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鉄道懐かし
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国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
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東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された - コメントを投稿する
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2番取れました(^o^)/
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昔、常磐線{ひたち」が485系ボンネットタイプに全部そろえたことがあった。
各地から転属してきたが、遠く門ミフや鹿カコの車両もあった。
かなり古いのも多く姥捨て山の様相を呈していた。 -
特急「くろしお」に一時使用されていた485系
仙台、青森などから日根野電車区に転属してきた車両もあり、のち福知山運転所や南福岡電車区に転属した。 -
EF81-301/302
門司区→内郷区
ご自慢のステンレスボティをローズピンクに塗られてしまった -
キハ81型の秋田機関区から和歌山機関区への転属
京浜東北線・山手線・中央線103系の阪和線・関西線への転属
米トリ、米ヨナのキハ58系の伊勢運転区、亀山機関区への転属 -
天オトから千ツヌへのモハ72・113系の転属。
オレンジのモハ72や113系ブルーライナーは新鮮に映った。
房総はブルーライナー塗装が似合うと思った。 -
キハ181系の尾久から小郡機関区・米子機関区・高松運転所への転属
キハ80系の鹿児島から名古屋への転属
キハ80系の向日町運転所から函館運転所への転属 -
103系天ヒネ・大ヨト・大ミハ→北マト
常磐快速増強のため -
釧路から都城に転属したスハユニ62 10
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函ハコや札サウのキハ82は苗穂の匠が(本社に届けず)あれこれ施して酷寒を凌いでおり
急な配転が決まったときは慌ててデフォに戻したという記事を読んだ記憶があります -
サハ115-3→クハ115-613
配属履歴は三鷹→1984年12月新潟転属としか記載されていない
しかし改造先は遠く離れた後藤工場というのが謎
長野か新津で改造すれば済む話であったのに
改造後の配属先が岡山か広島の予定だったかもしれなかったが -
>>11 急行型と異なり冷暖房完備で窓が開かず気密性が高いから、北海道向けに二重窓化など特別仕様にする必要がなく改造不要と本社は考えていたわけか?
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EF62
高崎第二→下関
老朽化したEF58東海道山陽荷レ置換えのために26両が移籍
しかし荷レ全廃に方針転換され結局短期間で終了 -
阪和線の103系、本当に元京浜東北線だとは思わなかった
僕は国鉄時代は生まれていないので国鉄時代の事はよく知らないが、本当に国鉄時代は何でもありだったのな -
ED74
敦賀第二→大分
ご存知薄命機関車 -
>>17
当時の記憶ですが
103系ATC車を、山手線京浜東北線に投入
→(一部は横浜線にも、余ったクモハ103中心に捻出)
→中央西線、阪和線に投入、旧型国電廃車
→阪和線の70系は福塩線に投入、福塩線の戦前の旧型国電廃車
玉突き的な押し出し的な転属と廃車が頻繁に発生
103系ATC車はともなく、なんで福塩線の戦前車が廃車になるか予想できませんでした -
D51 1
青森機関区から浜田機関区へ転属
現在も梅小路蒸気機関車館で動態保存 -
まさか国鉄時代は日根野電車区と浦和電車区で絡みがあったとは思わなかった
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京阪神緩行線の103系は先頭車が元山手線、中間車は新製車だったが、阪和線のそれは本当に元京浜東北線
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クモヤ90055
日根野電車区から陸前原ノ町電車区へ転属 -
関西のほうで水害があってこれから使おうとしていた大量の101系電車がお釈迦になった
その以前の昭和49年頃久里浜工場で、これからどこかへ持っていこうとした72系も
水害でお釈迦になった -
>>26
ありましたね
王寺駅での冠水と思いました
当時の残の101系の運用を見る機会があり、超過酷
4運用とも朝から夜まで、一時期を除いて走っている、検査は深夜に集中
応援の101系が東京から来て改造後に運用に入る、2色3色の混色編成も発生
自分も天王寺や湊町で撮りましたが、誤乗防止のステッカーも貼ってありました
久里浜は、どうも富山港線など複数の線区への転属予定が、
その結果キャンセルになったと聞きました
クハ79やモハ72の全金車が多かったそうで、もったいない、です -
阪和線だけでなく中央西線の103系も、元京浜東北線だった様だね
というか青い103系自体、京阪神緩行線以外は全部京浜東北線由来だった模様 -
名古屋の103系は昼に3両で走っていたから
それなら113系の方が良かったと思う -
王寺駅冠水
101系は60両被災したけど廃車予定の首都圏向け54両を短期間で手配できたのは全国組織ならでは -
国鉄時代の広域転配は自力回送も魅力のひとつだった。
上記の首都圏から応援に駆け付けた101系も東海道本線を自力で走っていった。 -
伯備線電化用のために三鷹電車区から岡山電車区に転属したスカ色115系
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>>029
置き換え前:クハ79−モハ72−モハ72−モハ72−クハ79、×2の10両
置換後は、103系の6+4両、この置換時に撮りましたが、青と緑の混色でした
サボ付きの103系(実際に、名古屋⇔土岐市、などを使用)で、驚きました
その後7+3両に変更のようです -
165系
松本→日根野
国鉄末期に3連11本が移籍
全編成低屋根モハ164-800だった -
しなのとくろしお381系の差し替えはあったのだろうか
しなの号大阪行き有ったのでそこで。 -
EF58・ED60・EF15の置き換え用として高崎区から竜華区に転属したEF60
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035ですが、横須賀色の115系の山陰本線内での撮影時期は1986年7月でした
1986年11月改正の前になりますね -
キハ65501
松本→竹下→鳥取
急行型気動車はもっと広域転配がありそう -
三鷹の山スカは松戸に貸し出されたことがあるという
写真を見た覚えがある -
DF50 509
敦賀→米子→秋田→大分→宮崎 -
確か1985年にボンネット赤スカート含めた
485系が門ミフ?鹿カコ?→水カツに転属してるが、その前年にはわざわざクハ181改造して新潟→鹿カコに転属させてる。この矛盾は
何だったんだろう? -
氷見線から相模線に転属したキハ35系
福知山機関区から直方、東唐津に転属したキハ35系 -
>>46 キハ35系って冬場に隙間風が多いのが嫌われるんだよな。山陰線京都口では乗客から寒いと苦情続出だったとか。
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>>45
勝田にボンネットクハ集結は複雑な転配の結果
東北の支線特急で分割併合を計画されたクハ481-200は
隙間風の問題で結局温暖な九州に放出されたし
新潟→鹿児島のクハ181/180改は「有明」増発用で別途計画されたんだと思う -
冬の期間のキハ35などは、とにかく寒くて避けられるなら何としても避けたい車両
隙間風、停車中はドア開けっぱなし(半自動やドア開閉ボタンがあればまだ可)
関西や九州では、キハ35の印象はとにかく寒いしか思いつかない
岩徳線で中ドア締め切りのキハ35系があったが、まだ良心的(111系の中ドア締め切りと同じ)
雪の北九州の夜で、2両編成でキハ35の乗客ゼロ、隣のキハ58に全員座る(自分も当然貸し切りのキハ35を避けた)
停車時間が長いと雪が車内に入り込んでいた(キハ58は一応問題なし)
編成に1両でもキハ20でもキハ23でも連結されていたら、必ずと言ってもいいほどそれに乗る
筑肥線ではキハ26の600番台(ロングシート、一般には不評の様ですが)でも、
デッキと半自動ドアのありがたさを体で実感ですね
関西本線(湊町−奈良)等から転属時にせめて中ドアを塞ぐとか、
その線区の事情に合わせる改造等してほしかったですね -
キハ57の一部
長野→高松
碓氷峠のラック式レールに対応するため、キハ58のエアサス版が開発された
しかし碓氷峠が粘着式になりそのエアサスは必須ではなくなった
乗り心地は良いので一部は四国内急行の指定席用として転属することになった -
あの歯車はやっぱりゴツゴツ言うんだ。
空気バネとは涙ぐましいなw
当時20系客車などで既に実用されてたからな。
そう言えばオレはコイルバネとか板バネの
寝台って乗ったことないが、寝心地はかなり
悪かったんだろか? -
モハ72のアコモ改造車、仙セン→103系化、北ハエ・西トタ
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元72系門ミフクモヤ @三段窓
「なぜオレが交流区間に?」
元長岡機関区 EF58
「五体満足で交流区間に放ったらかしに
されるよりいいだろ?」 -
JR Eなんちゃら系@黒磯駅
「直流機なのにパンタ上げたまま交流に
切り替えられるよりいいだろ?」
キハ110
「電車や電気機関車も色々大変だなあ」 -
C62 2
糸崎→宮原→小樽築港→梅小路
スワローエンゼル -
関西線の103系も先頭車は元山手線
でも山手線からそのまま転属した訳でなく、一度京阪神緩行線を経て関西線に来た模様
(つまり山手線→京阪神緩行線→関西線?) -
レールバスキハ01,02落成時旭川で廃車時はるばる宇和島とか佐々配属
のものがいた -
103系と言えば、高校の時に乗ってた千代田線の103系1000番台を京都駅で見かけて、
更に北朝鮮キムヘギョンちゃんが新聞の一面
に乗る頃に桜井線で乗った時はちょっと感慨深
かったな。
1983年頃、男は黒いボンタンにちょび髭、靴には金具を打ってキンキンいわせて北千住駅地下道を威圧するように歩いていた。
女は胸から下がスカートになってる黒い制服。
変わった服だなあと思って彼らは何者?と
友に聞くと、連中は十条のチョン高の奴らだから関わってはいけない、因縁でもつけられたら
電車の最後尾に集団で押し込まれて鼻に割り箸突っ込んで下から突かれて鼻に穴あけられるぞ、おまけに日本の政治家が彼らのバックに付いてて何か事件があっても警察は手出し出来ないから何されても泣き寝入りになる、という事だった。それ聞いて連中を遠巻きに眺めるだけでうちらと彼らの世界は平行線。ある日、常磐線快速だったかで、例のチマチョゴリの女の子
同士が、ひどく訛った日本語でその日のテレビの話などおしゃべりしているのが聞こえたが、
酷く汚い言葉使いで、これから長く日本でこれから暮らしていくのに、こんな言葉使いで人から低く評価されるのは誠に残念で悲しい事だと
思ったものだった。 -
C54
青森・仙台・宇都宮・高崎・水戸・梅小路に分散配置されていたが、
のち、全機が福知山機関区に集結された。 -
EF70
北陸本線向けの高性能だったけど両端が直流電化され3電源対応EF81に追い出されるかたちで一部が九州へ左遷
しかし九州では電暖不使用、軸重制限で運用範囲も限られていたので同じ左遷仲間のED74と共に長期休車後廃車 -
1985.7.25.
敦賀機関区で御召機関車撮影会
[敦賀]EF70 36、EF81 120
[長町]ED75 121
[鹿児島]ED76 55
[篠ノ井]EF64 58
50Hzや直流機まで借りてきていた -
早期落成で宮原配属前のオハネフ25 0番台を
南シナに貸出して臨時のあさかぜ51号に使った。
100番台200番台はそれからまもなく当たり前
になったが折妻イケメンのゼロ番台のあさかぜ
が走ったのは最初で最後であったろう。
臨時のあさかぜはその前は20系で、その後
また20系に戻りなんとJRになるまで続いた。 -
地味なところで EF58 114
東海道線電化開業(つーことは山陽線は
まだ蒸気機関車)のために新製。
そんな石器時代は東京機関区でブルトレ塗装で
20系を牽引。
電化の西進と共に広島機関区まで流される。
が山陽新幹線開業、大阪京都口寝台特急削減
により北遷されて宇都宮機関区でEF56 57を追い出す。その頃は山手貨物線でもクワガタみたいな茶色いEF12とか15とか普通に見られた。
間もなく電気暖房化でSGを去勢されて機械の
体になる。EG化されHゴム化されたゴハチなんてPFみたいなもんじゃんという言われなき誹謗中傷を受ける。田端機関区に佇む114号機の
前梁側面のジャンパ栓はかつての山陽ブルトレ
牽引の栄光の名残りであった。 -
クハ103-13・クハ103-14
池袋→品川→明石→豊田→宮城野 -
EF64 1-12
[福]→[稲二]
奥羽本線板谷峠用に新製されたが交流電化に伴い中央・篠ノ井線に転勤 -
EF62 山地の勾配をぐんぐん登る設計なのに高二、信越本線から下関の東海道山陽線に転じて平地を高速で突っ走る使われ方して寿命を縮める
C62 東海道山陽の平地を高速で突っ走る仕様
なのに最後は函館本線山線に回されて高速で
勾配を無理して登る使われ方をして寿命を
縮める。 -
クハ115-2100の一部
沼津→新潟
身延線用として新製されたが、越後・弥彦線電化開業向けのために
温暖な太平洋側から寒さ厳しい日本海側へ転勤 -
ED60 4・5
作並機関区→鳳電車区→竜華機関区 -
EF5844
長岡→・・→宮原→下関→竜華
茶色大窓ツララ切→・・→標準色Hゴム→→シールドビーム2灯化
活躍場所&仕様は時代に合わせて変化 -
サロ113
大船・幕張→高槻・宮原→幕張
定員48名が災いして関西に転属したものの、需要は少ないので関東へ復帰 -
>>48
>東北の支線特急で分割併合を計画されたクハ481-200は
>隙間風の問題で結局温暖な九州に放出されたし
そのクハ481-200番代は、JR九州になってRED EXPRESS仕様に改造される際に非貫通化改造された。 -
サロ481-26/27→→サロ181-1051/1052→→サロ110-302/303
大ムコ→鹿カコ→新ニイ→静シス→南コツ
481系として生まれ181系に変身し113系に再変身 -
クハ111-86/407
日根野→幕張
国鉄末期、阪和色のまま関東に移動 -
クハ481-201(※クロハ481-213時代もあり)
盛アオ→秋アキ→門ミフ→天ヒネ→福フチ※→金サワ
東北→九州→関西→北陸 -
まさか西のクハ103初期車が国鉄時代に関東から来たものだとは思わなかった
クハだけ初期車が多い事に当初はあれ?と思ったがまさか元関東車だとは
(ちなみに僕はJR化後生まれなので国鉄時代の事はよく知らない) -
クハ103−1には1991-1992年に大阪環状線で乗った
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2004年11月5日〜12月17日まで、
小山115系7連1本が幕張へ貸し出され、サハ1両抜いて6連で
千葉以東の総武・成田線で運用(当時の房総ローカルでは珍しい全車ロングシート)。
これは2004年9月4日夕方、豪雨で酒々井駅線路が冠水。
そこを113系6連が酒々井駅へ進入し、機器類が水没し故障。
不足を補うために、小山から湘南色塗装のまま貸し出され、
幕は幕張用のものをきちんと使用されていたものの、
千葉駅では「成田へ行くのに、この色の電車で合っているのかしら」などと、不安そうに見つめる客がいた。
12月21日に7連に戻して東大宮へ回送され、翌年1月に宇都宮線でのさよなら運転で使用された。 -
阪和線の車両は、京浜東北線のお下がり車両って当初は冗談で言おうとしたが、まさか本当に元京浜東北線車だったとは…
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クモユニ143
沼津→長岡→幕張
仕事を求め北へ南へ -
クモハ103-48とクハ103-48
両者とも4色経験 -
仙石線も元京浜東北線車だったそうだ
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壮大な矛盾といえば
1980年ごろのキハ28の転属もだな
新潟地区急行冷房化を目的に九州から冷房車を転入させた一方
非冷房車を新潟から九州に転出させた
上越新幹線開業による急行列車の縮小とか
越後線・弥彦線電化が迫っている時期で
気動車がすでに余剰となる気配濃厚だったのにな
新幹線開業で大半が廃止になるのだから
非冷房28を新潟地区でそのまま使い
温暖な九州で冷房28をキハ26などの置き換えに回せばよかったはず -
あと越後線・弥彦線電化の数年前にキハ40系を大量投入して
車齢20年程度と更新すればまだまだ使えるキハ20を廃車にしたのは
無駄遣いの最たる例だろ
鉄道ピクトリアルの中でも批判的内容の記事があった
上記路線電化を機にキハ40系の半数が西日本方面に転属したのだし
結果として壮大な金の無駄で大失敗だったということ
キハ28の九州と新潟地区の交換もしかり
夏の暑い九州に非冷房車を転出させるのは愚の骨頂 -
キハ58 105
和歌山→水戸→千葉→大分→千葉→水戸→盛岡→弘前
架線注意 -
>>84 通勤通学対策もあるのでは?越後線にキハ35も入ってたが、2ドアのキハ20系はラッシュ時の乗降に時間がかかりダイヤ乱れの原因になる。キハ35は冬季、隙間風多いからキハ40系大量投入して置換え進めるのが無難。
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南アーバンのクハ103広域転配車で2011年以後も残存した非ユニット窓車はクハ103-127と-135の2両のみ
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キハ58 1
新潟→鹿児島→小郡→豊岡→福知山→豊岡→米子 -
1985.4.29.
米原機関区撮影会
[米原]EF58 36、EF58 74、EF58 96
[宮原]EF58 138
[東京]EF58 61
厳密に言うとEF58 61(新鶴見より貸出)以外は廃車前提だったけど
この撮影会のためにわざわざ整備された -
415-500の一部
勝田→南福岡→鹿児島
つくば博用に登場したオールロングシート車両
国鉄末期415-1500増備中に一部が九州へ玉突き転属
民営化後もさらに最南端へ異動 -
国鉄民営化直前、予讃本線・土讃本線高松〜多度津〜琴平間電化用のため、
静岡運転所から四国へ送り込まれた111系 -
デカ目グロベンでしたよね
いかにも「くれてやった」感じ -
オハ/オハフ50-2000→5000
61-11で仕事を失った50系電暖付は青函トンネル開業用として62-3までに全国の工場で改造された
種車は米子、福知山、亀山など西日本より
改造は後藤、広島、鷹取、名古屋、松任、長野、大宮、土崎、五稜郭、苗穂、釧路
全国組織ならではの短期集中工事 -
カニ24 3
向日町→品川→青森→秋田→向日町→鹿児島→熊本 -
>>88
キハ58の1号車は終始一貫して非冷房のままで一生を終えた -
EF81 400
酒田区等からかき集めたEF81をEF30の後釜として門司区及び大分区に配置
何故か全車日立製で統一されていた -
>>95
暑い所ばかりで非冷房か -
DD51 791
鷲別→美濃太田
二代目ユーロライナー専用塗装機ははるばる鷲別からやって来た -
キハ47 502
新潟→高松→高知→徳島→松山→徳島
新潟で生まれた後、四国全県制覇 -
100系G1~G7編成他 JR東海→JR西日本に譲渡
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