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鉄道懐かし
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【トルペード】木製車【トラス棒】
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立ててみました 需要あるかな(´・ω・) - コメントを投稿する
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いまだ現役
東京⇔名古屋を5分で走る汽車! -
木製車といえば夷隅軌道とか増東軌道ですかい
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トラス棒を締めるのはターンバックルですっけ。
プレハブ校舎(懐かしい)のブレースにもついてるやつ。 -
>>2
旧京都市電も仲間に入れて -
トラスバーって台枠が歪み車体垂下した時、締め直し修正する為のものだろ。
初期の全鋼製車にも付いていたが、飾りか?硬いので到底(ボルト・ナットがイカレル)
修正機能なんか 期待出来ないんだが・・・ -
路面電車で最初に3扉車にした東京市のホヘ中という車は、車体がへのじになってしまって
増備車は2扉にもどってしまったらしいが、キングポストつければよかったのに
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魚雷型通風器
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>>7
その機能はあくまでもオマケでして基本は補強ですがな。 -
交博に木造電車のミニチュア・カットモデルがあった(確かデハ43100)
けど、鉄博には持って行ったかな?
各部材の名称が筆の字で書いてあるやつ。
いつかまた木造車を新製するその日のために! -
カメラ持参で大正時代にタイムスリップして、新車の6810形(12000系)客車やら
日本鉄道や山陽鉄道から引き継いだ優等車を撮りたいです -
島原鉄道に木造客車の台枠流用のチキ車があったけど、
もう現物は残っていないでしょうね… -
有蓋貨車の鋼製煽り戸の木体化って戦前からありましたね。
下ってはトラ45000とか…歴史は繰り返す… -
RMライブラリの鹿児島交通に客車の定期検査をするため国鉄西鹿児島工場に入場
させたら行方知れずになってしまったと書いてあった。解体したあと戦中戦後のど
さくさでなくなってしまったらしい
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営業車で最後まで残っていたのは名鉄520で桶?
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あれは末期は事実上完全な半鋼製車になっていたからな…>μ520
ニセスチールじゃ無いのなら、蒲原モハ21か弘南クハ二201あたり、
ニセスチールでも良ければ、電車なら銚子デハ201、客車なら別府ハフ7、あたりかな? -
西武山口線の客車は
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長崎電気軌道の167がいるじゃん
鉄道線の旅客営業車となると、どうなるのかな? -
>>20
側枠はいっぺん外したけど残りは連続井の字状態で継いだそうですなあ。 -
鋼体化客車を造る時に、種車になる木造車を状態によって
A〜Eにランク分けしたらしいのだが、
客車の妻面に「E」とペンキ書きされた古い写真を見るにつけ
ああこれが最低のボロ車なんだ、と妙に納得するw -
>>21
台枠流用は名目ではなかったのですね。驚きました。ありがとう。 -
ターンバックルを締めすぎて逆に反ってしまったというのを湯口氏の本で見たような。
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鋼製車でも戦後の(準)張殻構造の車両って
車体だけ壊すと、台枠が垂れ下がってしまうんですね。
強度を台枠だけじゃなくて車体全体で受けていることがわかりました。
木造車じゃなくてスマンです… -
木造客車の「木」って主に何でしょう?米松?
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イネシ
ホロワシ
オロネワシ -
>>26
ヒバ? -
現代で木製で車両を新造することはできないのか。
地下鉄や電化路線の客車は鉄製でなくてならないが、貨車や非電化路線には規制が無いようだが。 -
'93年製 函館市電の39号はこだて何とか号は中が木だった。
復元名目ならいいのかな? 軌道は緩い?
そとは鋼板に木張り…許認可?にけっこう苦労したとの説もあるけど。
あと、展示するだけならあり(ナデ6141号とかモハ1031号とか)? -
内装に木を使ってる車両なんていくらでもあるよ(例:ミトーカ電車)
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いや、最近の内装の木は樹脂含浸とかの難燃木材でしょう。
まぁ、カネをかければできるってことなんでしょうけれども。 -
ニセ木造車・豆腐"動物公園のトク500
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加悦鉄道。丹後山田で待っていたのは、DLにひかれた木造客車だった。1両
だけ入っていたボギー車にのって加悦に着いた。ハ10だったろうか。
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トラス棒
トルペードベンチレーター
落とし窓
2重屋根
釣り掛けモーター
取り付け型前照灯
ネット網棚
白熱灯
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木造のボギー客車って全滅?
電車じゃなく… -
御料車で明治村に残ってるのなかったっけ?あとは開拓使号とか。
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丸瀬布いこいの村をわすれないで 王子製紙の貴賓車もね
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今度JR九州ででびゅうした「海幸山幸」は杉を使っているそうだけど。これは半鋼製車というのかな
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>>194
これですね。10年も前の投稿ですが当時「山崎主筆の再来か?」と話題を撒いた内容ですね。
<タコ壺権威主義古典的鉄道模型愛好家の一考察>
すす つつ
貴クラブがインターネットや従来メディアで活動を紹介することに対して、外部から
批判や反発があるとのことですが、斬新な価値観を標榜して独自の活動をするのである
ならば、他人の批判や反発を乗り越えて行くだけの気概とパワーが必要になってきます。
創作と言ってもピンからキリまであります。万人が価値を感じる芸術性の高い創作や
機工品の味わいのある創作もあれば、一方ではギャグや子供受けを狙ったと思しき稚拙
な創作もあるでしょう。
趣味の世界ですから、自分が良しと考えることは他人の評価や世間の風評に惑わされ
ずに果敢に実行して行けば良いと思います。自己を押し殺してまで他人の評価を気にし
て他に迎合する必要はないと考えます。
趣味は、所詮は自分が楽しくそして満足できれば良いのです。ただし、他人に評価を
求めようとすると話しは変わります。
自分のやっていることに、他人が価値を感じれば評価されるし、他人が価値を感じな
ければ無視されるか批判や反発を招くことになるでしょう。後はどれだけ多くの人の価
値観に訴えて受け入れられるかで評価が決まると思います。
万人の普遍的価値観を急変させることは、一筋縄では行かないことは確かでしょう。
そのためには地道で継続的かつ精力的な努力が必要です。既存の価値観を肯定しつつ斬
新なアイデアやコンセプトを眼前に突き付けて現行の価値観を変革させる、フロンティ
アスピリット!
また、時代と共に社会環境の変化に伴い人間の価値観も徐々に変わって行くことも確
かですが、これには時間がかかります。ローマは一日にして成らず。
貴クラブの活動が模型誌上で毎回紹介されていますが、そうだからと言って貴クラブ
の模型論や価値観が多くの読者に受け入れられ歓迎されている、と錯覚しないことが
肝要です。ご存知の通り模型誌には商業戦略がありますから。
一般読者の投稿として品位のない暴言・放言の類を無理にイラスト漫画を添えて貴重
な誌面を数頁割いて掲載するのも、見方を変えれば一種の雑誌情報戦略だからです。
また、各種情報メデイアを有効活用して自己の主張を広くアピールすることも、個人
の情報戦略の一つです。
そして大切なことは、我々ファンは各種メディアから垂れ流される玉石混淆のあまた
情報を、正しく正確に解釈し判断する能力を身に付けることです。
以上
99年10月12日 -
二等寝台とか和食堂車に乗りたいなぁ
当時でもゼイタクだったか? -
あぼーん
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そういや大井川も山手線線開業時の生き残りみたいな電車を半鋼車体で
クハで使っていたな。名古屋にできる倒壊博物館に行くらしいが。 -
>>42
ブラクラ注意 -
木製の貨車の新規製造は現在でも可能か?
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造る職人がいね−よ。
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木製なら安くて軽く作れる。
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戸口から戸口へ
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あげ
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木星車
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「オキノテヅルモヅル」の先っちょがトルペードベンチレーターに見えてきた!
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10系客車登場以前は半木造・半鋼体だったよね?広い意味では木造にはいるよね?
旧形客車として長寿命となった60系客車にしたって、台枠・側面が鋼体であるだけで、
屋根・扉・椅子・床は木造だった。 -
>広い意味では木造にはいるよね?
特別に鉄道に興味があるわけでなく、単に旅行好きなどの人が
古くて内装が木の車両に乗って「木造」というのは、まあアリだろうけど
この板・スレを見ているような人にそれは・・・
木製車と半鋼製車と全鋼製車は、やっぱり分けて欲しい -
国鉄客車ならオハ31系が境目だよなあ
鋼製車新製と鋼体化改造にはそれぞれ契機があったわけで -
加悦SL広場の木製客車群は鉄博クラス。
狭いクロスシートや鎧戸、軒の低い車内や松葉スポーク車輪etc
本来は屋内保存が望ましいが、広い空を仰ぎつつ並ぶ客車達を眺められるのは至高のひととき。 -
木造車復元製造の話だが、昨今の人力鉄道や馬車鉄道の復刻モノなんか何処で車体起こしているのね?
自動車の世界にもウッデイーワゴンと云うスチールボデイに本物の木の板を、
一部張ったものが1950年代初頭までアメリカにはあった。
近年アメリカン自動車改造用品を販売するムーンアイズがウッディワゴンを改造製作する際 船大工にお願いしたそうだ、
鉄道車両もやはりそうなのだろうか・・・・。
鉄道線車両で鉄板貼りナシの最後の木造電動旅客車何なのかな〜簡単に判りそう判らないよな。
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追伸 船・大工(ふな・だいく)だからね。
大船工場じゃないぞ! -
たしか日立電鉄じまいかと横浜市電かも戦時中だからよくわかんない
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>>56
熊本電鉄モハ55型かな? -
ああごめん。木造新製車ではなく最後まで現役だった車両ということなら
蒲原鉄道のモハ21じゃないかな? -
>>60 ありがとう!これって昭和35年頃私鉄車両めぐりに記述紹介時点で当局の車両不燃化?(こまい正式名は知らない)
通達でやがて引退する旨書いてありますよね。
その後 昭和51?年山形交通から同じ名鉄(旧各務原)450形の戦後車両供出車の鋼体化車モハ81?が来て
再開みたいな記事を読んだ覚えがあるのですが、十数年も当局の通達、指導を無視してきたと云う事ですかね。
・・・凄い 当時まだ結構車両更新に積極的だっ蒲原にしては腑に落ちないのですが・・・
それとも 昨今の戸籍だけの老人みたいな存在(モノが存在しない とか 到底動ける状態にない 営業運転に全く就かない とか)ですかね? -
>>61
蒲原鉄道モハ21は、一応70年代末まで残っていますが、
写真で見る限り、状態はそれほど良いわけではなく、
末期は、ほぼ稼動していなかったようですね。
しかし、設問が最後まで「在籍」していた「鉄道線用木造電動旅客車」
ということであれば、答えは蒲原鉄道モハ21で間違いないかと。
設問に「実際に営業運転をしていた」という条件が、つけ加わるとなると
ナンバー2も含めて検討しないといけないですね。
ナンバー2候補は、ほぼ事業用車としてしか使われていない
車両や、モーターの無い制御車・付随車を除けば、
豊鉄田口線モ14・15(1968年廃車)
上田丸子モハ3351・3352(1969廃車)でしょうか?
他にまだあったかな。
つまり1970年以降にモハ21が動いた記録があれば名実ともに
モハ21が最後の木造電動旅客車ということになりますね。 -
>>62 迅速なレス回答有難うございます。
電動貨車に目を転じますとコレが不思議と結構後年まで残ってますね。
それこそ、天ぷらまで含めると・・・それこそ
静鉄
北恵那・・・2車種プロパーの旅客車デ2(天ぷらも後年は実質電動貨車)と名鉄からのモノ
豊橋
福井
京福(福井)・・・2車種・・・丸岡鉄道引継ぎの方は終始木造のままで廃車、
個々の車号は不勉強、物忘れしました。
-
連投ですいません。
蒲原で思い出したのですが、ココも昔の上田交通並にもの持ちがよく驚きましたね。
廃止前に蒲原に出向いた知り合いが木造単車(トレーラー)ハ1の車体が村松構内の建屋の一部になってました。
それにしても2線級どころか3線級のモハ21が延々車籍を残していたのは府に堕ちないですね。
西武で鋼体化でも目論んでいたのですかね(昭和40年代に入り西武も社型が払底し国電型処分になり
種車確保の意味でも・・・そこに山形交通からの話があり・・・とか) -
国鉄事業用車博物館が閉鎖になってた…
木製優等車の成れの果ての怪しげな画像がたくさんあったのに -
>>66
正直言ってバカだよな>館長なるもの
公益性とくだらねぇ人間関係とか、自分の思いとかって、
どっちが社会にとって大事なんだよって思う。
サイトをあの規模にしたら、もう後戻り出来ないんだっていう気概位は
持ってからやれよと言いたい。
身勝手な理由でやったりやめられたり、
見る方は迷惑だ。 -
面白く見させてもらったし残念ではあるのだが、迷惑とは微塵も思わねえよ
何言ってんの >>67 は -
なんだ荒れてるのー?
鋼体化で思い出したけど、スレチ承知で尋ねるけど。
部材だけで考えて(台車や台枠の一部が温存 車籍のみは×)日本最古の現役旅客用鉄道車両って今は何処の車かな?
昔は東急から上田に行った3310だったんだけど。 -
>>69
函館市電ハイカラ号ではないかと思います。車歴をたどれば1910製の成宗電軌の電車。 -
>>69
> 日本最古の現役旅客用鉄道車両
電車に限らず、客車も可でしょうか?
大井川鉄道のスイテ82・ナロ80の種車の西武501系・クハ1411型は
木造省電の鋼体化名義で製造されていますが、それが事実であれば
台枠は、サハ25型あたりが由来と思われますので(1920年製くらい?)、
少なくとも台枠に限れば現役最古級ではないかと思います。
ただし、実際に台枠を流用しているかどうかは不明とのこと(ソースはwiki)。 -
シロアリなど虫食い被害もあったのだろうか?
-
食堂車なんかネズミに穴開けられてたりして
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マッチ客車は上等車と下等車で車体に用いる木の材質が異なっていたが、
その選別はボギー化、あるいは電車になっても変わらなかったのだろうか。 -
堅い木製ですよね…神田からさいたまに移っても健在の
鉄の木造電車のカットミニチュアには木の種類までは
書いてなかったですかね… -
三菱大夕張鉄道 スハニ6
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天ぷら、って何すか?
-
天ぷら、とは初耳でしたが、どうやらあの場合は
木造車の上っ面に鋼板を貼り付けたものを指すようです
(ニセスチールっていうのならよく聞きますが)。 -
天賞堂がプラ製のナローの車両を商品化した
とは思えないし、何のことだろう?と思った層多し。 -
コキはトラス構造のなごりだな。
ヨーロッパではいまだにアングル材で組んだトラス棒を彷彿させる貨車を製造してる。 -
ターンバックルは、プレハブ小屋の外側の筋交いの中ほどに
ついている、あれ、と説明することにしている。 -
ギターのネックの中にもソリを修正する似たようなものがある。
-
ネットの古本屋で手に入れた本に3軸ボギのクハの写真がのっていた。
これだけでどこの電鉄かわかるかな -
>>87
さすが素早い回答。ピクの車輌めぐりの写真はTR11に履き替えたあとなんだよね -
>>88
あの頃の古典客車改造クハは変態揃いでしたよね、間違えて幕板だけ黄色く塗った西武のとかw -
>>89
戦時中に省雑形客車付随車にした事例はいくらでもあるけど
雑形客車に制御器装備した例は一畑・旧三河・旧西武・旧武蔵野の四社だけかな?>ソワト氏
それと買収が早かった旧佐久の電車型客車は戦時中に制御車として有効利用されなかったのだろうか
旧相模の電車型半鋼製客車は買収が戦時中だったので結局事業用車としてしか利用されなかったしorz -
今日近代デジタルライブラリーで公開された客車略図は国土交通省図書館にあったやつだな
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亀だが>>91
鉄ピクアーカイブスによると東武にもあった模様 -
現行の車両保安基準じゃ木造車の新規製造って無理なのだと思うけど、
長崎市電の木造車とかが現役で居られるのは、シートベルト装備以前の古い自動車
が法規制定前でこれら問題が車検の際除外に項目なるから? -
>>94
「路面電車だから」というのもあるのでは? -
>>91 阪和が購入止めて富士急入ったのは?
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>>94
自分も調べたことあるけど、おそらく幾度かあったと思われる
廃車の危機をなぜかいくぐられたのか、結局わからんままなんだよね。
ペラペラスチールすら貼ってない本当の木造車のままだし。
>>95の見解を適用しようとしても、南海軌道線モ101なんて
造りがよくて歪み全く無い頑強さだったのに、木造車であることだけで
廃車させられちゃったんだよ?だから路面電車だからは関係ないと思う。
たしか全国的に現役木造車が淘汰させられてた当時、長崎は
運行両数カツカツ状態(繁盛してたからかな?)&金もなかった、
という話は聞いたことあるんで、長崎を管轄する監督官庁の部署の人に
理解があって、木造車の稼動の黙認的猶予をしてるうちにうまく残った、
みたいな推測はしたことあるけど。 -
国鉄から木造車が消えたのは1977年6月下旬と記憶しているが間違っているか?
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>>98
クエ9112が、下十條区→大船間で回送された時期だな。 -
今年こそ大夕張の客車を見に行くぞ
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>>98
国鉄最後の木造車サエ9320が廃車されたのは1978年8月。 -
よく木造車の車体側面下部にあったトラスバー
車体垂下の際の補正で車体を締めるモノだったけど、古い車両だと木が割れたり潰れて
補正できない場合とかなかったのだろうか・・・そもそもトラスバーのネジ自体サビで回せなくなったり
(昔は、CRCとか便利な潤滑剤がないだろうし・・・ネジがバカになったり・・)
初期の鋼製車にもトラスバーがあったが、アレは単なる装飾品だったのだろうか・・・
(丈夫な全鋼製車では戦災車以外 車体垂下は戦後の末期昭和40年代以降でないと散見していないし、
その時点では何処の車もトラスバーは撤去されていた。) -
関係ないけど、準張殻構造だという私鉄電車の解体を見ていたら
上回りを破壊しきった時点で台枠が大きく彎曲してしまっていた。
近代の車両が、車体と台枠とで強度を実現していることがよくわかった。
魚腹型台枠という言葉を耳にするけど、それ以前にはどんな方式が使われていたのだろう。 -
大夕張の客車にトラスバーが残っている
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台枠までは木製ではなかったんだ…
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足回りも木製じゃないよね
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昔 木造車が現役バリバリ頃に起こった車両の脱線や衝突で車両を破損すると正しく木端微塵だったそうだ。
木は、柔らかい素材(マア鉄道車両に使うのは硬くて丈夫な木材が主体だろうが)だが繊維質で繊維方向に従わない方向の衝撃だと曲げや伸びの柔軟性に乏しいので
鋼製車より破損、衝撃のダメージは大きい。 -
それでGHQは木造客車の追放を指令したんだな。
ある意味、親切心だったわけか… -
表面的にはそうなっているが、発想が逆。GHQに指令させるように省・国鉄が根回しして錦の御旗を取った。
当時はドッジラインで車両新製にストップがかかっていた一方、戦中の酷使で一般人が乗る客車はボロボロでどうしても取り替えたかった
。視察のときもわざとひどいのを見せたとか、その辺の事情は星晃氏の回想やインタビューに一通り書いてある。 -
>>96 ハニ252(ホハフ2850)は付随車じゃないかな?
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木造車追放の機運は破損衝撃の問題よりも
不燃化対策が困難ということじゃないの -
三菱鉱業美唄鉄道の客車に社紋のスリーダイヤモンドとは別に◇マークが
表記されているが、どういう意味? -
美唄鉄道のボギー客車のうちナハフ1~3、オハフ7〜9.11に表記が確認出来ます。
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?のナハフ2。乗降扉横に三菱社紋と美唄鉄道の表記。ナハフ2の上に◇表記が
ある。古い客貨車の教科書を見ると、国鉄客車でPF弁を装備するボギー客車に
は◇表記をすることになっていたようです。
ただ、美唄鉄道でPF弁とA弁が混在していたのかどうか、また、元オロハ30の
オハフ9にも◇があるので、弁の差異は関係なさそうで、やはりスッキリしま
せん?
http://tsushima-keib...jp/bibai/bibai1.html -
最後の営業線上の木製車はくりはら田園鉄道のワフ7・ト10か?
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長崎電軌168
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鉄道上では。
軌道は長崎が続ける限り残るのかな。 -
168は100周年の2011年に節目だから引退させるって記事を見たんだが、
なぜかなかったことになったんだよね
長崎電軌の人に尋ねたことがあるが「これからも末永く使っていく」だそうな -
さすがにダルマにされた木造車で現存するものはないかな
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木造車の難燃化対策ってどうすんのだろ
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打つ手なし。
着火しても燃え拡がらないようなコーティングはできるのだろうか -
最近のリゾート列車系で内装に木材使ってるけどあれはどうしてるんだろう?
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木のように見えるプラスチックとかじゃないの
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難燃化されてる
しみこませてある -
戦前の木製車両あげ
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長崎市電の168もそうだけど、今は亡き蒲原鉄道のモハ41も昭和30年代半ばに、発行された
私鉄車輌めぐりには、木造車追放令によって時期淘汰される旨記述があったのだが、
何故にそれから延々20年くらい生き延びる事(運輸局の指摘、指導をノラりクラりカワして?)が出来たのか?
電車(特にM)の場合 客車や貨車と違い(無論無煙化必至だろうが)電気火災の懸念も高いと思うのだが・・・
>>103 魚腹形は、台枠中央部に向かって車端双方から梁が膨らんでいる。
東急の初代5000と初代3000の解体後を見たことがあるけど、違いは歴然。
旧型でも戦前の気動車や近鉄2200みたいな軽量化に留意した車輌だとまた違うのでは? -
そもそも 初期の丈夫な鋼製車のトラスバーは装飾的な要素の方がつよかったのでは、
仮にバー締めようとした所で丈夫で分厚い鋼板のタワミを補正する際に生まれる応力を数ミリのナット、トラスバーのネジ山が吸収できる
ワケも無い様な・・・ネジ山がバカになる!仮に巧くいっても車両走行中に生じる瞬間応力でナット、トラスバーの破断が起きたら大事故になるような・・・ -
イミフ
誤った解釈が広まるほうがよくない -
ほう
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>>131 嘘なんかついてねーよ。
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口から出まかせ言っても過疎板なら気付かれないよねw
こいついろんなところで中身カラッポな考察書き込んでるから当てにならんよ -
よく分からんが保守
-
>>134 お前に、こいつ呼ばわりされる筋合ない。
-
顔真っ赤な人が一匹いるみたいだが、
>>127ってただの考察じゃねえの?
「そっとしておいてあげて」の視点の奴のほうがあきらかに変。
オマエ何様だよ?
真実を知ってるからこそそんなこと言うのか?
だったらそれを書けよ。
何十年も前の話なんだから利害関係なんてとっくに影響ないだろ。 -
↑
鏡見ろ(爆) -
しかし「情報引き出す」って、バカ?
いまどきの低脳の思考回路ってこんななのか
将来の日本が思いやられるわ(笑) -
責任とれや。>>129
お前のせいで屑が湧いてきとるやんけ -
木製がいけないという科学的な研究がないから、どこかの研究機関でやってもらいたい。
今はプレカットや集成材、金物の技術が当時より格段に向上しているのだから、
現在の技術でやってもらいたい。 -
木製の高層ビルが構想されてたりもするけど、問題はコストとメンテナンスじゃないのかな?
金属製と遜色ないだけの性能、コスト・パフォーマンスを達成できるか? -
現在でもトラックの平荷台は床・根太材は木製だし、貨車コンテナの内装は合板。
法規上鉄製耐火構造が必要なのは旅客車だけのようなので、貨車は全木製でもいいらしい。
だが、あえて木製車であるメリットがない。 -
>>144
軽い -
昔の木造軸組構法だと、脱線・横転時に屋根・側面の強度が無く粉砕されたから、
全方位に強度があるモノコック構造、木造枠組壁構法にするしかないが、
軽量な建材はあまりないので、新開発するしかない。
貨車にしても木質ラーメン構法になるだろうが、それ用の集成材を製造できる工場
が少ないし、特別で専用の金物を使用するから、時間も費用もかかる。
そこまでする位なら、林野庁が補助金でも出してくれない限りやれない。
根拓の銀龍号は地元の大工が作ったが、あのレベルで模索するなら、
ローカル私鉄の保線用だが車籍の貨車用に用途を求めても、2軸でム級の有・無蓋車
程度だし、そこまでしなくても既製品があるので木造あえてする理由もない。
木造にすれば錆びない、断熱性が良いとかのメリットを出せればいいんだが。 -
詳細な解説感謝です
素晴らしい! -
>>120
現役は知らないなあ
その昔、廃止直前の福井鉄道南越線村国駅で待合室代わりに使われてた
元南海タマゴ型を撮影したのが俺にとっては最初で最後
今にも崩れそうになってるにもかかわらず広告が貼られていたのには驚いた -
手入れしなくなったら劣化のスピードも速かったんだろうなあ
今社会問題になってる空き家問題も、木造家屋で長年人が住んでないと
倒壊の恐れが加速度的に高まるとか -
移築された瞬間から廃屋も同然だからだろ。
実際にダルマさんで遊んだことがないと理解できないかも知れないが。 -
三菱大夕張 ナハ5
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>>151 加悦鉄道のハ4995みたいなケース(別途車体を制作 旧車体は倉庫として放置?に近い扱いで30数年後復元)もあるじゃん。
あと蒲原のモハ1も一度ダルマ(工場内建屋に組み込まれ)にされたから復元した。 -
蒲原モハ1は復活だったのか
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知らなかった‥‥‥‥
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復活させようという決断は何がきっかけだったのかなあ
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スレタイが「木造車」の方が良かったかな
鉄をかじってる人ならその方が一般的な言葉に感じるかも -
木造車のダルマさんが園庭にある幼稚園に通っていた。
幼児の目から見ても倒壊寸前で、他に来たがる子もなく電車では常に独りぼっちだった。
隣の小学校へ上がり、ハッと思い出すと無くなっていた。
不思議なのは、電車の公的な記録がどこにもないことだ。画像が一枚も出てこない。 -
イギリスの1893年創業のリバプール橋上鉄道の車輌が木造電車でトルペードベンチレーターが付いてるけどこれなんかが世界最初期に
なるのかね。集電が第三軌条方式で台車の下から火花バチバチいってるのがコワイコワイ(∩´﹏`∩)
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