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鉄道懐かし
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高架駅・地下駅の地平駅時代
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最近だと京王の調布や、阪急の三国。
昭和あたりだと地上の荏原中延など。
今現在高架駅や地下駅になった駅の地上時代を語るスレです。 - コメントを投稿する
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2番取れました(^o^)/
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仙石線の仙台駅は、旧宮城電気鉄道の頃は地下駅で、地上駅になってから、また地下駅になっているわけなんだが、地下駅から地上駅になった事例って、これだけかな?
高架駅から地上駅になった事例は思いつかない。 -
この板に駅舎のスレあるんだから細分化すんなよ
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最近は貨物の廃止、車両基地の集約化等で、幹線の主要駅でも大都市近郊の電車駅みたいでつまらんな。
昔は主要駅に来ると、見る間に線路が増え留置されている機関車、客貨車、機関庫や転車台などがあって
興味津々だった。
今はそんな駅は少なくなってきたなあ。 -
地下改札が無くなったという駅ならいくつか知ってるがな
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高架になると駅そばや駅弁が消滅するパターン
福知山など -
あとかたもなくなる
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る
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三国は、神崎川北側に怪しげなアパートがあったっけ?
なかなか立ち退かず、粘っていたか -
名鉄上飯田…
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>>3
高架駅から地上駅なったのなら、名鉄の蒲郡駅がJRの方が高架化工事を行った時に、一時的に地上駅になったのがある。 -
幡ヶ谷駅に通じる広い道
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地上時代の山陽板宿駅が懐かしいな。
あのカーブしたホームとレトロ感が良かった。
結局、あの震災の前日までの営業になってしまったな。 -
仙石線の複線区間が西塩釜までだった頃、西塩釜から本塩釜に降りていく木造のガードは上を電車が通過するとガタピシ音を立てていた。
東京からやってきた小学生は、京成よりも下町臭くダサいと感じたのであった -
稲毛
地平に101系やキハ58急行などが同一のレールを走っていた
海が見えた -
武蔵五日市が高架駅になるなんて、20〜30年前は想像もできなかった。
奥多摩の入り口という田舎駅の雰囲気だったけどな。 -
京成船橋の踏切番の怒鳴り声。
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>>19
むかしの武蔵五日市は登山者が似合う駅だったな。機関区も併設されていた。
しかし何で日本では田舎の駅でも都会の駅みたいにするんだろうな
欧州では田舎の駅で高架とか見たことないよ
その方がバリアフリーだし -
船橋駅は昭和45年から上り下り順次高架駅になった。
実は船橋駅を初めて利用したのは1970年9月初めで、
ちょうど地上から高架に切り替わる過渡期だったようだ。
東京方面側のホームから高架になったと記憶している。
まだ総武快速線もないころで各停と両国からくる房総方面行き
のDC急行が停車していた。
(朝は営団地下鉄東西線乗り入れの電車も走っていた模様)
また隣の東武野田線船橋駅も地上駅で今はイトーヨーカドー等のビルが建ち
にぎやかになっているが当時は何もなく畑が広がっているだけだった。 -
南武線の武蔵溝ノ口及び田園都市線溝の口もここ約25年で
駅及び周辺の状況が大きく変貌した。
南武線のホームの構造自体は変わっていないが、ホームに通じる
改札や駅舎、駅前ロータリー、商業施設が立ち並び様相が一変した。
以前は駅舎及び改札は川崎方面ホーム側中央地上にあったが
北側(東急乗換側)に臨時の改札が設けてありラッシュ時のみ使用していた。
駅前は小さな商店街があるだけで周りが見渡せたが今ではビルで塞がれ
当時の想像が難しい。
東急の駅も以前は片島ホーム2本だけの駅で以前から急行や今はない快速も
停車していたが90年代初めごろ順次拡張され、まず上り側が島式ホームになり、
2001年ごろだと記憶しているが最後に下り側ホームも島式ホームに拡張された。
改札のある2階コンコースの様子は以前も今もさほど変わっていないように思う。
もっとも1000円床屋なんてものはなかった。 -
京浜急行もこの30年で多くの駅が高架になった。
最近では蒲田が有名どころで、箱根駅伝も踏切を心配することなく
レースができるようになった。
つい30年ぐらい前までは青物横丁から先は地上を走っており
鮫洲の駅では通過線が中央にありホームが端に配置されていた。
鶴見駅も地上片島ホームで各ホームの川崎寄りに改札があったと記憶している。
横浜から先は昔から上大岡までの区間は殆どが高架であり
基本的に現在と変わらない。
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>>24
六郷土手最寄に住んでいたけど、朝通学時に
かぶりついていると雑色や梅屋敷では毎日の
ように踏切直前横断があって冷や冷やした。
隣の京浜東北と違い10分毎にしか電車が
来ないから乗り遅れまいと必死だったんだな。
今も雑色、六郷土手は都内救済普通列車に
通過されて割を食っていると思う。
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昔付き合っていた彼女が祖師ヶ谷大蔵駅近くに住んでいたため
ちょくちょくこの駅を利用していた。
上り下り別々の改札が厚木方面側に設置してあり改札のすぐ脇に
踏切がある小規模駅特有の構造の地上駅だった。
お隣の成城学園前駅も島式ホームが2本ある地上駅であったが
いつの間にか地下に潜って駅及び周辺の様相が一変してしまった。 -
札幌駅に初めて降り立ったのは1988年1月のことだが
そのころはまだホームが地上にあり、全体的に現在より南にずれてあった。
当時はまだな長編成の普通客車列車が運行されており、
小樽まで乗車した記憶がある。 -
長野電鉄長野駅を初めて利用したのは1977年7月のことだが
そのころはホームは地上にあった。
山田温泉にあった大学の別荘に避暑に行く途中で、
上野から乗ってきた急行信州から乗り換えた。
頭端式の駅であったと記憶しているが特に印象が残っていない。
あれから37年、光陰矢の如しである。 -
京急杉田駅は1970年から今の構造(2階に改札がある)であり大きな変化はない。
駅の周りには小さな店しかなかったが平成になり駅ビルが建てられ様相が一変した。
この駅は特急、快特は通過するが屏風ヶ浦から出てしばらくしてJR根岸線の
高架下手前あたりまで緩やかな下りこう配でほぼ直線であり、速度があがる線区となっている。
30年以上前になるが駅から金沢文庫方面に向けて二つ目の踏切から飛び込んだ
事故に遭遇したことがある。
ホームから見渡したのだが、線路伝いに脳漿と思われる白いものが飛び散っており悲惨な状態だった。 -
高校の通学で京急を使っていた頃
新馬場-大森海岸が直上高架化工事中で
青物横丁から立会川までの各駅は仮設
構造になっていた。
地平時代は新幹線の小田原駅のような
配線だった鮫洲駅が高架化後は三島駅の
ような配線になったのが一番印象に残っている。
この区間の上り線高架化後の一番列車の
先頭車が自分も含めてヲタで一杯だったのが
懐かしい思い出。 -
呉線の川原石駅
昔は片側ホーム1本の地平駅だったが、
行き違い設備設置のため高架部へ
移設され晴れて高架駅になった。 -
相鉄大和の地上時代ってどんな感じだったの?
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加古川駅は山陽本線部分が2面3線で上下同時追い越しができなかった。
そのため、上り(大阪方面)に限って隣の東加古川で
新快速が通過による追い抜きをやっていた。 -
男児死亡事件で話題になった某幼稚園付近に相鉄の仮駅があったのはうっすら記憶がある
1990年くらいかな -
遠州鉄道西鹿島線
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鳥取駅は昔のほうがよかった。
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昨日テレビで久々に所沢駅の様子を見たけど、
いまだに昔ながらの地上駅でぼろだったのには意表を突かれたわ。
西武は「昔ながら」の駅多いな。 -
小田急の東北沢〜和泉多摩川
全ての駅が地下か高架、しかも複々線になるとか隔世の感あるな -
中央線の武蔵境〜国立。
地上時代の武蔵境は中央下り線から対面で西武多摩川線に乗り換えられた。
武蔵小金井止まりの列車に乗っている客で国分寺以西に行く人は東小金井で降りる。
東小金井にはモータープールがあり、自動車専用貨物が着発していた。
国分寺は今でも地上駅だが、かつては中央線ホームは島式1本で南側にはヤードが広がり、その一角に下河原線ホームがあった。
国立は線路が築提上にあり、上り線は島式ホーム、副本線側には柵があった。臨時列車が運転停車することがあった。
また上り副本線を横断する構内通路があり、平日ラッシュ時のみ通行できた。 -
京急の多くの駅が高架駅になる一方で、京急品川はいずれ高架駅から地上駅に・・
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高架になって割を食ったのが西宮東口だろう。跡形もなくなったしな。
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国立は鉄道技研の引込線もあった
高架化計画当初は引込線を残す話もあったらしい
スナック引込線はまだあるのだろうか -
近鉄四日市ですか。
この時代は知らないけど、見てみたかったなー。 -
元嫁の両親が四日市なんだが
地平時代といえば、世代的に知らない自分さえ
諏訪駅を連想してしまうw -
静岡と浜松の地上時代を見てみたかった。
あんなにシンプルな配線ではなかったはず。 -
とりま配線だけ(図)なら
下記の専門ブログに載っとる
静岡
http://senrohaisenzu...12/08/post-6b64.html
浜松
http://senrohaisenzu...10/12/post-3f92.html
http://senrohaisenzu...10/10/post-9fa6.html -
阪和線美章園から長居あたりまでの区間は
最近(21世紀)にになってようやく高架化されたが
それまでは踏切も多くあり、交通渋滞の元凶になっていた。
今何かと話題になっているシャープ本社の
すぐ側にあった南港通りの踏切は特にひどく
30年くらい前までは有人踏切で遮断機をタイミングよく
上げていたのだが国鉄の省力化により無人化され
朝などは開かずの踏切となっていた。
平野方面からバスでシャープに勤務する人や
地下鉄西田辺駅で乗り換える人が手前の山坂三丁目で降りて
歩道橋を渡っていたものだ。 -
あ
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やっとSUGOCAが使えるようになるものの
九州の県庁所在地の駅では相変わらず
ダントツでショボい宮崎駅。
今や当時を伺い知ることはほぼ不可能だが
地上駅時代は広大な機関区と
多くの引き込み線があったらしい。 -
地上駅時代の東海道線藤沢駅と辻堂駅は、ド田舎に在るような小さな駅舎だった。
国鉄藤沢駅舎は八角形の屋根で、小田急藤沢駅舎も平屋建てだった。
藤沢駅は昭和52年頃までド田舎な雰囲気だったけど、それ以降再開発で変わって行く。
一方、辻堂駅は藤沢駅より2年ほど早く、昭和51年頃に建て替えが始まっていた。
どちらの駅も、駅前にロータリーを挟んで商業ビル、藤沢は江ノ電ビル、辻堂は丸湘ビルが在った。
ちなみに辻堂駅は学生運動が盛んな時代、デモ隊と機動隊が衝突してる。 -
>>54
辻堂駅は山側の工場がなくなりショッピングモールになって激変した
昔はあっちは葬祭場くらいしかなかった
中央線といえば武蔵小金井駅は激変したわ
あそこも再開発で駅前にでかいヨーカドーができたり、ちゃんとしたバス乗り場が駅前に出来た -
山陽明石が電鉄明石と称していた頃
異様に丈の低い駅務室や踏切番の詰所が雑然と配置されててたっけな
高架化で駅がJR側に寄ったが為に乗り換えが便利になり、
以前にも増して乗客の逸走に繋がってしまったことはつとに有名。 -
遠鉄の新浜松付近も変わったね。
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まず国鉄浜松駅高架化で周辺が一変して後に遠鉄新浜松駅の高架化移転で更に変化した。
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高架化されると乗ってても車窓風景が
味気なくなってしまうな
どこまでもひたすら同じコンクリートが続いてくみたいな -
>57
そういう主張してる書物があるのは知ってるけど
移転してなくても乗り換え客は増え続けてたであろうし、
明石以西の駅からでも山陽でなくJRを利用する客は増えてたであろう
遅いし新開地止まりが多かったから三宮に行くには乗換させられるし、
よくもまあこんな悪条件で対抗戦を続けてられるなと別の意味で感心する -
川島氏の著書かな
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近鉄奈良線の八戸ノ里駅と大阪線の久宝寺口駅
共に中央環状の整備に伴って高架化された(Wikiによると八戸ノ里の方が若干早い)が
どういうわけか八戸ノ里駅の地平時代の写真は書籍や雑誌、ネットでも探せば出てくるけど
久宝寺口駅の方はまったく見た事が無いし検索しても出てこない。 -
阪急三国懐かしいなあ
大型車が通れるかと思う位の急カーブと高いカント
初訪問の時は通過列車を何枚も撮影した
…そうか、再開発はまだ完了してないのか -
高架駅だが阪急三宮駅が将来、地下化されるかもしれん
震災で壊れるまでは、アーチ状に開いた穴に電車が滑り込んでいく
神戸市のランドマーク的なモダニズム駅舎だったのに -
あの地震のニュースで倒壊した阪急三宮駅の映像を東京で見たとき、
涙が止まらなかったわ -
大開の惨状にもびっくり
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阪急三宮の駅ビル、未だに復活せず
暫定が恒久になってしまうのか -
地上駅時代は、雑然とした駅前風景と相俟って駅ごとの特徴というか個性がよく表れていたのが
立体化されると一転して没個性に陥ってしまうのが何とも残念。構造的にそうなってしまうのは仕方ないが
判で押したようにバスターミナル兼ロータリーに意味不明のオブジェとか記念碑を置くのはいかがなものだろう -
まさに金沢だなw
最近の高架駅はホーム上屋が低いのが
圧迫感あってストレス…福井とか小松とか。
加古川や姫路はそれほどでもないんだが
上屋の高さがちがうんだろうか。
たった30センチでも印象は随分違うと思う。 -
JR奈良駅なんて永久に高架化(または地下化)されることはないだろうと、
20世紀には考えていた。
でかい工事をすれば必ずと言っていいほど何かが出土する土地柄。
遺跡調査で工事が中断させられるからといって行政からの補償があるわけでもない。
掘ることにリスクを伴う、そういう地域である。
それでも、21世紀に入って高架化が実現。
三条通りの開かずの踏切も、もはや思い出だ。 -
ゴールデンウィーク明けから羽衣駅も、このスレの仲間入りという事になるが、東羽衣駅と一体ならないのは残念(>_<)
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本物の駅本屋を曳家する保存法、
移築(実質一度解体)よりよほどいいが、
ただのオブジェになったり
他用途に転用される場合がほとんど。
奈良とか、浜寺公園も。
曳家限定で、きちんと駅機能を
再び復帰させた例ってあります?
高師浜みたいに曳家しないで
そのまま使われ続けてる例はあるけど。 -
きちんと駅機能を持たせたままで復帰
これは大事ですね。
他用途へ転換されてしまうと、建築物としてはともかくもはやそれは駅ではないので
魅力が半減してしまうというか、ちょっと寂しい気がします。 -
方丈記じゃないけど、建築物はいずれ役目を終えて消えていくものとして
静かに終焉の時を迎えようとは思わないのか
神社仏閣がむしろ特異なのに。 -
初めて乗り鉄するようになった、1984年頃、岐阜駅はまだ地上で
駅のすぐ近くに155系(159?)やキハ55(26?)が停車していた。
当然として駅のすぐ東を通る名鉄は国鉄をオーバークロスしてた。
でもその頃、浜松と静岡は既に高架化されていた。 -
阪急梅田駅
大阪万博の前年昭和44年までの話なので流石に知っている人は限られるかもだが550形が箕面線で最後の活躍してた頃に箕面線桜井に住んでた幼稚園児としては結構この頃の阪急梅田駅イメージが強い
国鉄大阪駅の真下かつ地下鉄の梅田駅の真上ロケーションは今より遥かに便利であの頃を知ってると元に戻してほしい位 -
個人的にはかつて通勤に使ってた関西本線の湊町かな。
旧駅の駅舎は丁度、阪神高速の高架の真下あたりに設けられていた。
バブルの頃かな・・・湊町駅に盛アオだっけ?の「みちのく」何とかかんとかのジョイフルトレインが
停まっていることがあったわ。奈良シルクロード博か何かで遠征してたんかな。
この湊町駅は後に道路整備(千日前通)により駅舎が南側に少し移転・・・
平成6年にJR難波駅に改称され、その後に地下化、現在に至る。 -
「江戸」とかも来てたらしいね。
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京阪寝屋川市駅の低くうねった上屋が懐かしい
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関東から高校野球を観るために甲子園に行った帰り、混雑を避ける目的で鳴尾駅まで歩いた
カントのついたカーブの途上に駅があり、各停は車体を傾けながら停まっていたのが印象的だったが
最近高架化が成ったようで、特異な風景も過去の物に… -
カントのお陰で傾きながら停車してる駅と言えば阪急上新庄
ここは高架化と同時に直線区間上に移設されて、
まともにはなったが、旧改札側の利用者にとってはやたら長い通路を歩かされるようになった -
カーブ上に停まる駅なんて珍しくも何ともないのだが
それに微妙にスレチ。 -
中〜大駅の、地平駅時代の写真、
(特に、駅舎橋上化だけでなく丸ごと高架化されて、旧態部分が皆無の駅)
改札周りや内陣、ホーム風景など、
駅舎遠景以外の部分が撮られた写真って
なかなかないよね。
こないだ出雲市駅に行ったので
リアルでも知ってる旧駅を見たくなったけど中々ない
地道に探せばまだあるだろうが
一つ出てきたのがとりま満足
http://blog.livedoor...chives/52292112.html
ネット時代以降に高架化された駅は
記録されてることが多いけどね。
(大分駅など) -
昭和51年に東京まで鈍行で行ったような気がする。
浜松駅が高架工事中だった。
それから静岡駅も高架工事中だった。 -
静鉄清水市内線が東海道線をオーバークロスする橋の画像はネットで拾えるね
撮影名所だったのかな -
>>92
出雲市の地平駅は福山雅治と桜井幸子のドラマで出てた記憶がある -
清水駅は今も高架ではなく橋上駅のはずだが
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紀勢線海南駅の地平時代にあった物産展示場みたいな小屋が懐かしいなあ
毎年夏、墓参のため海南に来るとこの小屋を覗いて
タワシや塗箸を買ってからあの有名な野上電車に乗るのが定番だった -
続き
高架化で駅は一変し、小屋はなくなり野上線も廃止されたが、
数年後して高架下に特産品コーナーが出来ているのを見てホッとしたものだ。
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