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鉄道懐かし
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【61.11.1】国鉄最後のダイヤ改正について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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あれから30年になります。
昭和61年11月1日、民営分割化を見越したダイヤ改正で、列車の大増発が行われました。
その影には先頭車化改造や三島会社向けの新形式キハの導入、CTC化、列車無線の整備など色々な系統のさまざまな取組みがありました。
また、最後まで国鉄での存続を求めて戦った労働組合と将来を心配しながらも新会社に生活を託す決心をした労働組合との対立、日々開業する余剰人員対策のエキナカの開業など、
当時の国鉄はどんよりと思い空気が漂う中でも毎日のように大きな動きがあったように感じられます。
国鉄末期から新会社発足までのさまざまな苦労や努力があって今のJRがあると考えます。
当時を色んな視点から語ってください。 - コメントを投稿する
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全国の駅から「手小荷物扱所」姿消す
旧型客車全廃
短編成の特急登場(3両有明) -
この改正で新幹線ひかり号は東京大阪間を3時間を切るスピードアップが行われました。
昨年の日航機墜落事故の影響もあって新幹線の認知が強まり、新幹線のシェアを大きく伸ばした改正でもありました。
この頃、民営分割化に反対するゲリラが浅草橋駅を焼き払い、沿線中の信号ケーブルを切断する事件がありました。
当時のおニャン子クラブのアイドルが冠番組夕焼けニャンニャンに遅刻しそうになったエピソードがありました。 -
特急「まつかぜ」、急行「丹波」、昼行の急行「だいせん」が廃止され、
新大阪・大阪〜城崎間に485系電車特急「北近畿」が新設
福知山線・山陰本線宝塚〜城崎間電化で投入された113系は2両編成
特急「北近畿」は計画段階では381系使用予定だったが、当時の国鉄の緊縮財政などから、
381系は新製されず、日根野、金沢、勝田、向日町、南福岡など全国各地から寄せ集められた485系で運転開始。
特急「まつかぜ」廃止により、特急「はまかぜ」の米子発着列車1往復増発と急行「白兎」を特急「あさしお6・7」号に格上げ
「あさしお6・7」号は鳥取〜米子間は快速として運転
特急「いそかぜ」は同改正で廃止が噂されていたが、3両編成に減車されて存続することになった
特急「おき」も3両編成のミニ特急なった -
北近畿なんて名称は国鉄末期の暫定的なものでいずれ改称だろうと思ったけど、四半世紀近くの長命だったんだよなぁ
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急行「紋別」「はぼろ」の廃止
今じゃ列車どころか路線そのものが無い -
青函連絡船廃止間際に、山線経由で札幌行きがあったな〜
旧客車で運転していた夜行列車だった -
函館山線が事実上死んだのもこの改正だったな
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スピードアップという点では実に多くの試みがなされたダイヤ改正だったなあ
新幹線から普通列車まで -
阪和線ではデータイムの区間快速を快速に格上げの上、東岸和田折り返しだった
普通電車の運転区間が日根野、和泉砂川、和歌山まで延長され、103系4両編成も多数組成されて運用開始した。
この時、浦和区、豊田区、日根野区、淀川区、奈良区との間で103系の広域転配も行われ、阪和線や関西線では、
ウグイス色やスカイブルーのほかに、スカイブルー+ウグイス、オレンジ色、オレンジ色+スカイブルーといった
多くの混色103系が出現した -
阪和線では鳳〜和歌山間を振り子対応に改修の上、最高速度110km/h化したのがこのダイヤ改正。
「くろしお」は和歌山〜白浜間の曲線通過速度も本則+15から+20に引き上げられスピードアップ。 -
中央本線名古屋口では103系の編成が3連+7連に変更され、3両編成の103系も運転開始され、
同線の103系冷房車は前面、側面の方向幕の使用を開始した -
61・11ダイヤ改正での在来線スピードアップに関する試み。
・分岐器直進側の制限速度向上
従来100km/h→120km/h。
湖西・北陸本線(山科〜金沢)では先行実施。
当改正で中央東線、常磐線、高崎線、信越本線など実施区間拡大。
一般列車についても95→100km/hを多数の区間で実施。
・非振子特急電車の曲線通過速度向上
従来本則+5→本則+15(※Cd値60→70mm)。
183・189・485・489系のみ対象。
中央東線・篠ノ井線(八王子〜松本)では先行実施。
当改正で北陸本線、常磐線、高崎線、信越本線など実施区間拡大。
・振子特急電車の曲線通過速度向上(非PC枕木区間)
従来本則+15→本則+20。
和歌山〜白浜で初実施。
・近郊形電車の曲線通過速度向上
従来本則→本則+5。
横須賀線(品川〜大船)では先行実施。
当改正で東海道線、山陽本線、北陸本線など実施区間拡大。
・非PC枕木区間の最高速度向上
従来100km/h(381系除く)→110〜120km/h。
千歳空港〜沼ノ端(120km/h)、長万部〜野田生(110km/h)で実施。
・貨物列車の速度向上
従来最高速度95→100km/h、本則→本則+5、分岐器直進側95→100km/h。
EF66牽引のコンテナ列車が対象(分岐器は全機関車牽引列車及び対象区間多数)、小田原〜幡生にて実施。
・一般気動車の曲線通過速度向上
従来本則→本則+10(※Cd値55mmを初適用)
西鹿児島〜指宿間にて実施。
同区間は簡易線であり、簡易線高速化のモデルケースでもある。
このほか、最高速度120km/h区間の拡大など(金沢〜富山、博多〜長崎、札幌〜旭川など)もこの改正で実施。 -
集配列車の廃止で名実共にヤード系輸送が廃止
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竜華操車場、竜華機関区も廃止となり、阪和紀勢線貨物列車全廃
同機関区に配置されていたEF15とEF60は保存用の1両を除いて、全機廃車となった -
>>14-15
亜幹線中心に59・2改正での全廃、削減免れた路線や区間の貨物もだいぶ消えたな -
山陰地区でも普通列車や快速列車の増発が行われ、特急「おき」、「いそかぜ」の
間合い使用によるキハ181系の快速列車や普通列車も運転開始された -
当時の関係者が本出してたね。
おもしろかった。 -
あの頃、キハ183−500が新車で輝いていたなぁ。
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四国向けに製造されたキハ185系が特急「しおかぜ」や「南風」で運用開始
運用開始から数か月後に、キハ185系が製作コストを下げるためバス用クーラーや
キハ65やキハ58などからの中古部品を20点も使っていることが明るみに -
東京や新大阪等の新幹線と在来線が別会社となる駅では、新会社への配属を前提に新幹線部門・在来線部門に振り分け配置転換した。
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>>19
普通車の座り心地が最高で、感激したわ。
昭和62年3月、おおとりで初乗りだった。
ただ、登場1年目までは、気動車独特の臭いと、客室のペンキの臭いが混じっていて
気持ち悪くなったので
よく0番台車ばっかり乗っていたわ。 -
新快速を外側線に回して徐々にスピードアップ
結果的に今の一人勝ちの地盤を築いた改正だったと思う
快速の凋落ぶりは哀れだが -
青春18きっぷは残った
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そういや、山科-大阪間の外側線120km/h化もこの改正じゃなかったっけ
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京阪神緩行線の普通電車の運転区間が京都〜甲子園口、吹田〜西明石間と
分かれていたものが、京都〜西明石間に拡大された -
キハ31は?
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>>27
プッw -
今日で丁度30年。
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高校生時代、クラスの友人と中央線の通勤快速の処女列車に乗りに行ってから、
ちょうど30年か…。
おっさんになるわけだ。 -
尼港線のサヨナラ列車もこのときか?
1両増結してたな。
デッキまで満員で窓から乗り込むやつもいた -
播但線(飾磨港線)姫路〜飾磨港間が廃止となり、播但線の起点駅は飾磨港から姫路に変更された
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紀勢線特急くろしおに485系が入って振り子がないから遅かったのもこの時か?
鳳駅に特急が停車という意図不明なこともあったけど、結局7年くらい前に鳳の特急停車は取りやめになった -
>38
この改正で山陰本線の旧客は全車引退して、客車鈍行はすべて12系と50系化された -
>40
この改正の日は3連休初日だったこともあり、特急「あさしお」や「はまかぜ」も
1両増結の8両編成で運転され、運転開始した特急「北近畿」も多くの利用者が見られたな -
大阪駅に113系が2両で止まっていたのにはぶったまげた
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特急「まつかぜ」廃止により、キハ181系気動車12両が向日町運転所から米子運転所へ転属
この中にはキハ180を先頭車化改造したキハ181-101も含まれていた -
東京車掌区の通し乗務だった大垣夜行
この改正から熱海〜浜松が浜松車掌区
その先は大垣まで名古屋車掌区と
担当がコマ切れになった -
松本運転所から日根野電車区に165系3両編成11本33両が転入し、
紀勢本線の客車列車と新宮夜行が165系電車化
竜華機関区、竜華操車場が廃止され、阪和・紀勢線の貨物列車は全廃
同機関区に配置されていたEF15とEF60は宮原総合運転所で保存展示用の各1両を除き、全機廃車 -
>>18
どれ? -
国鉄時代最後の年から31年
もう30年以上前の話になったか -
ぴちぴちダイヤ、出発!
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16両でガラガラだった山陽新幹線こだまが、ほとんど6両になった。
その横を颯爽と通過する100系がとても眩しかった。 -
ピギーバックがこんなに短命に終わるとは予想しなかったわ
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今夜はピギーバック
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4月8日(土)NHK BS1
22:00〜
経済フロントライン
▽「国鉄民営化30年」明暗分かれるJR各社。鉄道の未来は?▽ -
断末魔改正か
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関門トンネルのEF30も、この改正で一気に消えた!
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165系電車がきのくに線に入った時だな
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>>23
京阪神間での快速の凋落傾向は60.3で日中が京都−高槻間各停になった時点で前兆は現れてたけどな。 -
魔のジョイフルトレインブームの開幕だ
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そういや「新急行かもしか」とかってできたのこの時だっtけか?
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1986年天竜を改称
1988年快速格下げ -
>>51
ミニ新幹線とは今では山形秋田のことを言うが、当時は0系6連に付けられた愛称だったな。 -
H 85
S 43
R 21 -
それは常磐線経由の特例などが廃止された時期と同じで布石も糞もねえよ
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>>68
昭和61年当時は、ゆうづるがありましたよ? -
α列車
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東海道本線静岡地区で、東京駅から浜松駅まで直通普通電車が廃止されてから30年が経過した。
東海道本線静岡地区で、東京駅から浜松駅まで直通普通電車が廃止と同時に
日本テレビ系列放送の全日本プロレス中継の番組が毎週土曜日の午後7時からのゴールデンタイムの放送枠から撤退した。
これにより、お茶の間のゴールデンタイムからのプロレス実況生中継が全て撤退したことになった。
ちなみに、全日本プロレス中継は、ゴールデンタイムの実況生中継から毎週日曜日の午後10時30分からの不定期1時間枠の番組に格下げとなった。
テレビ朝日系列のワールドプロレスリングは、すでに1986年の10月から毎週金曜日午後8時からの実況生中継から撤退していた。
毎週金曜日午後8時からの実況生中継のテレビ朝日系列のワールドプロレスリングの後番組は現在に至る「ミュージックステーション」である。 -
既に不採用組には通知してたのかな?国労のとある支部も最近まで粘って賠償闘争してたもんな
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レールは春に続きます 国鉄名古屋
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岩徳線ルートの経路特定が残っているのは、
山陽新幹線の実キロが岩徳線とほぼ同じだからだろうなあ。 -
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ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ -
>>66
実乗ルートで計算して「あたりまえ」。
乗りもしない短絡ルートで計算できる場合は「ラッキー」。
もし、昭和50年代に、東北、山形、秋田新幹線が同時開業していたら、
東京から秋田までの運賃は盛岡経由でも山形経由で計算することになり、
それが今でも残っていたかも。 -
さようなら汐留駅「宅配鉄道便」
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新垂井
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>>23
JR化後は米原延長で名古屋方面や新幹線との接続を図り、
さらに長浜延長で長浜観光の活性化に図る。
06年秋には敦賀までに顔を出すようになる。
停車駅も、高槻、芦屋、尼崎に終日停車に。
一方、快速は西宮と住吉が終日停車となり、深夜は新快速に置き換えられる羽目に。 -
d
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古城博ひこね
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この時中学一年生
いわゆるイチロー世代
中学生ながらこの改正で全線電化された線の某駅から汽車通学してました
8から5両の冷房12系が非冷房2両の113系に置き換えられた上民営化前の駆け込み値上げに驚愕した最後の国鉄通学世代です
余談ながら高校ではイッコ下からブレザーになったのでここでも最後の学ラン世代になりました -
西岐阜
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天竜から降格の快速みすず
JR東区間の停車はかもしかと同じく
篠ノ井・聖高原・明科・松本・塩尻・岡谷・辰野のみ
今や見る影もない -
シティライナー211
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>>75
>国鉄民営化時点で、東京〜浜松の普通は存在してたぞ!
>切られたのは平成になってから。
5年目の92年秋時点でも東京ホームで〔浜松〕の幕表示拝めたな、国府津で分割併合される〔小田原&御殿場〕のスジも残ってた。
大垣夜行が
ながらに転換された96年までにいずれも消滅してったんかな?
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この時に銀河を583にしてたらな
14系寝台「客車」にしたのが失敗だった
電車化していたら何らかの形で今日まで生きながらえたよ -
>>88
ないない
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