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鉄道懐かし
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203系との思い出
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はい、私、自称F19といいます。よろしくおねがいします。
このスレッドは、203系をメインに、207系・205系・209系・201系などとの
思い出について語っていきましょう。 301系やTRY-ZやACトレインなどでもOKです。 - コメントを投稿する
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203系は好きですか?203系には思い入れは深いですか?
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海外譲渡組に再会しに行った奴はいないのか?
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1本目の編成の側面のナンバーが転写ではなくプレートでしたな >203系
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1両くらい保存して欲しかった
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この系列が輝いて見えたのって非冷房の103系を置き換えた当初ぐらいだよな。
導入された時点で10年以上古い6000系よりぼろいという。 -
側面幕板のJNRマークを消した跡がずっと残っていたな
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100代のクハにもハンドブレーキついていたっけか
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203系はデビュー時から評判はかんばしくなかったみたいね。
以下、鉄道ジャーナル1986年6月号のタブレット欄より。
■203系の改善を求む
山手線に205系が登場してしばらくたつ。
その素晴らしい乗り心地は、国電も私鉄の水準に追いついたように思わせる。
しかし、これより先に常磐線に登場した地下鉄乗り入れ用アルミカー203系は、
205系と比較にならないほど乗り心地がわるい。
車体の振動が激しくレールの継ぎ目ではドアや窓枠がガタガタゆれ、大きな線路の
うねりを通過するときには天井や内張りもギシギシ鳴りだすほど。
これらの現象は特に日中の閑散時に激しく、停車中でもコンプレッサーの作動時に
ドアがガタつくことがある。
地下トンネルを走行中の騒音もひどく、同じ路線を走る営団6000系とは雲泥の差。
203系は昭和60年製からボルスタレス台車を採用したが、乗り心地が特に改良されたとは思えない。
むしろ車体が重くコイルばね台車の103系1000番台のほうがドッシリして落ち着いており好ましいと思う。
203系は最近になって急に乗り心地がわるくなったのではない。車体の剛性が不足しているのではないだろうか。
地下鉄線内での冷房使用が禁じられているため窓をひんぱんに開閉するが、バランサーが省略されているので
開閉が非常にやりづらいのもこの電車の欠陥だろう。
異常振動の原因をつきとめて車両の改善に努めてほしい。 (松戸市・男性)
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(つづき)
●国鉄本社旅客局からの回答
国鉄本社車両局に紹介したところによりますと、203系は機器部品など205系と
ほぼ同じものを使用しており、性能面ではほとんど差がないものとなっています。
違う点といえば、窓が二段式となっていること、アルミドアを用いていることですが、この面では若干機密性に欠け、
また遮音性が弱いなどの点が考えられます。
実際乗車した者の体験調査によりますと、カーブ走行時にドアのゆれる音がする、
行き違い時に風圧で窓の振動音がする、車外騒音が窓方式の違いから営団車よりやや大きい感じがするなど、
窓やドアに起因する点が目立つようです。
窓を二段式にしているのは、地下線内は非冷房のため窓を開ける必要があり、ホーム側からも
操作しやすいよう考えたためでもあります。
車両の乗り心地は車両のほか、線路状態、走行条件などいろいろな要素の複合できまります。
今後も乗り心地を改善すべく、総合的な努力をつづけたいと思います。 -
203系に上野幕があったそうですが、使ったことはあるのでしょうか?
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長らく川崎の埠頭に並べられてたね
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妻窓がご丁寧にアルミ板で塞いであった
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ATCと電磁直通の組み合わせ
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デフロスタ赤坂
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アニメがんばれゴエモンの「満員電車はコリゴリでぃ」の回で、
203系っぽい電車が登場した。
見たことある人いる? -
東京オリンピックまでに女性専用車の廃止させよう
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.c...IipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両をを廃止させよう -
1編成目はナンバーもエメラルドグリーンだったな
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>>12マト区内で入れ換えしてる時に上野幕を表示してるのを見た事あるけど。
営業で表示した事は無いね。 -
>>18
力士みたいなのが出てくる回? -
数年前の2ちゃん路車板では、散々貶していたくせに・・・
みんな勝手だよな。(呆) -
>>7
昭和58年の夏に常磐緩行線に虎の子の一本しかなかった冷房車203系がホームに進入してきた時はリーマンから
「あ、冷房車だ!」と歓声があがるくらい人気があった。窓の小さい営団6000系初期車よりは203系のが良かったよ -
>>22
そうだよ、
デブデーブって奴。
ドアの上に液晶があってそっから出てきたな、
あの時代はLCD付き車両なんてほとんどなかったはず。
ツカサの父さんがあるゲームで、
「ブヨブヨば奴は冷凍光線で倒す」ということを覚えて、
冷凍車をゴエモンインパクトに武器として使わせデブデーブを倒させた。 -
小田急線内を走る203系が見たかった
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常磐線内を走る小田急9000形が見たかった
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マト63の先頭1両の個人宅の保存先が未だ不明
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フィリピンへ行った車両のMG、インドネシアの事情からすればのどから手が出る代物ではないかなw
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205のMGと大体同じだろ、違うのかと…
203だが床のロンリウムが割れてヒビ逝ってるのや補修されてるのがあったな… -
常磐線で旧客と203系の並走はあったのかな?
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>>32
ちょうど入れ替わりって感じだったけど、一時期かぶってるかもしれない。
余談だけど、成田線直通の列車がSL牽引からDLに変わった時期と、営団6000系が乗り入れ始めたのは
2年しか違わない。どちらかが2年ずれていたら、SLと6000系の併走を見ることができたはずだ。 -
何年前の初詣だったかな〜
103-1000で湯島から乗ったけど本当に車内が薄暗かった。
203系でようやく営団車と肩並べた感を持ったものだ。 -
95年頃、通勤で乗ってた203.冷房の効きは営団6000より悪かった。冷房能力に違いがあったのかな?
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203が他の路線で営業運転したことってあるのかな?
自分はフィリピンとインドネシア以外知らないんだけど・・・ -
203系は乗ったことも、実車を見たこともない。
209系は甲種輸送を見ただけかなぁ。
201系はこの前乗った。
205系は時々乗る。207系は主題とは異なる仕様なら何度も乗ったが。 -
船積みされるために新潟に来るなんて、夢にも思わなんだ。
地元で見られて嬉しかったけど、寂しかったな。 -
大学行ってた頃、ジャカルタから来てた留学生と時々乗る事があり、やはりジャカルタの通勤事情の話や
「いつか新車入ったらこの電車も廃車になるんだよね、その時はジャカルタにくれないかなー」「いやー
無理しょw、JR東日本はケチだし足元見るよ?w」とかいう話をして20年近く経ち、ほんまにジャカルタに
譲渡されたと知った時は後方5?ばかり吹っ飛ばされた
まさか、ヤツがジャボタベックに就職してJR東日本と商社に直談判したとか、ってかあ…?! -
今度、205系もたくさん行くらしいね
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やっぱり扉と窓の振動(とそれに伴う騒音)は203系の評判を下げたな。
ラッシュ時は扉が外側に押されているから感じなかったけど。 -
301系の更新車でドアをアルミからステンレスに取り替えたね。
多少でも立て付けよくなったのかな? -
新車当時103系1000番台を追い出した203系は、
後年103系が105系に化けて今だ西日本で生き残っているのに自身が日本を追われるとはよもや・・・だろうな。 -
>>26
最後の185はあまぎ色か -
203系が川崎の埠頭に輸送されたとき、ファンが大勢集まったな。
普段人のいないところなので驚いた。
やはり私鉄車より国鉄・JR車の方がファンは多いね。 -
>>45
事実は小説より奇なり -
クハにはハンドブレーキがついていたな
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あげ
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203系、やたら汚れていた印象しか残っていない。
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103系1000番台より重そうorz
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でもアルミ車体なんでしょ。軽いんじゃないのか?
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取手ー代々木上原以外での営業運転がなかった車両だね。
ところが今ではフィリピンやインドネシアで大活躍してるね。 -
フィリピンやインドネシアに会いに行った猛者はいないのか?
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301を製造コスト高で止めて103系の地下鉄乗り入れタイプでお茶を濁していたいたのに
再度アルミ203系導入コレはどういう経緯?
でそのスグ後の205系はステン!迷い※ コレで決着?
※・・・東急車輛とのオールステン車製造技術開示(入札制の為)の駆け引き? 勝ったから -
まあ、アルミ車体の車両は381系とかもあるんだけんども
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インドネシアへ会いに行きたい。
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日に何本も列車が走らない田舎を思えば、
数分ごとに列車が来る都会は極楽、そんな贅沢を言わんでも、
みたいな趣旨だったか -
あちらでは今も元気に走ってるかな?
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>>56
べつに迷いとかそういう単純なことじゃないと思う。
たぶん、いろんな材質を使ってみていろいろ評価していた、
その一環じゃないかな。作りやすさとか強度とかメンテしやすさとか。
301んときと203では、同じアルミといっても
合金番号ちがうのかもしれないし。 -
5両ほど中間車が廃車になったのは去年の暮れの話。
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>>56
営団車との消費電力の差と冷房化を考えたら、これ以上電熱器を走らせる訳にいかなくなり、201系ベースのチョッパ車を作ることになった。
しかし鋼製車体6M4Tでは地下鉄で必要な性能を確保出来なかったので、車体をアルミに、ディスクブレーキを両抱き式にして軽量化、さらにギアも加速重視の低速用としてようやく所定の性能となった。
チョッパ車は高いので、何としても6Mに抑えたかった執念の結晶。
ちなみに千代田線ほど性能を要求されず、回生ブレーキの必要性がなかった筑肥線にはスペックダウンさせた冷房付きの豪華電熱器をぶち込んでいる。 -
登城した当時の今の季節、
これは良き「昼のプレセント」と思ったものだが
(地下トンネル内冷房禁止だった当時の営団側から見ても) -
>>51
それすごく分かるw -
でもあんまり冷房効いてなかったと思わない?
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203-1は文字が路線カラーでオシャレだった
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あっ、そうだっけ!
全然気付かなかった
撮っておきたかった -
冷房は徐々に改善されていったが、ドアのガタつきだけは
最後までそのままだったね -
軽くする為だったからな
台車の肉厚まで削って… -
203系はどこに個人譲渡されたんだろう??
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ガタつくドアはほかにも多く存在したので大目に見てあげよう
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軽量化のしわ寄せでガタつきがあったとはいえ、電熱器を思うと203は天国だった
常磐線に入ると、営団車が電熱器に早変わり -
>>73
というか、そんなに苦情が出ていたの? -
品川区住まいなので、縁が薄かった。
鉄道ファンの新車特集で見たときは、国鉄離れしたなんてかっこいい電車だ!!と感動した。
ヘアライン加工のアルミの地肌にハァハァするフェチもあるのでw
後年2ちゃんを見るようになり、ボロクソなのが悲しかったが、出張の折初めて乗ってみてよく判った。
更に悲しくなったw -
アルミの地肌は年が経つに連れて黄ばみが目立って
見た目にもよくなかったね -
あの黄ばみ具合を見て、大気汚染の進度を推し量っていた。
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無関係とは言わないが、推し量れるほどの精度はなかったと思うよ
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なんの因果関係があるのだ
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満員の時には唸りも一際大きい
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当時は今ほど音に関して厳しくなかったのな
機械が作動するのだから轟音が出ても当然、みたいな -
20
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203系を製造していたのは、川崎重工、日本車輌、近畿車輌、東急車輌(現・総合車両横浜)の4社。
当時、201系や205系を製造していて、アルミ車両が得意にもかかわらず、日立製作所は作ってない。 -
>>81 快速線の103に比べれば静かで振動も少ないんでは?
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通学で長年お世話になった
思えば、騒音はひどいと思わなかったが、
ガラス窓の建て付けはよくなかった
私鉄と比べたら歴然 -
ヲタ的視点では顔がよくなかった
301等に比べると全体的に造作が上に偏り気味でバランスが悪い -
そういうアナタも、デビュー当初は格好良いとかなんとか言ってたんじゃないの?
103系があまりにも味気なかったから、さ -
地下線を走るから貫通式必須の制約はあるにしても
非対称であれば多少はスタイリッシュにできて可能性はある -
通勤車なのにスタイリッシュですかい?
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全体的に造作が上に偏り気味?
そんなの初めて聞いた -
現役時代からボディーが汚れてたという話は良く聞いたが
当時、汚れを未然に防ぐ方法はなかったのかな -
汚れ・・・・
新車の頃はエメラルドグリーンと渋いシルバーの輝きがいい具合に対照してたが
年を追うごとに色褪せてゆき、晩年はシルバーは薄い黄土色に変わり果てていた -
高価なアルミ車体を採用する動機の一つとして、塗装が要らないというものがある
薄茶けて見栄えが悪くなっても、
塗装にコストをかけてしまったらわざわざ高いアルミにした意味が薄れる
無論、防錆&軽量化の狙いもある -
80年代といえばアルミ車体でも塗装はふつうにあったでしょ
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同類アルミボディの営団6000と見比べたらその差は歴然
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同類とな?
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末期国鉄は何もかもがダメダメだったのよ
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