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鉄道懐かし
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東京・九州ブルートレイン★137レ
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2番取れました(^o^)/
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ミセスGAって
そもそも「ミセス」が気に入らねえってパヨクに噛みつかれてるよな。 -
食堂車が全廃して30年以上経ったので、栄光時代を知ってる奴も少なくなってるだろうな。
逆に食堂車営業が無くなって、東京〜九州で乗る気もしなくなったけど。 -
九州ブルートレインといえば20系のあさかぜ1号が良かったけど
食堂車を全区間連結していた24系24形のはやぶさ 富士も良かった -
>>5
24系25型化直後にRJで、富士の東京〜西鹿児島全区間取材では、大分以南の食堂車利用はほぼなかった。
その頃の国鉄は食堂車の新製をストップしてたのと、基本編成だけの区間の食堂車利用が芳しくなかったので、
博多あさかぜ25型化に伴って食堂車拠出のためオシ24を付属編成に移した。 -
>>7
九州ブルトレに限らず、新幹線や在来線昼行特急食堂車でもアンチがいたので、ある程度その考えがあっても仕方ない。
ただ長距離・長区間では気分転換も必要なので、食堂車の存在は気分転換にもなったので、
無くなると列車のクオリティも下がる。 -
食堂車アンチ?
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>>6
中古24系24形の「はやぶさ」や「富士」が食堂車のオシ24を基本編成に連結して
東京⇔西鹿児島間を走っていたのは1975年3月10日から1976年9月30日まで。
因みに24系24形は全車大ムコからの転属車だがオシ14改造のオシ24-100は
門ハイ転属と南シナ車も含まれる。
新製配置された24系25形の「はやぶさ」や「富士」が食堂車のオシ24を基本編成に
連結して東京⇔西鹿児島間を走っていたのは1976年10月1日から1978年1月21日まで。
しかし1978年1月22日から「はやぶさ」の食堂車オシ24は東京⇔熊本間の
付属編成へ移した(上りは翌日の1月23日から施行)
さらに1978年1月25日から「富士」の食堂車オシ24は東京⇔大分間の
付属編成は移した(上りは翌日の1月26日から施行)
これらは9列車と10列車の品川客車区・運用番号:南東144運用にオシ24を
捻出するものである。
よって貴殿の書き込みはミスである事が証明された訳であるが
あまり鉄道雑誌とかの記述情報は信用しない方がいいよ
当時の南鉄道管理局の局報(運転報)でさえ誤植があった程だからw -
岡田有希子の「二人のブルー・トレイン」を国鉄のCMソングに使ってほしかった
しかしリリースの半年後に自殺してしまったので使ったとしても短期間で使用中止に追い込まれてたはず -
防衛マニア、プラモデルオタク、筋金入りの鉄道愛…知人ら語る自民党新総裁石破茂氏の素顔 [178716317]
https://hayabusa9.5c...cgi/news/1727488133/ -
そうなのか?
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全てを疑え
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アメトーーク3時間SPでブルートレインの客車を見た
1982年頃に一度だけ乗ったB寝台個室が出て来て懐かしかった
飛行機が嫌いで会社の寮からの帰省で東京-熊本に乗った
東京に帰る時は同じ寮に帰る先輩のクルマに同乗させてもらった -
それはともかくアメトーークの鉄ちゃん特集はいつも中身が薄味で不満が残るわ
芸人の性(さが)か、面白おかしく語ろうとする気持ちが強すぎて、ただただ浅い。 -
東京駅10番が10/31から発メロ変更されたそうな。
「富士/はやぶさ」も遠くなりにけり -
ジリリベルしか認めない
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地方いくとブザー音のところもあったよな
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>>18
バラエティー番組でディープなヲタ知識を開陳されても視聴者には刺さらないのよっ -
ワケワカメで付いて行けないが笑える
というのはままある
話術込みだろうけど -
みずほに14系ハ座が1両連結されていたことがあったけどあれは何?
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二段化改造時のスハネフ代用じゃね?
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>>11
凄えな、運用番号まで知ってるのは当時の国鉄職員か? -
雑誌からの引用でないの?
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もちろんです
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東京発着の九州方面行きブルートレインといえば食堂車は外せない
1978年から1983年くらいの食堂車は名物料理もあって最高だった -
そうはいっても20系あさかぜデビューの1958年から富士ぶさ廃止の2009年までのうち
食堂車営業全廃が1993年に行われているので
九州ブルトレの歴史の実に1/3近くの期間が食堂車営業無しなのだな -
このスレ自体はブルトレ限定ではないから
九州特急という系統つまり旧客時代まで入れてやれ -
あーでもスレタイはブルトレなのか
過去スレは九州特急全般語ってよい場だったんよ -
しらんがな
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>>33
そもそもは富士ぶさスレだったんだけどな -
九州ブルトレの食堂車に沿線の名物料理が加わったのは
ゴーサントウ改正からだけど"はやぶさ"などにはそれ以前から
つけあげ(薩摩揚げ)や九州焼酎がメニューにあった -
そのへんは車内調理がないし積むだけだもんなあ
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その頃には食堂車は付属編成だったろうし・・・
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97年から99年にかけては東京発の富士とはやぶさの最後尾がオハネフ25の0番台になるケースが度々あったり
さくらに14系15形が佐世保編成含めて本格的に連結されるようになって
オロネ14とオシ14と14系15形が本格的に混結される珍しい時期なのでは -
はやぶさや富士の食堂車が基本編成にあって西鹿児島まで
運転されていた時期って門司駅で食堂車スタッフは交代してた? -
明日で、ブルートレインの始まり列車だったあさかぜが全廃になってからちょうど20年
さくらもついでに消えたが、併結化されたはやぶさ・富士はよくそれから4年も残ったな
既にあさかぜ・さくら廃止でほぼ九州ブルートレインの役目は終わっていただろ
利用している層は国鉄ヲタや、時間余裕が無限にあるジジババくらいで -
インバウンドは?
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ないね
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のぞみが安定運転され始めた時点で、博多あさかぜ以外の九州ブルトレは全廃されて問題なかった
門司4番乗り場を直流専用にして、下関でEF65を後ろに付け、PPで運転
対面の3番乗り場に九州各地行き特急を付けるとよい(上りは門司港折り返し3番乗り場付) -
東京発着九州ブルートレインが華やかだったのは
1980年くらいまでだった。あさかぜに限定して言えば
下り2号が最終となる1975年3月9日まで -
はいはい
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昨日夕方の夕陽の光の色を見て、昭和48年か49年にはやぶさで鹿児島に帰る婆さんを東京駅まで送って行った時の光が確かにこの色だと思った。列車がホームの西側、丸の内側に止まっていたから9番線か12番線。西陽の逆光に20系の丸い屋根の縁が彩られる。折戸の足元のステップ灯。幼児の俺には雰囲気が荘厳過ぎて、また電源車からはエンジンの爆音が轟き、婆さんなんと恐ろしい乗り物に乗るんだと思った。
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荒唐無稽だが、心気症、神経症傾向のあった幼児の俺にはしんだいしゃ響きが死んだ車に聞こえて一層恐ろしい。そうビビるオレにはお構いなく、婆さんは52センチ寝台の下段に和服の小さな体でちょこなんと女の子座りして満面の笑みだった。元々乗り物好きらしかったのもあり、またかつて満州大陸を東西南北動きまわってた頃からすると快適な客車が嬉しかったのか、また嫁と孫が送りに来たのが嬉しかったのか、息子家で気を使う生活から気楽な暮しへの開放感からか、そのいずれか少しづつだったろう。
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電源車が放つ爆音は子供心に恐ろしかった
昔は発車の際にホイッスルを鳴らしたので余計に怖かった -
一時期
1レ 富士 3レ さくら 5レ はやぶさ 7レ あさかぜ 9レ 出雲 の時代があった -
だいぶん末期だな
出雲下りが1桁番を取るのは、1往復サンライズ化後の1998年から -
売店営業時代のメニューをそのまま鉄道博物館のレストランで発売したらどうだろうか
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1レ さくら 3レ みずほ 5レ はやぶさ 7レ 富士 9レ あさかぜ1号
11レ あさかぜ2号 13レ あさかぜ3号 2002レ 出雲 2003レ いなば/紀伊 -
24系と14系の編成同士の併結は75年か78年の時点で始めていてもよかったのでは
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良かったも何もやる理由ないじゃん
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>>56
併合列車でも24系+14系の組み合わせだと24系担当列車なら荷物輸送ができるメリットがある -
荷物輸送はやろうと思えば14系でも可能じゃん
寝台一区画荷物用にすればいいだけ -
ブルトレなんて一杯あったから
相方を14系にして荷物は他の24系運行列車で運ぶだけでしたからねえ -
あと
24系のみの編成の列車1本と14系のみの編成の列車1本に必要なカニは1両、スハネフが2両だろ
これを24系と14系併結列車2本にするとスハネフは2両で変わらんけどカニは2両必要になるんだぜ -
>>59
加えて荷物列車もいっぱいあったから積み変えりゃいいだけの話なんだよね -
スハネフ14に荷物室がついた合造車になった場合
スハネニフかマハネニフになるんだろうが、なんか変w -
オハネフ25 300なんてのもあったわけで
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14系寝台車製造開始当時って最終的には20系をすべて置き換える想定だった訳だろ?
荷物どうする気だったのかは気になるところではある -
北星のワサフ抜車の経緯があったり24系電源車も当初は輸送を考慮しないマヤだったりしたわけで
ブルトレ輸送は解消していく見込みだったんでしょ -
>>66
3トンだからカニ24基本番台と変わらんようだ -
形式変更すると役所の手続きが面倒臭いとか
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14系併結「護送郵便」車はすでにある→スユ15
昭和40年後期において、寝台特急での荷物運送は牽引定数と定員確保=14系化の関係で廃止にすることが決められていたけど、北陸トンネル事故で実質転換 -
事故がそんな影響を与えるとはね
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新聞輸送は時間勝負だからブルトレでの輸送廃止は無理じゃねえの?
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荷物輸送で最後に残ったのが新聞だよな
千葉のクモニとか
普通車の一部をカーテンで仕切るのは今も残ってるんだっけ?
下手すると夕刊自体がないか -
夜行急行・寝台急行が格上げになった寝台特急には「北星」のように朝刊輸送をしていたものもあるが、北星の朝刊輸送は8か月ちょっとで終了
東京九州ブルトレで運んでいた新聞というのは業界紙で、これは門司ないし博多にて降ろしていたこともあり、集約して博多発着あさかぜへ110km/h対応荷物車1両連結での置換が予定されていた -
列車ボーイの人達って乗客案内車掌として国鉄末期まで乗ってたんだな。ただし、お年寄りの荷物位は持ってくれたかも知れないが、駅弁買ってくれたり寝台のセットとかはなかった。
昭和51年の時点で40歳50歳で、昭和30年代20系時代から長年寝台車に乗務していて経験充分な人は引き続き昭和62年のJR化まで乗務していた、ということだな。 -
古い映画を観ると
「おい車掌、弁当買ってこい!」
なんていう乗客がいてびっくりする
盛ってはいそうだがいるにはいたんだろうな -
列車ボーイは1973年職制改正で車掌補に
改称されたが1976年10月職制改正で廃止 -
必ずしもスレタイ範囲(九州特急)でなくなるかもだが
朝にわざわざ作業員が乗ってきて座席化してた最後は
どこの寝台列車だろうか?定期も臨時も全て含めて。
ひょっとして特急でもなく急行のヒルネとか?
俺が実体験したのは88年の臨時あさかぜ20系
個人的な最後は翌89年のさくら14系 -
さくらのB寝台解体等は2段化で終ったけど
開放A寝台のみはその後続いた -
構造的に無理
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>>79
78で述べたさくら(88年)はプルマンロネです -
89年でした訂正
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さくら「下関→長崎」とみずほ「小野田→熊本」は
グリーン券で乗れたので1995年でもオロネ14の
ベッドは解体して座席にしていたよ -
どうやって?!
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14系さくらの編成面での黄金期は長崎編成と佐世保編成両方にオロネなどが連結されたころで
14系あかつきの編成面での黄金期は長崎編成にシングルデラックスとシングルツインとツイン、佐世保編成にソロが連結された時期のはず -
さくぶさか
カッコいい造語ね -
自分の知らないことはなんでも造語かよ
終わってんな -
14系さくらの編成面での黄金期はカルテットと
営業してるオシ14を連結してた時代じゃないかな
4人でカルテットに乗って夕飯は食堂車でちゃんぽん -
さくらの食堂車といえば長崎ちゃんぽん、長崎皿うどんに
卓袱定食などの郷土料理が1978〜1983年に提供された -
だから何?
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>>95
誰に言ってんだよw -
わけわからん
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>>90は何にキレてんだ?
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ヲタクが作った単語も造語の一種だよ
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違うだろバカ
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