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鉄道懐かし
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懐かしの京阪電車を語るスレ 第2章
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>>1
前スレが立った頃は中之島線がよもやこんなことになるとは夢にも思ってなかっただろう -
大コケするのは予想ついてたけどな
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清潔な電車
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まだ2か月なんだし
落選したからって代表辞任ってどうよ?
むしろ議員活動という負荷が消えて代表だけに専念できてよいのでは? -
一部の駅で、小鳥の囀りや小川の潺の音声テープを流すサービスを始めたのはいつ頃だったかなあ
伏見桃山駅で初めて耳にしたときにはちょっと感動したのを覚えている。
清掃も行き届いていた -
昔は駅員がほうきとちりとりを持ってホームを掃除していたものだ
今ではどこの社も外注化して派手なユニホーム着た清掃スタッフがダルそうにやってるわ -
そもそも駅員が減った
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視覚障害者向けの誘導チャイムだろうに
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盲導鈴というらしい
さっきネットで調べて初めて知った -
♪天満橋から三条へ~
チリリン ピリピリ ポーポッ
京阪特急 京阪特急 -
鶏飯食う人、おけいはん。
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ひらパー券
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三条~七条地下化後に鴨川の増水でこの区間の駅のどれかに川魚が落ちてきてホームの上をピチピチ跳ねていたニュースがあったことを思い出した
通風孔から川の水が流れ込み、その中に魚も吸い込まれたらしい -
三条・四条・五条・七条で壁面の色を変えて
駅名標が見えなくても色でどの駅なのか分かるようにした -
京阪罪法違反
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>>16
駅のカラーを覚えてないと意味ない罠 -
そりゃそうだw
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>>16
地下鉄では駅によってタイルの色を変えたりしている。 -
開業当初の大阪市営地下鉄にもそんなエピソードがあった
梅田~心斎橋なら駅の数もたかだか知れてるが今みたいに多くなったら無理
色の種類は無限ではない -
ラインカラーにそれを感じる
大阪は1事業者8路線で色分けは成立しているが
東京は2事業者13路線。東西線と三田線(ブルー系)、南北線と新宿線と千代田線(グリーン系)、有楽町線と銀座線(オレンジ系)は区別しにくい。 -
地下線切り替え直前に当時日テレ系で放送されていたズームイン朝のお天気カメラが四条駅付近を映して司会の人がもうすぐこの光景も見納めで寂しいですみたいな感想を言っていた
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ななじょうけいはんまえ
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>>23
お天気カメラの元祖はおはよう朝日です、やろ? -
鴨東線
初めは読めなかった -
免許は「鴨川電気鉄道」の名で申請
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ダミー会社?
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鴨川電鉄が建設→開業直前に合併
近鉄東大阪線も同様 -
16 18 19
そうじゃなくてよ
同時開業の地下駅では構造が同じだから
壁の色目などを変えなければそもそも判別しにくい
全ての乗客が固唾をのんで駅名を凝視しながら乗ってるわけではない
初見の客も日常利用者もそれは同じ -
関西大手ではかなり遅くまで本線上をツリカケ車が走っていた
昇圧直前に600系急行に乗れたのは幸運だった
また三条側では宇治線へ直通する1300系も見られた -
昇圧で600のボディー+1800の足回りの新形式が出来たが
名目は1800が引き継いで、「新・1800」となったのには違和感があった -
いや、車籍は600系を受け継いでいる
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新1800系は両数が少なくて乗れるチャンスが無かった
クーラー無しなので夏は車庫で昼寝ばかりしていたとの噂も -
Wikipediaにもそんな事が書かれているが、稼働させずに車庫に留め置けるぐらいに京阪の所有車数が豊富とはとても思えない
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スーパーカー
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ジェットカーやラビットカーみたいには浸透しなかった
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テレビカーに比べたら地味だ罠
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は?
初代テレビカー1900系はスーパーカー2000系より後だが -
>>40
初代テレビカーは1800系だぞ -
知ってる人は知ってると思うが鉄道ピクトリアル91年12月増刊京阪特集の裏表紙は「蓮舫、心が動く」のコピーで京阪電鉄の全面広告
当時の肩書はモデル兼タレントとか -
京阪の番号の付け方は昔から規則性に乏しく複雑
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比叡、一九九一
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関西にゆかりのない芸能人でも構わずcmに使っていた印象
ちなみにおけいはんは2000年スタートとのことだが
もっと古くから続いていると思ってた -
ひらかたパークのCMに岡田准一が出て来た時は驚いたが枚方出身と知って納得
もっと前は萩原流行も(この人は東京出身) -
「急行が遅くて混雑する・特急に空席が多い」
の解決方法が急行縮小・特急の停車駅追加というのはひどい。 -
まったくもって同感!
おけいはんは選択を誤った -
in KYOTO on KEIHAN
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楠トシエさんが唄うCMソング
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阪急は昔の急行と大差が無い
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京都・大阪間特急ノンストップ時代の急行の始発時点での停車駅案内が好きだった
京都方も大阪方も各駅に停まるが、「◯◯から◯◯までの各駅」と手抜きせず、一駅一駅読み上げていたよね
ちょっとした早口言葉にもなると思った
中川家礼二のネタの原点でもある -
楠トシエは近鉄特急も歌ってた
それ専門の歌手? -
京都側では長い間五条は通過していた
不憫だった -
>>57
cmソングの女王といわれた人ですよ。今でも黄桜の河童の歌はテレビでやってる -
明らかに格下扱いされてた>五条
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五条通はバスの便が少なくて電車との乗り換えも不便
昔も今も -
マイナーな六条通
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地下化前に五条駅の近くに正面踏切というオモロイ名前の踏切があった
正面通と交差しているためその名が付いたのだが
名前に反して規模は小さく平凡な踏切だった -
それは踏切の名前がオモロいのでなく通りの名前がオモロいだけでしょ
オモロいというより読めない通りは京都に多々ある
不明門通なんか洛中人でも読めなくないか -
四条五条間に団栗踏切
これも通り名に因む -
同じ頃に新製された2000系は戸袋窓なしでドア窓も小振り
蛍光灯付だが気のせいか採光が悪く感じた -
>>67
どんぐり -
2000系は軽量化のために卵形構造を採用したが
台車を旧品流用した600系こそ軽量化が求められているのに通常構造 -
それ見た目だけで言うてるやんw
600も軽量設計やで -
軽量車体は昭和28年頃から大手各社で流行り始めたが耐久性に難があることが分かって急速に下火になった
しかし京阪だけは遅くまで使い続けた
頑固なのか空気読まないのか… -
今も現役やがな
顔はお直ししまくりで原形を留めてないが躯体は当時のまま
2200は今年還暦だぞ -
エコノミカル台車が最後まで生き残っているのも京阪
ベローズ式空気バネのシンドラー台車も他社ではあまり見なかったな -
幌が無くなって俺はスッキリしたと思う
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「のっぺり」と「すっきり」は紙一重ということだな
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2000系とは違うのがユニット同士の組成(4+4とか3+4)は初めから想定していなかった事
ならば正面扉は貫通路用ではなく非常口用になるので
幌を着ける必要がなかった -
初のオールM高性能車2000系
初の通勤冷房車2400系
この間に挟まって地味な印象の2200系 -
2000番台のモノコック構造車がイマイチ垢抜けなかったのは
前面助士台側が2段窓になっているから
あれはポール集電時代に窓を開けて上げ下げの操作をしていた名残 -
というか3000系が登場するまでは全部二段窓だよ
大津線も80形除いて全部
両方とも曲面ガラスにしたから二段にできなかったというだけ
二段窓は京阪の社是 -
暑さ対策もある
さすがに運転台窓は開けられないから反対側を開けられるようにした -
新カラーといってももう10年以上経つが
良い評判を聞いたことがないw -
色味が某大手銀行の通帳と同じなのよ
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>>86
それは京阪の中の人が言うには単なる偶然だそうです -
運転士は乗務員扉の窓を開けて涼を取るのが通常なので前面窓を開ける発想にはならない
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更新500形は2枚窓になったのでさすがに助士側を2段窓にはできなかったな
しかし開閉は可能だったらしい
しかも上昇式
幅の広い窓を持ち上げるにはかなりの腕力が要ったのではないか -
色を変えたところは軒並み失敗してる
阪神も南海も失敗 -
失敗かな
俺も濃淡グリーンに慣れ親しんできた派だがいまの預金通帳カラーも悪くないと思っている -
京阪線で使うには小さ過ぎるし大津線で使うには大き過ぎるし
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あの二枚窓、時代的には湘南ブームに乗ったかたちになる
乗らなかったのは阪急だけ -
2枚窓をもれなく湘南形というのは無理がある
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500形は琴電に行くかも知れなかった
琴電が1500Vに昇圧したのでお流れになったらしい -
行ったとしてもその後京急京王名古屋市地下鉄から新型車を次々仕入れたから長生きできなかっただろう
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そういえば京阪は地方私鉄へ中古車の移籍例が少ない
富山地鉄へ3000系、ぐらい?
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