車や気動車列車にレをつけると
長ったらしく見えたり重複してるように見えたりするでしょ、
だから客車列車以外のレは(さらに)略されてるってこと -
>>700
通行税1割の加算があったで -
最初は客車列車にだけなぜレがつくかみたいな疑問だけだったじゃんかよ
そら附記号の話を言い出したら例外はあるし。
大阪環や桜島線の電車は附記号ない
列番の見た目だけなら客レと同じだ。 -
>>704
「1等」と名がつくころは、普通運賃の2倍。
「グリーン車」となったころは、例えば1973年頃なら
50キロまで100円、51キロ以上200円。
つまり制度改正で、すごい「値下げ」があったといえる。 -
↑
正確にいうと2倍弱
普通列車の1等を利用する場合、1等運賃が適用になった。
例えば1967年の1等運賃は
1〜5キロで40円(2等20円)
50キロで350円(2等190円)、
96〜100キロで660円(2等360円)
781〜800キロで3980円(2等2170円)
1181〜1200キロで5300円(2等2880円)
・・・といった具合だった。
もちろん乗車券一般ルールの条件に適えば
(当時は片道31キロ以上で、電車特定区間相互発着でないこと)
途中下車も可能。
高崎→(1等)→大宮→(1等)→宇都宮
熱海→(1等)→東京→(2等)→新宿→(1等)→宇都宮
などの場合でも1等乗車券1枚で乗車可。
途中の2等区間がながくなれば分割のほうが安くなることもあり、
遠距離逓減制もあり、この時代にパソコンとネットがあったら分割マニアは
喜んだかもしれない。 -
>>700
昔は今と違って分際というものがありまして
金があるからといって、その分際ではない者が一等車二等車に乗るもんじゃない
金がないのに御身分のせいで泣く泣く一等車二等車に乗るヒト
三等車には空席があり、二等車は満席だけど、二等車で立ってる人
てな具合で
金が全てではなく、家柄、職業、地位、というランクがあったわけで
金なら払う、という言い草は、成金と軽蔑 -
421の檀上完爾氏は昨年9月に逝去されました
-
戦前の身分制度は戦後に制度上は廃止されたけど、人々の意識の上では昭和30年代まで残ってたからな。
単に金があるから上級クラスに乗るというのになったのは高度成長期以降。 -
戦前の身分制度って「華族」のことか?
1等が華族家だけの利用なんてなかったんだけど。
豪農やら成金も普通に利用していたわけだが。 -
今は金さえ払えば特急やグリーン車に乗れるが、昔は文字通り特別な存在だわな
特別急行も一等車も
て、ここは何のスレだ? -
713も717も説明がヘタ
だから莫迦に突っ込まれる -
在日チョンは特権階級
-
>>710
ゴメンなさい。
ユニクロかイオンかで買ったヨレヨレのポロシャツと綿パン、
ABCマートで買ったスニーカー、リュックサックというラフな格好でグランクラスに乗ってたわ。
でも、俺だけじゃなかったよ。同じGCに乗ってたのは同業者と思しきミスボラシイ乗り鉄ばっかだったw
念の為に言っとくけど、余暇の服装に関してはチープ・シック主義なんでね。
一応、職場じゃ、某大企業の部長職で、年収2300万以上なんだけどね。 -
ホンモノの高所得者が
2chなんかに自ら役職、年収を晒すような莫迦はいない
それに高所得者の書いた文章にも思えない草杉 -
品格も
プライドもないのが増えたよな -
まあね
グリーンも今やにわか成金みたいな吉本芸人のものみたいになっているわけだし -
dqnやガキが乗ってるもんな
-
>>721
その2300万ってのは額面?手取り? -
>>727
円じゃなくベトナムドンだろ -
・・・ジンバブエドル
-
天王寺から名古屋まで夜行鈍行で乗り通したような気がする。
早朝に新宮駅に着いた。
それから新宮駅ホームではうどん屋が営業してた。 -
>>730
鈍行夜行「南紀」(後の「はやたま」)では天王寺駅・阪和線専用ホームで屋台販売してた
うどんを食べて、翌朝は新宮駅の早朝営業のうどん屋で食べて、終着の名古屋に
到着したらホームのきしめん売店でお昼にしたものです。 -
サボが針金でくくりつけてあった
-
そういや、「南紀」くずれを追い抜く「南紀」が1日だけあったな。
-
昭和53年9月30日天王寺発名古屋行きの普通「南紀」を10月1日で新設された紀伊勝浦発の特急「南紀」が抜いた?
-
「はやたま」「からまつ」は列車名らしいけど「ながさき「山陰」は
最初「安直だなあ」と思った。けどあとから味わいがあるな、に変わった。
客車のサボに 山 陰
SAN-IN って入ってるのがきまってたな。 -
地名愛称が多いのが急行列車の旅情を掻き立てる
-
>>739
いこま、なにわ、よどとかだろうな昔は
サロンカーなにわあくまで車両名であり列車名マリン但馬とか別の名前だったが東海道新幹線開業前つまりいまほどには東京一極集中でなかったにもかかわらずいこま、なにわ、よどのネーミングには関東在住関西出身者望郷念あったろうな -
>>740
いこま、なにわ、よど等は東京から目線の愛称だろ -
東海 なには せっつ 六甲 ゆのくに くずりゅう 立山 好きだった
-
北陸急行はヘッドマークに羽ついてた、近鉄特急もそうだったし流行?
ところで何のスレだったっけ -
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース -
743
そうだと思う。福井鉄道のも羽根っぽい -
特急の髭は?
それと鹿児島のフェリーはマルエーもマリックスも離島行き町営も貨物専門もみんな3本髭ついてるけどあれはなんですか? -
485系は眉毛が書いてあった
151系の眉毛は変だった -
>>746
鹿児島だし、どの会社も過去の系譜とか所縁が中川だからじゃねえの? -
メンテナンス
-
過去の夜行列車についての書籍に関する質問です。
1982年頃に購入した本なのですが、「ブルートレイン・夜行列車大百科」みたいな本を覚えている方はいらっしゃいませんか?
本の正確なタイトルを知りたいと思っています。
ケイブンシャ文庫に近い判型・ページ数なのですが、版元はケイブンシャではなく、内容ももう少しマニアックなものでした。
ブルートレインだけではなく、タイトルの通り、たとえば「からまつ」「はやたま」「山陰」「ながさき」等にもページが割かれていたことを覚えています。
編成表等もありました。
もしもタイトルが分かったら嬉しいのですが。ご存じの方がいらしたらお知らせいただければ幸いです。 -
>>751
このシリーズで間違いない
俺のバイブルだから語らせてくれw
http://iss.ndl.go.jp...002-I000001500495-00
↑
この決定版は55年10月改正の内容を踏まえたものだが、
これより54年頃に出た決定版という物もある。
55-10で廃止された「からまつ」の記述を覚えているということは、
恐らくお主が持っていたのは54年の決定版の方だろうね。
決定版と最新版では内容や掲載写真に結構な違いがあるので、
マニアなら必ず2冊とも抑えるべしw
http://k.mandarake.c...Ja.html?index=510480
https://wing-auction...dc=1&sr.fs=20000 -
>>752
ありがとうございます。
お陰様で54年発行の初版をひとまず購入することができました。
心より感謝します。
そうですね、言われてみれば、確かに55-10前のものだったと思います。
オロネ10について「乗っておくなら今のうち」というキャプションがあったのを覚えております。
しかし改めて、そんなにも前のものだったことに驚かされています。
時間が経つのは本当に早いですね。 -
5時間以上も乗り続けるのは今の感覚からすると苦行に近い
-
天王寺発亀山行きのはやたまに乗った事がある。
中1の時だったけど、よく親が一人旅許したもんだ。 -
名古屋行きに乗って完乗したよ
-
爺さまが夏休みに広島の実家と行き来したのは、
勿論戦争前の普通列車で東京〜下関を走る奴。
所要時間はほぼ一昼夜。 -
1981年生まれのワイ
ムーンライト、ムーンライトえちご
ムーンライト九州
ムーンライト松山
ミッドナイト
大垣夜行、ムーンライトながら
新宮夜行
くらいかな、乗れたのは。
スレタイに忠実にするなら
大垣夜行、新宮夜行のみ。
この板の住民の方々が羨ましいです。。。 -
ムーンライトシリーズは平成生まれの夜子だからね
50代以上でないと、まともな?長距離鈍行や夜行鈍行は乗った記憶ないんじゃないかな?
40代後半でも仙台行の常磐線客車は見た記憶しかないし、旅に出始めた頃はムーンライトシリーズの絶世紀で中央夜行や大垣夜行くらいしか乗った事ないなあ -
【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
?03−3695−1111 -
1泊目
新大阪〜新宮
2泊目
大垣〜東京
3泊目
新宿〜上諏訪
酒も女遊びも知らなかった
あの時代に戻りたい -
上野〜長岡乗ってるのは流石にいないか
-
あの頃は昼行でも上野発長岡行とか日光行があったよな
長岡夜行、あれにのって北陸の旧客に乗りにいった覚えが。522レ米原行に乗り継ぎ -
>>762
522レに乗るために宮内までなら乗ったよ -
>>762
乗ったよ。籠原まで11連、籠原で4連切り落として長岡まで7連。 -
オハネフ12
-
オロネ10
-
高崎出身だけど長岡夜行は中学〜高校時代に30回ぐらいは乗った。上野から乗り通したこともある。
一時、毎週末のように乗って宮内で旧客に乗り換えて鯨波で下車して海に出てフラフラ散歩してた。
北朝鮮に拉致されなくってよかった・・・ -
なるほどね
-
初めて乗り鉄をした1984年の春、大阪から福知山線と山陰線の旧客を乗り継いで米子まで行った。
本当は朝5時台の出雲市行きに乗りたかったけど、朝早いので親の許しがでなかった。
朝早い時間帯は車が飛ばすから、というのが、その理由だった。※当時、毬栗頭の14さい。
帰りは米子から上りの「山陰」に乗った。寝台車10系統だったけど、普通車は12系化されていた。
終点の京都に着くと、同じホーム向かい側に浜田行きの旧客が発車を待っていた。 -
長岡夜行や上諏訪夜行は関西在住ゆえに乗る機会に恵まれなかった。計画はあったけど。
なぜか、いつもガキ鈍345Mばかり乗ってた。
1984年〜85年頃のガキ鈍は東京から平塚辺りまでは帰宅のサラリーマンが目立っていたけど、
それ以降は若者ばかりだった。当時、18きっぷは一般化してなかったのか、ワイド・ミニ周遊券の人も目立ってた。
345Mは戸塚で横須賀線の電車と同時に発着してた。東海道線の線路をオーバークロスした
スカ色の113系がモーターを唸らせながら高度を下げ、こちら345Mと並走、この光景をみて
「さすがは東京、凄い」と感心してた。※戸塚は神奈川だけど -
>>759
1969年、昭和44年生まれだけど、この年代なら中学生になれば夜行込みの乗り鉄してた。
ガキ鈍なら中学生(小学生も?)から高校生がめちゃ多かったな。どこから来たの?、という会話もよくしてた。
うちの親の場合、旅の安全よりも「夜になれば警察に補導されんじゃないか」と心配してたな。ま、何もなかったけど。 -
>>772
ガキ鈍って言い方は初めて聞いたよ
ワイド・ミニの方が使い勝手良かったからなあ
1989年夏の比較
青春18切符11,300円
東京発北近畿近畿ワイド学割14,830円、14日有効
東京発南近畿ワイド学割14,210円10日間有効
大阪発東京ミニ学割11,640円7日間有効
名古屋発東京ミニ学割11,640円7日間有効8,650円7日間有効
東京発京阪神ミニ学割11,640円7日間有効 -
>>772
ガキ鈍って言い方は初めて聞いたよてかガキ電って言い方が首都圏一般的だった
1983年つまりまさにこのガキ鈍ガキ電153系から165系になったまさにこの年大阪から東京の大学進学したもんなんで
まぁあれだ、それはさておき、昨日即ち7月27日(土)急行津軽の臨時があったが見事にこの世代おっさんばかりだったな
まぁあれだ、こういう言い方は残酷だが35人亡くなった京アニ事件の命でないが2度と戻らない彼らの青春というものがこの土日だけでも戻った気分なんだろうYouTube見ながら何とも妙な気分日本海2号の青森〜秋田間のスジを最後の方は再現してたので個人的には面白かったが -
まぁあれだ、いい歳こいてるんだから、もう少し読みやすい文章書けよ
-
>>772
「がきや」(大垣夜行の略)っていわなかった? -
>>777
横レスですまんが初耳だ -
ガキ鈍は非鉄の大学生から聞いて知った
ガキ夜と言うのは寡聞にして知らなかった
当方は中央夜行が臨時で出てた最後の頃の世代 -
ガキ鈍は非鉄女子大生から聞いて知った
彼氏鉄思ったがそうでもないみたいだし
そう言えば新潟の女は当たり前かもだが165系ムーンライトえちごは勿論のこと165系全般(高崎発長岡・新潟行きなど)に詳しかったから隠れ女子鉄はいたのかも -
なつかしの「大垣号」w
-
大垣夜行以外の50年代以降、B寝台のマルス用に名前つけたやつ以外の441M(中央)、731M(上越)、731D(土讃)、
ここらへんには俗称は無かったのかな? -
LQEBR
-
>>783
かなりスレチだけど…
赤券ラストシーズン(2016年末-2017正月)の赤券に、赤券の歴史に敬意を表して
まさにその、345M(東海道)、441M(中央)、731M(上越)、731D(土讃)の
往年の「夜行普通の四君子」と同じ列車番号の車両乗務列車を狙って
4列車ぶんのそれらのレチ諸氏による手書き日付を並ばせてコレクションしてあるw
5回目はナイショ…いつか画像で見てください。 -
ところで。上越夜行は733Mとちがいましたっけ?
786で述べた赤券は実家にあるので今すぐ確認できないけど、たしか733Mだったような・・ -
羽越本線の新津発秋田行の旧客で酒田の停車時間が1時間30分くらいあった列車はがあった
撮影と資料収集だったな -
上越夜行一度だけ乗りました
赤羽→宮内、さすがにすぐには座れず大宮過ぎてしばらくして座れました
宮内で降りて、→来迎寺→西小千谷、おなじことをした人が数人いました
小千谷まで歩いて、越後川口→長野
信州ワイド+追加料金で使った記憶です -
>>787
高崎・上越線の長岡行は733Mですね -
小笠原諸島へ行くのに関西から大垣→東京に乗った
隠岐諸島へ行くのに京都から米子迄「山陰」に乗った
疲れるのにようやったと思うw -
大阪から米子迄「だいせん」に乗った
と言っても急行だからスレチではあるが
疲れるのにようやったと思うwと言うかJDのお姉さんと結構話がはずんだなあw
嗚呼、CoronaVirusに段々と疲れてきたもしもあの頃に時計の針を戻せるならば -
昔は、現代の夜行高速バスみたいに
全世代乗ってたから、若い女性と一期一会の会話とか
ふつうにあったよね。女性側も人間味が残ってて
今の若者みたいにスルーとか無関心でもなかった。
おばちゃんが菓子くれたりした。 -
イケメン限定だが、同世代の異性と相席になって、話が盛り上がって住所交換からまた会うって事も稀にあったな
-
クロスシートかつ会話が発生するような長距離列車(長距離を乗る客)って、
今や、通学生(〜高校迄)・交通弱者(ジジババ)・旅行者(中年〜シニア)、あとは乗りテツ旅行者(シングル)くらいだからな。 -
20台チンピラ「女と別れたんや」
70台じいさん「原因はセックスかぁ」
20台チンピラ「そうや・・・、ようわかるなぁ」
あぁ、夜行列車だからこその会話風景・・・。
34年前、宇高連絡船と接続した高知行き夜行の普通列車のなかでの会話風景でしたwww -
夜行急行だいせんで同じ様な事あったな
もちろん急行だいせんだしスレ違いだが見知らぬJS、JC、JK、JDの相談相手はDJ番組全盛期とは言え今ありえないなw -
鉄ヲタあるある
二十代とかの場合も台の字を使いたがる -
確かに不謹慎かなパチンカスも鉄ヲタも
-
>>799
なるほど。笑 -
ひっそりと進行
-
数々の夜行に乗ったが
一番寝られたのは
さくらのオロネ14と
ながさきのオハネフ12
最悪が
なはのスハネ25
兎に角狭くて最悪 -
9A5DT
-
11年前下関発岡山行き普通に乗った
釜山からの帰り -
>>805
外国人の方 かしら? -
「帰り」とあるので日本人の方かと
-
長距離の夜行の普通列車の編成って、
やたらに荷物車が連結されていなかった?
北海道の函館〜札幌方面のそんな列車は、
列車番号が荷物専用列車の数字で、
客車が申し訳程度の2〜3両の事も。
全国的にそんな列車は、
早朝に到着したそれぞれの駅で、
荷物車から前夜出発した大都市で大量に積み込んだ、
全国紙の新聞の束をホームに投げ下ろすのが見られた。 -
メインは荷物輸送やもん
-
はいはい
-
荷物列車はトラック輸送が普及するまでの流通の主役
-
いつの時代?
-
国鉄最長距離の普通列車って、米原〜青森?
-
一週間かかった?
-
大阪〜青森を2泊3日とか凄まじいのあったな
全区間乗り通す人いたのか疑問 -
>>820 東海道新幹線開業時まで大阪・青森間30〜31時間で走る各停があった。
大阪を夜遅く出発し青森に翌々日の早朝到着の二夜行列車だった時期もあるが、青函転落戦に乗り換えて函館に午前中到着することになるから、全区間乗りとおす人もいたのでは。
昭和20年代に比べると、そのような客は減少していったのだろうけど。 -
シベリア鉄道なんぞ6泊7日でウラジオストクからモスクワまで乗りとおす客がいるわけだし。昭和30、40年代はこのルートで日本からヨーロッパまで行った若者が相当数いたという。まだ、航空機が高根の花だった時代。
-
流石に急行乗るだろ
-
貧乏人御用達だっただろうな
今の格安夜行バスみたいな感じか -
旅情があって宜しい
-
敦賀発の4連が播州赤穂まで行くようになったら乗り通してみたいな
赤穂線内の需要って8連を入れるほど高いのかしら教えて地元の人♪ -
ながさき、山陰、はやたまは乗車の機会があったが、からまつは時刻表で見ただけ
釧路まで行く人ではなく帯広で大半下車でしたのですかね -
hfl
-
>>830
鉄道郵便も? -
>>828
確かにからまつは帯広で朝を迎えるから、そこから釧路までは午前の普通列車に
過ぎなかった。
池田で池北線の始発に接続したから、松山千春が足寄へ帰省の際に愛用した列車だった。
でもそもそも夜行区間の利用者が少なくて、夜行急行で代替できたから廃止が早かった。 -
復刻時刻表1968年に昼行の(米原〜)大垣〜東京というのが有るけれど
これは80系だったのかな。 -
>>835
夜行は1等マークがあるけれど
東京23:30⇒美濃赤坂7:27
大垣20:32⇒東京4:35
昼行にはついていない
東京5:19⇒大垣13:40
大垣3:36⇒東京12:07
大垣5:33⇒東京14:00
米原12:12⇒東京21:10 -
>>836
1969年7月号を見た。
これはダイヤはほとんど変化ないけど、等級制から現在のモノクラス制に変わってるね。
確かに同じ列車が存在してグリーン車マークもないので、80系の可能性が大だね。
それにしても大垣3時台発の東京行きは驚き!名古屋でも4時台発着で!
でも東京12時過ぎ着は、今の方が乗換えが多いけど速い! -
>>833
夜行「狩勝」(後の「まりも」)が全席指定だったし、救済列車としての役割もあっただろうな -
>>837
改正前まであった大阪発東京行きの区間短縮だね -
>>836-837
当時の大垣夜行は東京到着後に、そのまま急行東海で名古屋・大垣に折返したのか? -
効率的運用
-
効率的か??
-
広域的運用ですな
-
広域的運用といえば早岐に所属の14系寝台車が、
あかつき〜日本海で青森まで行っていた事だなw
日本海が雪害等で運休すると、翌日のあかつきが運休になるという・・ -
九州にはピンとこないかも>雪害
-
441M
発車時は床も人で埋め尽くされるが
茅野で皆んな居なくなってたまげた -
北アルプスに行くには遅すぎたんだろな。
-
>>846-847
八ヶ岳、蓼科登山の目的で、小淵沢で小海線に乗換える利用者が多かった。 -
>>848
小淵沢で早朝一時間待ちは辛いなあ -
>>849
確か1時間も待たなかったし、小海線気動車も乗換え客を見越して、早めに入線してたのでは? -
>>845
走行距離は片道1800キロ にはビックリ -
441Mから小海線始発、確か小海線は前夜からのホーム留置で、441M到着前からエンジンかけてて車内入れたよ。駅そばもやってたし。
-
>>853
ああそれだったら何とかなるんだね -
小淵沢クラスの駅でも終夜解放だったんですね
当時の駅って現代のコンビニみたい
行けば灯りがあって人がいて暖を取れて小腹も満たせるという・・・ -
夜中、早岐の長時間停車
線路に降りて、長時間露光してる写真が有るわ
上りのながさき -
九州には雪も地震もない
そう信じてた時期がボクにもありました。。 -
からまつが走ってた区間、ついに途切れるか!
-
それでも営利企業が狩勝峠の線路を自費で維持するほどではなかったんだよね
道路はいいよね(´TωT`) -
と言うか道路と鉄道両方維持は無理なんだろ
そういう時にどちらか選べと言われたら道路になるよね -
道路財源を鉄道にも分け与えたら良いと思う
-
いろいろと鉄道が不利な条件は揃ってるね
族議員が暗躍しなくても勝負は付いてたか -
門司港〜長崎を走っていた夜行普通列車って、置き引き被害のメッカだったとは・・
-
大げさすぎ。昔も今もこれからも犯罪は常にあるし
-
大垣夜行は駅でも働いてたよ。ながら化後も三島でウロウロしてた。
寝たふりして、近づいてきたらわざと起きたりして、おちょくって待ってた -
>>866
あなたが実情を知らないだけ -
祝、青春18のびのびきっぷ通用開始から40年!
-
>>869
根拠のない「俺だけが真実を知ってるんだ」はもうお腹いっぱい -
犯人はチョンやろな
-
>>873
そうやでぇ〜 -
あの当時は列車内でスリして逮捕されても、通名でしか報道されない時代だし、ましてや在日◯◯人なんて言ったら袋叩きだから、「ながさき」号は怖い列車と認識。
-
>>875
福岡・山口県は韓国対岸に近いから、朝鮮系が比較的気軽に行ける要因があるわけかw -
客車が旧客だから、駅に着いたらホームの反対側のドアから線路に降り逃げるから
手強い -
西のながさき号、東の大垣夜行、よっぱらい が狙われてた
-
種別表示幕を行先表示幕に換装した車両もあったのですね
-
大垣夜行 鉄ヲタと酔っぱらいとの戦い
上諏訪夜行 鉄ヲタと登山客(山岳部)の戦い
新宮夜行 鉄ヲタと釣り客の戦い -
>>880
変な言い回しの流布に必死ですね -
>>882
風説の流布に必死ですね。 -
>>882
大垣夜行では、酔っぱらい戦士たちが疲れ果て静岡以南まで乗車していることがよくあった。
会社の先輩の武勇伝では、二宮下車のはずが起きたら名古屋だったので、
新横浜まで新幹線乗って出社したとか。 -
最長距離乗りすごしはどこまでだろうか
-
最近やと新快速で敦賀まで連れていかれたというのやろ
-
長距離通勤・通学の話題はよく聞くけど、乗り過ごしの話はあまり聞かないね
-
昔立川から八王子に帰るのに興味本位で普通甲府行きに乗って酒折までやらかしたことはある
終電無くて翌朝折り返した
あと普通ではなく急行だが能登でやらかした話は時々聞いた -
>>889
いいかげんにしろ -
むかしは急行は定期乗車券では乗れないので
そういうのと無縁だと思っていた。 -
大宮で酒呑んで、なんか来た客車に乗って、目が醒めたら雪降ってて金沢着いた。
米原回って新幹線で帰る。
そんな電話を朝っぱらにかけてきた兄の同僚(国鉄職員) -
()内で吹いた
-
探すと市川→大垣のグリーン券がある
-
検察は来ないよw
検札な -
ガキ電375Mの殺意
亀井「警部!ガキ電で殺しがありました!」
十津川「ガキ電?なんだねそれは?」
亀井「大垣行きの夜行列車の通称です。大垣行き電車なので、略してガキ電と鉄道ヲタクの間で呼ばれているそうです」
十津川「ガキ電ねえ、、、」
亀井「ただ夜行列車と言っても寝台列車ではなく、普通のボックス座席です」
十津川「なぜそんな人目の多い車内でわざわざ殺人をするのかね」
亀井「警部そこです。眠れず起きてる客も多いのに」
十津川「よし亀さん、我々もそのガキ電とやらに乗ってみようじゃないか。何か手掛かりがつかめるかもしれない!」
亀井「はい、行きましょう」
こうして十津川警部と亀井刑事はガキ電に乗るために、夜の東京駅に向かった。 -
>>898
つまんね -
上諏訪夜行 115系
https://i.imgur.com/iZ6mZCL.jpg -
>>900
素晴らしい! -
>>900
素晴らしい!! -
中央線の115で6両とか
違和感たっぷり
3+3の中にTx2が入ってないと -
>>904
却下だ -
別に良いじゃん
-
これから乗る列車が旧客の編成で
車内照明が白熱灯の車両と蛍光灯の車両があったら
迷いなく蛍光灯の車両を選んで乗っていた。
白熱灯の車両って夜は車内が薄暗いんだもん -
>>907
夜行だったら暗い方が寝やすいね。 -
初の旧客体験だった1984年頃夜の東北本線ローカルでオハ35に乗車したときは異空間だったのを覚えてる
あれで夜行だったらさぞかしリラックスできただろうに -
乗るなら絶対TR47
TR50はアカン -
TR23は凄いよ
-
>>908
普通列車の夜行は夜でも減光してなかったね -
>>912
夜間でも停車駅が多いから仕方がないですね -
オハ35って茶色と青色があってな
-
駅停車中は便所でウンコ禁止
-
10系寝台は
-
>>916
ウンコ禁止 -
>>916
貧乏なオイラには憧れだった。 -
オロハネ10のA寝台上段には小窓が無い
-
さすがに10系寝台は見たことないな
最後の定期運用は何年?
山陰とかに連結されていた寝台車あたりかな -
60.3のときになくなった山陰が最後かな
59.2で、はやたま、ながさき。57.11で急行での連結がなくなった -
>>921
YES -
アレには冷房ついてたの?
-
10系寝台車はオロネ10は新製時から冷房搭載
他は全部冷房改造したんじゃなかったっけ? -
そのとおり
-
オロネ10が出てきた時のカラーリングに萌え
-
土浦発万博中央行という夜行列車があったな
-
中学生の頃、いつも鳥栖に留まっていたオヤ10 3(オロネ10を改造)が欲しかった。
あれを自分の住まいにしたいと思った。
種車のA寝台を少し残し、オープンキッチンの食堂とシャワールームを備えたという、少年にとって夢のような工事用車両。 -
1982年急行きたぐに
http://www.est.hi-ho...120_orone10_2067.jpg -
>>926
わかる -
>>928
キッチンには専属のコックがいたのかな? -
EF57牽引の寝台急行 新星に乗ってみたかった
-
EF57を感じる場所はただ一つ
デッキ -
そそり立つデカパンもありマンがな
-
>>937
583系と変わらん -
ロネに関してはまあそうかもしれないな
-
帰省ラッシュの時だと立ったまま眠る人も出てたはず
新聞紙を敷いて雑魚寝もいたが他の乗客に踏まれそう -
940は想像で書いちゃダメだな
-
母親が中央本線使って山登りしに行ったとき網棚で寝てる人がいてビックリしたと言ってたな
冗談言う人ではなかったので本当だと思う
恐らく1970年代前半から中盤の話 -
サハシのカウンターで寝る話は本に書いてあったな
確かアルプスだからやはり中央線だな -
山のマナーには自負があっても、
鉄道のマナー(ほぼ一般常識)はなかったんかね -
サハシのカウンターってつるっつるだし高さあるし
そのうえ揺れるわけだろ?
よく寝れるなw -
昭和30年8月改正
112列車 普通 東京行
門司7:25⇒13:00東京 -
のぞみ並の速さだな
-
>>948
同じ感想だ! -
俺を入れて
同じ考えが3人居た -
昭和27年当時の普通112列車は、
門司7:05⇒13:54東京
だったから、凄まじいスピードアップだね! -
のぞみ超えの
はやぶさなみかw -
普通列車に寝台が連結されていたって、今考えたら衝撃的だな
-
>>953
今は夜行列車がサンライズ以外ないのもそれがあるだろう。
荷物・郵便輸送、ローカル利用客を担ったのも兼ねて、夜間利用客の利便性だった。
それは非効率さもあったので、40年前に関西本線名古屋口が電化されて、
名古屋〜天王寺で紀伊半島を一周してた「はやたま」の名古屋〜亀山が打ち切られた。 -
戦前には食堂車付の普通列車があったというじゃないの。
-
ムーンライト@高崎 (1993.03.19)
https://i.imgur.com/f74TPxi.jpg -
臨時大垣夜行 9375M (東京駅)
https://i.imgur.com/QKqDQRo.jpg -
こういう、いかにもバカチョンでフラッシュ焚いて撮りましたって写真は昔の鉄なら誰もが通る道だったな
-
当時の夜の撮影でストロボたくのは仕方ないな
ISO1600なんて高くて買えないし、昼撮影じゃもったいない -
ASA1600なんて使わないよ
粗過ぎて
400でも躊躇するのに -
撮れないよりマシだろ。トライXで8倍増感とかやらなかったのかよ
D-76とか懐かしいな。データシートついてたよな -
>>963
ワイ、トライXの長尺を自分でハサミで切って使ってたなぁ -
トライXの増感
懐かしいな -
白黒には手を出さなかったな
安いと言っても所詮白黒、カラーのリアリティには及ばない -
>966
白黒の楽しみは、自分で焼くんだよ
ふわっと絵が現れてくる、あの瞬間が何とも言えねー
臭いのが難点だが -
>>968
ワイはあの現像液に匂い、好きやでえ -
臭いのは酢酸だろ、停止液
-
昔は停車中且つ運転士に向けなければフラッシュ撮影は寛容だった
プロカメラマンの広田尚敬氏でさえもストロボ焚いてる作品がある -
>>956- 959
素晴らしい -
こんなの、あったね
-
ようつべに出てくる昔の夜行列車、懐かしい〜
-
珍ドコ列車が懐かしい
-
短距離夜行
新宿〜千倉
正月限定、よく乗ったわ -
>>977
そんな列車があったんだ -
普通に183系だよ
今も特急だけは残ってる -
>>977
それただの元旦終夜運転では? -
>>980
どっちとも言える -
富士急の半夜行電車にのりましたね
大月220→311河口湖(1982/09時刻表)
長野行の夜行の普通電車からの乗り換え登山客対象でした
7031編成と記憶、夜行のクモハ14に乗ったと勝手に思っていました -
>>983
「普通列車」の定義を今のうちにきちんとしといた方が良いぞ -
次スレまだ早い と思う
-
昭和57年、門司からでっかいラジカセを持って下りながさきの寝台に乗車、目が覚めたら中段寝台の足元に置いていたはずのラジカセが消えていた。
-
おれもその頃
門司港から乗って、ラジカセで八幡まで音録って
起きたら、道ノ尾到着前だった
道ノ尾から長崎まで音録って
未だにたまに聴く -
>>987
昭和50年代はラジカセを持参して、夜行列車の座席車を利用する奴が一定数いたな。 -
>>987
ながさき号は窃盗の巣窟列車だからなぁ -
【FF4ピクセルリマスター】『ゴルベーザ四天王とのバトル』がスローテンポに改悪されてて酷い件【植松伸夫】
krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/いち631406776/
まとめサイトにもまとめられる事態に
↓その後
FF音楽アレンジ その難しさとは サウンドディレクター宮永英典 【スクエニの創りかた】
www.ようつべ.com/watch?v=qGyIADLiUIA
19:30~ テンポが遅くなった理由の説明
FF4ファンを無視して改悪したのは植松伸夫さんでした。そしてそれを止めないスクエニのスタッフたち
他にもクリスタルが浮かび上がるタイトル画面を削除、聖剣の攻撃音がショボい音に、
魔法のエフェクト・効果音が別物に(しかも他ナンバリングと使い回す手抜き)、
パロム&ポロム石化イベントで演出の迫力が減少、魔導船浮上イベントで海が渦を巻かない
など原作を勝手に色々改変するFFピクセルリマスター
一体どこが原作やFFファンを大事にしたリマスターなのか?
プレイヤーをバカにしてるからFFってモンハン エルデンに抜かされてオワコンになったんだろうな
スクウェア・エニックス SQUARE ENIX スクエニ トーセ TOSE ファイナルファンタジー ピクセルリマスター
FINAL FANTASY PiXEL REMASTER ファイナルファンタジーIV ファイナルファンタジー4 FF4 FFIV
坂口博信 ヒゲ 時田貴司 ときたたかし ゲーム職人 ゲームしょくにん 植松伸夫 ノビヨ
SMILE PLEASE スマイルプリーズ DOG EAR RECORDS ドッグイヤー・レコーズ ゴルベーザ四天王とのバトル
高木了慧 宮永英典 村井歩 長谷川憲人 甲田雅人 片岡真悟 青山勇士 足立知謙 裏谷玲央 常本絵理 常本正也
椎葉大翼 野田博郷 小見山優子 久野幹史 高木了慧.//..//../. -
金目の物は肌身離さずというが、ラジカセを抱いて眠るわけにはいかんな
-
>>992
チェーンロックくらいかけとけよ -
自分のイビキを録っても仕方ないし
-
北九州人にとっても「ながさき」号は恐怖列車
-
>>995
でも九州北ワイド周遊券の利用者にとっては貴重な列車 -
さん
-
はい
-
銀河鉄道999
-
仕上げに1000ズリ
-
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 5058日 15時間 37分 35秒 -
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