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鉄道懐かし
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旧型客車総合スレ3
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2
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參
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今回も読売の社説で結構きつめにNHKに物申してたが
なぜかスクラムブル化しろとは絶対に言わないんだな。 -
SCHOOL RUMBLE MATTER? 10/03 00:15
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来週だっけ?高崎のイベント
Twitterに上がる画像でも見るか -
マニ車といえばマニ30
(荷物車ではあるが用途が少々特殊で、実際の運用は非公表のときが多かった)
マニー車といえばナマのおカネを運ぶ車
(鉄道車両としては日本には存在しない) -
桜降る蒲田?
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川崎市の生田緑地にD51とスハ43が保存されている。
スハの中に入れる。165系と違って座席の下は何もないのか。 -
↑和田岬線、サンテレビ撮影の当時映像。
同じく尼崎港線↓
https://www.youtube..../watch?v=r2n_k2TRTUg
プロ用機材なので、同年代の他の映像群より恐ろしく画質が良い。
入って行けそう -
そして、でっかい竹籠のゴミ箱をおばちゃんが引きづって車内清掃するんよね。
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上野発着の常磐線の客車普通列車
(1980/03時刻表から)
555発:221レ、仙台行
1236発:223レ、仙台行
1513発:425レ、平行
1136着:422レ、浪江発
1600着:424レ、平発
2145着:426レ、平発 -
>>16
その頃には既に、夜行の仙台行きや成田線直通の客車普通列車もないのね -
時刻表1971/07から、上野発の黒磯を超える普通列車
530発:121レ、郡山行
1117発:123レ、一ノ関行
1554発:125レ、福島行
2241発:421レ、奥羽本線経由青森行
もう少し後かもしれませんが、一ノ関行をガキの頃に上野で見た記憶があります
とんでもなく遠くに行く普通列車だと勝手に思っていました
福島行はもう少し後まで残っていて、学生の時に大宮まで乗りに行きました
大混雑で、大宮で降りて発車を見送っていましたが、デッキまで人であふれていました
青森行の記憶はゼロです
ご参考 -
時刻表1971/07から、上野発の常磐線列車
549発:221レ、仙台行
1040発:825レ、成田行き
1233発:225レ、仙台行
1405発:425レ、平行
2054発:829レ、成田行き
乗った/記憶にある客レは、末期の425レと426レです(1977〜1982頃)
成田線の客レは、見た記憶がないですね
2220発:227レ、仙台行 -
>>19
成田線の客レはDE11牽引だったと記憶している。
昭和48年、電化すると聞いて今度はどのELが牽引するか楽しみにしていたら、まさかの103系。
あのときのショックは生涯忘れることが出来ない。 -
715系が導入される直前の長崎本線・佐世保線普通列車って
どんな感じだったんですか? -
子どもの頃に京都発草津線直通の旧客に乗った記憶がある
うわ外線走ってる!ドア開きっぱなしで危ないやん!っとかいろいろ思っていたけど
ほどなくレッドトレイン化されちゃったな -
>>24
レッドトレイン時代はそう長くなかったね。 -
現在の基準だと各デッキに監視員を配置しないと危険だろうな
北海道と東日本では走行中に開けられないよう電磁ロックとドアクローザーを増設してる
電磁ロックによる鎖状は20系客車みたい -
最後尾車両の鎖だけのオープンデッキはもう味わえないよねぇ。
-
>>27
無理でしょうね
自分も何回か経験しましたが、怖いことは間違いなく怖いです
コンプライアンス上、極めて厳しいとしか言いようがないです
ちなみに、必ずしも簡単ではないですよ
・最後部に荷物車などが連結ないこと(これで上りか下りのどちらかが難しくなる可能性)
・最後部の客車が
ハであること
(ローカル線の客車でハフが1両しか連結ない場合、日中線等)
ハフで、車掌室が最後部でないこと
(車掌室が2両目寄りにあることは、結構普通にあり)
ハフで、車掌室が後部の場合、最後部ドアの内側に車掌室がること
(スハフ32や、オハフ33、その他ハからの改造ハフの場合)
ただし、車掌さんのいる場所が近いため、注意を受けることもありました
ハフがオープンデッキであること(別府鉄道ハフ7など)
などなどです
なお、単純走行でも、
高速の走行は危険
橋やトンネルもなかなか迫力がります
中でも一番の押し?スイッチバック、
風を全部受けるため、減速走行でも凄いです
米沢→福島、の上りがお薦め?危ないです(下りは荷物車連結に注意)
夜行では、札幌→函館の46列車でも経験しました
下り寄りの2-3両の客車の最後部のスハフなどの連結状況によりますので、運次第
ちなみに、客車が2両の場合、まともにであれば車掌室は両端と思いますが、
2両とも中間に車掌室、という編成もありました
車掌室の位置は、あまり気にしていなかったのでしょうか?
36年ほど前の記憶です
-
>>27
公には無理だろうけど
非公式ゴニョゴニョを含むなら完全にゼロではない
(ただし正規依頼では許可は出ないと思う)
もっとも、それの可能性のある線区は現在不通になったままだが。
和田岬線でスハフ42 2254が代車に入ったとき
貫通扉が閉まってたが、走行中に自分であけて楽しんだ記憶がある
旧客ってフランジの摩る音が特徴的だよね
20系寝台に乗ったときもデッキで同じ音がしてた(客室内はすごく静か)
デッキ馬乗りも含めて、セルフ展望車体験は和田岬線が最初で最後。 -
>>30
和田岬線のラッシュ時の姿はとても日本とは思えず、
映像でしか知りませんが、
東南アジアのどこかの国の通勤列車を想像していしまいました
よく事故が起こらないものだと、正直感心してしまいました
帰りはガラガラ、落差がすごいです -
>>31さん
反応どうもです。
デッキ鈴なりの平日朝ラッシュ時間帯は私も乗ってないです。
乗りに行ったのは基本的に休日の夕刻便でした。
ほどほどな混雑は記憶してますので一度くらいは平日夕も行ったかも
全国どこでも同じですが日本では退勤時刻って朝みたいな定時ではないので
今でもそうですが平成初頭ですから余計に。 -
>>32
デッキ鈴なり乗車も危険ですが、まだ完全に停止前の下車も思ったより危険
早すぎると、マジで足が定まらず、転倒寸前も経験しました
今なら年取ったためもありますが、仮に後ろからせかされても止まるまで待ちますね
それ以前に、デッキ鈴なり乗車にならないように、早く乗るか最悪1本待つと思います
若い健脚の男限定?(それでも危ないですが)
海外ならまだ経験できる国もあるでしょうが、全くお勧めできないです -
完全停止前のデッキから降りるときは、
進行方向ホーム側の脚を順当にホームに降ろす「のではなく」、
「車体側の脚から降ろす」のがデフォだよな
自転車の「ケンケン乗り」の逆をやるような感じで。
バランス崩しにくい -
何言ってんだ
近くに降りようとするから足が縺れるんだろ
踏ん切りよくポーンと遠目に跳ね降りるんだよ -
スキー場のリフトの要領と同じだな
-
今はもう誰も~~~
当時のようには飛べないさ -
慣性の法則というのがあって、デッキから降りたら、進行方向に軽く歩いて行くもんだと思っていたが。
-
客車のゆったりした発車は歌の題材になってた ドアが閉まってしまう時代になって歌にならなくなった
-
マイテ49も後年展望デッキの手すりを嵩上げしてる
以前は腰の高さ位だったのが肩の高さくらいになった
梯子代わりに上らないようアクリルパネルも付けられた
昔は安全基準がおおらかだったな -
逆ですよ
安全基準がおおらかだったんじゃなくて
昔はバカが居ないってだけだよ -
そのとおり
-
1985年から1986年頃の山陰のネガやポジをデジタル化中ですが、
オハフ33_627やオハフ33_1517のコダクロームでのコマが出てきました
青でしたね
オハフ33は基本茶色と思い、違和感があったため撮ったように思えました
オハフ33_1011は、BWネガしかありませんでした
ということは茶色だった?
事故改造車の様ですが、知ったのは最近です
もっと客車は勉強しておけばよかったと後悔ですね -
後悔先に立たず ( ^ω^)・・・
-
>>46
マジレス、本当にその通りです
とくに普段の状態が一番実は貴重だとか、全盛期の貴重な記録、とか
そう言われても、あっちもこっちも行きたいし、なんて思っているうちに、普段の状況が一変してしまうとか
まあ、いろいろです -
手動ドア、後方デッキ開放あたりまえだし慣れていた
いちいち詰まらないことで訴えない
地方では列車を降りた客が線路歩いて平気で帰宅出来た時代
今とはいろいろ違った
>>34-39
飛び降りてみたら、見た感じより速くて焦ったというのはあったな
周りに誰もいなかったし、なんとかなったけど -
都電の専用軌道傍を歩いたりしたな
今は大事になりそう -
マスク警察みたいな線路警察もおるんだろうな
どんどんつまらん奴らが増えてく -
ps://www.youtube.com/watch?v=tiCZdFeCqxM
これたまらんな
九州ベル、今はほぼ絶滅した出発合図扱いのブザ、それに呼応する汽笛、
停車するときビヨーンと行ったり来たりする旧客特有の挙動のなかを乗降する旅客、
カネ積んでも二度とムリ -
念のためですが
「出発合図」は、「出発指示合図」とは異なります。
指示合図のほうは各地でまだ幾らか残ってます -
貴重な映像
-
昔、名古屋から長野に行く夜行急行はがら空きで、2つのボックスの座布団4つを
床に並べてその上で寝て行った。
今では眉を顰められるような行儀の悪い乗り方だが、検札・巡回に来る車掌氏も
ニヤリと見ていく程度で咎められたりしなかった。
そうでなくてもあの頃昭和40年代後半の日本人の民度・マナーはお世辞意にも良い
といえるものではなく、終点に着いた急行なんかは車内も座席周りも弁当空きカス・
みかんの皮・ワンカップの空き瓶・新聞紙とゴミだらけだった。
まぁ、ところ構わずタバコが吸えて、開け放った窓からは黄害が吹き込むようなのが
日常だったしね。。。 -
大昔の絵本には「食った後の弁当箱は座席の下に捨てましょう」って書いてあった。
-
そういや、窓開放と黄害はセットだったな
余り気にしてなかったが -
マナー厨こそ平成令和のゴミ
-
マナーがどうたらと小五月蠅いのが増えたよな
-
潔癖は一種の病気
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ゴミは床に、は大井川鐵道でも言われるが
7両のSL客が皆弁当箱捨てに駅のゴミ箱に持っていったら入る訳無いしw
引き上げ線で清掃時に一気に回収してたね -
マナーといいつつセルフサービスに誘導されてるだけ
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座席が板張りの旧客ってありました?
お尻が痛くなりそう… -
座面まで板?
国鉄なら、おそらく1950年代で消滅してるかと -
>>66
保線が行き届いてなく揺れだけでなく突き上げ衝撃も避けられなかったから割と早々に消えたと思う。
今時の保線技術では突き上げなんてまずなくトロッコ車両とか観光鉄道で結構総板張り座面あるな。
昔みたいなアンコてんこ盛り座面も、今や発泡ウレタン形成の薄っぺらい座面に変わって、座り方が
悪い人は結構腰やケツが痛くなるみたいだけど。 -
戦災復旧客車の座席は、板張りでしょうかね
-
座席が板張りの時代、貸座布団があったそうで。あるいは自分で座布団持参するか。
-
正座していた人も多かっただろう
-
戦災復旧客車で思い出したのですが、リストを見ると緩急車が電車改造のオハフ71のたった2両しかありません。
(17m級の「オハフ70」や客車改造のオハフ71は存在しない)
この2両は運転台を車掌室にそのまま流用しただけで、手間も少なそうなのに量産されてないという事は、
素体がそこまで少なかったのか、それとも緩急車の需要が皆無だったのかどっちなんでしょうか? -
EF57+オユ10+旧客
オユは冷房化
さて、このオユの冷房電源は57のEGから給電していたのでしょうか?
乗客も乗務員も郵便局員をさぞ羨ましく見えただろう -
床下DG
-
オユにディーゼル発電機付いたのか
㌧ -
そういや逆に10系寝台車末期の天の川とかなんてエンジンが各車についてた贅沢編成なわけか
-
床下EGなんざ五月蝿くて寝れるか!
-
現代の基準だと各デッキに見張り付けないと危険で国土交通省に怒られそうだな
北海道や東日本は電磁ロックとドアクローザーを増設する工事してる
20系客車は最初の頃各デッキにドアボーイが付いてたがいつのまにか付かなくなって車掌がドアを閉めに回ってた -
各車付きで居たのはドア専用員ではなく
列車ボーイだよ -
平成初期に寝台列車から修学旅行の生徒が転落なんて事故があったらしいが、20系だろうなと思った。
更に昔大阪から銀河に乗ったときにドアの開閉は手動だったのは当時中坊の自分には驚きだった。
スレ違いすまん。 -
>>71
座席に正座して座るおばあちゃん見なくなったね -
冷凍ミカンも見なくなった気がするけど、俺が気づいていないだけ・・・?
-
>>80
転落と言えば宮城道雄だな -
阿房列車に凄い不気味な記述があったな
宮城道雄が銀河号のテールマークが綺麗に感じたと言うので内田百?閧ェヒマラヤ山系と一緒に見に行ったら無かったとか
予知か?予知なのか?? -
バックサインと呼んでね。
で、その銀河のバックサイン掲出、
一週間くらい(だっけ?)ですぐ中止されたんよ
だから、そのタイミング -
>>88
まずは先生の原作を読もうや -
>>89
資本は従来通りという指摘だろ -
単に資本の意味を理解していないアホかと
-
客車から転落?!
怖い -
急にどうした?
-
郵便車は窓を開けると郵便物が飛散する恐れがあるから締切にせざるを得ず、いち早く冷房化されたんだよね
-
理由はそれだけ?
組合の力? -
飛散防止で扇風機も使えないとなりゃ、エアコン付けなきゃとなるわ
うまくやったな -
側面はギンギラ・アルミサッシでカッコいいのに分散式クーラーのせいで屋根が残念
-
大井川鐡道の事故って機関車だけが走行してしまい、終点で客車を途中で置いてきてしまったことに気付いたのかな?
-
列車分離したら非常ブレーキかかるよ
-
エアホース外れって
客車側にフェールセーフあるの?
つまり、外れて制動「しなかった」場合 -
>>95-96
まだ理解できてないみたいだね。笑 -
自動空気ブレーキを知らぬ人がこのスレに居るだなんて
-
>>105
塩狩峠でググれ -
>>106
お前がな -
10系以前のロネがどんなんだったのか図面や写真を見たい
-
見れば良い
いまどき書籍や雑誌はいくらでもあるんだし -
「本人(俺)がそういうニュアンスで書いたんだよ」
↑この本人からの補足説明すら判らないのなら
そりゃあんたの日本語が不自由だよ -
ワタシにほんごすこし
-
113が少ししか日本語分からないことが判った
-
↑自己紹介で草
-
昔々、ブレーキは真空で引いてます田
しかしそんでは1気圧分でしか抑えられま変
そんで減圧ではなく、圧搾空気で押すことにすます田
ところんが、加圧して押すんではどっかに穴が開いたり連結から漏れたりしたら腑抜けになっちまい益田駅
そんでまた頭のいい人が、そだらば、初めから制輪子をおっつけといて、加圧で押し返しといたらよかんべと思いついた駄
さうすれば、そもそもブレーキ管に不都合があれば勝手に車輪が回らなくなるっぺ
あ、これさな自動ブレーキ駄馬 -
違うよ
-
引用したら出典を明記しよう
-
廃車されたらスクラップしかなかったのかな
海外に売られるのはなかった? -
無かったと思う。
-
ご存知の方いらっしゃったら教えて欲しいんですけど、現嵯峨野線で昭和50〜55年の間に使用されていた客車って50系以外でありますか?自分の記憶では赤い客車以外に青い客車も使われていたような気がするんですが。
-
色だけでは形式は判断つかん
-
>>124
ありがとうございます!
朧げな記憶ですが妻面の屋根が垂直だったような気がするのでオハ43かスハ43が記憶に近いような気がしました。
昔親戚から貰った31系はなんか違うなと思っていたのですがやっぱり別物だったのですね。 -
オハフ45なんて、妻面上部のカドに
押さえ材もついてなくて
見た目からして「切りっぱなし」なのが
特長的だった。 -
>>122
山陰線の京都口で旧客の青い客車ならナハフ10、オハフ33、
オハ36、スハフ42、スハ42、スハ43、オハ46、オハ47を
836レ、839レ、325レ、842レなどで確認
ただし福フチ車のオハフ33、スハ43は茶色と青色が存在した -
晩年は、いわゆる茶客のほうを数えるほうが早いくらい
少なかったはず
もちろん晩年ったって時期によるけどね -
旧客末期は福知山車も米子車も茶色ばかりだった
-
青色だけど中は木目ニス塗りってあった?
常磐線で一両だけニス塗りだったんだが
外は青色だった気がするんだよなあ -
>>127
そんなにたくさんの客車が混在してたんですか。祖父母の家が二条駅の近くにあってよく踏切に連れてってもらってたんですけど、なんせまだ小さかったのであんまり詳しくは覚えてなかったので助かりました。 -
>>122氏 50系が出たのは昭和53年だから
その前の客車は全て旧型客車だね。
何せ関東上野口でさえ、東北本線は昭和53年まで、高崎線、常磐線は57年新幹線開業年まであった。客車列車の多い山陰線は旧客天国で
あったはず。
もっとも、分割民営化後JRは旧型客車は引き継がなかったので、余力が出てきた12系客車に
置き換えたみたいでこれも青かったが、鉄道
好きなら一目瞭然ではあるねw -
>>122氏 50系が出たのは昭和53年だから
その前の客車は全て旧型客車だね。
何せ関東上野口でさえ、東北本線は昭和53年まで、高崎線、常磐線は57年新幹線開業年まであった。客車列車の多い山陰線は旧客天国で
あったはず。
もっとも、分割民営化後JRは旧型客車は引き継がなかったので、余力が出てきた12系客車に
置き換えたみたいでこれも青かったが、鉄道
好きなら一目瞭然ではあるねw -
50系は昭和53年3月、筑豊本線・芸備線において運用が開始され、
同年7月からは常磐線(仙台地区)でも運用が開始された -
ほほう、あんた様どこのどなたが存じませんが
思わぬところでつながりましたな。
昭和57年11月15日改正の確か前日の日曜日、常磐線客レ他を撮るためにオレは上野駅へ。
到着した客車の中を撮ろうと、そしてどうせならニス塗りのを撮ろうと何両か探したらすぐに見つかった。撮ってたら向こうから車掌氏が二人歩いてきた。
一応車内撮影許可得ないとならないかと思って、写真撮らせて下さい、と言ったら、
車掌さんカメラ目線でポーズ。オレが?の顔したら、その車掌さん、あ、違うのね、って恥ずかしそうに去って行った。。。。車掌さんの
写真撮らせてって勘違いされたんだな、悪いことした。どうせなら撮らせて貰えはよかった。
常磐線の客車結構状態良かったので改正後も
あちこち飛んで行ったんだな
お互い結構歳だな。いつまでもご機嫌よろしゅう。 -
谷汲口の旧客はそろそろ限界?
何も手入れしてなさそう
解体するなら最後に車内公開してほしい -
公開できる状態なら解体しないだろ
雨漏りしたらカビだらけネズミのフンだらけとかなりそうだし -
「そろそろ限界」なのであれば
そもそも床が歩ける現状にないと思う -
上野駅から東北線経由の一ノ関があった時代が懐かしい
-
北九州の某公園の旧客がカフェに改装されて大変なことになっているらしい
数年前にこの旧客見に行ったときも中はカフェだったけど、旧客の内装そのままだったよ
カフェの業者が変わったの? -
福知山線、姫新線で乗った記憶があるぁーーー
作用ー林野間で最後部のデッキで景色見てた記憶ある。
トンネルに入った時はメチャ怖かった鮮明な記憶。もう50年前くらいになるのにw
正確には48年前になるかな。 -
すんません変換ミス
作用 → 佐用やね -
左様
-
木屑
鉄屑 -
いつまでもピンハネできると思い込んでいやがる。
-
145はいつもの腐臭トンキンちゃんかい?
元気そうでよかった -
>>140
当時住んでいた北小金には、古老によると青森まで行く普通列車もあったとか。
今は小田急と直通になり上りは伊勢原まで行くのがある反面、下りはほとんど我孫子までになってしまった。
隔世の感がある。 -
>>141
西もそうだったけど、旧客保存にはあまり熱心ではないんだよね。東は大宮大整理の時も供奉車とオハ35は死守したし。 -
ヘタに活用を図る→カフェに改装(この段階でほぼ破壊完了)→閉店
→車内はオリジナルが損なわれ存在価値もどっちつかず
→結局解体
旧客だろうが電車客車だろうが
ほとんどの保存車がこの流れで駄目になってる
変に活用しようとされないほうが逆に長く残り
かえって後年に価値が見直されたりする -
素人はなんですぐカフェとかにしたがるのかな
-
>>153
お前も素人だろ -
保存だけだと維持管理費用など金は出て行く一方だがカフェじゃなくてもいいが貸せば家賃が貰える
カフェなんかにしないで152か153が金出して借り上げて趣味で塗装とか修繕するとスレの皆が喜ぶと思われ -
>>151
程度の低い連中は、価値なんか考えないですからねぇ。首里城の火災じゃないけど、カネになりゃ何でもオッケーにしてしまうと、
破壊しまくられますよ。コレで未更新の戦後型オハフ33は、津軽鉄道の1両だけになりましたね。
大井川のオハ35 22も部品取りにされてそうだし、貴重な車両が消えて行くのは残念な限りです。 -
門司港のオハフ33、海が近いからボロボロだよな
ステンレスのEF30でもボロボロ
ヲタの言う見直される価値とやらよりカフェでもカネかけてくれるならいいだろ -
手宮も塩害ヤバいよね
その意味では三笠の方が良いけど、アクセスは手宮の方が良いし、歴史的にも手宮の方が重要だし…難しいね -
最近YouTubeで旧客車の動画をよく見てます。
懐かしくて涙出そうですww -
C62-3ニセコ号のカフェカー懐かしい
-
旧客は駅に停車中に、車両から全く音の出ないあの静かさが良い。
電磁波みたいのも感じないw
都会で日常103系や111系ばかり利用しているとあの静寂に最初はとても驚いたよ。 -
>>158
EF30でも駄目なんだねぇ -
にうすになっててワロタ
どうでもいいのに -
北九州の旧客のケース、だいぶ叩かれてるな
でも、今までも内装改装してカフェやレストランって今までもあったケースだと思うんだが
確か高崎とかにもあった
今回は内装売り払って自分の金にしてたのが問題なのかな? -
> 21年8月まで車両の管理を事実上担ってきたボランティア団体「門司港トロッコ応援団」の関係者や鉄道ファンは
> 「長年守ってきた車両の内部が原形をとどめないほどに変わってしまった」と嘆き、
> 「客車利用に関する市民への説明や話し合いもないまま、一方的に座席の処分などを決めた市の姿勢に怒りを覚える。
> 市は貴重な市民の財産を大切に扱う姿勢に欠けている」と批判する。
まあこの人たちの気持ちは分からんでもない
市の配慮が足りなかったね -
>>162 停車中は静かだが、走り出すときの連結器からの騒音、振動がなあ・・
-
>>167
マルチ死ね -
恵比寿の旧客レストランには何回か行ったなぁ、遠い思い出
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91号機は印象に残ってるけどそういえばあの旧客どっから持ってきたんだろうな
オハフ462005とかどこのだよ -
>>170
北九州の旧客の問題は改装したことじゃなくて、内装品を売っ払って自分の金にしてたことじゃないの? -
北九州は修羅の國ですから
-
ロケットランチャーで
-
>>165
学芸会でカタツムリの役をやった私ではダメですか? -
この客車の保存にはJRはタッチしてないの?
JR的にはどうでも良い感じ? -
>>180
JRがタッチしてるなら売らないで貸与にするだろうね -
匿名の相手を決めつける人がいるのな
学芸員や関係者が書いてる可能性を考慮してない時点でもうね -
>>182
でも実際の所素人でしょ? -
>>151
確かにオハ35 22、オハニ36 7も、大代側線に行くなど災害復旧が進まず苦境の大井川旧客もかなり心配になってきた。
12系・14系の押し出し廃車が停滞しているのは少し安堵だが、そもそも大鉄は12系14系は使わないのかね?
スレ違いだが。。。 -
>>184
そういえば、今年は大井川鐵道の旧客の臨時運転ないのかな? -
でも素人なんだぜw
何に負けたかよく分からんしw -
>>162
昔、スイスに行って客車列車に乗った時、大昔の旧客のその感覚を味わえた -
>>162
静かな中で聞こえる減速時のブレーキ音が好き -
いやいやブレーキかけるときは走ってるんだからガチャガチャうるさいでしょ
ロングレールも少なかったから大騒ぎだよ
で、ブレーキかけるとA弁からゴシャーって空気が抜けていくのが前の車両から順番に聞こえてくる
シューも鋳鉄だからゴーとかいってブレーキかかる。で、止まると静寂。夏は扇風機の音
こんなのもう無理だろうな。この前みたいなのが走ると別の意味で大騒ぎだし、高崎は機関車もなくなるしね -
たしかにそうだ
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>>191
今のうちに大井川へ行けるだけ行っとけ -
当時は最後尾の車掌車からの車内放送で運転士との連絡をしてることも多かったね。
停車中の静寂に
「業務連絡。824列車運転士さん、下り交換の貨物列車7分遅れです」
と放送があったりしてのどかでした。 -
旧型客車の車内放送設備は機関車には無いから勘違いかと
車掌は機関士との連絡用に無線機持って乗務してた -
194は携帯無線機の話でしょう。
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昔はデッキから旅客が落ちても乗客の自己責任で片付けられてたが現在だと賠償請求される
各デッキに見張り番を付けて走行中デッキに出ないよう旅客に案内せねばならず人件費がかさんだとか?
高崎のやつは電磁ロックとドアクローザーが付いた -
あの電磁ドアは良く出来ている。
タラレバだが、もし旧客がフツーに現代まで使われ続けていたら
東の旧客みたいにドア自動化やLED照明化など
あんな感じに改造されて運用されてたんだろうね。
だから東の旧客は順当進化感あってきらいではない
旧客のドア保安なし一般運用は国鉄時代の61.10.31で全廃しとるし
最後の最後は特殊線区の和田岬線64系旧客 -
高崎の旧客は冷房化に挑戦せず
今時非冷房の希少な車両ともいえるが乗客が熱中症になる懸念があるので夏季の運用は避けてるはず
車内に氷柱を持ち込んで運用したらどうなるか -
盛夏〜+αを避けるのは良いと思う
-
山万は今でも全車両非冷房だよ。
みんなふつうに乗ってるよ。 -
旧客は連結器のショックは大きいが、それ以外きわめて「静か」というのが印象深い。
多少静かになりつつあるが今の電車(特にVVVF)がうるさすぎるともいえる。 -
今の電車が五月蝿いなら昔の電車(旧性能電車)はもっともっと五月蝿い
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旧客で貨物列車みたいな感覚で圧縮引き出ししたら衝撃が強烈すぎて車内事故になる
オリエント急行は普通に運転したら重すぎて空転が多発し「貨物列車のように運転すること」と通達されたがねじ式連結器だったから出来た荒業 -
ガキの頃バカみたいに凄いのにあたった事があるな
発車するたびドーーン、バッカーーン、ゴガチャーーンって恐ろしかったわ
でも車内は誰も気にしてなかったような感じ
そんなもんなのか -
旧客は、事業用車、通勤車、二等格下げ車、二重屋根車、1等2等戦前製座席&寝台辺りが濃い。
オハ60も廃車が早く保存車が無いので謎も多い。 -
旧型客車の定義として終わりは10系客車を含むか含まないかまでは分かる。逆に
始まりはいつからなんだろう? 交通博物館に明治天皇ご乗用のマッチ箱みたいな客車があってなんじゃこれ?馬車か?と思ったものだった。あれがもっと細長くなつて頑丈なシャーシに床下トラスのついたホハ4桁なんちゃらとか、九州鉄道が輸入したブリル台車履いた芸術工芸品のような装飾的な実にぁゃしぃ客車が昭和に入っても長く使われてたみたいだがこれらも旧型客車と言うの?地方線で木造17メートルが昭和30年代でも使われてたようなとこは何が残っててもおかしくないよね? -
谷汲ロの旧客はどうなった?
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国鉄は昭和24年からなんだけどな
-
鉄道省だったか。
-
その時代に国民がなんと呼んでたかって話しだろね
-
その時代なら客車だろ
旧型客車は新系列客車が登場して以降に旧型客車と呼ばれただけ -
そっちかよw
鉄道院だろうが鉄道省だろうが国有鉄道だから国鉄と呼んでなんじゃね?って話
私鉄に対して国鉄 -
話し
これ定着しちゃったな -
国鉄の前は省線とか省電だろ
旧型国電も新性能がでたからそういう呼び方を始めたんだろうし
旧客も新系列がでてからなんじゃね
鋼製の前の木製の客車を区別するための呼び方はあったのかも知れない -
国鉄は一応会社形態だからなぁ
-
>>216
それは電車区間だけの話 -
電車区間以外も国鉄とは呼んでなかったと思うが
-
昭和前期の電車区間以外のことなら普通に「汽車」と呼んでいた
私鉄や市内電車と区別出来ればいいだけ
客車列車だろうが電車列車だろうが「汽車」
長距離私鉄のあった昔は知らんけど -
官鉄→院線→省線→国鉄線→JR線
-
汽車かぁ
昔はよく言ってたけど、さすがに最近言わなくなったなぁ -
きしゃのきしゃがきしゃできしゃした
-
うちの街では国鉄は汽車
電車は路面を走るもの -
うちの街とか言われてもな
-
BS松竹東急でやる渥美清の列車シリーズは旧客出るのかな?
https://www.shochiku...co.jp/program/movie/ -
>>226
出るけどそれ目的に見るほどは出てこない -
>>194
824列車懐かしい、門司(5:23)発の福知山(23:50)行き最長距離鈍行は
自分も1回だけフル乗車した事があるけどオハフ61に揺られて幸せだった
主要駅での停車時間も長くて朝・昼・晩と駅弁ばかり食べていたわ -
>>227
逆に動き始めてから飛び乗る人もいた -
いろんな車両が選べるのも旧客列車の楽しみ
だいたいは背もたれが木のオハ61系を選んだもんだ
スハ43は元優等だけにシートが柔らかかったが
やっぱりオハ61かなければ戦前製のオハ35あたり
もちろん「近代化改造の」青は遠慮した
pbs.twimg.com/media/E5_kwZvVUAIixbr?format=jpg -
うちのほうは43系ばかりだった
-
スハ32の狭窓タイプは乗ったことないのが残念
-
>>236
??? -
>>237
言いたいことがあったら誰にも分かるように詳しく -
今販売中の鉄ピクは50系特集。
50系すら歴史の彼方になりつつあるとは・・・
時の流れの速さを感じる。 -
>>238
わかんない奴はこのスレに居らんやろ -
>>240
それは分からんしはっきり言わない理由にはならないよ -
横から言ってやろう
スハ32は「最初から狭窓タイプのみしか存在しない」んよ。
日本語表現で「狭窓タイプ「は」乗ったことない」と書かれているときは
狭窓以外のタイプが別に存在していることを暗に示したり
そのことが念頭に置かれているときの表現なわけ。 -
>>242
横じゃ意味ねえw -
倉吉線の客車列車
DE10牽引の合造車と旧型客車の2両編成だったが、客車は元特急用客車のナハフ11が運用に入ることもあった。 -
>>243
当事者が仲裁するのは無理だろ?笑 -
10系は特急で使ってたけど特急用ではないな
スハフ43とかスハニ35とかならまぁ
スハフ43、いまでも乗れるのがすごい -
3等座席車は当時から遜色感半端なかったみたいだしねえ
-
使 用 中 は
停車しないで
く だ さ い -
昔は客車の座席夜行と言えば旧型客車が殆どで旧客+10系寝台が当たり前だった
北から 利尻、大雪、狩勝、からまつ、すずらん、43・44レ、八甲田、津軽、十和田、
妙高、越前、能登、鳥海、きそ、南紀(後のはやたま)、山陰、さんべ、だいせん、
ながさき・・・臨時列車や季節列車を除く
夜行列車を除けば上野発一ノ関行き123レが思い出深いが123レで仙台まで行って
仙台駅構内で朝まで駅寝して一ノ関発上野行きの124レに乗って旧形客車の旅を
楽しんだのは高校3年生の春休みだった
上野口の昼行列車の旧客鈍行は常磐線経由の平行きと仙台行きに高崎、長野経由で
長岡か新潟まで途中列車番号を変えて走るのがまだ残っていた。
東京駅発着だと西鹿児島行きの急行桜島+高千穂が最後だと思ったけど東京発が
確か昼前で全車旧型客車で寝台車は連結してないけど東京から熱海まで乗ったのが
最初で最後であった -
>>249
何年の話? -
大分昔の話でしょうな。
-
>>251
市原悦子や常田富士男の声で再生されました -
普通の夜行に名前がついたのは昭和50年なんだよね
53.10で津軽のハザが12系、さんべやかいもん日南は12系+20系化
だからS50.3~S53.10までの間じゃね -
夜行普通の愛称はマルス収容の都合
先行して昭和49年夏にからまつは愛称ついたけどね -
マルスの都合で名前がついたのも結構あった
-
山陰などマルスに入る前は無名で
時刻表には四角枠で囲った寝台マークが付いていて
寝台券は周辺駅などで販売と注釈がついていた
近くまでいかないとダメかと思っていたが
まもなくマルスに入って名称がついた -
マルス以前は小駅は予約センターや始発駅に電話掛けて席確保して手書き発券だったよね
-
マルスは国鉄近代化の象徴だったね
-
スハ43は登場時「急行用」だった
-
博多での方向転換に時間がかかるから嫌われたんだよね
それでそれの必要がないボックスシート車に -
非冷房のクロスで長時間揺られるのか羨ましい
今は早くて快適な時代だけど -
>>261
サンクス -
まあ湘南電車には非冷房のグリーン車もあった
-
80系はいつまでだったかな
-
扇風機の列車を見なくなった
-
東急8500が消えたからな
-
地方私鉄でも客車がどんどん消えているが
やはり非効率だからでしょうか -
>>271
日本は大井川以外で制御客車が無かったから、機関車の付け替えが面倒。あと貨物のトラック化推進で貨物列車が急速に消えた為、旅客と共用できる機関車も消えた。
JR貨物が二種免許取得で、夜行バスから鉄道へのシフトを促したら面白いんだがね。 -
石破っちが夜行列車復活って、言ってるから復活したり。
石破総理の乗った夜行列車を不満分子の決起部隊が乗っ取りクーデターを起こす皇帝のいない八月令和版というしょうもない妄想w -
>>274
ああ、それやってほしいなあ -
>>267
真岡あるうちに乗ってきた。
特にSL列車しゃが下館到着し、真岡まで帰る列車がおすすめ。
DE10牽引で、SLはぶら下がり状態で帰っていくけど、後部補機の如く汽笛の発車合図もあった。
客車は後部1両のみ開放だったけど、SL目当てでない、一般客や高校生が乗っていて、懐かしさ満載だった。
車内放送では、ハイケンスのオルゴールも聞けた。 -
>>277
50系ですら郷愁感満載の時代になってしまったんだね・・・ -
SGの季節になってきたから余計に良さげだね
50系のSGを体験できるのは真岡だけ -
SGといえば個人的には
京都駅から草津線へ直通する50系客レに乗ったな。
末期ね
記憶では11連で、SGモクモクだった
写真撮ったはずだが -
SGといえば個人的には
京都駅から草津線へ直通する50系客レに乗ったな。
末期ね
記憶では11連で、SGモクモクだった
写真撮ったはずだが -
SGはマニ60とか荷物列車のイメージ
-
蒸気機関車でしょ
ボイラーから蒸気をもらって温める
シンプルかつ合理的 -
大井川は今でもSGですか?
EL牽引モードだとただの警笛担当ですか? -
DLのSG熱源は冷却水?
-
んなわけあるかい
-
EF58のSGと基本的に同じもの積んでたはず。
DLはエンジン回して発電機動かしてSG作動だろ?きっと。 -
SGってそんな煙でないでしょ
DLのは燃料がエンジンと共通だからELと比べて別に燃料タンクがいらないってだけで
DD51なんかボイラーが運転席の中にあるよ -
煙つーか湯気はすごいな
-
電気機関車なのにSteam Generatorを電気で発生せずに灯油で沸かして
蒸気を客車などに送っていたのが特徴なED76-500番台で極A寒冷地仕様ゆえ、
大容量 SG 搭載に伴う水と灯油タンクの大型化で九州向けED76より全長が
やや長い。
ただしED76-514改造のED76-551は津軽海峡線専用仕様を主としている
ため、種車のSGは撤去され電気暖房「EG」仕様となった。 -
>>289-290
湯気w
蒸気を盛大に噴いたら無駄でしょ
客車からは通気する分しか漏れないから
機関車から盛大に噴くのは供給先がない単機で入換のときや
機関車交換のときだけだよ。その印象が強いんだね -
こいつ見た事ないんか
-
昔は乗客が転落しても自己責任で片付けられてたとかおおらかだったな
現在だと国土交通省に怒られてしまうので高崎のやつは電磁ロックとドアクローザーを取り付けて走行中開放を防止してる
北海道の旧客も同様の工事してた
ただ冷房化はしてないので真夏が地獄だろうな -
SG懐かしいな。
確かに客車牽引してる時はホワーと蒸気をまとう程度が多いんだけどたまに盛大に吹いてる時もあったな。ひとつは新幹線から濃尾平野が見渡せるどこかで見た東海道線上のEF61牽引の荷物列車。もうひとつはEF58下関集中の時の小田原駅でのEF58 68の荷物列車。
そういえば東北高崎線で冬に昭和40年代後期から50年代前期までのEG移行期はEGとSGが混用されていた?50.3改正で宇都宮転入のEF58がSG仕様のまま冬臨引いてる画像があったので。。 -
荷レは蒸気をあまり使わないから安全弁から噴くんだな
58のSGはその辺も自動でやってくれるはずなんだけど
そういや大阪で大音量で噴いてたな。凄い音してた
東北線の旅客は43.10の頃にはEG化してるんだけど荷レがあったからね
荷レはその58集中配置のあと62で電暖化だから、黒磯までSGで50.3までEF56が担当してた
博多開業でその58のSG車が転属してきて56が廃車になってたな -
EF58が81系ロ・ロフを牽引してSGを吹くシーンは貯まらない
https://tadaup.jp/347793a86.jpg -
>>297
SGを吹くシーンは確かに何も貯まらない。SGは空中に去ってしまう。 -
>>297
1984年1月土曜日の横浜駅7番線ホームですね、自分もそれ撮影しました
最後には後ろのスロフ81が隠れるくらい連結器横から大爆発したけど
今の様な罵声や揉め事もなく、6番線の川崎寄りは平和でした -
SGは後方の車両ほど効きが弱くなる欠点があった
SL碓氷みたいに往路復路片方がELかDLの場合でもSLはただぶら下がってるのではなく蒸気供給源になってる
最後尾に暖房車を連結すれば長大編成でも暖房が強力になったのに -
北海道の石北本線や根室本線の山線区間ではPPしていて、特に冷える冬季は両方から蒸気を送り込んでいた
DD51になってからも根室本線の急行まりもは冬季暖房目的でPPしていた
宗谷本線は急行利尻の編成が長いため暖房が最後尾まで達しない事が多く、暖房追加目的でPP運用をしていた -
暖房補機、いうほどやってないな
冬に利尻乗ったときに補機ついたのは塩狩峠越えだけだった
後補機もDD51で汽笛合図だったな -
連合軍専用車ではやってたろ
-
>>277
いつまでも残ってほしい光景だね -
昔の冬の中央線には暖房車「ヌ」が連結されていた。
電気機関車牽引なのに、SLのごとき煙を吐いてる暖房車は愉快だった。 -
電気機関車にSGが付いたのはEF56が最初だが、重油を燃やすことで暖房用蒸気を発生させていた
ところが、数年で重油を含む液体燃料が抑制されることになり、冬季は結局暖房車を連結する羽目に -
test
-
上越線でEF15+EF16+暖房車+客車
-
蒸気供給の為にわざわざ燃料ボイラー搭載って何か無駄だよな。
DCならラジエターの排熱利用は出来なかったのかな。
ECでも文字通り電気窯にするとか。 -
誤…DC EC
正…DL EL -
>>310
・蒸気暖房はもともとSL時代の遺産
・重油の方が安い
・ELの電熱線使うならもう客車側を電暖化した方が
・客車も古いから電暖化も無駄
・電暖、蒸暖両用は50系2000番台の登場まで待つ
・余剰になった581/583系や特急格上げでお役御免になった急行型電車の改造で普通客レの電車化 -
鉄道ビクトリアル2000年2月号の湘南「列車」部分を読め
-
鉄道ピクトリアル
IMEの調整がまだ行えていないなあ -
>>310
ラジエターの排熱利用はキハ21がやってダメだった
なのでそのままエンジン冷却水を回して使った
でも冷却水、80℃そこそこだから1両ならいいけど
両数多くなると届かないし冷却水回すのも大変だと思うよ
SGの蒸気だと150℃くらいになるしね
電気ボイラーは長時間停車とか発車で架線がやられるのが
嫌だったんじゃないかな -
自分の車見てると冬はエンジンの排熱もそれほど多くないと感じるね。ウテシのいる室内
温めてトントン程度? ラジエータのもあまり冷却水は回さない。ラジエータファンはほとんど
回らない。 むしろ夏の冷却がメインの仕事だね。 -
そこでウェバストヒーターですよ
独立燃焼式で混合列車でも安心
何ならだるまストーブも… -
釧網線だったか客車にも付いていた
-
>>312
旧客の電暖化(SG、EG両用)を知らなのがいたのかぁ。ちなみに高崎の旧客もオハニ以外は
電暖で全検時にEG整備してる。最後に使ったのは東北でED75牽引の臨時。EL引退で不要になるかもしれん。 -
ELもEG撤去してるのが増えたし
-
EGからSGに切り替えると配管が凍ってているから暖房はしばらく効かない
大阪行き急行きたぐに10系寝台は米原過ぎると寒さで目が覚めた -
凍結したら配管が破裂するって習わなかった?
-
直前の運用でのSGの残り蒸気が配管内に残っていてそれが冷えて水になって凍って詰まり気味になるんだろうね。再度SG区間で蒸気が送り込まれてもまずはその詰まった氷を溶かすのに蒸気の熱が使われてそれが排出されるまで客室内に温い蒸気が入っていかない無暖房状態で寒い、と。
水道管と違って管の中がたっぷり水で満たされてないから凍結して体積が膨張しても管を破壊するまでには至らない、と
東北→東海道筋の荷レは関東の気温でSG管内の氷はほぼ溶けていて同様の問題はほぼ起こらない、と。 -
>>331
EGで車内温かいのに? -
室内は暖かくても連結部が凍るって想像出来ない?
-
>>330
東海道~東北の二モレは多摩川手前でSG圧力上げて橋梁上でSG切ると同時に最後尾でSG管解放して水蒸気が溜まらないようにしていた
六郷川橋梁渡る上り二モレの写真検索すると大量のスチームが出ているのがヒットする
周辺に人家や農地があると結構危なくて出来ない作業だったらしい -
>>333
お前想像で語ってない? -
二モレって何だよw
-
六郷川橋梁を湯気大爆発で渡る二モレ!
-
大阪車掌区の某車掌さんの著作にもある
きたぐに暖房問題 -
終点近くの橋梁上でSGの処理をしていたのは、水蒸気を放出することではなく、SG主配管内にたまった凝固水を蒸気圧で放出するため
これを部内では吹抜き作業と呼んでいた
あたかも大量の蒸気を出しているように見えるけど、あのほとんどは蒸気圧で配管内に当たりまくって雨みたいになったお湯が配管外へ放出されて急激に冷やされることで生じた湯気 -
お湯を冷やすと湯気になるのか。
昨日から摩訶不思議な話が続いてるけど同一人物の仕業か? -
>>341
お前馬鹿なの? -
馬鹿にレスするとだめだぞ
鉄道趣味者なら知っている用語すら知らないと宣言しているんだからさ -
>>336
荷漏れだと思う -
ローカルスラングをさも常識のように騙ったり、水蒸気と水飛沫の区別も付かない鉄道趣味者w
-
まぁ本やネットで見た知識でシッタカしてるだけだからな
六郷川橋梁を渡る荷レとか見たことないんだけど鉄道趣味者は見たことあんの?
普通に多摩川橋梁にしとけば良かったのに -
なんか馬鹿が居るようだが、ほらほら文句言いに行けよ
東海道本線六郷川橋梁
https://www.ktr.mlit...hin/keihin00613.html
https://ja.wikipedia...3%E6%9C%AC%E7%B7%9A) -
もしかして、直接品川から汐留へ抜けれる路線があった事すら知らないとか?
どれだけ嘘付きなんだよ -
さすが湯気だのSG大爆発とか恥ずかしいこというだけあるな
荷レはどこを通ってましたか?品鶴線すら知らないとか?
間違ってたらゴメンナサイしなさいね -
どうしてここは喧嘩腰の人が多いのか問題
-
荷物列車は品鶴線回りも川崎回りも両方あるよ
昭和50年代前半では汐留着荷物列車6本のうち品鶴線は32レ38レの2本で川崎回りが4本
隅田川行き40レも品鶴線
時刻表の復刻版でも見れば川崎駅通過で確認できる -
ちょっとスレチだけど、ボイラーでも使用する過熱水蒸気が凄い。
吹き出しているのを見ると、炎のようにさえ見える。 -
1980年10月1日以降の東海道旅客線に荷レが走っている事実を知らん人が多そう
通常荷レは横浜羽沢経由だけど荷33レは横浜駅を白昼堂々と通過していた -
https://tadaup.jp/7dd5613d.jpg
荷33列車のみ横浜駅通過である当時の時刻表 -
>>352
私愚かな女の子ですか -
嘘付きは誰にでもわかる嘘を書いた後で逃げるか嘘をつき続けるしかできない
だから、嘘付きに対して激怒する事は当然 -
嘘ねえw
別に他人を騙そうとしたわけじゃなかろう -
嘘つきのパラドックス
Aという国の人はみんな嘘つきである。
Bの国の人がAの国の人に「あなたたちは嘘つきだそうですね」と尋ねた。
Aの国の人は「そうです、私たちは嘘つきなんです」と答えた。
Aの国の人は嘘つきなので、実は嘘つきでないことになってしまう。 -
>>357
嘘は方便と言う言葉もあるし・・・ -
嘘をつきたければ嘘電へ行けばよい
-
>>359
横浜じゃないがターレットが動いているホームがなつかしい -
>>361
発想の豊かさに脱帽するね -
ニノサンサン、サブロク、サンパチ
キノウ ロクハチガ サンサンデ クダッテッタヨ -
ハチハチキューサン
海底人 -
1926年製造、1957年最終改造、現役 そんなすごい客車があるとか
-
昔は東海道、東北線、中央線などの近郊電車にはクモニやクモユニが
連結していたのでホームにターレットが走り、ホームの端には
簡素な大きいエレベーターもあった -
荷電でいいだろ
-
荷電連結
荷電粒子 -
大井川の夜汽車は大人気で瞬殺だったなぁ。補機付きだし、もう2両ぐらい増結すりゃいいのにね。
-
まあ酒でも飲むことにするか
-
>>370
荷物列車 荷レ ニモレ -
理科の実験で湯気をバーナーで加熱すると見えなくなる。
即ち高温の水蒸気で紙を当てるて焦げた覚えがある。 -
>>369
隣り合う客車が正負に帯電してるのか? -
過熱水蒸気は700度くらいまで温度を上げられるとか
-
大火傷
-
かつて113系や115系はその前後に帯荷電していたなあ。荷電連結ともいう。新性能に負けまいと轟音をあげる吊り掛けが痛々しかった。
-
>>371
犬井川の旧客企画列車、
実は対マスコミにタダ宣伝してもらう手段だよ。
プレス向けに前抜き席が大半で
一般発売席は最初からほとんどタマ数なかった
一般民が予約チャレンジしても
全く歯すら立たなかったのはそれ -
メディア露出して客が増えれば旧型客車も残るだろ
それで良い
てか大井川はせっかく各タイプ揃ってるんだし、客車の歴史とか工業遺産的価値を売りにすれば良いのにな。
ただの移動の道具じゃもったいないし、もっと客集められるのに。 -
日本で唯一現役の垂れ流し列車便所を使える
-
最新式のバス(路線車)って
始発停留所の発車待ちはエンジン切るが
エンジン以外に車内の電気回路?とかの
システム系の音とかも本当に全くしないので
ふと、旧客停車中の車内を思い出す -
スピーカーにハムノイズ?が乗ってないとね
-
昔奥羽線のED75のウテシに話を聞いたときに言っていたが、降雪時旧客は厳寒時でもブレーキ掛けると火花散らす位熱持つのでなので制動力が維持できる。
が、ブルトレは火花散らしたりせず雪を噛んだままになったりするのでブレーキの利きが甘いと言っていた。、 -
>>390
ブルトレには耐雪ブレーキがないのね -
でなくて、ブレーキ制御方式が違うため、12系からの新客車系はブレーキシューを軽く車輪に当てておくモードがない
深夜早朝の豪雪の奥羽山区間で20系が最後まで残ったのもそういう事情
14系北海道転用時にはブレーキ周りを改造している -
基本的なこと聞くが、ということは
20系客車の制輪子ってつまり鋳鉄製だったんだよね?
制動時のシャーッという音が記憶にあり
旧客みたいな音だなとは当時思ってたが -
20系はA弁だから旧客と同じ。電磁化はしたけど使わない場合は旧客と一緒
あけぼのが最後まで20系だったのは最後に新製投入したからだよ
10年しか使ってない -
ブレーキシューが鋳鉄から樹脂製に変わって冬季の遅延が酷くなったって報道もあったな。
-
冬の北海道で旧客を駅の留置線に止めておく時は
駅のボイラーから作った蒸気を客車にホースで繋げ車内を温めていた -
3月2日(日)
小金井公園でC57186公開イベント
旧客の車内公開もあるそう -
武蔵小金井の客車の車内公開の当日枠が若干あるそうだが、何人くらいなんだろ?
https://newscast.jp/news/4967343 -
実行側が決めてることだから
今回の方策に文句言うつもりはないが、
要員を2人ほど立たせておいて
バッチ処理的な自由見学
(列並び→人数区切って入れる→出させる→)ではアカンのかな
予約制なら見れる人に限度がある -
>>400
何だかんだ言って開門時間の間は車内見せてくれるんじゃないの? -
昔は夜行の荷物専用列車とかあったなあ
-
荷物を運ぶ夜汽車
-
武蔵小金井の保存客車は扇風機のJNRのロゴが気になる
よく知られているJNRロゴなのか?
それより一世代前のJNRロゴなのか?
確か蒲郡の保存客車は一世代前のJNRロゴだったと思う -
小金井公園のスハフ32は、飾り押縁内装で白熱灯のオリジナル装備。博物館入れるなら、こちらをお願いしたい。
-
35系4000番台の発電エンジンは明らか冗長化で1編成に2台積んでる
14系客車よりも強力なのを2台積んでるが5両編成だと明らかオーバースペック
通常は片方だけ使うとか?
ななつ星in九州も同様 -
スレチは巣にカエレ
-
それでは味気ない
-
武蔵小金井の客車の車内公開、当日受付が長蛇の列らしい
列に並べば全員車内に入れるのかな? -
>>411
抽選だよ -
くじ引きだよ
-
秩序維持の為です
-
盗り鉄対策
-
旧客って緩急ブレーキのハンドルが客の入られるとこにあるけど悪戯されなかったの?
-
手ブレーキのハンドルが客の触れる場所にあるのはキハも一緒
手ブレーキのある助士席側は編成中間では出入り自由だからね
で、私は悪戯されて列車が停まったケースを知らないけど戯されなかったの?って訊かれたら全列車を把握していないから分からないとしか答えられない -
>>423
1両緊締されてりゃ煙上がるな -
SL牽引だと気づかないかも
-
昔の乗客は発達障害児は幼い内に淘汰されるので嫌がらせや危ない真似するのは在.日ぐらいだった
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