-
鉄道懐かし
-
昔の国鉄阪和線 その2
- コメントを投稿する
-
このスレを見ている人はこんなスレも見ています
昔の南海鉄道・南海電鉄・阪堺電軌を語るスレ7[鉄道懐かし板]
[新鋭225]阪和線・関西空港線スレ129 [鉄道路線・車両板]
【新今宮←】南海電気鉄道スレッド NK-03【→岸里玉出】[鉄道路線・車両板] -
南海スレなんか見てへんわ!
-
103系の雄ノ山峠越えする快速運転は113系より古いんだっけ?
-
昭和55年頃にはすでに。
-
堺市と鳳って阪和線ではどっちが格上なのか。昭和では新快速は堺市はずっと通過のまま生涯終えた
南海では堺も堺東も昔から特急停車駅。阪和線ではまた違う扱いなのかな -
言うまでもなく鳳!
-
堺市駅前のバス停は阪和堺市駅前
-
鳳も住宅地
-
天王寺-和歌山概ね65キロを103系に爆走させた勇気に京福いや敬服
-
103系快速は4連+4連の8連で、アナウンスは前から4両面から5両目への通り抜けはできません、と言っていたが、いつの頃からか「4号車から5号車へ」に変わった
近郊型車両に倣ったのかもしれないが、103系には号車表示がないので無理があると思った -
113系に号車の表示あったの?
号数板のサボ受けがあった記憶はあるが使用されてなかったと思う -
>>9
だから何? -
国鉄時代の阪和線で113系のクハの連結ってあったっけか?
-
国鉄時代に増発されて4両化されたからあったよ。おかげで加速が悪くなった。
-
国鉄時代、羽衣線用の103系3両編成を2本連結した6両編成が天王寺〜東岸和田間の各駅停車運用に入ることもあった。
-
それは知らなかった
-
御坊や紀伊田辺まで直通する快速が無くなったのはいつ頃だったか
和歌山での乗り換えが面倒で嫌だった -
1977年の旧型国電置換時に、羽衣支線用に103系3両が3本配置されました
そのため、本線6両運用に入ることは前提であったように感じました
ちなみに当時ですが、
天王寺/日根野が6両、日根野/和歌山が快速以外は4両→本線は置換少し前に全線6両化
これで、旧型国電の4+2両が6両固定で運用で和歌山までの区間快速は旧型国電限定
→103系と113系6両も全部OKになりました
快速8両はもう少し後と思います -
単に阪和線の阪和だろ
-
紀伊中ノ島も和歌山バスの停留所名は「阪和駅前」
ついでに、昔は海南市内に「野上電車前」というのもあった。 -
何が「阪和電鉄が続いていた世界線」だ
現実を見ろ -
田辺までじゃなく海南や湯浅辺りまでの各駅だとそこから大阪との流れは多少ある
-
ホントに多少だからその程度なら乗り換えでねって話
-
紀勢線電化前は特急、急行と客レ以外は直通してなかった。
電化で快速の直通が始まった。 -
1989年の春から、113系6両編成で運転されていた阪和線・紀勢線直通の快速は和歌山以南の
紀勢本線の輸送量に合わせて4両編成に減車されたが、阪和線内ではラッシュ時に113系4連2本併結の
8両編成の快速が見られるようになった。 -
本当は解結操作があるから併結したくなかったそうだが、
さすがに天王寺~堺市で四連はムチャやな -
旧国の区間快速が4両だった頃(76年11月以前)は天王寺寄りはさぞかし乗車率が凄かったろうな。
まあこっちは和歌山市民なので大して気にも留めなかったような。ガキの頃だし知らんけど・・ -
区間快速が増結していたときは、和歌山発が4両で、天王寺着が6両
ただ増結は朝夕のラッシュ時中心だったのでしょうかね?
自分が行った時は、旧型国電末期で6両固定でした -
阪和線の103系は本当に元京浜東北線車だったとは思わなかった
-
和歌山寄りで六両を過剰とするのはあまりにも堅すぎる
空気輸送になってもいいじゃないか -
電車じゃないが和泉府中の車庫や踏切待ちする南海バスは電車と同じ緑の濃淡だった
毛穴や父鬼といった奇妙な名の行先だった -
スレ違いになるけど、毛穴のバス停付近て当時何があった?工場だっけ?
昔の地図で調べると、長承寺付近から分岐して、今の泉北2号線のガードくぐったところにバス停があったみたい。しかも終点。 -
その一文を考えるのに8日もかかってるのか
-
まあ阪和線の路線名は阪和電鉄から来ているからな
-
>>41
↑中身でなくそういうトーンポリシングしか返せない段階で劣勢ですな。笑 -
もしかしてスカイブルーも国鉄色の一つ?
-
阪和電気鉄道が設立される前に「阪和」という名詞があったかどうか、という史料がどこかにないかな?
-
ないだろうね
対抗馬は阪和国道(今の旧26)になるだろうけど昭和戦前期開通としか分からんw
まあ阪和電鉄が先でしょう -
まあそうだな。
当時車なんてなかったし、南海や阪和電鉄ができて阪和間が楽に往来できるようになったから、そうでもならないと二都市間の略語が作られないわな。 -
80年(昭和55)夏休みに旧客「はやたま」で窓開けながら和歌山から天王寺乗車しました。
茶色車体にニス塗り木製内装の戦前型オハ35はもう無く、すべて近代化した青いオハ35やスハ43系、ナハ10系が中心だった。
旧客も当時、次第に過去の遺物になりつつあり、今のような歴史遺産な扱いは全くない状態(当然の話)。
ただそういう状況ながらも旅情を味わえるのは旧客と言う認識は変わらずありました・・ -
昭和63年夏にバイトの関係で天王寺~杉本町に何度か乗車
非冷房時代の103系
杉本町改札は有人
駅の西口にはリゲインの宣伝キャラバン隊が試供品を配っていた
「24時間戦えますか」のロゴと時任三郎が大写しになった黄色のポスター
今から思えばすごい時代だな -
杉本町といえば
大阪市立大学(イチダイ)も名前が変わってしもた -
>>50
バブルのころはそんなキャッチフレーズあったなあ。 -
ハートアンドアクションがキャッチフレーズだった事もあったな<JR西日本初期
-
三国ヶ丘駅の券売機、南海の横に申し訳程度にある国鉄のやつが寂しかった。
-
三都物語に阪和線はいません
-
平成入ってから通学で阪和線乗ってたけど
三国ヶ丘は当時は快速は通過だったはず
堺市駅から先は地獄の超満員だったな
しかもラッシュ時は扇風機しかないような103系普通に走ってた
阪和線も環状線も
でも窓全開で走って誰も熱中症なんかにならなかったから
今より涼しかったのか昭和生まれの体力があったからなのか -
阪和型電車ビューン
-
今より涼しかった
-
どっきん四国とワンセット
-
当時はほとんどの学校も冷房がなかったね。
103系の非冷房車を中心に側面の方向幕がないものがあって、そいつらは前面の方向幕に上段種別、下段運転区間を表示していた。区間快速も赤だった。 -
鳳駅の羽衣線ホームにあったグーテンバーガーの自販機
昭和の終わりには無くなってたはず -
信太山がああいう場所だと子供の頃はつゆ知らず、快速に乗って通過していくだけの駅でした
-
今の小栗の郷はバーみたいに綺麗なところになっている「旅館」
-
久しぶりに天王寺駅行ったけど
昔の阪和線ホームってもうあんなに要らないんじゃね?
昔は1番線が特急専用で改札あったよね?
あと1番線の入口付近に屋台の立ち食いうどん屋あった記憶 -
1番のりばの立ち食いの店は名前変わったけどあるぞ
-
1番2番とで特急と昭和60年3月以前は急行も含めて専用で発着してたな。ホーム内の中間改札は自由席の急行券とか売ってたっけか
うどん屋さんの隣に阪和ライナーの整理券販売所とかありましたな -
椅子席はあるけど立ち食いできるぞ
-
元々国鉄時代の計画では(もしかしたらJRになってからかもしれんが)、阪和線を今の大和路線として直通を主として、関西線は今の阪和ホームに上げる計画を新聞で見たことがある。
-
それだと湊町駅はどうしたんだ
-
湊町〜新今宮の区間運転になったかもしれん
-
関空(当時は泉州新空港や関西新空港とも呼ばれていた)開港時の構想ね
-
>>70
強引すぎw -
>>76
別に強引ではないけど -
天王寺駅阪和線ホームの柱に貼ってある「建築財産標 昭和4年12月」を見ると、この柱たちは95年間もここで人々や車両の変遷を
見てきたという事に感慨を覚えますね。。。
モタ・モヨ・クタ・ロコ1000、流電、EF52、キハ81、見て見たかった。。。 -
見てみたかった な
-
あのホーム戦争でも焼け落ちなかったのか
結構貴重なんだな
阪和線じゃないが30年くらい前は京橋駅の片町線のホームには
米軍の機銃掃射された跡が残ってたような -
日本に進出当時のマクドも立ち食いだったね
-
天王寺1番ホームの立ち食いうどんって
1984年頃素うどん160円だったような -
区間快速に旧国使われてた頃、103系普通で天王寺出て長居で後発の旧国区間快速が通過していく様子を見ていた記憶がある
ボロいのに頑張ってるなあって感じだった -
杉本町の市大って平成の中頃までは電車から見えるように
中核派みたいなアジ看板大量に立ててたよね -
>>87
見なくなったってことはそんな活動をする学生は過去帳入りしたってことだね -
まぁ自民や維新が国破壊してるからもう中核派の出る幕じゃないわなw
-
なんだか
1番線
1番のりば
1番ホーム
…多様な表現が溢れているが、
いまでこそ1番のりばと表現するのだろうが、
国鉄の時代は1番線と呼んでいたのかな?
併せて、阪和線に限っては2015年頃まで自動放送で、1番線と1番のりばとが混在していた希ガス -
そういうのこだわる人いるけど
はっきり言って分かればどうでもいいとしか -
>>90
国鉄時代は「番線」。JR東日本やJR東海は今でもそう。
西日本になってしばらくしてから運転取扱と混同しないように旅客案内では「のりば」を使ってる。ただ運行システム更新の関係で阪和線は遅れていた。
「ホーム」はだいたい降車専用だな。 -
>>91
趣味的に会話する時やYouTubeにアップする時はJRの呼び方に合わすことはあるけど、一般的な会話は特に強制しない。そういう意味ではどうでもいい。
それよりも愛称を頑なに使わずにほとんど使われなくなった正式路線名にこだわっている人のほうがアタマ固い印象。
幸い阪和線は愛称も同じだけど、愛称きのくに線の紀勢線(紀勢本線)と呼ぶ人はやはりアップデートしようとしない頑固者のイメージ。 -
>>90
阪急の呼び方は独特だね -
>>94
神戸三宮「ハミゴにされた」 -
関西空港では南海が会社を挙げて準備していた事から、構想には無かった223系を登場させたが、この関係で関西空港駅に国鉄時代に製造された車両が来ることは無かった
-
頭の悪い奴がID変えながらつまらん主張繰り返してて興ざめ
こういう奴学校や職場で孤立してんだろうなぁ -
ンガググッ!
-
90だが
どうでも良いなどと、そう言われるだろうと思っていたが、やはりね…
>>92
あぁ〜、東西の言葉の文化の違いというよりも、
国鉄時代は1番線と呼ばれていたのと、
やはり運転扱い上と旅客案内上とで番線表示が違う事情なのと、
阪和線はシステム改修が遅かった…という事情なのか。
東の国の人間としては「1番のりば」と言われると、
鉄道駅ではなく「バスターミナル」で多用する表現だし、
阪急の1号線なんかは、広電とか、かつての都営6号線みたいに、
系統番号で使うイメージが大きく、
西へ何度足を運んでも、どうでも良いと言われても、違和感はある。
阪神や大阪メトロでは「1番線」と言われると安心してしまうだけにね。
教えてくれてサンクスです。 -
>>99
オマエガナー -
>>101
「のりば」はバスターミナルか。なるほど。 -
あと、勝手に「関東式が正しい」視点で語るの
やめてほしいなあ。
日本だけでなく世界中、
各地には各地の文化やスタンダードがある
自分が「それ」に慣れてない地へ行って
きもいだの言うのって心が貧しいと感じる -
本人無自覚に喧嘩を売るタイプかもな
-
>>104
そのとおりですね。 -
東の国の人でも、そば・うどんのつゆは西が好きという私に言わせると、そうですかね?
ぎゃくに西の国のかたが東に足を運んだ際に、
東での表現に違和感は感じないのでしょうか。
1番目に出る列車(先発列車)のことを、
東の国で「こんどの電車は…」と言われたら、
先発の意味とは通じないと聞きますし。
なんか、
>勝手に「関東式が正しい」視点で語るのやめてほしい
>きもいだの言うの
…とは誰も一言も発していないのに、
拡大解釈をしているのか、思い込みが先走っているような気がします。
むしろ発車標の「△3〜△6」なんて、むしろ分かりやすいとおもいますもの。
(↑さんかくが文字化けしてたらごめんね)
>「のりば」はバスターミナルか。なるほど。
そう思っていただいてよいと思います。
その通り、のりばと表現する際は、首都圏などの鉄道駅ではかなり違和感あります
(実際に、「キミ、1番のりばなんていうの、それ変だよ。
1番線って言うんじゃないの?」と言われた経験あります)。
やはり駅前などのバス停番号やバスターミナルで使います。
そこは、
>究極を言えば利用側の慣れの問題
とおっしゃる通り、↓1番言いたいのはここ↓
「利用者に通じるかどうか」がポイントでしょう。 -
お前面倒くさいやっちゃなw
-
また阪和線か
-
うん←ガキが使う言葉
-
スレ伸びてんなと思ったら馬鹿が自己主張でムキになってて草
まぁこういうスレで満足しないと本当に事件起こしそうだもんなこいつw -
103系高運は西日本では敬遠されていたと思われる
後のクモハ103-5000が低運になった事からも西日本では高運を好まなかったのかが分かる -
>>114
ちなみに「低運」「高運」なんて読む? -
因んでないように感じるが
-
>>116
お前面白くないな -
三国ヶ丘の南海へつながる通路の端にあった古本屋は盛業?
-
>>121
古本屋だった?天牛堺書店という普通の本屋の記憶はあるが、どっちにしてもその天牛堺書店自体が経営破綻した。 -
古本屋さんの経営はどこも厳しいようだ
-
かつてB快速というのがあった
関西には他にK特急やS特急もあったのでその頃の流行? -
関係ない
-
>>126
グロ -
>>126
早速だけどチャレンジはしてみようかな -
>>112-113
↑よほど悔しいらしい。笑 -
阪和線という路線名は後の埼京線や京葉線に通じるものがある
-
阪和電気鉄道から始まってるんだけどな
-
>>122
天牛書店っていう古本屋なら今でもある -
DF50の阪和線運用ってありましたっけ
-
>>132
無関係らしい -
阪和銀行
-
阪和線とシャープ、長池公園の風景は永遠の思い出
-
阪和自動車道
-
津久野駅前の坂道のところにあったパチンコ屋「阪和線」
-
地味な存在だった205系1000番台
-
阪和線は2011年以前はダイヤ乱れが多かったそうだが、今はそうでもない?
-
ググレ加須
-
>>141
埼玉県に阪和線はありませんよ -
>>143
かそじゃなくてかすだよ -
わかっててボケてるのに無粋な奴だ
-
埼玉県加須市は県境マニアの聖地。
東武柳生駅のそばには、埼玉、群馬、栃木が1ヶ所に集まっている。
川を渡れば茨城もすぐそば。 -
阪和線の103系低運転台は本当に元京浜東北線だったんだな
流石に103系高運転台と205系1000番台は最初から阪和線用として新製されたものだったらしいが -
いや、最初に天オトに配属された103系は低運だったよ
-
いや、最初に天オトに配属された103系は低運だったよ
-
連スレになってしまうけど、新製だよ。
-
ヨンサントオ投入組は間違いなく新製
-
205系1000番台と223系0番台は共に結局1回限りの増備に終わったが、登場時点では増備が検討されていたと想像
-
103系はスカートの設置と戸袋窓の閉鎖で年々関西感のある車体になっていくが、逆にそれらが行われる前は全く関西感の無い雰囲気だったと想像
-
南海と阪和線、車両製造時期的には
南海7000=103初期車
南海9000=205-1000
南海50000=281
にそれぞれ相当する -
関西感の有無というより国鉄とはこういうものだとしか
-
>>157
その時代に生きてなかったらそう書くしかないだろw -
そもそも書かなくていいよ
-
わしもそう思う
-
>>155
南海7100は国鉄でいえば103の1次改良車か低運量産冷房車あたりに相当するが、国鉄時代の阪和線にはまだ入線してなかった。 -
昔の阪和線の話で当時見たことがない人が書いたらあかんなんて言ってないよ
あなたの書き込みに意味がないだけ -
どうでもいいんだよ
-
少なくとも163はそのとおりだな
当時を知らん奴は書くな、なんて誰も言ってない -
>>170
自分の好きに曲解するのは止めよう -
阪和線の話をしようぜ
-
旧国時代に和歌山と紀伊だけの短区間運転があった
-
天王寺〜杉本町間の各駅停車もあった
-
>>176
こういう議論で言外とか言っちゃ駄目だよ -
>>177
あなたが「言外を読み取れない」からなんですね、わかります。 -
仲良くしましょうよ
-
205系は221系と取り扱いを揃えるために阪和線から撤退となったと思われる
2000年3月から2010年11月までは、逆に221系の一部が阪和線に貸し出されていたが -
すまん
文句なw -
ムキになった勢いで変換ミスを逃したまま書込
これ俺もたまにやらかすw -
別にムキにはなってないよ
-
どうでもいいんだよ
-
>>154
ただ遠隔地の情報収集手段がテレビや新聞雑誌のころで今よりずっと遅くて知られていない事が多いから関西感がないかどうかは地元民でもわからんな。 -
あとから作られた“関西感”でしかないしなw
-
関西感?
具体的に -
そのエリアだけ関西感が漂ってるのは近鉄名古屋駅
-
関西感というか異物感
-
このスレにはおまいさんが異物
-
381系はよく乗った事があるが、白浜〜和歌山って和歌山〜天王寺よりも距離が長かったんだな
-
えっ
むしろそっちがフツーの認識なんだが -
白浜アドベンチャーワールドに行くためにくろしお号によく乗っていた
でなかなか白浜に着かないと思っていた -
昭和60、61年頃 阪和線にはあまり縁のない国鉄本線級の車両が続々投入された EF60、485系、165系
EF60と485系は短期間だけだったが、まあでもあの2年間ほどはそれまで亜幹線というか府下の通勤路線のイメージから
ちょっと離れていた 「関西感」ならぬ「阪和感」というか -
連投
ま、当時の国鉄末期のあの整理の付かないあわただしい時期のひとつの象徴だったかもしれない -
2011年頃でも阪和線の103系の色が"おかしく"なっていた事があったみたいだね
-
そういうイレギュラーは即刻写真撮る必要があるね。
-
京阪神緩行線と同じ様で違う車両
-
JRになって90年代前半頃は113系より103系のほうがよく見かけたような記憶w 通常の快速以外にB快速も設定されたせいもあるか。
94年に関空快速で223系が投入、98年には紀州路で和歌山にも顔を見せ、さらに00年代に221系も一時的に運用に入った。
この時代あたりがまだ快速も名に恥じない?足の速さもあり、優等種別もアコモのいい車両が充当されたので懐かしいというか特記すべき時代だった -
とか書いてて、全然国鉄の話じゃなくてスマンw
-
井手天皇時代って、(内部的は弩ブラックだったろうが)
少なくとも旅客現場の各施策面では
「良かった」という話があるが
振り返れば、たしかにそう感じる -
103系快速は運動音痴な子が徒競走で必死にどん尻を走ってる姿とダブって仕方なかった
あれでも懸命に走ってたと思う
まあ、113系もそんなに快走感なかったけどねw -
昔話だが、東和歌山時代の阪和線ホーム(電鉄以来のくし形)は昭和43年の和歌山改称、同時にステーションビル竣工後もしばらく残ってたが
構内の改良工事を経て昭和46年3月に今の2番3番になった -
>>213
鈍足な俺はずっと103系を仲間と思ってきた。味方だった! -
ID:tr9GvkAw
レス番ずれてる -
阪和線の103系は一時期大和路線の様に前面に白帯が巻かれていた事もあったが、すぐに戻っていた
-
>>218
開始時は、単なるデザイン上の理由でなく
紀勢本線乗入れ車の区別に帯入れしてたそうです
(白帯車=ATS-Sw搭載)
阪和103系白帯車の消滅時に
その区分が生きてたどうかまでは存じませんが
少なくとも開始時はそうだった模様 -
阪和103系の末期には、天王寺発紀伊田辺行きが登場し、たまげたもんだ。
-
言葉のチョイスw
-
東でも103系の東京〜勝浦なんていう、長距離?列車があった。
-
因みに今は上総一ノ宮までに短縮されてしまった。
-
223は70年代とか国鉄時代までの認識の人だな
両国とか101系とか書いてる
でもそれほど以前から趣味してたら
勝浦ゆき103系知らんはずないと思うが
まあ人それぞれ -
阪和線の4ドア車は殆ど103系だったが、一部に205系も存在していた
-
>>227
201系が入線したことはなかったのかな? -
関西は101系は馴染み薄いな 京阪神緩行 大阪環状線 阪和線 関西線 どれも103系のイメージ
-
>>229
すまん片町線利用者だったんで101系が希薄なイメージないわ -
大阪環状線の101は新車で投入
関西線の101は電化当初から中古のオンボロ -
その前はキハ35だったから少しは良くなったかな?
-
阪和線でディーゼルの排ガス臭といえばやっぱ「きのくに」
82系「くりしお」のイメージは薄いな 58系「きのくに」は天王寺〜和歌山ノンストップだったのに
新快速より数分だが遅かったw -
くりしおじゃなkくろしお
-
漏れもユニバーサルのつもりだった
お互い指が思ったように動かなくなりますなあ -
関西本線、スキマ風だの系列単体では低評判だが
キハ35系は新製投入だわな。都市型の通勤タイプ気動車 -
都市部はともかく閑散なローカルにも投入されて悪評買った
-
閑散なローカルでもラッシュ時は混んでたから仕方がないよ
-
>>234
きのくにというと高校の時に土曜の昼過ぎに南海岸和田駅で見た思い出 -
接近するたびに線路から音が鳴っていた三国ケ丘駅
-
関西本線以外でキハ35が本来の活躍ができる所はどこかあったのか
-
本来の活躍の定義が分からないけど
関西本線のダイヤを前提とすると近いのは関鉄くらいじゃね? -
なるほど関鉄ね。
つくばエキスプレスが出来なければ、非電化複々線で、今でも大活躍してたかも・・・ -
複々線はないなw
と言うか何で間違えた? -
⚪︎リフォームを経てようがかなりイメージちがう
-
一時期は西日本の205系全車が阪和線に集結してた事もあった
-
>>250
編成両数の関係かな? -
関西線沿線住みだったウチの爺さんは、関西線が電化されると聞いた時、
「阪和線の旧型国電が回されるのでは」と心配したのが、101系が来て歓喜したらしい。 -
結局101系や201系は阪和線に配属される事は無かった
ただ、編成単位ではないが元101系の103系が2両だけ配属されていたらしい -
>>253
一時期あったね。車内に踏み入ると妙に床がフニャフニャしていた。 -
>>251
1回目は8両があったけど2回目はすでに225系が増備されていて快速にロングシートを使わなくなっていたため6両だけにしてサハを廃車した。LEDつけてたのにサハだけ簡易的だった。 -
>>254
床の分厚さと防音材の有無を感じられたんですね -
>>253
その元101系クハは天王寺駅に特攻していませんでしたっけ? -
合ってる
-
元101系編入車は非冷房のまま廃車になった模様
-
古老によると、阪和線にも新快速が走っていたそうだ。
-
天王寺駅の立ち食いうどんは美味しかったなー
大回り乗車の時のお楽しみでした -
いま構内営業してるのはJR西系
旧来の業者は数年前を最後に完全に追い出された
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑