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鉄道懐かし
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懐かしの国鉄和歌山線
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和歌山駅と王寺駅(奈良県)とを結ぶ長大なローカル線の
懐かしい時代を語り合いましょう。 - コメントを投稿する
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和歌山駅は移転や改称、統廃合を繰り返したので複雑な歴史がある。
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東和歌山駅を和歌山駅に改称した時には
いまひとつピンとこなかった人が多かったらしい。
東の外れにあると思われてたのは事実ですし。 -
東京直通の急行「大和」の寝台車は東和歌山(現在の和歌山駅)発着ではなく、
和歌山市駅発着だったな -
そう、和歌山の代表駅は遅くとも昭和50年代までは間違いなく市駅だった。
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ところが今は市駅の方が斜陽化著しいと言ったら
言い過ぎかなあ。 -
6
高島屋も閉店したし、駅前商店街も撤退した商店も多くなってるしな -
いま記事を検索したら既に大阪万博の頃から落ち目になっていたとは。知らなかった。
南海が起死回生を狙って打った大プロジェクトが市駅の改装という事らしい。 -
和歌山の四大デパート、丸正・大丸・高島屋・近鉄が
とうとう近鉄だけになってしまったんですね。
寂しい -
商店街といえばブラクリ丁の凋落は目を覆わんばかり。
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和歌山ステーションデパートに鉄道模型売り場があったな
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和歌山線ではなく和歌山駅を語るスレになっとる
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>>12
ス、スマン -
和歌山線が非電化のころや列車本数が今のように多くなかった頃は、列車の走らない時間帯は
並行する和歌山バスが市駅〜粉河・橋本間を結んでいたな -
電化が決まって架線柱が線路脇に建植され始めたのは良いが、どういうわけか暫らく進捗せず
和歌山を出てからの直線区間にアームの無い柱が等間隔に林立してる光景は少々不気味だった -
やる気起きなかったのかな
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せめて奈良方面へゆく全線通しの快速は欲しいな。
-
現代の話だが、和歌山18:48発の快速は奈良行きだから、一応あるといえばあるんだな。
でも粉河で快速運転はおしまい。
本題に入って、電化直前まで客車が1往復走ってたよね。
下兵庫・中飯降・大谷・西笠田・紀伊長田・下井阪・紀伊小倉・千旦は通過。
電化直前なら12系だったのかな? -
一時期、天王寺〜御坊・五条間を阪和線・和歌山線経由で遠回りする快速も設定されていた
五条行は和歌山駅で分割併合されていて、車両は113系のほかに、103系でも運転されてたな -
和歌山線はまだ割り出し方式かな?
優等列車が走らないから構わないがな -
有名な北宇智のスイッチバックを体験しようと乗車したことがあったが
何もなくて拍子抜けしたのを覚えてる
今から思えばたかがスイッチバックに何を期待してんだって話だがな -
和歌山線の架線が福知山線電化時のように高速運転に対応できる張られ方ではなく、
簡易方式で張られたのは、国鉄末期の経費節減や和歌山線が福知山線や山陰線のように電車特急などが
運転される見込みのない路線であったからだろう。 -
北宇智のスイッチバックや
川端貨物駅の思い出を語ってほしい -
岩出駅の駅舎か詰所か忘れたが
建物の軒先に大きな蜂の巣があった
それを長い竹の棒で突っついて駆除しようとしてる駅員さんたち
時間が止まってるように見えた
方言丸出しで駅周辺の案内をしてくれた
交番に居た巡査よりも親切で、本職はどれなんだよと思わずツッコみたくなる
いい人ばかりだった
1980年頃の思い出 -
川端の廃止後結構設備残ったよね。
平成に代わる頃まで何度か撮影にも行ったが、
付近に何処かのロープウェイの廃車体なんてのも置いてあった。 -
>>27
川端貨物駅は砂利運搬がメインだったの? -
元々は木材と鉱石と砂利だよ。
紀ノ川沿いに砂利積み込み線があって、
それとは直角になったホームで木材や鉱石の積み込みをする形。 -
和歌山線ってよく電化されたもんだと思う
103系を無理やり改造して走らすほどの需要で
国鉄末期としてコストパフォーマンスはあったのかな -
当時は首都圏で大量に電車を置き換えする場合の
転用先確保の意味合いもあるからね。 -
残念ながら川端駅のヤード跡も最近舗装されてたみたいだな。
-
俳優、小林稔侍も中学時代は出身地のかつらぎ町から和歌山線で和歌山市内まで通学してたらしい
小林稔侍は上京、帰郷の際は急行「大和」を利用ことあるかも -
王寺からの大和崩れ以降は寝台車の入線はもう殆どないんだね。
JR化後団臨で14系が入った事はあったが。 -
>>26
岩出は今でも有人駅なのかな?
10年くらい前、和歌山から当時あったJスルーカードで乗り込んで岩出で降りようとしたら「取り扱えません」と。
まあ機械を操作して事なきを得たのだが自分の他にも事情に疎い客が居たようで有人改札前にはちょっとした列ができていた。
駅員が居るからこそ可能な対応だな。 -
国鉄末期、「くろしお」で使用されていた485系を使用した団臨が和歌山線に入線したことがあった
-
結局最後の特急型電車は天理臨の381系かな。
客車だとサロンカーなにわが最近も入線しているが。 -
当然のことだが国鉄時代の方が沿線も活気あったな
橋本なんて南海より利用客が多かったんだから
電化したことにより逆に最高速度が95km/hから85km/hにスピードダウン
行き違い駅も大和新庄と大和二見そして北宇智が撤去されてしまい速達化も増発もままならなくなってしまった -
過去にDC特急の入線はないのかな。回送や廃車留置はあったんだが。
-
橋本駅の利用客が南海<国鉄の時代があったのか
今の格差を見てると信じられないなあ -
高野線が橋本まで複線化されたのはJR化後の話だからな
それまでは三日市から先は山岳区間を細々と走るローカル線そのものだった
通勤で大阪まで通う和歌山府民ってのもほとんど存在せず
県庁の和歌山のとの結び付きの方がずっと強かった -
和歌山県橋本市と奈良県五條市は、橋本駅で南海高野線とJR和歌山線の
レールを結び、南海高野線電車の五条までの和歌山線乗り入れをJR西日本に
要望したこともあったようだが、未だに乗り入れは実現していないのは、
五條から大阪方面へは吉野口や高田で近鉄や大和路線に乗り換えたほうが
速いからだろうか -
五條から大阪に出る最速は間違いなく橋本経由の高野線ルート
大阪へ通勤するのに林間田園都市でパークアンドライドしてる五條市民も結構いる
吉野口まで出ても吉野線は橿原神宮まで単線だしJRならもっと時間がかかるだろう
五條は市議会レベルで南海乗り入れの話は出るんだが肝心の奈良県が乗り気じゃない
そりゃ県にしたらよそ者の南海より近鉄を活用してもらいたいとこだからな -
川端貨物駅こそが紀の川水運時代の和歌山線の始発駅だったっけ。
-
模型みたいなレイアウトだよな。二見からC型のカーブで進んで
川砂利用と木材、チップ積み込み用ホームに分岐とか。
更に川砂利用ヤードから、来た方向側に分岐して
鉱石用ホームが木材用ホームと並行して並んでたらしい。 -
まだ残ってるレールとかホーム跡も全部撤去されそうなんだよな
早いうちに見に行っとかないとヤバいかもしれん
五新線未成線跡も老朽化で危険ってことで撤去されそうだし -
もうヤードは舗装されたしな。
-
貴重な産業遺産で残すべき価値があるという類のものでないから難しいな
真土トンネルはこの前行ったが元気な姿を晒してて安心した
老朽化で潰れるってどこ吹く風の如く
下手すればあのアーチ橋より長生きするかもしれない -
だが紀伊半島の古いトンネル内の老朽化は全般的に酷いよ。
大水害やら地滑りで想像以上に傷んでるからな。
大したメンテナンスされてない五新線関連は危険だろう。 -
簡易駅(無人駅)通過ってのが2時間に一本くらいあったな(53年10改正あたりまで)
客車のやつとか。快速の先祖かw -
和歌山線と言えば、割り出し分岐器っていうのか?、正式名は知らないが、常時進入が定位になってた分岐器で、出発時は抉じ開けてその分岐器を通過する。わかる?、説明が下手で。
だから進入時なんかは僅かだが低速になってた気がする。
あと、和歌山を出発してすぐに停車した。駅じゃないのに?、と思ったら和歌山機関区へ職員が出勤するための停車だとわかった。 -
>>22にも書いてあるけど
「スプリングポイント」とはまたちがうの? -
DC時代は回送を兼ねて夜間とか凄まじい編成で走ってたな。
一番記憶にあるのがキハ45 10 20 17 55 58 28 55と繋いだ編成。
後ろ二両は締切扱いだったが、殆ど別車種で
車内灯の色が全然誓うのが印象的だった。 -
夜間ほどではないが朝も結構なカオスな混成が見られたよ
-
逆に関西線電化前に全車10系でまとまった
8連というのにも一度遭遇したよ。
高田分割の列車で志都美や下田では後部がはみ出ていたが。
関西線電化前は和歌山線は35系が入ってない編成も多かったんだよな。 -
通勤型と急行型の併結は当たり前ですか
-
だね。
厳格に分ける必要が無いからじゃないの。 -
へぇ
非電化路線で多用された混成を揶揄する隠語に「ゴッパニッパ」なんていうのがあったが
その遥か上を行く光景だね -
>>57
国鉄の気動車は特急形以外の全ての形式が相互併結可能な構造になってたからな。 -
異形式の混成で困ることって、乗車位置が混乱することくらい?
乗る時には不具合だが、見てる分には楽しいよね -
和歌山線はくろしおやきのくに用DCの回送を
編成後ろに数両ぶら下げる事も多かったよ。 -
>>61
通勤通学に使ってる人は困るかな -
ワロタ
-
整列乗車よりも車中での着席マナー向上には
会社として取り組んでほしいわ -
それを和歌山線スレで書くか・・
-
紀ノ川の鉄橋を渡ったとき
窓から下を覗いたらエメラルドグリーンの川面が印象的だった
やはり田舎の河川はまだまだ綺麗だ -
旧客の時代なら扉も開放だからスリルあっただろうな
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速度制限があったので上りは特にノロノロ走っていたね
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ディーゼルになってからは速くなったでしょうに
-
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御所も高田も旧市街地に隣接してるのに素通りされて可哀想だな
新庄みたいに私鉄の方が国鉄よりも市街地に近い例が多いのに -
高田は旧国名が冠に着かないが、
同じ駅名が他県に多くあるのにここが最初に開業したのか -
高田駅というと地元では近鉄大阪線の大和高田駅。
近鉄は大阪へ出るのも奈良へ行くのも圧倒的に便利。
国鉄駅は空気的な存在だった -
天ワカ
-
和歌山駅の電化開業セレモニーの時にゲストに演歌歌手が来た記憶がある
俺は地元出身の坂本冬美とずっと思い込んでたのだが坂本の年齢を調べたら電化の時まだ高校生ということで違うことが判明
じゃあ誰なんでしょう?覚えてる方いますか -
電化はいいが新車投入のはずが常磐線のお古になっちまったんだよな
>>24にも出ている簡易架線といい、とにかく安上がりで済まそうという姿勢で一貫してた -
末期の国鉄ならそれでも不思議ではない
-
国鉄は和歌山電化で何を期待したんだ
スピードアップして客が増えるとでも思ったか -
線路の脇に架線柱が立って、
プラットホームがかさ上げされ、
踏切の自動警報機が設置され、
と、施設設備関連の工事があちらこちらで始まって、
沿線はにわかに活気づいてた。
子供心に、いよいよ電車が走るのかというワクワク感があった。
都会に住んでる人にはそうそう体験できるものではない。 -
粉河駅ではボットン便所がパールトイレに一新されて、
ニオイも無くなって本当に快適になった -
もしかしたら名手駅だったかも知れん
記憶があやふやですまん
ちなみにパールトイレとは水の代わりに泡で汚物や紙を押し流す方式のトイレ -
嵩上げ工事が見送られた下兵庫
-
確か113系はクーラー無し(その後改造)で京阪神ではクーラー付き当たり前なのにガッカリ
やはりローカルは冷遇されてると思ったちなみに
1980年代といえば沿線の路線バスでもクーラー付きは半分以下 -
>>79
その前夜、急行紀ノ川がひっそりと使命を終えた -
和歌山市内でさえ、昭和59年まで下水道普及率はゼロだったからね
郊外になれば、推して知るべし -
ひっそりどころか和歌山駅も京都駅も見送りのマニアで大盛況であったらしい
-
そうなんだ
なんというか、今も昔も葬式鉄気質は変わらんな草
廃止を惜しむなら普段からもっと利用しろよ、と言いたい -
>>87
夏は窓全開がデフォルト -
新車のくせに窓が重くて使いにくかったと不評。
私鉄では軽い一枚下降窓が当たり前だったのに -
>>92
マニアが最後の記念に乗るのは分からなくもないが
日頃見向きもしないのに廃止が決まると最終便に乗りたがるミーハーが
どこからともなくワラワラと湧いてくるのが本当に不思議だ
こやつらのせいで本当に乗りたい人があぶれてしまったかもしれないとなると
穏やかではいられないわ -
スイッチバック廃止直前の北宇智に出現した連中も一緒やな
-
北宇智は側道と線路敷の境目に「線路内立ち入り禁止」の立て看板が何本も並んでいた。
スイッチバックの全景を撮るために線路に侵入する不届者が後を絶たなかったからに違いない。 -
>>94
ボックスシートの仕様に合うように幅が広く取られてるから重くなるのは当然 -
>>79
確証ないけど天童よしみでは?実家が和歌山らしいしまだ売れてない時代だから地方ドサ周りの営業をやっててもおかしくない -
スイッチバック時代の北宇智の撮影スポットは跨線橋な
-
>>98
マナーの悪さは今に始まったことではなかったのか -
なるほどね
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立ち入り禁止区域内に立ち入って列車を止めたやら、最悪はねられて死亡事故になったこともあった
-
和歌山線の電化と同時期に無人化された駅もあるな
奈良県:大和新庄、掖上、北宇智、大和二見
和歌山県:隅田、船戸、布施屋、田井ノ瀬 -
これらの駅の無人化も国鉄末期の経費削減かもしれない
-
それにしても、227系。なんでロングシートなのか。
-
227系がロングシートなのは和歌山県からの要請
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きのくに線に乗り入れるから
地震あった時に津波避難を迅速に行うため -
105系のさよなら運転は10月26日にあった
-
和歌山-橋本間しかやらず
橋本以東ではやらなかった -
>>111
車内喫煙等、地元高校生の素行が悪いからという説があるそうだがどうか。 -
>>106
エレベーター設置工事を実施している。 -
227はクロスでよかったのに
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>>109
電化前もほとんどキハ35か36でロングシートばかりだった。 -
福知山の223と金沢の521はクロスシートだ
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金沢だとJR以外に石川と富山の3セクにもある
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かつて五条から和歌山を経由して天王寺行きの快速あったな
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和歌山で紀伊田辺or御坊発と併結していた
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天王寺〜五条だと王寺、高田経由の方が早い
和歌山経由だと遠回りになる -
復活は難しいな
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かつて五条以西に221が乗り入れていたがあまりにも短かった
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五条〜和歌山に221系が乗り入れていたのは1994年9月〜2002年3月まで
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五条〜和歌山の221の運用は2両が多かった
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五条〜和歌山から221が撤退したのは粉河での落書き事件が原因という説もある
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五条-和歌山の221系の運用は朝と夜がメインだった
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五条以西の221乗り入れ復活してほしい
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>128
早朝の粉河発五条行きと和歌山発五条行き
夜の五条発和歌山行きと五条発粉河行きで -
221は和歌山から完全に撤退した
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キハ35が現役だった頃、和歌山駅の構内放送は「*番線の列車は『しえき行き』です」
とアナウンスしていて、最初どこ行きなのかわからなかった。
まだ紀和と田井ノ瀬を繋ぐ線路が残ってた頃の話です。 -
>131
2010年に225が阪和線ときのくに線に投入されたため -
221の和歌山での運用は奈良から貸し出された
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和歌山線にも223や225欲しかったな
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田舎路線用形式227系
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寝台客車が1両だけ王寺⇔和歌山市を連結されていたそうですが
天王寺で乗り換えるよりも速かったのでしょうか。 -
>>138
速いか遅いかじゃなくて東京まで直通してるのに意味があったんだよ -
紀勢本線に165系が投入される前、紀勢本線紀伊田辺〜新宮間で運用されていた非冷房113系には
春日色の非冷房113系も入ることがあったが、この春日色113系は桜井線、和歌山線経由で和歌山駅まで運用されてから、
紀勢本線での運用に入っていたのだろうか -
和歌山線での113は春日色と阪和色の2種類乗り入れていた
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和歌山線でお召し列車が運転されたとき、昭和天皇は橋本駅で、
南海20001系「こうや」号による南海のお召し列車に乗り換えられて高野山へ向かわれたな -
>>143
国鉄時代、日根野電車区が関西線の103系や101系を受け持っていた頃は、
車両運用の都合からか、春日色の113系6連も阪和線の紀勢本線直通快速や阪和線の
区間快速、桜井線、和歌山線用の4連の春日色非冷房113系も紀伊田辺以南の運用にも入っていた。 -
春日色は奈良区所属
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>>145
奈良電がまだ無かった時代なんだよ、坊や -
>>146
春日色も日根野所属だったのか? -
紀勢本線紀伊田辺以南で運用されていた113系4連は、日根野から和歌山市へ
回送後、和歌山市発新宮行となる運用と、日根野発紀伊田辺行普通となる運用で、
紀伊田辺以南の運用に送り込まれていたようだ。
紀伊田辺〜新宮間を交代で何往復かしたのち、夜間の周参見発和歌山行で和歌山に
到着後、日根野電車区へ回送で入区していたと思われる。 -
早朝の日根野発紀伊田辺行きと深夜の紀伊田辺発日根野行きは113系2連で今も運用されている(日根野の車庫からの入出庫を兼ねて)
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急行「大和」の寝台車1両が和歌山線に直通していた頃、粉河、橋本、五条などの
各駅の時刻表の列車の行き先の、「王寺・東京」などの表記を見た人は、
「こんな田舎の駅からも東京まで直接行ける」とはなどと思っていただろうね -
急行「大和」が和歌山線に乗り入れていたのは電化される前だな
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市駅直通時代2901レ継承の525レはC58、2902レへ継承の528レはC57がそれぞれ牽引。
1966年10月、C58に混じって和歌山区のC57牽引列車が和歌山線に2往復あった時代だ。 -
かつての紀勢線の始発駅は今の和歌山駅じゃなく和歌山市駅だったのか
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かつらぎ町出身の俳優、小林稔侍は高校は笠田高校
和歌山線列車に乗るときは笠田駅を利用していたようだ -
かつては南海の難波から和歌山市駅を経由して紀勢線に乗り入れる列車もあったな
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南海高野線と和歌山線の相互乗り入れは頓挫したみたい
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かつて、近鉄が国鉄から和歌山線を購入して自社の路線にするという話もあったようだが、これは実現しなかった
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和歌山線に103系もかつて乗り入れていたな
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阪和色と奈良色の2つ
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>>154
和歌山(⇒紀和)⇔紀伊中ノ島(阪和線の直下)⇔田井ノ瀬を直行する経路で敷かれていた。 -
五新線はどの程度完成していたのですか。
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その和歌山市駅も紀勢線の発着が和歌山駅に移ってしまって
今は和歌山駅との列車しか走っていない -
>>162
和歌山線との分岐点から、城戸から先までは路盤工事とトンネルのみ完成している。
西野トンネル阪本側抗口で途切れている。
天辻トンネルは阪本側と五条側の抗口が確認でき、阪本側のトンネル内部は阪大が天体観測施設として使用しているが、五条側の抗口へは、草木が生い茂り、危険で
近づくことができない。 -
かつて五新線の部分をバスが走っていた(五条駅〜城戸)
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国鉄バス→西日本JRバス→奈良交通
何年か前にバス専用道が老朽化で使えなくなってR168経由に替わった -
阪本線宗川橋梁は、橋梁上に温泉水か水道水供給用のパイプが敷設されていて、
活用されている。
その手前にある阪巻トンネルなどは抗口に柵がされているが、柵には「大阪事務所」などと書かれた看板が取り付けられ、トンネルを掘削した会社が管理している様だ。 -
R168は五條から新宮へ行くバスと西吉野へ行くバスの2つが走っているんだな
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>>168
奈良交通の大和八木新宮線も経由している -
その五條から新宮へ行くバスは八木から出てるヤツだな
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結局五新鉄道は開業せず幻になったのか
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阪本線は天辻トンネル阪本側を出たところまで工事が行われた時点で、
工事は中止された。
そこから先は険しい紀伊山地が迫り、新宮まで容易に鉄道線路が敷設できるような地帯ではない。 -
五條市内の五新線の国道を跨ぐ橋は撤去されてる
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五新線のトンネルは電化用の規格で設計されている。
五新線が電化されて阪本まで開通していたら、春日色113系4連による電車が走り、
クハ111の前面方向幕の「快速 湊町―阪本」などの行き先も見られただろう。 -
懐かしくもない書き込みばかりだな
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結局五新線のネタばかりになったな
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じゃあ次は川端貨物線の話しでもするか?
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川端貨物線ってどこ?
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大和二見から分岐していた川端貨物駅までの貨物線
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大和二見も木造駅舎撤去されてコンパクト化された
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蜜柑出荷で貨物列車の定数増のため、普段は川端支線にたむろしている
ハチロクやC11が五条・吉野口間の補機に駆り出されるのが今頃の季節 -
蜜柑だけでなく柿もだな
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大和二見も無人化されたときに駅事務所撤去して待合室に替えた
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大和二見もトイレ水洗化された
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トイレのリニューアル駅増えてるな
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高野口、笠田、名手、粉河、岩出
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橋本も
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未だにボットン便所の駅まだあるな
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105系もクリーム色に春日色の帯付いていた
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和歌山線に併走して走る和歌山バスの路線バスは、かつては上半分がクリーム色、下半分が赤茶色に近いオレンジ色で、
暖かみのある塗装だった。 -
和歌山バスも那賀地区は子会社に譲渡された
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その和歌山〜橋本の路線バスは廃止された
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少子高齢化の上和歌山線との競合が激しかったからな
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和歌山線が非電化だった昭和40年代、和歌山バスが「南海電鉄バス和歌山営業所」だった頃は、和歌山市駅〜橋本駅間の路線バスには急行便も設定されていたな
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和歌山〜橋本ノンストップだったかも
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橋本鉄道部に猛犬の車掌いたな
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和歌山線に車掌が乗っていた頃が懐かしい
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車掌はよく検札していたのを覚えている
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特に橋本周辺
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車掌乗務を復活させるべき
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特に五条-和歌山
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昼間の和歌山-橋本の区間運転を復活してくれ
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きのくに線から113系2連が勇退する
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227系に置き換わる
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主に御坊-紀伊田辺での運用がメイン
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紀伊田辺以南は105が現役だ
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紀伊田辺以南の105は3ドア車
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一部和歌山線からの4ドア車も運用されることもある
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天王寺から和歌山経由五条行きがあったな。阪和線内は快速運転。
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前4両はきのくに線御坊or紀伊田辺行き
和歌山で切り離していた -
新今宮から南海高野線の急行で橋本まで行って、橋本で五条、王寺方面行の
和歌山線電車に乗り換えた方が時間的に早かったな。 -
相も変わらずアゲ坊やの懐かしくもない書き込みばかりだな
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朝に五条発和歌山経由天王寺行きもあった。阪和線内は快速運転
和歌山で紀伊田辺発と併結 -
天王寺〜五条は初期は113系だったが中期から103系(白帯)に替わった
-
103系の白帯はきのくに線乗り入れ用
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天王寺〜五条は1989年の改正で登場して2000年の改正で廃止された
-
1964年の和歌山線
・和歌山市駅に乗り入れしていた。
・客車列車が多い。客車列車は全て畠田,紀伊山田,中飯降,大谷,西笠田,紀伊長田,下井阪,紀伊小倉,千旦は通過する。
・準急(はまゆう,はやたま,南紀観光団体専用列車)が走っていた。
・五条発着列車は,ほとんどが天王寺まで直通。
・急行大和の寝台車が1両だけ切り離されて和歌山市発着列車に連結されていた。 -
天王寺〜和歌山〜五条の復活キボンヌ
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昼間の和歌山-橋本の区間運転の復活も希望
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元々粉河止まりだったが1989年の改正で橋本まで延長されたが
利用者の減少で2002年の改正で再び粉河止まりに戻されて現在に至っている -
和歌山線も年々利用者が減少している
京奈和の和歌山県区間全通が追い打ちをかけている -
和歌山線の橋本周辺の検札復活してくれ
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特改はメンテックより和歌山車掌区にやらせるべき
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日中の高田快速廃止で221の乗り入れ減ってしまう
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5BAAT
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田井ノ瀬の駅舎が取り壊されてただのゲートみたいな出入り口に変わってたのを
初めて見たとき声もなかった -
全国各地のローカル線の小駅で起きた悲劇ね
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駅舎の維持もタダではない
コストカットに効果があって鉄道を遺してもらえるなら受け入れよう -
そういう連中に限って古かったらボロい汚い暗いと難癖つける
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岩出駅前が変わろうとしている。
ロータリーになるという噂もあるけど
知っている人いたら教えて下さい。 -
>>227
駅舎があった時代を知らなかった -
あの辺りて何もなかった
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和歌山全体が沈滞してるよ
和駅も市駅も元々閑散、そこにコロナが追い討ち
2Fさんの力を持ってしてもどうしようもないかね -
>>231
跨線橋もエレベーター付に替わって、かつての屋根のない跨線橋は撤去されて自動改札も設置されて駅自体は良くなったが駅周辺は寂れる一方。 -
>>227
布施屋も -
岩出はまだ踏ん張れると思ったがもうダメなのか
というか和歌山県全体が沈滞してるからなあ -
ぶらくり丁の閑散ぶりもすごいな。
本当なら再開発してイオンをここに誘致すべきだった
そのままで無駄な努力をしたせいでイオンが現在の場所になった。 -
2階さんがいるからなんとかなる
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>>239
和歌山市は世耕の地盤やで -
和歌山県が近畿圏に入ってなかったらもっと寂れてたかな
律令制では和歌山は畿内ではなく南海道に属してた -
https://cdn-ak.f.st-...1/20010101091350.jpg
運転士の姿が見えるので和歌山市方面行のはずなのに
行先幕が「東和歌山」になっているのは何故?
入線してきているのに旅客が全くそわついてないから、ただの回送(幕はナアナア状態)か。 -
結果的に和歌山駅と和歌山市駅と分散されたのがマズかったとは言えまいか
-
紀和駅、今は「和歌山駅」時代当時の駅舎画像すら見れるのだから
有人末期(1980年代)の駅舎内の様子が見たい。
ホームで撮った列車主体の写真なら見れるが、改札とか窓口とか目線が好きなので。 -
市駅から和駅の線何であんな少ないん?バスより早いし安いやん。結構乗ってるし。紀和駅が和歌山駅やった?たまに乗るが「ここが和歌山駅やったん?」と思う。お年寄りは和駅は東和歌山駅らしいね。
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>>246
その区間は和歌山線ではなく紀勢本線です -
1898.05 [紀和鉄道] 和歌山[紀和]-船戸(仮駅) 開業
1903.03 [紀和鉄道/南海鉄道] 和歌山市-和歌山[紀和] 開業
1909.10 和歌山線と命名
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1924.02 [鉄道省]紀勢西線 和歌山[紀和]-東和歌山[和歌山]-箕島 開業
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1972.03 [日本国有鉄道/南海電気鉄道] 和歌山市-和歌山を紀勢本線へ編入
>>247
ここ懐かし板だよ??? -
ホンマよく分からんわ。バスより明らかに便利やのに。バス遠回りするし時間かかるし、難波から市駅着いてわからんから、改札も裏側で駅員さんに聞いたわ。乗せない様にしてるとしか思えんわ。
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いくら便利でも、市駅←→和駅を移動する旅客の絶対数が少ないからだよ。
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よく乗るるんよ、待ち合わせでバスと電車比較して。けっこう人乗ってるで。駅二つやからあっという間に着く。「あぁこの駅が昔の和歌山駅かぁ、昔は栄えてたんやろなぁ」と乗るたびに思うわ。
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打田駅前の、昼は食堂夜はカラオケバーみたいな店でカレーを食べた
跨線橋から見下ろす駅前風情がまるでジオラマのようで印象に残った -
あの一帯は似たような造りの駅が多い
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阪和電鉄(現在の阪和線)がターミナルを東和歌山(現在の和歌山・和駅)に置いた事
この事がその後の和歌山市中心部の鉄道事情にかなり影響を及ぼしたと思う
もし阪和電鉄が紀和(旧和歌山)か和歌山市駅にターミナルを置いていたなら
紀和や市駅周辺は現状ほど寂れてはいないだろう -
同意
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南紀の観光資源考えたら紀和や市駅とかより和歌山(東和歌山)に路線伸ばすだろ
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市駅にまだ勢いのあった頃でも
駅から少し歩けばたちまち人通りが少なくて活気に乏しかった記憶
平成二年頃です -
>>255
ライバル側へ擦り寄るはずがねえじゃん。 -
>>92
そういうのは地元民へ言う内容だな。 -
>>257
国鉄は紀勢西線の終点を旧和歌山とか市駅にするつもりはなかったんだろうか -
まだしも吉野口は蒸機時代の雰囲気を感じられるね。
木製上屋や方面案内の琺瑯、近鉄用を含めてホーム数も多い
中核駅の面影が残ってるように感じる
「五條・橋本・和歌山方面」という文字数の多い青ホーが秀逸 -
現行ネタになるが、吉野口って他所の社線接続駅とくらべて
JR西として「他社線接続への配慮」、案外トップクラスでは?と
いつも思う。たとえば先日、下記aに乗ってて遭遇したけど、
JR下 1640着 A
近鉄上 1641着 a
JR上 1642着 B
近鉄下 1645着 b
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近鉄上 1645発 AB
近鉄下 1648発 AB
JR上 1647発 ab
JR下 1652発 ab
ちゃんと、どのパターンでも乗り換えられる。 -
まあ運転要員配置駅で現在でも手動扱い、ってのは大きいだろうけどね。
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昭53年10月くらいまでか、簡易駅(無人駅)通過列車が2時間1本で走ってた。
和歌山側からがわかりやすく、通過駅は千旦、小倉、下井阪、紀伊長田、西笠田・・と
今の快速並みの運用だった。80年代になってはオハ50系の客車だけだったかな? -
鉄道史家を自称する変なおっさんが
自サイト&Twitterでいろいろ面倒やね。
のぶっておっさん
浅い自説に対して
「紀和鉄道の駅があったから紀和町になった可能性は残りますね?」
と指摘されただけなのに発火し
変なおっさん「てはあなたがそれを資料で証明してくださいな。」だってよ。笑
誤字が瞬間発火をよく表せてる
コイツに昔、ていねいな言い方で指摘したことがあったが
似たように文句言い返してきたんだよね。
自分が調べた成果は鬼の首取ったように披露したがる
こういう老害的な自信家が結果的に誤説流布になるんだよな。
本人は誤説を糺してるつもりだから手に負えない -
和歌山側は線形が良いから通過列車はスピード出したかっただろうなあ
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機関車による客車牽引ならスピードもたかだか知れているのでは?
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>>242
短絡線ない頃か。
一旦、和歌山(今の紀和)まで行って折り返し東和歌山とか(終点)
それかこの当時はキハ45新車投入した時期だからマジでその回送でナアナア方向幕かもね
知らんけど( ^ω^) -
新車が来てくれると嬉しくて乗り鉄のため大した用事もないのに和歌山駅へ行きました
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そして薄暗い地下道を通って東の端にある南海のホームで丸ズームの残党を待つ
…ローカルやねえ -
電化の時は新車でないけどとても綺麗に感じられた
105系 -
偏見だけどディーゼルカーよりも電車の方が綺麗に格上に見えた
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綺麗には見えたけど格上とは思わないよ
詰め込み上等の4ドアロングシート車のどこに格があるのかと -
格上とか格下とか個人の主観をぶつけあって何になる
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論破合戦
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論破ですらないよw
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>>276
そいつじゃないが、そもそも個人の感想にツッコムなよ -
和歌山駅の薄暗い地下道を思い出したお酒の日本城の広告があった
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京都発和歌山行きの近道
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>>282
近道ではない
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