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文学
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ガストン・バシュラール
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四大元素シリーズの中で『空と夢』が人生の一冊というくらい大好きなのですが、
そろそろ新訳が出ないかなぁ… -
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に奥野健男の書斎を再現したコーナーがあったが、バシュラールの邦訳ほとんどが揃っていたな
原書もあったような気がするが、それは木の精だろうなあ -
意味がよくわかりません。
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べつに特に好きでもないのだが、バシュラールは
せりか書房から出た「火の精神分析」などを中心に主に1960年代後半から
1970年代前半にかけて日本で翻訳され、流行した形跡があるな。
そのあとで、ふっつりと話題に上らなくなったのだが。
バシュラール自身、とくに「現代的な」思索家とも言えないだろうし、
あのブームは一体なんだったのだろう・・・ -
『夢見る権利』復刊して!
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俺も「空と夢」にははまったなあ。美しい書物ですよ一連の詩学ものは
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いつじあけみという人が書いたファンタジー論みたいなのを読んで興味を持った
手に入りやすいものでどれがおすすめですか? -
間違えた、>>8さんです、ごめん
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今でも詩論や芸術論では結構引用される機会は多い気がする
あと好きな作家や音楽家、日常で接する人や自分の感性は何タイプ(地水火風)だろう?って考えてると結構面白い -
『不死鳥の詩学』(フェニックスの詩学)、読みたかったな
こんなかっこいい題名の本もあまり存在しないよね -
へえ、いまだにバシュラールを参照する研究者っているんですか。
こんなの、過去の遺物以外の何物でもないでしょう。
この手のテーマ批評って、ジャン=ピエール・リシャールとともに
60年代で終わっているのかと思いました。 -
バシュラールを通じてアンリ・ボスコにもはまった人いる?
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>>14
テーマ批評は終わってるかも知れないけど、バシュラールの仕事は古典として残ってると思うよ -
バシュラールを知らずしてフランス現代思想は語れないだろうしな。
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『蝋燭の焔』が捧げられた作家だっけ
自分も好きだけど半分も翻訳出てないよな、特に近年は全く出なくなった…
『イヤサント』『イヤサントの庭』の連作も傑作らしい -
俺は最初に読んだのはちくま学芸文庫の『夢見る権利』でした。
まだ高校生で正直よくわからなかったけど、独特の優しい感じが好きになった。
詩学ものも良いけど、今は『瞬間の直観』が一番好きです。 -
現代的な思想家じゃないからこそ、バシュラールに凄く魅力を感じるのは俺だけじゃないだろ
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おさかべセンセが 教授になれてて安心した
Fランク大だけど -
ああ、ボスコのヒヤシンスか
なつかしいな、愛読してた時期があったなあ -
生徒を親の職業や社会的地位で差別していた
元大阪府立高校国語教師・村井正三は
もう地獄へ落ちただろう -
ー┼一 、 , ヽ ┼ 1 |
, ―┼ 、ヽ ー―一 ー┼┐\″ヽ 工 | ー┼―
ヽ/ ノ 月 l | ノ 、| 、/ 貝 し / ⌒
ヽ
ー―7 1 /Τヽ 圭 ノ ー┼一 \/ ー|⌒,
人 | , | / | 目 イ 土 /´l/ / /| (
/ ヽ レ ヽ/ / 八 ∠'_ (__ | ヽ
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| (●λ◆||| (・) (・)|・・・なんでわしが・・・。
◆ , ’|´゚ ----U-◯⌒つ|
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怖い
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科学哲学の発想のなかで、私自身、最も親近感があるのは、バシュラールとかカヴァイエスという、フランス系エピステモロジーの人たちです。
バシュラールの言い方では、通常、科学哲学において(新科学哲学とかそれから後の科学社会論になると特に)、
科学者が研究室を出たときに、何を考えているのか。普通の人に戻ったときに、何を考えているのか。
そこに哲学的な問いがあるということをよく言います。
だから自分の個別の狭い研究室のなかではなく、そこを出たときに科学をどう理解しているか、ということをカンギレムは考えたわけね。
研究室の中にいると科学者は歯車であると。
ところがバシュラールはそうじゃない。研究室に入ったときに何をしているか。
研究室の外じゃなくて研究室に入ったときに科学者が何をしているか。バシュラールが問うのはこっちなんです。
一方で、クワインの概念枠は、そんな研究室の内と外の区別なんて何も考えていない。
われわれが見ているものの全体としての理解という、非常に大きい枠で考えるわけです。
ですから、「組織化する概念」というのは、これはこれで正しいんだけど、
じゃあ具体的に、その実態はなにもんじゃいと言ったならば、この言葉以上に言いようがないわけですね。
クワインの概念枠は、前にお話したシステム論における、システムという概念の一番大雑把なところとほとんど変わらないわけです。
具体的にそのシステムをどのレベルでどう接しているか、どこを重要なタイプとして考えるか、と考えたのが、
例えばクーンのパラダイム論、エピステモロジーの人たちが考えたことです。
http://www47.atwiki....iotani/pages/94.html -
2016年04月25日
相対論と哲学者たち
「光の速度よりも速く動けるものはない」「光の速度に近い速さで動くものは、時間が遅く流れる」
「重いものの周りでは、空間が歪む」「重さとエネルギーは同じ」などなど
アインシュタインの相対性理論には、日常生活を支えている素朴な直観を真っ向から否定する逆説的な結論をたくさん含んでいるように見えました。
また、時間や空間などの哲学上も大事な概念に根本的な見直しを迫る内容を含んでいました。
ですから、哲学者からも敏感な反応がいくつも見られます。
1920年代には、カッシーラー『アインシュタインの相対性理論』、ベルクソン『持続と同時性』、ホワイトヘッド『相対性原理』、
ラッセル『相対性理論の哲学』、メイエルソン『相対論的演繹』などが相次いで発表されます。
日本でも、田辺元『最近の自然科学』(1915)、戸坂潤『科学方法論』(1929)、下村寅太郎『自然哲学』(1939)などの中で、
相対性理論に関する検討がなされています。
バシュラールの『相対性理論の帰納的価値』(1929)も、こうした思想的文脈の中で生まれ、カッシラーなどへのはっきりとした言及がみられます。
http://bachelard.blo...rchives/5760204.html -
ちょっと引用させて頂きますと、この頃大学院でも非常にはやっておりますが、
パシュラールだとか、ボルノーだとかが、いろんないいことをいっております。
たとえば、バシュラールの言葉の中で、『家は勇敢にたたかっていた。それは初めのうちはなげいていた。
このうえなく恐ろしい突風が、四方からいちどきにおそってきた。しかし家は頑強に抵抗した。
すでに人間的存在となっていたその存在は、いささかも嵐に屈服しなかった。
家は、まるで狼のように、わたしをつつむように身をちぢめた。
そして、時おりその匂いが母親の匂いのようにわたくしのこころのなかにまで、しみこんでくるのを感じた。
この夜、それはほんとうにわたしの母であった』なんて、こういう感じからいいますと、
外が嵐で寒かったりすると、家の中が暖かいという感じ。
それに対しては、相当頑固なしっかりとした壁の存在というものがなければ、とうてい考えられないものであります。
芦原義信 東大最終講義 -
豊田 彰(1936年9月8日 - )は、日本の物理学者、翻訳家、茨城大学名誉教授。
愛知県生まれ。1964年名古屋大学大学院理学研究科物理学博士課程修了、「弱い相互作用におけるボゾン極近似と中間ボゾンについて」で理学博士。
茨城大学教養部講師、助教授、教授。2000年定年退官、名誉教授。
1993年『青春 ジュール・ヴェルヌ論』で日本翻訳出版文化賞受賞。ミシェル・セールの著作を数多く翻訳した。
A.オスボーン『創造力を生かす』創元社 1969
ガストン・バシュラール『原子と直観』国文社 1977
ガストン・バシュラール『近似的認識試論』及川馥・片山洋之介共訳 国文社 1982
ミッシェル・セール『コミュニケーション ヘルメス?』青木研二共訳 法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1985
ミッシェル・セール『干渉 ヘルメス?』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス、1987
ミッシェル・セール『分布 ヘルメス4』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス、1990
ミッシェル・セール『翻訳 ヘルメス3』輪田裕共訳 法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1990
ミッシェル・セール『青春 ジュール・ヴェルヌ論』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1993
ミッシェル・セール『ルクレティウスのテキストにおける物理学の誕生 河川と乱流』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1996
スブラマニアン・チャンドラセカール『真理と美 科学における美意識と動機』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1998
ミッシェル・セール『幾何学の起源 定礎の書』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 2003
タムシン・バートン『古代占星術 その歴史と社会的機能』法政大学出版局 2004
ミッシェル・セール『白熱するもの 宇宙の中の人間』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 2007
フレッド・ジェローム,ロジャー・テイラー『アインシュタインとロブソン 人種差別に抗して』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 2008
ロジャー・ニュートン『ガリレオの振り子 時間のリズムから物質の生成へ』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 2010 -
バシュラール
「人はまず夢見たものだけを研究することができるのである。科学は実験に基づいてというよりも、むしろ夢想に基づいて形成されるのだ」 -
宇宙においてはすべてがエコーである。
もし鳥たちが、夢想的ないく人かの言語学者の意向通りに、人間に霊感を与えた発声主体であるとすれば、
彼ら自身が自然の音声を模倣したのだ。ブルゴーニュとブレス地方の音に長い間聞き入ったキネは、
「水鳥の鼻声のなかに岸辺の波音や、水の喘ぎのなかに蛙の鳴声や、鶯[の鳴き声]のなかに芦の音や、
フリゲート艦の[帆音]のなかに嵐の叫び」を見出している。
廃墟における地下室の反復するエコーを思わせる、あの振動して戦慄する声を、どこで夜の鳥は獲得したのだろうか?
・・・・・・このように根元的な共感で聞かれた声が、どうして預言的音声でないことがあろうか?
物にその神託的価値を返すために、近くあるいは遠くからきかなければならないのか?
物がわれわれを催眠術にかけるのか、あるいは物を静観しなければならないのか?
想像的なものの二つの大きい動きは、物体の近くで誕生する。
すなわち、自然のあらゆる個体は巨人や侏儒を産み、波の音は空の広大さやあるいは貝殻の空洞を充たすのだ。
これは活動する想像力が生きなければならぬ二つの動きなのだ。それは近づく声あるいは遠ざかる声を意味するのにほかならない。
物に聞き入る者は、それらがあまりにも強くまた静かに話そうとすることをよく知っている。急いで聞かなければならない。
すでに滝は砕け落ち、あるいは小川がつぶやいている。想像力は擬音係であり、音を拡げるかあるいは鈍くしなければならない。
ひとたび想像力が力動的な万物照応の主人となれば、イマージュは真に話すのだ。
『水と夢』 -
シジフォスのこの責苦とは、少々長すぎるフットボールの試合なのである。
どんなスポーツだって、ペシミストの目から見れば不条理の比喩に使われることだろう。
・・・翌日になればだれの上にもまた日は昇るのだ。ひとびとは生きることを、仕事をまた開始する。
力動的想像力の秩序の下にあっては、始め良ければすべて良しなのである
『大地と意志の夢想』 -
金森 修(1954年8月4日 - 2016年5月26日)
1980年代から1990年代前半にかけてエピステモロジー(フランス系の科学思想史)を主に研究し、バシュラール、カンギレムなどの導入を行った。
『フランス科学認識論の系譜 ―― カンギレム、ダゴニェ、フーコー』(勁草書房 1994年)
『バシュラール ―― 科学と詩』(講談社 1996年)
『サイエンス・ウォーズ』(東京大学出版会 2000年: 新装版 2014年:新しいあとがき付き)
『負の生命論 ―― 認識という名の罪』(勁草書房 2003年)
『ベルクソン ―― 人は過去の奴隷なのだろうか』(日本放送出版協会 2003年)
『自然主義の臨界』(勁草書房 2004年)
『科学的思考の考古学』(人文書院 2004年)
『遺伝子改造』(勁草書房 2005年)
『病魔という悪の物語 ―― チフスのメアリー』(ちくまプリマー新書 2006年)
『〈生政治〉の哲学』(ミネルヴァ書房 2010年)
『ゴーレムの生命論』(平凡社新書 2010年)
『動物に魂はあるのか』(中公新書 2012年)
『科学の危機』(集英社新書 2015年)
『知識の政治学』(せりか書房 2015年)
『科学思想史の哲学』(岩波書店 2015年)
編著
『エピステモロジーの現在』(慶應義塾大学出版会 2008年)
『科学思想史』(勁草書房 2010年)
『昭和前期の科学思想史』(勁草書房 2011年)
『合理性の考古学 ―― フランスの科学思想史』(東京大学出版会 2012年)
『エピステモロジー ―― 20世紀のフランス科学思想史』(慶應義塾大学出版会 2013年)
共著
(井山弘幸)『現代科学論 ―― 科学をとらえ直そう』(新曜社 2000年)
(池田清彦)『遺伝子改造社会 ―― あなたはどうする』(洋泉社[新書y] 2001年)
共編著
(中島秀人)『科学論の現在』(勁草書房 2002年)
(近藤和敬・森元斎)『VOL 05 特集:エピステモロジー』(以文社 2011年)
(粟屋剛)『生命倫理のフロンティア』(シリーズ生命倫理学第20巻)(丸善出版 2013年) -
サイエンスとかアートとか政治を縦横無尽につなぎながら論じる、フランスの哲学者のミッシェル・セールという人の文献に惹かれ、
彼を理解するためにその師匠のガストン・バシュラールを読むことにしました。
ガストン・バシュラールは20世紀前半から中頃にかけてフランスで活躍した科学史・科学哲学者なんですが、
彼の文献を読んで修士論文を書いたのが科学論に足を踏み入れた最初の一歩です。
ガストン・バシュラールはすごくリアリスティックな科学像を示しました。
英米の科学哲学の議論に登場する「科学」は、いわばバラバラに解剖して標本台に載せたようなリアリティのないものが多いのですが、
バシュラールはもっとリアルに、実際の科学の現場に即していました。
しかしながら、科学に対して非常にリアリスティックなアプローチをする一方で、
科学と社会の関係ということになると、ほとんど議論がなく、
たとえば彼が第二次世界大戦後に原爆について書いたものはたったの1行しかないんです。
http://scienceportal...iew/20150203_03.html -
/ ̄ ̄ ̄ ̄ \
| (゜) (。).|
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及川馥も忘れてはいけないな。トドロフも訳している
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越坂部を忘れないでください
ってググってたら 竹内信夫もヤクしてんだね -
金森 修 ともうします
1954年札幌生まれ、東京大学比較文化比較文化卒ですが、バシュラールを中心としたフランス系エピステモロジーを追いかける内、
実質的には科学史・科学哲学と合体する仕事を行うようになっていきました
70年代後半と80年代前半というように、私の人生でいえば20代の約半分をフランスで過ごしました
でも、正直、フランス人はとくに好きというわけではありません
フランス科学認識論関係の仕事は『フランス科学認識論の系譜』(勁草書房、1994)と、『バシュラール』(講談社、1996)となっています
その後、筑波大学から東京水産大学に職場を変えた頃から急速に、STSないしは現代科学論一般に接近するようになり、
とくに仕事の領域をフランス語圏に限る意味を見いだせなくなりました。ですから、現在ではフランスとの距離は遠のきつつあります
ただそうはいっても 自分の first foreign language がフランス語であることには変わりなく、
またいろいろな兼ね合いで知り合いも多いので、1年に一回くらいはフランスに行くことがここ数年続いています
初めまして。酒井泰斗ともうします。
Cocode のメールマガジンで紹介されていたのをみて入会しましたがかなり専門性が高そうなので、若干ビビっております。
#ただ、サイトのほうでメンバーの方の紹介を拝見したところ
#顔見知りのかたもいらっしゃったので、少し安心しました(^_^)。
大学では物理学[物性物理学]を専攻していました。いまは、音楽をつくったりサイトデザインをやったりして、やくざに暮らしています。
「フランス科学史」にかろうじて関係しそうなのは、
学部生のころ、バシュラール、カンギレームといった、フランス科学認識論の文献を──邦訳でですが──よく読んだ、ということくらいですが。。。。
#大学の物理学の講義の進展にあわせて、バシュラールの著作を
#読んでいくというのは、とても楽しい体験でした。
#──もう全部忘れましたが(^_^)。
##マックスウェル方程式すら覚えてない(^_^;)
http://www.geocities...f/sjhsfmembers2.html -
nabeso
そういえばカナモン追悼の意味を込めて、金森修『科学思想史の哲学』とカンギレム『科学史・科学哲学研究』を借りてきた。
カンギレムとバシュラールが大事なのはわかるんだけど、
なんでエピステモロジーの話にエルンスト・マッハとエスアルフレッド・エスピナスが出てこないのかスゲー不思議。
2016年5月28日 -
さて本書、表層はA航空会社の技術者が発明したらしい画期的な新技術を、B航空会社が奪い取ろうと画策する話なんですが、
その新技術の発明者は、実に滞仏中にガストン・バシュラールの思想に共鳴した人物だったんですねえ(^^ゞ
ということで、藤田宜永『探偵・的矢健太郎 堕ちたイカロス』(集英社文庫、89)読了。
http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs/7049 -
二〇世紀の初頭においてすでにいま述べたような自然科学と人文科学の分割線が引かれ始めたのだが、
この点にかんしていまから懐古的に考えれば、エピステモロジー(フランスの科学認識論)はこの分割線
そのものを問いにふそうとする問題意識を出発点としていたと解釈することができるかもしれない。こ
こで言うエピステモロジーとは、おもに、レオン・ブランシュヴィックの科学史の哲学の影響を受けた
フランスの科学哲学のあるスタイルを指している。たとえば、戦前にはブランシュヴィックのほかにガ
ストン・バシュラール、フレデリック・ゴンセト、ジャン・カヴァイエス、アルベール・ロトマンなど
が、また戦後にはジョルジュ・カンギレム、ルイ・アルセチュール、ジャン=トゥサン・ドゥサンティ、
ジル=ガストン・グランジェ、フーコー、ジュール・ヴュイユマンなどがそのような立場に含まれるこ
とが知られている。このエピステモロジーは、二〇世紀初頭から中葉にかけてヨーロッパ地域において
一定の影響力をもった科学哲学として、とくにアメリカとイギリスからの分析科学哲学と科学社会学系
および科学技術論系の議論が導入されるまで、支配的なスタイルであり続けた。
近藤和敬『数学的経験の哲学』 -
ちくま学芸文庫の「夢見る権利」、復刊しないかな
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カンギレムbot
https://twitter.com/Canguilhem_bot -
大津薫
科学(とりわけ生物学)に敬意を払っている哲学者や思想家でないと、ちょっと受け入れがたいなって気持ちはある。
ただバシュラールだけは、彼の著作を読んでいて理解が追いつかないほど難しいんだけどまったく嫌な気持ちにはならない、
なんとも不思議な体験だなって(ベルクソンはムカついた)。
バシュラールやヴェイユは誠実なんだよ、と。見栄や意地というものがない。純粋な世界の探求者なんだ。
その態度は科学者にも通底している。いささか神秘主義が過ぎるかもしれないが、それは知識人が絶対に身につけない感性なんだ。
ジョージ・プライスの伝記を読んでいるけど、彼の来歴も興味深い。
2017年1月28日 -
Q(吉井英勝):冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
Q吉井英勝):原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない -
Nepenthe@発達凸凹
戦後日本の想像力を考える場合、まず、サルトル、次にバシュラールの受容が鍵になるはず。
2017年3月29日 -
バシュラール好きだぜ!
特に火の詩学が好き
未完だけど、素晴らしい -
南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 -
レオン・ブランシュヴィック(Leon Brunschvicg, 1869年11月10日 -1944年2月2日)は、ユダヤ系のフランスの合理主義的な数理哲学者。
ジャンケレヴィッチの師であり、バシュラール、カヴァイエス、 メルロ・ポンティ、カンギレムなどに強い影響力を持つ。 -
「健康」論(カンギレム)
「中動態」(國分功一郎)
「単一性への抵抗」(クラストル)
「準客体」(セール)
科学認識のパターン論(バシュラール)
物質論(ハッキング)
ダナ・ハラウェイの一連の著作
「生権力」(フーコー)
「プロセスとしてのフランス革命」(フュレ)
「数学の社会学的考察」(ブルア) -
VOL 05「特集=エピステモロジー--知の未来のために」
VOL Collective:編 金森修・近藤和敬・森元斎:責任編集
以文社 2011年6月 本体2,400円 A5判並製280頁 ISBN978-4-7531-0289-1
ガストン・バシュラール(森 元斎訳、解題)「相対論概念の哲学的弁証論」 -
人形論
金森 修 (著)
出版社: 平凡社 (2018/5/25)
祓除の土偶や天児から、ゴシックドール、さらにはラヴドールやロボットまで、
広汎な人形ワールドを認識論的に捉える亜人論。遺作 -
地水火風age
-
い
-
事実の平面ではなくて、夢想の平面においてはじめて
幼年時代はわれわれのなかでいき、詩的に有益となる。
この永遠の幼年時代によって、われわれは過去の詩を保存するのである -
機関精神史
フランス百科全書からプリニウス博物誌へと遡る「クリスタル」の定義。
ヘーゲル、バシュラールの結晶哲学。
ベローからマラルメを経てポンジュやカルヴィーノに至る結晶文学。
カントからブルトンに至る結晶美学。
スタンダールやラスキンが結晶に見た徳。ヘッケルの結晶生命論。
2019年11月14日
『現代詩はおもしろい。ん?』
by 大家 正志
47)色彩について
ガストン・バシュラールを持ち出すまでもなく、たとえば「水」には、精神的領域と物質的領域がある。
フランシス・ポンジュを持ち出すまでもなく、たとえば「樹木」にも精神的領域と物質的領域がある。 -
ORICON 2024-04-02
前田佳織里、実家のお宝「仏頭」本物で驚き 『なんでも鑑定
団』本人評価額100万円を大幅に超える
人気コンテンツ『ウマ娘』ナイスネイチャ役で知られる声優の前田佳織里が、4
月2日放送のテレビ東京系バラエティー番組『なんでも鑑定団』3時間半SPに出演
した。
猫の泉
前田佳織里さんの祖父情報が追加された。
・元大学教授
・2022年時点で90歳ぐらい
・30歳ごろにフルブライトでアメリカに留学
・身長180cmぐらい
・ラグビーをやっていた
・2022年亡くなった
・留学先はハーバード大
・5人兄弟の長男
・早くに(戦時中)父を亡くす
・昔、アフガニスタンで仏頭を入手
2024年4月4日
前田耕作(1933年2月1日 - 2022年10月11日)は、日本の西南アジア
文化研究者。アフガニスタン文化研究所所長・和光大学名誉教授。
訳書
ガストン・バシュラール『火の精神分析』せりか書房、1969年、新版1974年、改訳版1999年
ミルチャ・エリアーデ『イメージとシンボル』せりか書房、1971年、「著作集4」1974年、新版1994年
ミルチャ・エリアーデ『宗教の歴史と意味』「著作集8」せりか書房、1973年
『レンブラント 夜警 アムステルダム国立美術館』ホルスト・K.ヘルソン解説、美術出版社「巨匠の名画」、1975年
バンヴェニスト、ゲラルド・ニョリ『ゾロアスター教論考』(監訳)平凡社東洋文庫、1996年、ワイド版2009年
『デュメジル・コレクション』 丸山静共編(監訳・解説)、ちくま学芸文庫(全4巻)、2001年
ヴィレム・フォーヘルサング『アフガニスタンの歴史と文化』(山内和也共監訳)明石書店、2005年
ジャック・ル・ゴフ『子どもたちに語るヨーロッパ、子どもたちに語る中世』(監訳、川崎万里訳)ちくま学芸文庫、2009年 -
age
-
山内志朗
バシュラールの『瞬間と持続』を再読しているのだが、今の気分にはどん
ぴしゃで「沼」状態。「時間とは、瞬間の中に閉じ込められ、二つの虚無
の間に吊るされた現実である」。「時間は孤独な瞬間として、孤独な意識
として提示される」。「亡き人々が結ばれあうのは、生ける人々の唇の上
である」など。
2024年5月9日
πνεῦμα
マッハ(1838-1936)→論理実証主義
バシュラール(1884-1962)→科学論
ポパー→(1902-1994)反証主義
ガンギレム(1904-1995)→生物学的エピステモロジー
クワイン(1908-2000)→メタ哲学
クーン(1922-1996)→パラダイム
フーコー(1926-1984)
ローティ(1931-2007)→ネオ・プラグマティズム
2024年5月19日
ukiyojingu@『fraction』(新編集版) 6/1 公開
ガストン・バシュラール『空間の詩学』(1957年発表)
エドワード・ホール『かくれた次元』(1966年発表)
エドワード・レルフ『空間の現象学』(1976年発表)
イー・フー・トゥアン『空間の経験』(1977年発表)
アブラハム・モル+エリザベト・ロメル『空間の心理学』(1978年発表)
古典はこんな感じかな。
2024年5月26日 -
・ ロマーノフ 1884年
・ A・フィールディング 1884年
・ アーサー・ランサム 1884年1月18日 【イギリス】
・ アレクサンドル・アルヌー 1884年2月27日 【フランス】
・ 石橋湛山 1884年9月25日 【日本】
ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884年6月27日 - 1962年10月16日) -
あの『蝋燭の焔』って作家、翻訳出てないよね。
私も大好きなんだけど、最近全然出てないみたいで…
『イヤサント』と『イヤサントの庭』の連作も傑作らしいんだけど… -
國枝孝弘
大学院時代の清水茂先生のバシュラール『夢想の詩学』の原典講読。人数
も少ないので先生の研究室で、時間も気にせず、一語一語をじっくり読み
込む。先生が「このぐらいにしましょうか」と言うと、一人が水を汲み
に、一人が棚から紅茶を出し、お茶を飲みおしゃべりしながら過ごす。理
想の授業だった。
2024年6月30日 -
科学哲学において、私自身、最も親近感を感じるのは、バシュラールやカヴァイエスといったフランス系の科学認識論者たちです。
バシュラールは、科学哲学において(特に新科学哲学やその後の科学社会論において)、科学者が研究室を離れた際に何を考え、一般の人に戻った際に何を考えるのか、という点に哲学的な問いを見出していました。カンギレムも同様に、個々の狭い研究室の中ではなく、研究室の外に出て科学をどのように理解しているのかを考察しました。研究室の中では科学者は歯車に過ぎない、と捉えたのです。
しかし、バシュラールの問いは異なります。彼は、研究室に入った際に科学者が何をしているのか、つまり研究室の中での科学者の営みを問うのです。
一方、クワインの概念枠は、研究室の内外といった区別を考慮しません。彼は、私たちが見ているものの全体としての理解という、非常に大きな枠組みで思考します。そのため、「組織化する概念」という概念は正しいと言えるものの、その具体的な実態を問われれば、これ以上の説明は難しいのです。
クワインの概念枠は、以前お話したシステム論における「システム」という概念の最も大まかな部分とほぼ同じです。具体的にそのシステムをどのレベルでどのように捉え、どこを重要な要素と考えるのか、という点が、例えばクーンのパラダイム論や、科学認識論者たちが考察した問題なのです。 -
GQ Japan
蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る【前編】──“愚かにも半世紀近い時間
をかけて、あまり緻密ではない老人がなんとか辿り着きました”
By 入江哲朗
2022年8月1日
蓮實:「主題」というものがどこから来たかというと、ガストン・バシュラールからです。たとえば彼の『水
と夢』(1942)という試論は、「水」という主題を扱っています。そして、バシュラールがテマティック(主題
論的)な批評の大本にいるとすれば、それを精緻化したのがジャン゠ピエール・リシャールだというの
が、わたくしの見たてです。
リシャールは、主題が孕んでいる、ほかのものに対する漠たる色気のようなものを掬い上げました。さき
ほどあなたがおっしゃった「フリンジ」とも近い、ほかのものへと伸びる触手のようなものです。わたくし
は、そうした触手のようなものを持つ意義深い細部にことのほか惹かれるのであり、触手を持たないひ
とつのイメージには、それがどれほど見事な構図におさまっていようと、興味がありません。たとえば、
ジョン・フォードのある作品における「投げる」という身振りが、フォードのほかの作品における「投げ
る」ことへと触手を伸ばしている。さらに、今度は白いエプロンがほかのものへと触手を伸ばしている。
このように触手に導かれながら、いましがた申し上げた「魂による繫がり」をわたくしは見ているという
ことです。
──主題に注意を向けることで見えてくる繫がりを、蓮實さんは「主題論的な統一」とも呼んでいらっ
しゃいます。『ショットとは何か』によると、蓮實さんは早くも中学生のころに、ジョン・フォードの『わが谷
は緑なりき』(1941)と『リオ・グランデの砦』(1950)に共通する演出、すなわち男がマッチでランプに火
を灯すと闇のなかからモーリン・オハラが現れるという演出から、主題論的な統一を読みとったのです
よね。
──『ショットとは何か』で取り上げられている1950年代の映画作家たち、ニコラス・レイやドン・シー
ゲルなどに関しては話が少し変わってきますか。
蓮實:若干違うと思います。ニコラス・レイの場合は、上とか下とか斜めとかへの空間的な拡がりにもっ
と目をこらす必要がありますね。 -
近藤和敬
にある筋、すなわちカヴァイエス、バシュラールの手前にあるあの19世紀
実証主義の暗がりが問題になる、というのが、私の見通し。まあ、当たる
も八卦当たらぬも八卦。しかし、いずれにせよ、ここでいった問題は、フ
ランス現代哲学の主問題なので、いつか大々的に展開してみたい。
2024年2月26日
aweshin_bot
もう一つの由来があるとすれば、バシュラールの「源イメージ論」です。
水を見ていて、重い水とか、眠った水というような表現をするのですが、
これは触覚的体験を遠近法にかけるようなイメージの仕方を使っていま
す。
2024年8月14日
Indigo 🐱😷
バシュラールを読んでいます…
橋爪恵子さんの論文をいくつかダウンロードしたので、これを軸にしつ
つ…
🐈
2024年8月16日 -
キンブルの選択
「未知」に対応するものは無知ではなく誤謬である。:G.バシュラール
『真に適切な客観的態度をとることの難しさを立証するためには、ひとつ
の「新しい」現象を考察すれば足りる。現象の未知の側面が、活発に、積
極的にその客観化に反対しているようにみえる‥』
2024年8月19日
バシュラールが言うように人間は、
知らないことに出遇うと自分の知っていることで補おうとする。そこに
「正常性バイヤス」が作用し、間違う。
未知に出会うと、成功体験のある「過去」にこだわり命がけでこれまでの
生活を維持しようとする。
前述のマイナー保険証もUFO事件の反応も同じ穴にある。
2024年8月22日
唐澤 徹 / toru karasawa
数・定量、定性、並行、交差、隣接、近傍、合致etc. 言葉が浮かぶ。
バシュラールが、詩の精神物理・精神化学、と述べていたことと絡めた
い。
2024年8月25日 -
ダーヤマ
しかし、バシュラールは、科学の認識論的断絶とある種の連続性の双方を
認めるなど、フーコーへの影響も複雑でなかなか推し量り難いな。
2024年10月27日
認識論的断絶については「考古学」が、連続性については「系譜学」が一
応は対応しているが、「考古学」と「系譜学」の連続性を強調する立場で
はバシュラールと同様の課題(断絶と連続性の位置付けの明確化)に取り
組まなくてはならないわけだ。
2024年10月30日 -
縮限
みんなが数学と物理学のことさえ考えてればいいと思ってた時代に
化学の哲学をやってみせたバシュラール、
ほんとに偉いとおもってるよ。
2024年11月15日 -
井山弘幸 Literature&Music, Epicurism, Improvization
山内さんが廣松渉の授業に出ていた頃僕は本郷の化学科で哲学とは無縁の
生活だった。午後は必修の分析実験で午前の講義はサボり古本屋街を歩く
か人生劇場でパチンコか貸ピアノでショパンの練習。でも共同主観的世界
構造って何だか格好いいとは思っていた。なぜ科哲の院に行ったのかこれ
から思いだそう。
2024年12月18日 -
sakura
戦旗・日向派のかしら日向翔(荒岱介)の日向翔っていうペンネームはガス
トン・バシュラールからとられたらしい。
2024年12月16日 -
われわれはこの章をあげて、翼の美学によって、あるいはいっそう正確に
言うならば、軽さと喜びを与えるエネルギーによって供せられる、非常に
多様な詩的ケースの最初の決算表を作ろうと試みてきた。
——ガストン・バシュラール「空と夢」 -
池田信寅
とあるデリダ研究者に「バシュラールに歴史はない。代わりに妙な時間論
だけがある。」って言ってみて「ほんまにそうなのか?」と言われたりも
しましたが、今回の発表の私の理解ってそうなってるな。バシュラールに
歴史はない。
2024年12月22日 -
にらさわえま/ Emma Nirasawa
バシュラールが読みたい
読みたいと思う、自分の中にその感情が残っていることを確認できてよか
った。
そう考えてみると、まだまだ読みたい本たくさんあるな、行きたい場所も
会いたい人もいる。
2025年1月10日 -
e_kawano
今読んでる文献で印象に残った一節
「フランスの科学哲学者ガストン・バシュラールは、科学の主体は孤立し
た「コギト(我思う)」ではなく、複数の「コギタム(われわれは考え
る)」であると述べた」
2025年1月13日 -
後藤護🪬𝕲𝖔𝖙𝖍-𝕺 𝕸𝖆𝖒𝖔𝖗𝖚
『リバー・オブ・グラス』でもっともアイコニックなシーンが、夜に忍び
こんだプールで無気力に浮かぶコジーの姿。『ゴシック・カルチャー入
門』の第二章で映画史における「無気力な水」が醸し出すムードを、バシ
ュラール『水と夢: 物質的想像力試論』を使って掘り下げてます。
2025年1月25日 -
ダーヤマ
そこまで本気で検討はされないけれど、なんか面白いこと言ってるおじさ
ん枠として、バシュラールの右に出るものはいない気がする。それによ
り、圧倒的な親しみやすさを生み出すことに成功している。カンギレムで
はこうは行かない。
2025年2月6日 -
野沢啓
ジャック・デリダ『哲学の余白・下』で「白い神話――哲学テクストのなかの隠
喩」の再読のつづき〜終り。読み返しもやはり難解だが、いろいろ収穫も
あった。バシュラールの隠喩の隠喩論。隠喩の哲学的評価の両義性。詩を
書くこととの内在的関連についての言及は残念ながらない。
2021年3月21日 -
スケルトン・キー / 道尾秀介
空間の詩学 / ガストン・バシュラール
「鍵は、開くよりも閉じるもの」
マーク・トウェイン
「その湾曲は身体の中で、ただ待っている」 -
ツァッキ
高田ハイデガー、飯田ウィト、今村アルチュセール、金森バシュラール、
初見ルカーチあたりは大変お世話になったものだが、レヴィナス、ラカン
とかはよく分からん人が書いてるな。
2025年2月23日 -
いやしの本棚
つまるところわたしが言いたいのは、バシュラールの著作、ちくま学芸文
庫で復刊してもらえませんかね。ていうかバシュラール全集的なやつちく
ま学芸文庫で出してもらえませんかね(老化のため重い本を持ち運んで読
みつなぐのがしんどいため文庫がいいです文庫が)
2022年11月20日 -
ガストン・バシュラール(1884年6月27日 - 1962年10月16日)
正宗白鳥(1879年3月3日 - 1962年10月28日) -
近藤和敬
哲学の門の上野隆弘さんの論文
「誤謬の学としての哲学」読みました。バシュラールの哲学の固有性を、
エピステモロジーという一般性に埋没しそうなところから救い出し、かつ
「本体」概念の参照によって、ありうる相対主義的な構築主義解釈からも
的確な距離をとりながら示すこと
2019年4月2日
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