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鉄道懐かし
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旧形国電総合スレッド008
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鉄道院~JRの「旧性能電車」全般について思い出でも知識でも、老いも若きも語り合いましょう。
荒らしは徹底してスルーの方向で。
それでは出発進行!!「プゥァン! ムゥォォォォ~ ドットンゴッコン・・・」
前スレ
https://mao.5ch.net/....cgi/jnr/1256973466/【思い出スレ】旧形国電総合スレッド007【統合】 - コメントを投稿する
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過去スレ(前身スレ含む)
http://gimpo.2ch.net...cgi/rail/1200196898/【DT20】旧型国電総合スレッド 006【TR48】
http://hobby10.2ch.n...cgi/rail/1171589152/【AK-3】旧型国電総合スレッド 005【CS-5】
http://hobby9.2ch.ne...cgi/rail/1154156991/【サモハ】旧型国電総合スレッド 004【クモハユニ】
http://hobby7.2ch.ne...cgi/rail/1137149515/【MT40】旧型国電総合スレッド003【PS13】
http://hobby7.2ch.ne...cgi/rail/1119321223/【半流】旧型国電総合スレッド002【切妻】
http://hobby7.2ch.ne...cgi/rail/1096979595/【63形】旧型国電総合スレッド【72形】
http://hobby6.2ch.ne...cgi/rail/1076027861/その4
http://hobby3.2ch.ne...cgi/rail/1053525986/その3「事故復旧版」
http://hobby3.2ch.ne...cgi/rail/1051346079/その3
http://hobby3.2ch.ne...cgi/rail/1042279162/その2 -
武蔵岩井のクモハ40単行を知っている世代
東京競馬場前のクモハ40単行を知っている世代
青梅五日市線の立川よりの増結クモハ40を知っている世代
小野田線本山支線のクモハ40単行を知っている世代
飯田線のクモハ61の現役を知っている世代
これ以降は職用でしたかね?それを知っている世代の方が多数派でしょう
本日RP青梅五日市線特集を見て記載しました -
五日市線の武蔵岩井支線の電車運行は、
おいらが小学校にあがる一年前に終わっちゃったんだな・・・
だからギリ知ることができなかったのが、残念っちゃ残念ではある。
多摩地域に生まれ育った者としては。
(ちなみに岩井支線の旅客営業廃止と、青梅線の氷川駅が奥多摩駅に改称したのは同年同日だったらしい)
だけどまぁ、青梅線で何度もクモハ40には乗ったからね、それで十分だ・・・
あのころは今ほど情報なかったから、クモハ40が職用で使われているってことさえ、
あまり知られてはいなかったんじゃないかなぁ
おいらも長じて高校生になってはじめて、豊田電車区と駅の間で職員輸送で動いてるってのを
知ったくらいだったからね -
ガキの頃の青梅線の氷川行の乗車記憶が、ありますね
青梅で一番後ろが切り離し、クモハ40切り離しでしょう
青梅より先のため、4両目に乗車していたようです -
東青梅駅が一線スルーに変わってしまったね。
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飯田線でクモハ52
一両ごとに細かなスタイルの違いがありそれを探す楽しみ
正面窓のワイパーの根元部分が広くなったぶんガラス窓が小さくなった変わり種の追っ掛けだった -
なぜ飯田線に行ったんだろな
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言い出せん
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一次車二次車の違いとか?
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<<前スレ999
新京阪デイが阪急京都線で生涯第一線だったみたいに活躍したかもしれないし
本線高野線とも異なる、「阪和戦後型」が発展したかもしれない -
阪和は買収国電のなかでは別格の扱いだったね
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クモハ20、クハ25のように、標準車並みの番号が付与
その通りに感じます -
若干スレ違いだが、70系戦災客車には被災した戦前型旧国が多数編入されていて面白い。
遍歴も興味深いのが多くて、例えば昭和9年製のクハ55114(元クロハ59021)は昭和20年7月7日に西明石で空襲被災した後、
オハ7113→スユニ7253→スエ7196と変遷したが、戦後は鹿児島と釧路で撮影された画像が残っているという誠に数奇な運命。 -
客車改造気動車はあるが、客車改造電車ってあったっけ?戦前製の旧国にあったかな?
電車改造客車なら色々あるが。 -
オハ32を台枠だけ使った琴電のクハ960?とか
戦前に客車から改造した阪急の支線用車両とか、
国鉄に客車から電車になったのが居るのかは判らない -
>>12
阪和線の電車って、買収されたとき、当時の省線電車より性能よかったんじゃやなかったかな
南海とスピード競争してたらしいから、そりゃそうだなって気はする。
それなりに両数もまとまってて、車齢も若い、だから1グループを形成できたんだろうね。 -
おれ、元青梅線沿線民なんだけどもさ、
ED16つながりで、なんか阪和線って親しみを感じてしまう・・・ -
DC→ECは1937年(昭和12年)製造の流線形気動車キハ43000の中間車キサハ43500は1950年にサハに改造されて飯田線
で使用された、とか相鉄の前身の神中鉄道の気動車が日立電鉄や神戸電鉄の電車になったとかは聞いたことがありますね。
EC→DCも私鉄ではいくつか事例があり、キハ08の様にPC→DCもありますが、PC→ECになった話は聞いたことはない
ですね。。。 -
ただし先頭車だけ後で新車のモ270や260に交換された
-
>>20
キサハ43500はサハ6400になり、さらに再度気動車に戻りキサハ04301になった。
PCのEC化は、確かにほとんど例が無いように思うが、計画されていたものはあった。
例えば相模鉄道ホ1とか、オハ11は電車化前提だった。
国鉄で計画案としてあったのは、オハ35のサハ153化。仮に完成していたら、ものすごいゲテモノに -
>>23
>オハ35のサハ153
それ、昔のピク(153系特集?)で読んだ覚えがある
コスト削減のために最低限の改造だけ施してほぼ客車のまま投入するつもりだったとか
もし実現していたらさすがに車体は新造していそう -
オヤ35は非該当であるが、見た目それに近い?
-
古新聞を片付けてて、こないだの9/1あたりの新聞で、関東大震災に関する記事があって
(ことしは関東大震災から100年だからってんで、記事多めだった)
その中に、無蓋貨車にのって避難する東京市民ていう写真があって
その写真には当時まだデハっていってたころの院電がうつってた。
ダブルルーフの、デハいくつなのかわからんけど、それが何両もつながってる様子、
あまりみたことなかったので新鮮だった -
戦前型にあったウインドシル部の横幕はもう1本も残ってないのかな・・・?
大宮、名古屋、京都の博物館にも現物も記述も無い。。。
現物見つかればオークションでは相当な価格になるだろうな。。。 -
戦前型にあったウインドシル部の横幕はもう1本も残ってないのかな・・・?
大宮、名古屋、京都の博物館にも現物も記述も無い。。。
現物見つかればオークションでは相当な価格になるだろうな。。。 -
旧国の客ドアは103系の様にプシュ音があってから閉まるのではなく、音もなくいきなり閉まり始めて閉まる直前に加速してドン
すごい勢いで閉まる。
挟まったら痛そうだった。
半自動ドアは重くて容易に開けられなかった。。。 -
113系や423系もそうだったぞ。
-
西武401系と701系
近江(前者のみ)と山岐で走っている。 -
急行の165系と475系もそうだった
-
戦前型旧国は貫通ドアも錆の粉が抵抗になって開けるの大変だった
-
半自動ドアの糞重さは経験した者でないと語れない
開けるのに四苦八苦してると後ろに人が居て恥ずかしかった -
>>0035
あのころは今みたいにドア横に開閉のボタンなんか無くて人力開閉でしたからね。
そもそも半自動ドアそのものに慣れていなくて、駅に着いてドアが開くのを待っていても開かなくて変だな、と思ったら
後ろからおっさんが俺を突き飛ばすようにしてドアを開けて降りて行ったっけ。。。
ヲタのくせに適切に動けなくて恥ずかしかったり、申し訳なかったり。。。 -
仙石線の72系は片扉はそうでもなかったけど、アコ改、あれはひどかった。取っ手も凹んでるタイプで力が入らないし
子供が開けるのは一苦労
十何年か経ってそれが川越線にきたんだけど、信じられないくらいスムーズになってた -
>>37
それでもあのごつい取っ手で開けるのはキハ35系時代より退化した部分だったな -
みなさん分かりますよぉ~
俺の場合は後ろで女子高生2人組に小声で「ダサッ」と言われて
どうにか開けるのに成功してから改札までダッシュで逃げたよ
本当に恥ずかしかった -
鍛えろよ
-
>>39
逃げたのかよw -
かえって客車の手動ドアの方が良いと思った
-
確かに客車の手動ドア開けるのは楽でした。
が、閉めるのは、あの床にあったストッパー次第で固くて閉じ難い、閉めようとしても動かすのに力がいるやつもありましたね。。。 -
電車の自動ドアが普及するまではすべて手動だったわけだが
昔の人がドアの開け閉めに苦労した話を聞かないということは
昔の電車のドアは軽かったということでしょうか -
>>45
峠の力餅を思い出した -
明治大正はオープンデッキ
つまりドアがない
冬は寒かっただろうな -
>>47
客室へのドアはあるだろ -
路面電車はともかく郊外電車でオープンデッキなんかあったのか
-
>>49
甲武鉄道や山手線の電車か当時の車両だとオープンデッキだが前面窓はついてるな -
>>44
昔は車掌が開閉していたのではないかな -
車掌を待てない客が勝手に開け閉めしていた
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危ない!
-
鉄ピクNo.721、2002年9月号「特集 戦前製旧型国電17m鋼製車」のP26に沢柳御大が1957年に松本駅で撮影のモハ12000が載っているが
、この車両側面ウィンド上部に蓋をしたような箇所が片側で4か所も見受けられる。
一か所は戦前に使われていた横幕を塞いだ後として、あと3か所が判らない。
仮に2か所は「山手」の表示板が付いたままでそれを塗りつぶしたもの?(12000が山手線に居たかどうかは不明)としても
当時の「山手」の表示板のサイズより明らかに大きい。
どなたかこの謎解明してください。。。。 -
20年前くらいに質問してたら回答ついたかもね
趣味サイトとか見てても案外鬼籍に入った人多い
そしてそれはどんどん続いてる。仕方ないけど
機関士経験者で写真載せてた人とか皆サイト消えたし -
中央のドアの両脇のは12001にも同じ物が残ってるね
パンタ寄りの方が戦前の幕の跡で、もう片方は札差しみたいになってたとモデル8の資料集に書いてあった
ドア間の中央にある残り2つの方はピクのすぐ下に載ってる12017にも同じ寸法のものがあるよね
P25のモハ11210の写真だと「山手」の表示板が隣に並んでるからそれじゃないのは確か
P14の38014についてるのも同じっぽいね
他にも同じ物がついてる写真は結構あるけどサボとかを差して使ってるのは1枚もないんだよなこれ
完全に憶測になるけど実は通風器とかかも? -
参考になるかと思ってリニア館のクモハ12041(1927年(昭和2年)製造の元モハ30131)の写真を見てみたが、同車の中央ドア
両脇は綺麗に修正され何もなく、痕跡すら分からなかった。。。
>>56-57
なるほど通風器ですか、あり得ますね。。。
30系ってオリジナルはガーランドベンチでしたっけ・・・?
それの換気能力が弱かった、とか・・・? -
俺は旧型国電の末期を知る年代だが、当時の国鉄は運転士室の遮光幕を終日閉め切っている時代で、ただでさえ暗い車内が余計に暗く感じたものだ。
旧型国電の最後の貴重な日々が国鉄、正確には国労側の都合で俺的には嫌な思い出になっている。 -
そういうことじゃなくて、幕が閉まっていたのが嫌だったのさ。
正確じゃないにせよ -
つまりただ想像で語って嫌って言ってるだけってことだな
-
運転士が全員動労だったわけじゃねぇだろ
決めつけてどうする -
ぐちゃぐちゃ揉めるなって
-
電車の細部みたいに、例えば国労の人はバッジを見れば識別できる。他労組も同様、ワッペン
なども。また、○○電車区は××労が大半を占めている、など傾向もある。 -
いいから。そういうのスレチ
-
まああの国鉄の遮光幕終日使用の時代にいい思い出持ってる奴はいないよ。
山手線では小学生の頃はかぶりつきやってたのが中学の頃はできなかった。
大学の後半になってまた少し見れるようになったが。高校の頃が旧型国電の最後の頃だったな。 -
背後から自分の仕事を見られるのは良い感じがしまい
そういえば運転士の髪型って、後伸ばし多かったけど、今少ないみたい -
基本的に最後尾に乗ればそれなりに楽しめた
101系は窓も低くてガキに優しかった -
すまん、旧型国電ではなかったな
-
遮光幕問題はいろいろあったからなぁ。
南武線で幕の間から見たのは、週刊誌を運転台のコンソールに載せて読ながら、
足はあぐらかいて座っている運転士の姿。あれじゃ警笛のペダルも踏めないな。
一方支線のクモハ11形では、遮光幕が開いていて前が見えた。 -
旧型国電時代の仙石線で添乗の運転士がパイプ椅子持ち込んで運転室内で喫煙。外から覗き込んだら睨み返してきた。
車掌側も遮光幕閉めてたよ。すごい時代だったなと思う。 -
国電の運転中として、運転席でパン食べている画像を見たことがある。(どなたか探してみませんか。)
-
でも、運転席直後で かぶりつきをしていたら、中に招き入れられて運転士と話をしながら楽しませてもらったことも何度かある。昭和の御代の40年代。もちろん旧型国電。
歳がバレますが。 -
電車はないけど、DD51の運転台やEF60の運転台は入れて貰ったな
60の時は空ノッチも入れさせてくれた。末期でも伊那松島では庫内にいた合の子を見せてって言ったら
いれてくれたし
確かに集団での労組は批判の対象だったし、個人でも態度の悪い職員もいたけど、そればかりではないからな
子供だったからかも知れんが嫌な思いしたことないな
カーテン閉められたくらいで嫌な思い出しかないとか、いい思い出がないのが憐れ -
機関区に撮影しに行ったら、帰りに駅まで機関車に乗せてってもらったとか、撮影するのに位置をずらしてくれたなんて話も聞きます。
機関区で撮影するのも、いきなり行ってノートに住所氏名を書いて、「気ィつけな!」で終わり。
いずれも蒸気の時代。 -
>>77
あんたポジティヴでいいな。いい人生だったんだろうな。 -
>>80
国鉄がストで荒れていた時でも機関区を訪れたら親切にしてもらったという思い出話は結構あるようだ -
俺も客として国鉄を使っているときは出札口や改札や車掌とか横柄なのが多くて客商売の片鱗も
感じない職員が多かった(主に中年)が、機関区や電車区に行くと喜んで歓待してくれた思い出が強い。
若くてチリチリパーマの一見危なそうな兄ちゃん達も多かったがみんな明るくて優しかった。 -
>>75
1975年の朝日か読売で、総武線の101系の運転士がパンを食べながら運転している写真が載った。
記事でも遮光幕の日中使用に言及してたと思う。ただ総武線の101系は遮光幕1枚は開いていることが多かった。 -
物を食べながら運転してるところを撮られるのは他にも何度かあったな
国鉄職員はモラルが低いというより満足に食事をとる余裕さえないのかという同情論が強かった -
>>83
メッチャ分かる -
運転室内に入れてもらえたことはないが、停車中の電車をしげしげと眺めていたら、若い車掌氏が「電車が好きなんか?」と話しかけてきて、車両の特長などを解説してくれたことがあった
車掌氏の風体は、やはりいかついパンチパーマだったw -
当時を思うと、撮り鉄系は運転室の遮光幕には無頓着な傾向だったな。乗り鉄系には気の毒だったが。
運転室周りの写真は確かにあまり撮っていないな。 -
たしかに遮光幕が降りてると文句ブツブツ言ってるオタクっぽい人は見たことある
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遮光幕は光を遮る目的以外に乗り鉄の視線をさえぎる目的もある
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遮オタ幕
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遮光幕スレになっとるw
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旧型国電に系を付けて呼ぶマニアがおるが、正しいのか?
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組成しなくても性能や規格が共通していれば系と呼ぶのも間違いではない
客車にも60系がいる -
52系ってクモハ52は分かるが他の構成員はモハ43サロハ66サハ48で52に近い数字でもない
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共通する仲間もいないのに系を名乗る123系
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小学生の頃何かの本で見た、「運転台のない車両が含まれる車両群を『系』と呼ぶ」、が
今でも記憶に残る -
大手民鉄でも呼び方はバラバラだし、法的な定義もないでしょ
京急は系を使わない派だが、当代1000なんか500両近くあっても系ではない -
研究者の間でも混乱があったな
西鉄は公式に系を採用していないのに
研究者で「2000系」「300系」と書いている人がいた -
>>98
それも正確ではないな -
ドアの自動化はどの形式から?
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>>102
モハ1形あたりかな。 -
昨年録画した小津安二郎の映画見たら、3段窓の63系が走ってた
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ゴジラ-1.0では三段窓63に浜辺美波が乗っていた
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>>105
ゴジラ上陸(1954)のときに改造前のモハ62系って残ってたっけ? -
モハ63だから63系になるのか
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旧62:モハ62、クハ77
新62:モハ62、クハ66 -
3段窓の73系かも知れないだろ
つかさ、Wikiとかだと72系だけど、73系だよな、あれ
72系って言われると違和感ある
モハ62はアコ改しか思い浮かばない -
62系は初代は木造車からの、2代目は72系?からのどっちも更新車だな
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そうですね、なかなか原型を留めぬ程の大規模更新者ですね
初代のモハ62/クハ77(の改造車等)を見た方は、さすがにここにはいないでしょうかね
旧30/旧31/旧50/旧62/旧モハ32のうち、営業車ではなくとも事業用車/譲渡なども考えても、
旧モハ62/クハ77はついに全く見ることが出来ませんでした -
>>109
身延線と仙石線の72系更新車両方見ましたが、薄汚れていたのが強い印象でした。古いけど大切にされていたなーと思う静ママの旧型は最後まで綺麗でした。 -
今の旧形国電=国鉄世代以前の鋼製電車全て
【C1】国鉄特急形「185系」は何がよいのか?デビューから43年 引退後も運用されまくり!【B6】
https://trafficnews.jp/post/130808
https://trafficnews.jp/post/130808/2
https://trafficnews.jp/post/130808/3
https://trafficnews.jp/post/130808/4 -
現役旧形国電旅客車両(改造車含む)
103系(JR西日本、JR九州)
105系(JR西日本)
111・113系(JR西日本)
115系(JR西日本、しなの鉄道)
117系(JR西日本)
119系(→えちぜん鉄道MC7000形)
123系(JR西日本)
185系(JR東日本)
JR西日本は旧形国電の宝庫 -
現役旧形国電旅客車両(改造車含む)追記
完全撤退秒読みの201系(JR西日本) -
現役旧形国電旅客車両(改造車含む)追記
完全撤退秒読みの381系(JR西日本)
413系(あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道)
455系(えちごトキめき鉄道) -
旧形国電の定義変えるの止めてくれるかな
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43年だと飯田線の旧国末期の80系の車齢は越えてるけどクモハ54くらいだな
クモハ53や43は50年だったし。新性能ならまだいけるだろ -
旧型国電は、一般に釣り掛けと同じだから101系以降は入れないですね
たしかに103系などは相対的に旧い電車、であることは否定できませんが、旧型国電には入れません
ただし、時代とともに通称的な使われたかが変わることもあるから、
旧型国電の営業運転を知る世代がいなくなったら、
>>114/115/116/117のような通称的な使われ方がどんどん増えるかもしれません
しかし自分にはさすがに103系や115系の現役を見ても、旧型国電とは言いませんね
年寄りのたわごと的に聞こえてしまうのでしょうか -
性能で明確な定義が定まってるものを議論する必要はないだろ
かまってちゃんはほっとけ -
飯田線末期=1983年として
クハ47009、クハ47069(サハ48015):1930年(53年)
クモハユニ64000、クハユニ56011/012:1943年(40年)
80系70系クモニ13棟を除いて代およそ上記に入ると思います
当時、40年以上前の戦前車をみて、遠い昔につくられた・・・と思っていましたが、
1983年から41年たっているのですから、それを思うと、
当時の115系や105系などがいまだに現役で営業運転で稼働ですからね
115系や105系を岡山や下関でみる若い人は、当時の自分と同じ気持ちなのでしょうか -
少なくともMT46とMT54/55では世代が異なるイメージ
そういう分類もあるからな -
分類は、定義の数だけ存在しますから、どうなんでしょう
電車の場合は一応モーター関係として
メカ:駆動伝達で、釣り掛け、カルダン(自在接手)、試作ならクラッチ使用車もあり
一般にはこれが旧型国電を区別するときに使われる
電気:モーターで、DC摺動接点ブラシあり、三相交流で摺動接点ブラシ無し、他もあり
東日本大震災でDCモーターのブラシ製造工場が被爆(原発関係)
DCモーター使用の車両が運転継続困難で一般の人に少しだけ知れわたった
何でJR西に運転取りやめが多いのか話題になった(結局何とかなって運休は殆ど回避)
制御で、抵抗、サイリスタ、インバーター、など、モーターとも関連
電源で、外部供給(架線、第三軌条)、内部(バッテリー、エンジンで発電、他)
電気式気動車は自分はモーターで駆動する場合は電車に分類したい気持ち
もし101系以降を分類するなら、自分ならDCモーターか三相交流モーターか、で分けたいです
よって205系と211系は、新性能電車の旧、ですね
これは完全な個人の意見ですが、皆さんいかがでしょう? -
軽量車体、電空併用ブレーキ、ユニット編成、カルダン駆動など
部分的に採用した電車も多かったけど,国鉄の場合革命的に101系で一挙にやっちゃったね -
>>125
疑問形で終わっていたから書くけれども、ほとんどスレチの話だと思う。 -
同意
ここは「吊り掛け駆動の国電」という一般的な定義での旧形国電についてのスレ
国電の分類について議論したいならよそでやればいい -
少なくとも「旧国」「旧型国電」の語が意図する範囲は確定し切ってるから
新解釈を試みる余地自体が存在せんわな -
大学生のときによく行った場所は長門本山
-
>>129
あえて言えば、クモハ84は、旧型「国電」と呼べるかどうか -
あえて言うなら、呼べないと思う
更新など車体ビジュアルを改変してしまった電車は旧国と呼べない派 -
これは厳しい定義、ひとによるのですな
モハ72970やモハ62などはNGですか -
モハ62はアウトでしよ
-
62系はブレーキをSELDに変えるだけでもっと長生きできたように思う。
旧形国電の弱みは、やっぱりブレーキなんじゃないか。
私鉄では吊り掛け車でもHSC化されていた車は結構見つかる。 -
62系なんて普通言わないだろ
-
クハ66形+62形で62系っていうのか
系内にまた系ってややこしいな -
ベースは113系の車体なのかと思ったけど、
シールドビームに、扉に取っ手があるし、
わずかに113系700番代登場前だから、
115系300番代の車体みたいだな -
クモハ73600は良いとして、クモハ73500はダメでしょうか?
-
クモハ62+クハ66の中途半端さは、色々当時の状況が推察できる。
多分当初は、漫然とクモハ73アコモ改造の続きを考えていたのだと思う。 -
いざ着手してみると、もう4扉通勤型の吊掛車を必要とする線区が無くなりつつあったので、
急遽、3扉セミクロスへ変更して、車両の有効活用を考えたのだろう。 -
旧車更新は打ち切れば良かったのにと思うのは現代の視点で、やはり当時は
まだ車齢的に丸ごとの廃車は許されなかったのだろう。 -
当時は赤字が膨らの中で、車両新製、特にローカル用車両は極力節約されていたが、
車両工場の体質改善工事の予算はそこまで厳しくなかったという事情もある。 -
アコ改にクモハはないだろ
電磁直通ブレーキにしたところで釣掛はモーター大きくて歯車も大きいから高速化に向かないし
電気ブレーキも効きにくいから電空併用もやりにくい
どっちにしろあれ以上出力があげられないからそこまでなんだよ -
大手私鉄なら
名鉄3300系、6650系のような当時の新造車両と同様の車体に冷房付の旧型車の更新車両があった。 -
車体を新性能タイプのものへ更新しちまった電車は
それは「旧性能電車」ではあるけど、
少なくとも呼称的には「旧型国電(旧国)」ではないな。 -
いや
旧性能=旧型だよ -
西武701系みたいなカルダン駆動なのに発電制動なしといったちぐはぐな例は
国電やその他でもあったのか? -
東武とか小田急にはあるけど国鉄はないんじゃね?
-
クモユ141は発電制動ないらしい
-
>>146の場合は「元・旧国」とかなら可能
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私鉄の場合は、複雑な改造履歴を持つ一応は旧国鉄車両も
-
旧国の定義は性能であって車体形状は含まれない
-
テセウスの船
-
>>154
そもそも。車両の主体は何か=車籍鼻に依存するか、という議論にまでさかのぼる
例えば台車交換、という言葉があるくらいなので、台車は車籍ではない
モハ72971〜980の例では
車体交換→新性能化で駆動関係全面交換、元車は、というと台枠
車籍はどうも台枠によるのではないかと思われる?
人間では、臓器移植はあっても大脳移植はあるか?→別人でしょう
例えば、そのようなかんじなのか -
>>153
建前や理屈と趣味者視点は別。 -
趣味者視点を言うのなら、沢柳氏はじめ旧国を対象に活動してきた著名な趣味者達はみんなアコモ車やクモハ84を旧国の範疇に含めてきてるからな
名無しがこんなところで喚いたところで定義は変わらんよ -
足回りは台車含め電装もほとんどそのままだしね
-
すげぇな、それじゃ時代も進んだ今では「昔の国電」をひとからげに旧国とか言っちゃうの?
それじゃ101系や103系や111系とかみんな旧国になっちまうな。
101系以前の吊り掛けを「旧性能電車」で”旧国”と言うのが共通認識なのに「車体更新したら
旧国じゃない」なんてこのスレの住人の資格無いな。 -
旧性能電車=旧型国電、ですね
モハ72970,モハ62、クモハ84、クモユニ74/82、クモニ83、全部YESです
確かに、国電という意味をどこまで厳密に解釈するか、という観点はそうかもしれないが、
今まで考えたこともなかったです
157さんの言っている意味は理解しますが、大元は旧型=旧性能電車+国電であっても、
自分は「旧型国電」という一の固定名詞で完全に閉じていてこれが=旧性能電車、として
何の疑問も持たずに意識してきていた
もし157さんがそう定義するなら、それも一つの考え方でしょう、それは否定は致しません
ですが、ここの方の(年寄の)意識とは大きく乖離ですね
157さんは相当若い方でしょうか?
ちなみに、国電も少し怪しい、そこまで言うならこれも要再定義になる可能性
国電区間を走る電車と、国鉄に所属する電車はもちろん異なりますから
ただ今まで全く意識していなかった観点から、改めて考え直す機会にはなりました
モハ72970,モハ62、クモハ84が、非該当との主張があることは明確で理解いたしますが、
このスレの対象者の一般認識とは大きく異なるため、今後は別のところでお願いになります -
>>161
同意。定義付けはよそいってください。 -
自演w
長々と持論をかたってこれで終わりとかいうクズいるよね
最初から語るなっての -
語り始めちゃったのは別人だからなあw
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別人だと思うに、私も一通。
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足まわりは旧品流用で車体だけ103系並みの新製品を載っけたアコモ改造車は結局一両も私鉄には売却されなかったかな
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ていうかデカくて重い国鉄20メートル車の譲渡例が少ない
世の中が落ち着いてからは秩父鉄道くらい?101系だが -
現役の電車だと三セクを除けば富士山麓に行った205とかえち鉄に行った119とか
退役済も含めれば富士山麓に165、伊豆急に113・115
国鉄・JRと直通やったことがないえち鉄のはちょっと珍しいか -
京急の場合は旧型の吊り掛けグループを原型スタイルと車体更新グループの2種類が存在した。
しかし車体更新グループがいわゆる湘南顔で3ドアの400形と4ドアの500形であったが、車体更新とは名ばかりで何かとてもダサかったので小学生でもあれは旧型車両と認識できた。
せめて急1000形の姿をしていれば議論の対象になったんだけどな。全く自慢にならない話。 -
京急の話はさすがにスレチ
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そうなのか?
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タイトルが「旧型電車」ならワンチャンあるけど
「旧型国電」だからねえ
省電〜国電だけになると思う -
京急の例は旧型国電のアコモ改良等による定義に関連する参考事例だと思うが、私鉄まで広げると話題は無限にあるから収拾がつかなくなるなw
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114は中学生くらいかな 当の国鉄が旧標準形つまり旧形国電と定義して2桁形式ふってるんだが
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宇部小野田線:1981年(本山支線を除く)
大糸線:1981年
身延線:1981年
飯田線:1983年
40年以上も前になってしまっていた -
鉄道省は昭和16年の時点でサハ75021で両開きドアを試作しているのに、それが採用されるのは15年以上も経った101系まで出なかったのはなぜですか?
73系の73900や79904辺りの近代化試作車辺りで採用しても良さそうに思いますが、技術的な課題があったのでしょうか・・・? -
>>176
単純にコストの問題かと。
サハ75021の場合、1扉に2台、ドアエンジンをつけていたはず。
戦後に両開きで量産化した営団300形は、ドア間のちょうど中央の座席下にドアエンジンを設置し、
そこから長い腕で2か所の扉の片側づつ駆動していた。
この方式はドアエンジンが減らせるが、座席下にヒーターが無い地下鉄しか採用できない。
101系になると、扉中央の床下にドアエンジンを設置するが、ドア前の床に点検蓋が必要になる。
両開扉がスマートになったのは、西武が開発した鴨居上ベルト式を103系で採用してからだな。 -
開くときにプスーと音が鳴る
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サハ75021が戦災で焼失したのも技術的には痛かったろうな
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>>177-180
176です。
ありがとうございました。
そういうことなんですね、勉強になりました。
確かに戦災に合わずに両開きのメリット等のデータ取得なども出来ればその後コスト低減の取り組みなども進み
もう少し早い実用化もあったかもしれませんね。 -
交通博物館時代の101系両開きドアの展示はよかったな
普通に自由に出入りも出来たし、座席下の非常解放コックの操作も可能だった
挟まれたときの感じとか、手動でどのくらいの力で開けられるかとか、
今は危険だと考えられることも出来たおおらかな時代だったわ -
両開きドアの試験はサハ75021で行われたわけだけど、モハ41に採用することを画策していたようだ。
図面は残っているが、実現せずに終わっている。やはりドアをどうやって駆動するかの>>177に
あるような問題があったのだと思われる。
発電ブレーキ無しの新性能国電としては、711系もそうではなかったかな。 -
抵抗器が必須かつ搭載してるのに発電制動非対応というのとは違うからなんとも
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真相は闇
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飯田線で乗った旧型車、戸閉時に勢い良くドアが動くが最後に一瞬逆行しかけて閉まる、というユーモラスな動きをしていた
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勢いよくそのまま閉まらないように空気式ドアエンジンはそんな仕組みが標準だよ
開は太シリンダーから空気を抜き細シリンダーの圧力でドア開放、閉では太細両シリンダーに空気を込める仕組み
両シリンダーに空気を込めると圧力上昇の差で一旦占め動作が止まるような挙動になるが最終的には太いシリンダーの力が勝りドアが閉まる
今は電気式ドアエンジンが主流だから知らんかもだが昭和時代は旧型国電に限らず新性能電車でも私鉄電車でも空気式ドアエンジンが普通だった -
なるほど勉強になった。。。
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本当の意味の旧国(省電出身かつ未更新)には
現役ではもう乗れないが
「シルヘッダーつき木窓枠の旧型電車」
にいま乗ろうと思えばどうすればいい?
路面電車以外で -
身延線で走っていたモハ62は中央本線を走ったことがあるか気になった
(塩山~甲府~韮崎の各停) -
>>189
上毛電鉄のデハ101がちょいちょいイベントで走ってるからそれが一番楽じゃない? -
4月末ごろに鉄道懐かし版で基地外荒らしが400近いスレ立てて多くの優良スレが過去ログに追い込まれて再起不能になってしまった。
73系スレも消滅してしまったが、今後はここで語っても良い? -
>>193
よろしゅうございます -
以前このスレにも書いてあった「戦前型旧国の横幕」だが、先日大宮鉄道博物館に行ったので保存されているクモハ40074
つぶさに見てきた。
もちろん今は横幕は埋め込まれ、室内からもそこに機構があった痕跡も判らないが、外から角度を変えてみると埋めた痕跡が
凹凸ではっきりわかり興味深かった。
これらは戦後の「更新修繕-?」の時に埋められたのかね・・・? -
下関のクモハ11も解体されてしまったが、いまだ残る旧国と言ったら、小金井のクモエ21001、
大井工場?のクモハ12、大宮のナデ、大宮と青梅のクモハ40、リニア館のモハ52、モハ1、
クモハ12、モハ63、吹田のモハ52、下関のクモハ42の11両のみかな・・・?
広島に有ったクモハ73の運転台は行方不明なんだっけ・・・? -
クモハ52004は日車豊川で見たな。川車製だけど
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川車の車両を保存した日車ってホントに偉いな。
うちの会社も某車両メーカなんだが、どんなに歴史的に価値がある車両でも競合先の車両を自社
の敷地内に保存するなんて絶対に認められない。 -
>>198
えらいよね。 -
>>196
クモハ73形はなんとしてでも必要だと思う -
クモハ53007も残したかった。。。
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>>196
伊豆箱のコデと、相鉄の古いのもいちおう・・・ -
身延線には関西から多くの車両がクロスもロングも転入し活躍していて、多くの車両の運転台窓に「大鉄型通風器」が付いていたが後年殆ど撤去されてしまった。
クーラーも無いあの時代、あの通風機は結構重宝しそうに思うのだが、なぜ撤去されたんだろうね・・・?
本件関西では結構遅くまで残っていたと思うが、冬に隙間風の原因になる?あそこから腐食が発生拡大する??
どなたか事情知っている人、教えて下さい。 -
画像プリーズ
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クレクレ厨は逝けや
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>>205
質問してる側の当事者に対して画像を求めてるのに
クレクレ扱いするのはおかしくねえか?
文章で説明することに加えて画像もあれば万全なわけだし
画像を添えることで回答つきやすくなるかもしれない -
>>208
90代のおじいちゃんでも海外に行く時代ですけど・・・ -
カネないし興味もないんよ海外は
余談な部分に突っ込まんといて
人それぞれいろんな事情ある
パリとメルボルンは行ったが仕事やし -
オナ軸
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>>207
通風器はあとで問題になることが多いね。
モハ63、103系も埋められたし、EF60のスカートに設置されていたのも埋められたのもあった。 -
>>212
通風は痛風に通じるから縁起悪いとして、埋められたのかも知れない。 -
鉄ピク3月号別冊、72・73系特集だ・・・
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楽しみだね
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>>210
自分もかつてそうでした
しかし30超えたことに初めて海外へ行って、その後仕事もプライベートもありましたが、
海外に、はまりましたね
最近は金額的にもセキュリティー的にもお勧めいたしませんし、引退世代の自分もしばらく行っていないです
あくまでご参考
いらん情報であれば、申し訳ございません -
ピク2000年5月684号が特集73系電車だ、うちにある
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>>218氏
拝読しました。なるほどです。 -
モハ90が導入される前の
浅川から東京までの中央線の旧型国電画像をネットですらほぼ一切見かけないのは
当時の裕福な鉄オタでさえ貴重なフィルムを使って撮る価値が無いと見なされていたからなの?
機関車とかは32年以前に撮られたのは見かけるんだけどなぁ -
いや昔はもっと色々あったよ
ジオシティーズがなくなったのが痛かった
グーグルの検索エンジンも手あたり次第拾ってたのが
いまはクソになったし -
撮った写真はネットに上げるのが当たり前世代なのかな?
-
223が言うように
貴重な写真を上げてた人たち(のブログ)が
ジオシティーズだったりヤフーブログだったりして
かなり消えた。
「何人目のお客様」古い様式の個人サイトしてて
写真を上げてた世代が物故して
サイト丸ごと消えてしまった。いくつも知ってる
個人で保存してた人がXや自ブログに再び上げない限り
ロストメディアになってしまう。
俺自体は趣味の関連で国電スレに出入りしてるが
興味がメインでないため省電国電画像は保存してない
役に立てず申し訳ない -
横浜線と鶴見線の73系お別れ運転の写真も見ると先頭クモハ73の運転台すぐ後ろの窓から顔を出している兄さんは明らかに同一人物であることが判る。
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それは気付かなかった
すごい観察力ですね -
思い出したが
都電の一休さん号(6152)の休日定期運行時代
もう30年前にもなるのか、
ともかくそのときにも
車内いっつも同じ立ち位置で
全運用に乗ってたオッサン居たな。
拘りかたが例のラガーさんみたいな感じ
俺は当時ハタチくらいだったが
それが嫌でだんだん行かなくなったな
本人は自己満で楽しいんだろうが
「ギリ健さん見て我がふり直せ」だった -
洋光台の行先を出してる73系の画像は見たことあるんだけど、洋光台駅に停まってる73系の画像が見当たらない…
誰か撮ってないかなあ -
>>229
誰か撮ってるだろうが、俺も探してみたが
少なくともネット上には無さそうやね。
そも洋光台開業時点で既に旧国が僅かだったのと
ネットで探すとき、当時テツが撮ったのだけでなく
都市の記録写真的なもので載ってないか期待したが
駅が新しいのにわざわざボロ停車中に撮らないから
それもなかった。
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