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鉄道懐かし
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【東札幌・月寒】旧千歳線【大谷地・野津幌】
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大正15年(1926年)8月21日に北海道鉄道札幌線として開業し昭和48年(1973年)9月9日に切り替えにより廃線となった
旧千歳線について語りましょう
ちなみに月寒〜東札幌間は1973年以降も残っていましたが、函館本線に編入しています。
また東札幌では定山渓鉄道にも接続していました。
その辺も含めた話題でどうぞ。 - コメントを投稿する
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このスレ ウンコだ
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東札幌〜苗穂は知られざる北海道初の国鉄電化区間。
しかも直流 -
>>3
電化の架線電源を利用して走るのは、
定山渓鉄道のECのみ。
苗穂〜東札幌〜豊平〜定山渓と乗り入れ運転。
その後定山渓鉄道が所有する気動車で札幌まで直通乗り入れ。
それと前後して電化は廃止されたらしい、
過渡期にECと気動車が共に走った記憶があるのは、
気動車の試運転の時代かも。 -
まあ東西線があるから問題ない。サイクリングロードは便利
そういやサイクリングロードを市電かLRTで作って東西線をやめようって個人サイトが昔あったな。地下鉄の客をさばけるわけないだろうに… -
>>6
旧線跡に地下鉄を通す計画の前は市電を通す計画があったそうな -
この辺りって例の札幌急行鉄道で使う計画もあったんだっけ?
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>>8
夕張鉄道と定山渓鉄道の接続はどうするつもりだったんだろうか?
夕張鉄道は石狩湾新港への鉄道免許もっていたので
野幌〜王子製紙〜石狩川左岸〜新石狩川橋
で国道275に沿う形で札幌へ向かおうとでも思ってたのか?
まあ普通に考えて、野幌〜東札幌は国鉄乗り入れだろうね -
旧千歳線跡は桜の名所になりました
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札幌駅0番線ホームから乗って
小金湯温泉に祖母とよく行った
定鉄最後の花電車も乗った -
>>13
(12氏とは別人)
札幌駅からの直通列車は、定鉄民有の気動車、
少なくとも片方は非貫通で2枚ガラスの運転台、
客室部の外観はボックスシートを想像させる大きな1枚ガラス、
国鉄客車に似たぶどう色の塗色だったと思う。(昭和30年頃の記憶しかない)
定山渓温泉が正月とかに混雑し始めて、
その後は登別温泉や洞爺湖温泉に行くようになってしまった。
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東札幌では定山渓鉄道と千歳線で接続とったりしてたのですかね?
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連絡は市電の豊平線がメジャー
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>>15
定山渓鉄道所有の民有気動車が札幌直通を始めた頃は、
東札幌始発の列車はほとんど無くなった。
【連絡運輸】で乗車券の通しの発売があっても、
時刻表を見る限り国鉄線同士での接続を考えたようなダイヤでは無さそうだ。
千歳線も単線だったから、千歳方面と定山渓方面の接続需要自体が少なそう。
電車が苗穂まで電化区間を乗り入れていた時代も大差は無さそう。
市内在住の人が定鉄に乗る時は、16氏の言うように市電で豊平に行くのが
手っ取り早い。豊平がターミナルみたいだった。
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旧線廃止直前の千歳線の時刻表を見たことがあるが、あまりの本数の少なさにのけぞった。確か普通列車が2、3時間に一本で札幌発終電が21時台。特急急行も今の半分以下。
まだ新札幌・千歳空港(駅・現南千歳)・石勝線が無く、札函間も小樽経由がメインという時代だったのは分かるが、あまりに田舎ダイヤ過ぎ。
沿線の恵庭などから札幌への通勤通学者はまだ少なかったのだろうか? -
通勤通学は少なかった
でも「札幌函館間が小樽経由メイン」は間違い -
>>19
昭和37年現在で函館〜札幌(〜)の優等列車で、
小樽周りは、急行「大雪」機関車+客車 函館〜札幌
急行「まりも」機関車+客車 函館〜釧路
荷物専用列車 3往復
室蘭線周りは、気動車特急「おおぞら」函館〜旭川・釧路(全席指定)
気動車急行「アカシヤ」函館〜札幌
気動車急行「オホーツク」函館〜網走・釧路・稚内
気動車急行「すずらん」函館〜札幌(全席指定)
急行「たるまえ」機関車+客車 函館〜札幌(夜行、寝台あり)
その頃の傾向として、気動車特急急行が普及し始めた。
札幌を基点とする道内各地への優等列車が増えた。
小樽からは全国企業の支店が撤退又は札幌に移転して地盤沈下が始まった。
丁度石炭の生産が石油に押されて減少し始めた頃かも。
・現南千歳(旧千歳空港)が昭和55年(1980年)開業、
翌年に石勝線が営業を開始している。
・今の千歳空港駅が平成4年(1992年)開業で、
その頃には、沿線の住宅地開発が進んでいて、軌道の強化で高速化や
大増発が行われた。現千歳空港のターミナルビルが開業した頃に
久しぶりに千歳線で札幌まで往復した時には、沿線の変わり様に驚いた。
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通勤通学利用はちゃんとあった
日中の普通列車の本数は千歳線に限らず少なかった
千歳線の本数が増えたのは電化後で「くるくる電車ポプラ号」とかやりだした頃から -
そりゃ朝夕に運行があれば留萌線だってどこだって通勤通学利用はあるさw
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>>22
なにその喧嘩腰 -
当時の千歳線の通勤通学利用は少なかった
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>>22-23
まあまあ・・。
目くそ鼻くそはやめてや。
留萌線⇒留萌本線、本線なんだね そこ、
国鉄の列車で通勤通学って少なかったけど、
ダイヤ編成の大切な要素、国鉄の社会的貢献の一つだった。
道立高校の始業時間に間に合うかどうかは、通学できるかの瀬戸際、
多分戦後の始めから同じ時刻で通学列車が各地に存在した。
逆方向で授業が終わって直ぐ帰宅できるか、部活が出来るか、
生徒の指導に先生たちは帰宅列車の時刻を意識せざるを得なかった。
昨年だったか、通学の朝の単行の気動車に高校生がちんたら乗車して、
乗り切れなかったか、見切り発車したとか、新聞を騒がせたね。
鉄道が無い沖縄では、郊外の路線の一番の乗客は中高学生かな、
今は冷房完備だけ夏の汗臭さは参る。(臭いフェチには堪らん?) -
本線厨房乙
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少ない多いの定義がないのに議論したって仕方がない
そんなことより旧線切り替え直前の駅や駅周辺の雰囲気知りたいです -
うんこスレ
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急行ちとせ
急行えりも
急行いぶり
急行すずらん -
昭和48年9月9日は前日終列車後ではなく、当日日中に新旧切替えをやったんだよね
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6:02 722D 苫小牧
6:55 急すずらん1号 函 館 (9月24日まで運転)
7:19 1230D 室 蘭 (小樽始発)
7:35 特 北斗1号 函 館
7:40 急えりも1号・日勝観光号 様似・日高町(日勝観光号は8月26日まで運転)
8:20 急 ちとせ1号 室蘭・豊浦
8:27 急すずらん2号 函 館 (9月6日まで運転・客車)
8:37 724D 苫小牧
9:15 急すずらん3号・奥尻観光 函館・江差(9月5日まで運転・奥尻観光号は7月21、28、8月4日)
10:20 特 北斗2号 函 館
10:25 急ちとせ2号・いぶり 室蘭・洞爺・札幌
10:38 726D 苫小牧
12:25 特おおぞら1号 函 館 (釧路・旭川始発)
12:35 急ちとせ3号・えりも2号 室蘭・洞爺・様似
12:49 728D 苫小牧
14:05 急ちとせ4号・とうや観光 室蘭・洞爺(とうや観光号は8月26日まで運転)
14:25 急すずらん4号 函 館 (9月3日まで運転・7月28日から8月26日までは釧路始発)
14:29 730D 苫小牧
14:40 特 おおとり 函 館 (網走始発)
15:05 特おおぞら2号 函 館 (釧路始発)
15:08 732D 千 歳
15:40 急すずらん5号 函 館
16:31 734D 千 歳
17:00 急すずらん51号 函 館 (8月26日まで運転)
17:15 急 ちとせ5号 室 蘭
17:35 736D 苫小牧
18:18 急ちとせ6号・えりも3号 室蘭・様似
19:11 738D 苫小牧
20:05 特おおぞら3号 函 館 (釧路始発)
20:20 急 ちとせ7号 室 蘭
20:47 740D 千 歳
21:40 特 北斗52号 函 館 (旭川始発・9月1日までと14〜16日運転)
21:53 742D 苫小牧
23:10 急すずらん6号 函 館 (客車) -
どこぞのサイトに時刻表あった気がするけど
どこだったかな -
>>31
たったこれだけか…本数の少なさに唖然 -
13時台と22時台は上り列車が一本もないね。
これプラス貨物もあったから単線の限界か。 -
旧線の頃の閉塞はどうやってたの(区間/方法)?
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閉塞までは覚えてないな
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あげ
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現役時代の東札幌駅、つきさっぷ駅、大谷地駅、上野幌駅の画像ってないかな。
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閉塞方式は、自動閉塞式だったと思います。
駅間に閉塞信号機もありました。 -
乗ってみたかった。
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東札幌駅前の日通の建物はまだあるのですか?
コンベンションセンターやらショッピングセンターやらで跡形も無くなった
東札幌駅を偲ぶ数少ない建物だと思うのですが。 -
東札幌駅では貨物駅になった後も乗車券類の販売を行ってたらしい。
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指定券の宅配や、団体旅行の申し込み受付、小荷物の取り扱いもあったね。
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あげ
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60くらいのおっさんが旧千歳線のサイクリングロードのことを
これ定鉄の跡だよな
って言ってたよ。
旧千歳線は60のおっさんも知らないくらい風化してしまった・・・ -
まあ35年も経ってるし
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元の東札幌駅跡から南にほんのちょっとの部分なら定鉄跡と言ってもあながち間違いでもない
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さっぽろ文庫の記述の中に
「豊平駅の乗降客が手に取るように見えた」
と書いてあるのを読んでもピンと来ないなあ
東札幌〜豊平って結構離れているように思うからかな? -
駅間1Kmくらいで直線だからね。
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>東札幌〜豊平って結構離れているように思うからかな?
通りを基準に考えると南郷通〜36線でかなり離れてる印象があるんだけど
実際そんなに離れて無いんだよね。
日常横方向に移動する機会が無いからだろうな。
で、あの辺にやたら東急ストアが多いのもある意味定鉄の置き土産? -
>>51
実際、東急ストア豊平店は定鉄線路上ですからね -
サイクリングロードができたのが昭和49年8月
廃止から1年もたってない ずいぶん早いな -
南郷通りの踏切は昭和62年まで?
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>>52 東急ストア豊平店は豊平機関区の跡地、ターンテーブルもあった。
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旧線の行き違い施設はどこだったんですか
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大谷地と東札幌の駅舎の写真はどっかでみた
記憶が曖昧だが、新聞社のサイトだったかな?
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月寒駅は月寒にはなかった。品川みたいなものだね。
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いや、目黒だろ
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旧豊平駅あたりも旧東札幌辺りも立派な建物になったね
大谷地なんてまるっきり変わってしまったね -
★☆JR北海道総合スレッドPART61☆★
http://anchorage.2ch...cgi/rail/1226411456/ -
月寒駅は島式でしたね。手前の副本線に貨物が入ったときは人と車を通す為、
ホームへの渡り部分と踏み切りで編成を切ったりしていましたね。 -
>>67
ホームへの跨線橋は無かったのですか? -
月寒は跨線橋はありませんでした。
旧線で跨線橋のあったのは東札幌だけです。
夕方月寒で貨物列車の入換がありましたが、踏切で編成を切っていました。
西の里信号場は2線で、10メートル位のホームがあり、車掌に降車を申し出ると非常コックを操作してドアを開けてくれました。
ると非常コックを操作してドアを開けてくれました。 -
>>42
南郷通北側にあった日通の建物は04年か05年には解体されて
目の前の交差点改良工事が行われた。
近所の床屋や倉庫も同時期に更地になって、今は結構大きなマンションが建った。
(但し、昨今のマンション不況であまり人がいないようにも見える)
貨物駅の名残となる建築物は東高の前の倉庫群くらいか? -
月寒駅近くの 当時平屋だった市営住宅に従兄弟がいたのでよく行きました。
旅客はほとんどジーゼルだったけど、一日に一本だけ蒸気機関車の引く普通列車がまだあってね
いつもそれに乗っていました。(都合のいい時間には、それしかなかったのかもしれませんが)
今頃の時期になると、青森の親戚からリンゴが届くんですけどね、宅配便なんてなかった頃ですから
郵便小包以上の荷物は「チッキ」なんですね、月寒駅までソリを曳いて受け取りに行きました。
今でも月寒駅の近くに「日通」の営業所がありますよね。
駅はなくなったけど、その営業所を見ると懐かしくなります。
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>一日に一本だけ蒸気機関車の引く普通列車がまだあってね
朝よく見かけました。前がC58で後ろがDD13で尻押ししていたと思います。
恵庭・千歳方面に通学する学生がデッキまであふれていました。
晩年はキハ22の3両編成に変わっていましたね。 -
>>73 さん
かなり混んでいましたね。
車内に入れた記憶はありません、苗穂を過ぎての豊平川を渡る時の怖さを今でも覚えていますw
東札幌駅を出てからの急カーブは、左側のデッキだと振り落とされんじゃないかと必死に踏ん張ってました。
たまに、気を使って男性の方が支えてくれたり嬉しかった事もありました。
数年後、函館本線の厚別付近で女子高生2名がデッキから転落した事故は人事と思えず悲しみました。 -
旧千歳線に市電通す計画だったらしいけど
どうやって豊平から旧千歳線に繋ぐ計画だったのだろう? -
美園にすんでいたことがあります。今、残っていたら「美園」なんて
駅ができていたかも。
あのころは、横丁の踏み切りのあと、南郷橋の陸橋まで、美園・月寒
地区と白石地区を結ぶ道路がなかった。
昭和20年代後半の話だが。 -
環状通りが出来た(作ってた)のも昭和50年頃だったしね
昔は白石村に出張に行くのは一泊の出張旅費が出てたらしい(札幌市) -
>>78
うん、白石村が札幌市に編入されたのが昭和24年(だったはず)だから
それ以前は、出張扱いだったんですね。
今でも、どっかの市で市外から通勤してるのに「公務」だと出張扱いになる場合もあるんですよね。 -
>>74さん
外から見ていても転落するのではないかと心配でした。
旧線はカーブが多いので危険でしたね。
大谷地を出て厚別川の鉄橋は川にダイレクトですからゾッとしますね。
厚別の後にも峰延のポイントのカーブで学生の転落死亡事故がありましたね。 -
>>76
東西線も旧千歳線の跡地を利用する計画があったとか。 -
現在の駅の跡は
東札幌
イーアス札幌、札幌コンベンションセンター
月寒
アサヒビール札幌工場
大谷地
公園、自転車広場
上野幌
テニスコート、グラウンド、自転車広場
でいいのか? -
10年前まで東札幌付近には痕跡が比較的残っていたんだよね。踏切の敷石やら国有鉄道の石杭やら。
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今でも東札幌から函館本線の間は土手が残ったりで面影がある
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Googleマップで航空写真を出すと面白いように廃線跡が追える。
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昭和61年10月、終焉間近の東札幌駅発着で
時を同じくして廃止された胆振線経由の
海線〜山線循環臨時列車が走ったらしい
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どこかの大学鉄研がキハ22で走らせたのでしたっけ?
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昭和61年10月26日に運転ですね。
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その当時(S61年)の東札幌駅構内ってホームや跨線橋はのこっていたんですか?
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跨線橋はもう無かったと。
高校の帰りによくショートカットで線路渡って、何度も職員に怒られてたから。ww -
ホームは無くなっても、しばらく跨線橋は残っていましたね。
跨線橋の上に信号所が乗っかっていたからでしょうか。 -
そうですか。末期はホームはなかったんですね。
DE10辺りが入れ替えしてたんですか?あの広い構内の最後が知りたくて…。 -
DE10が札タから、ワキ5000の混載列車を引っ張ってきてた。
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今のコンベンションセンター付近に、
日通と札通の貨物ホームがあって、
到着151レ、551レ、発車150レ、550レで賑わっていたよ。
その貨物ホームに列車を入れるには、
南郷通りの踏切をふさいで、日通と札通の貨物ホームに出し入れしてた。 -
東札幌〜月寒が貨物線として残されたとありますが、月寒駅駅舎は末期存在したんでしょうか?
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国土地理院の航空写真見ると撤去されてるようにも見えるが…
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age
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久しぶりに札幌に帰って千歳線から景色みてたら
デルタ線の白石寄りが民間会社の敷地に飲み込まれてた・・・
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