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鉄道懐かし
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鉄道が好きになったきっかけ [無断転載禁止]©2ch.net
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挙げていきましょう
私は父ちゃんが買ってくれた200系新幹線のプラレール - コメントを投稿する
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2番取れました(^o^)/
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知らない間に家にあった鉄道図鑑
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ミニミニレールを買ってもらったときから
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オタクはなるもんじゃない、既になっていたモノなんだ
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車が嫌いだった。車酔いし易かったから。列車の方がまだましだった。
そのため、鉄道乗って遠出するのが、幼少の頃から好きだった。 -
続き、1970年の春休み、竹芝桟橋から伊豆大島行く東海汽船乗ったら揺れて船酔いして吐いた。このため、船も抵抗感があった。
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疲れからか黒塗りの高級車に追突してから
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3〜4歳のとき、営団東西線5000系と京成青電。
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泣き止まないと、母親が踏み切りに連れてって電車みせると泣き止むという、とんでもない子供だったやつがいる
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近くに操車場があって、親に連れられてよく操車場を跨ぐ陸橋に行ったな
そのうち親に図書館に連れていかれ、そこで「客・貨車ガイドブック」という本に巡り合った
それからは一人で陸橋に行って、あたかも昆虫採集みたいに、ガイドブックを首っ引きで珍しい車両を見つけると悦に入ったもんだ
今はもうその操車場も消えたが -
>>11
自分もそれに近いものがあったらしいな(厳密には鉄道でなくてモノレールだが)
幼稚園私立幼稚園だった関係で電車通園
?をしゃあないからさせられてたけども550型電車という阪急箕面線それも廃車引退目前の幼稚園鉄子の自分から見ても(勿論当時鉄子なんて言葉はなかったが)「かわいい!」と思わず叫びたくなった(阪急の他の電車より明らかに車長短い)
550型電車のインパクトは強烈であった
エキスポ70大阪万博ステッカーあったが大阪万博の開催を待たず見ることがなく550型電車が引退したことを知った時は幼稚園児とは言えわんわん泣いたことを50越えアラフィフの今も強烈に覚えてる
鉄子と言うより筋金入りだったと思うが8000系など箕面線でもそれなりに新型昔のように引退直前の電車ではない今は2度とあのような感動ありえないだろうそう思うと鉄子が一般的になっただけに実に残念だと言うか残念としか言えない -
特別意識したわけじゃないけどおそらく線路沿い、それも駅のすぐ近くに住んでいたから。
行き交う電車が家の窓からみる事ができ、かすかに駅の案内放送なども聞こえることもある環境だったので。
必然的に出かける時は電車(もしくはバス、これは駅からだと始発)だったし。 -
線路沿いに並行して付設されている蠅叩き状の送電線の電柱(碍子が32個のタイプ)の列を見てから。
それに加えて32本の電線の下に架空配線されている捻じれた太めの電話線が不思議だったから。
(この捻じれた電話線なるもの、列車に乗車して走行中に車窓から見るに、実に幻想的に見える!) -
>>4
あれで乾電池の単5という規格を知った -
家にあった学研や小学館やらの鉄道図鑑
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幼少の頃徒歩で行ける距離に新潟鉄工大山工場があり
幹線道路に面した正門の奥を覗くと(恐らく製作中の)列車が見えたのがきっかけ -
横浜線と相鉄線の間に住んでおり、横浜行くときどっちか利用していたんだが
どっちも横浜近辺で東海道線と横須賀線と並走する
その並走してる区間ですれ違う113系が物凄く偉そうな格式ある車両に見えて
湘南色とスカ色のコントラストも鮮やかで憧れるようになった
ちなみになぜかスカ線のほうが好きだった -
母方の祖母に連れられて散歩がてら見に行った東海道の貨物…踏切の廃止が早くてビックリ
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子供の頃から東上線と赤羽線、丸の内線に西武線と、通勤車しか見た事なかったから、鉄道雑誌で初めて見た国鉄特急車のかっこよさに一発で虜になった小学生4年、それが私です
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東急5000系の急行。スマートなグリーンの車体に「急行」の
サボを付けて走る姿が超カッコよくて魅了された。 -
幼稚園の時、幼年童話「はしれ、ちかてつ」を読んだ時から
作品中には全通したばかりの営団東西線5000系の花電車や5000系の運転室から見た東西線の前面展望の挿し絵が
超リアルに描かれていて、営団5000系が最も地下鉄電車らしく見えた -
>>21 1960年以前のお生まれですか?
小学校低学年の頃、西武5000系レッドアロー登場が衝撃的だった。小田急NSEに対抗できる本格的特急車だった。
私も、東武東上線から池袋の電車区眺めてたりしたもので。 -
DMH17の音
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おっさんばっかりwww
んじゃ俺も
昭和39年、東海道新幹線開業!
婆ちゃんが乗りに連れてってくれた
しかし新幹線より横須賀線70系に乗りたがってたらしい
昭和42年、常磐線に103系登場
母と我孫子で103系が来るまで待った
その間、C57の成田行きが来たが見送った
母が「汽車の方に乗ろうよ」と言ったんだが拒否した
アホじゃ
昭和46年
常磐線、千代田線相互乗り入れ
これが決定的で、以後鉄ちゃんの世界へ
最近、ボロとか叩かれている営団6000系は最新鋭!
超絶人気あった
背景として当時過熱気味なSLブームがあった -
>>24・26
おっさんばかり?そりゃそうだ。1958年です
そういえば私も新幹線のブリキのおもちゃ買ってもらってた。ボデーにでかく「夢の超特急」というロゴが入った・・・
それ以前だとおもうけど、家の壁にでっかく「こだま」の絵を書いてしまって、取り壊すまで20年くらいそのままだった -
上越新幹線が開業してしばらく経った幼稚園の年少の頃、200系新幹線のプラレール(鼻が赤いやつ)を買ってもらった事が切っ掛けで緑の帯が入った新幹線に憧れるようになって、
子供の頃は電車に興味があるぐらいのレベルだったけど去年、近鉄特急に乗って大阪に行った時、
電車に乗ったのが18年ぶりの事で、18歳で車の免許を取ってからは何処かに行くとしたら必ず車で移動をしてたせいか久々に電車に乗って移動したらラクに感じたし、沿線からの風景に感動して鉄道にハマる切っ掛けになった。
地元に新幹線が走ってないので新幹線に憧れてて、
好きな車両は今は引退してしまったけど、0系と100系。 -
幼少の頃、親が買ってきたプラレールと、
小1の時、20系「さくら」で九州に連れてってくれた
想いでかな。 -
親が、家の近くを走ってた名古屋市電を、良く見に連れて行ってくれたらしい。
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子供の頃住んでいたマンションが大手私鉄の本線系の路線から近くてベランダから電車が見えていた。
ひっきりなく通過していく電車を見ているうちに車両の形の違いに興味を持つようになっていった。 -
2歳頃から自宅にある鉄道ファンを絵本替わりにしてたし
5歳頃には交通公社の時刻表を眺めてた -
祖父が機関士(最終配置は米原だったはず)だったから
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俺も爺様が機関士だったよ
遠かったから、いつもは会えなかったけど
家に来るたびに、土産に機関車やら鉄道玩具
持ってきてくれたのがきっかけだったね
物心付いた時には、もう鉄ってたわw -
俺も爺さんが機関士だった
親父はただのリーマンだが、伯父は貨物の車掌〜駅の助役
残念ながら俺は視力が悪くて鉄道には入れなかった
C57に乗務する若い頃の爺さんの写真がある
いつ見てもかっこいい
九州ではないのだが、門デフ機に乗っている
よく機関車の話をしてくれたっけ -
幼少時、駅や線路が近くにあった
車と違い酔わない
船と違い、車窓に変化がある -
元々出かけるのが好きだった。
高校まではその手段が鉄道メインだった。
気付いたら鉄ヲタになってた。
その後車やバイクの免許取って、車もバイクもヲタになってたって人は多そうだ。 -
3歳までは東京都北多摩郡久留米町(東久留米市)在住。
西武バスのデザインが気に入り、バスヲタとなる。当時電車は嫌いでした。
その後、三鷹に引っ越して、通過していく特急「あずさ」に憧れました。
小学校に入り、気に入らない同級生2人が鉄ヲタで、彼らに対抗心を燃やして、
時刻表〜規則ヲタになりました。小学校低学年当時の愛読書は時刻表で、
中学に入ったときは旅客営業規則にハマりました。
その同級生とは最初は意地の張り合いをしていましたが、
昭和50年3月10日には3人で示しあわせて学校サボって中央線の初電に乗り、
東京から博多まで往復するまでの仲になりました。 -
非鉄だった厨房の時に家出して、上野行の夜行に乗ったとき、夜汽車って奴の魅力に取りつかれてしまった
以来、30年以上乗り鉄を続けて来たが、夜行の衰退とともに鉄への熱も冷めてしまった
今は、懐古板で趣味的余生を送っている…
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