-
鉄道懐かし
-
平成生まれが知らなさそうなこと@鉄道懐かし板4©2ch.net
- コメントを投稿する
-
福島の風評を拡散し、復興を妨害していたのは、反日(在日?)系市民団体だった。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5794 澤 昭裕 (国際環境経済研究所所長)
いまだに福島県は「住める場所ではない」とか「逃げるべきだ」などと
煽りを繰り返している「市民運動団体」が存在している。
福島を救うような顔をしながら、実際には復興を妨げ、地元住民の心の傷に塩を
塗りこむような活動を行っている勢力に屈することがあってはならない。
これは原子力推進か反対かとは別次元であり、人間としての品格(integrity)
の問題として捉えられなければならない。 (中略)
「無理解と『福島=絶対危険という価値観以外認めない』というイデオロギーが背景に存在する。
(中略)先鋭化する市民運動がなす誹謗中傷が直接的に、あるいはインターネットを介して
被災者に向けられるのは、今回にとどまらない。農家など食べ物に関わる生業につく住民に
『毒を作るな、売るな』と、避難から帰還した母親や県内の教育関係者に『子どもを傷つけるのか』
『洗脳されている』といった言葉が向かう」
これら活動家の出自や帰化暦を調査し、スパイとして摘発するには、憲法の改正が必須。
ただし、自民党以外の政党や大手メディアは在日の味方なので、介入させてはいけない↓
自民の作成した改憲マンガ
http://jimin.ncss.ni...i_manga_pamphlet.pdf
P31-32 「今の憲法では、危険な宗教や結社を解散させられない。」
※ただし、自民単独(カルト公明党抜き)で2/3議席与えない限り、野党と
公明党に骨抜きにされる。
自民・船田氏…「野党・公明党のみなさんと協議し、衆参両院の3分の2をこえる人が
賛成してくれなければ発議はできない。だからこれから大いなる妥協が始まる。
自民の憲法草案は、 ズタズタになると思って結構だ」
http://hope.2ch.net/...newsplus/1425226082/ -
スリーポケッツ
-
ベンチがアホだから事件
-
上井草や三鷹がプロ野球が行われる球場の最寄駅だったこと
-
ブー・フー・ウー
-
>>5 三ノ輪橋も
-
>>7
駒沢(玉電)もですね。 -
グリーンパーク?は昭和生まれの俺でも知識でしか知らんぞ
-
10系寝台車
-
>>10
座席車や食堂車は知っているのか(笑) -
事実
・客車3段寝台
・郵便車
・2軸貨車
・チッキ
・テルファー
・ハンプヤード
・混合列車
・カートレイン
・キハ20系の「手であけてください」
・旧客や20系客車の手動扉 -
みどりの窓口の人が扱うそろばんの速さ
-
釣り銭がサッと出てくるキオスク
-
プレスリー
-
クソ暑い駅構内でも券売機の奥はギンギンに冷えていて、中から声が聞こえた事。
-
自動券売機の「おつりもでます」の表示
-
>>16
釣り銭の取り出し口に手を入れると、ひんやりした風が手に当たって気持ちよかったな。 -
客車便(小荷物の俗称)
-
初乗り専用券売機
-
私鉄の窓口でもJR乗車券が買えた事
大抵の私鉄とJR(他社私鉄)と連絡運輸しており、普通に連絡券が買えた -
マクドナルドで買えた国鉄の切符があったらしい
-
ほんの十数年前まで、大阪→東京へ、昼行の普通列車で2回の乗り換えで行けた。
大阪→米原→熱海→東京。(もっと昔は乗り換え無しですがね) -
近鉄名古屋発大阪上本町行き急行なんて列車があった
-
近鉄大阪線の準急は3連が基本だったこと
-
相模線が朝夕5両、日中2両だった事。
-
ホームで立小便
-
券売機の押しボタンが丸型、そして小児用ボタンを覆う赤いプラスチック板。
-
オレンジカード専用自動券売機
-
>>12
二軸貨車、ワム8って結構最近まで走ってなかった? -
3461レの終焉は日本の鉄道史上、有数の事件だと思う。
極一部の例外を除き、一般営業用から二軸車が一掃されたのだから。 -
陸中大橋のセブンが冷蔵コーナーにプロビアを常備してた事
-
?クキ1000形は全20両中、-12のみ頭に□が表記されていた事。
?373系はクハ372-13のみ、編成表記が[F13]だった事。 -
黄害
-
昔の券売機は硬貨しか使えなかった。
券売機の横に両替機が置いてあった記憶がある -
「100円硬貨はお釣りが出ません」←公衆電話
-
名鉄パノラマカー展望席の速度計や、自動券売機の投入金額表示器などに使われた。
ニキシー管 -
>>27
そして車両も車内トイレはたれ流しが定番だったこと… -
汚物処理装置の取付開始は、瀬戸大橋線の開業より前だったけど、何が契機だったのだろう?
-
第二次大戦後の話。
夜行列車が大量に走っていた時代、東京行きの上り夜行列車の客が
朝起きてみんなトイレに行ったから、朝通過になる湘南地区の東海道線沿線で
列車のトイレからうんこがばらまかれて、黄害問題が発生した。
それから徐々にトイレにタンクを付けるようになっていった。
汚物処理の仕方は、車庫の設備によっていくつか種類があった。 -
難波−京都にも近鉄特急が運転されてたこと
-
奈良〜賢島間の近鉄特急が設定されていたこと
-
名阪甲特急にビスタカ―が使われていたこと
-
近鉄奈良線快速急行の前身は、一般通勤型車両による特急料金不要の特急だったこと
-
空港という名がついていながら、その空港へ行くバスさえ全く存在しなかった駅があったこと
-
平成生まれは阪神大震災も知らないんだろうな。
かつての阪急三宮駅や震災後阪神が青木折り返しになってたことも
知らないだろう。 -
東北新幹線開業前、上野〜盛岡間で寝台特急「北星」が運転されていたこと
-
昔のブルートレインはドアが半自動だったこと
-
東京メトロ半蔵門線8000系は、3編成が一時期、東西線で暫定使用されていたこと
-
8112〜8114だな
わざわざ縦軸2ハンドルで密連を装備したが、帯の色は変えなかった。
ドア上に 東西線 の表示 -
(※因みに新製配置が深川検車区)
-
>>50
JRにも乗り入れていましたよね -
京成電鉄千葉中央駅は、かつては「京成千葉」いう駅名で、
現在の京成千葉駅は「国鉄千葉駅前」という駅名だったこと -
千葉市街の駅移転や改称が多すぎなのよねえ
-
グリスの性能との事だが、雪になると新宿駅のポイント下にカンテラが置かれたもの
-
福知山線に塚口〜尼崎港間の支線、
姫路〜飾磨港間の飾磨港線(廃止)が分岐していて、飾磨港線は
播但線の扱いで、播但線は飾磨港が起点だったこと -
熊本で断続的に地震が発生しているが
昭和40年初頭に長野県松代町で数年間にわたり
地震が発生した、いわゆる松代群発地震があったこと -
熊本電鉄は御代志が終点だが、以前は菊池までの路線だったこと
菊池で国鉄小国線(未成線)と接続する予定にもなっていたこと -
かつて西武が東急や小田急と“犬猿の仲”といえるほどの間柄だったこと
-
阪急京都線は新京阪、神戸線・宝塚線は神戸有馬電気鉄道という別会社で、
現在の阪急電鉄は、両社が合併して設立されたこと -
>>61
微妙に間違ってるな
阪急京都線は新京阪電鉄として建設開業
親会社の京阪に吸収合併後まるごと阪急に吸収合併されて
戦後京阪が分離独立する時京都線だけ阪急に残った
阪急の創設時の社名は箕面有馬電気軌道
神戸線開業時はすでに阪神急行電鉄と改称済み -
東海道新幹線「ひかり」のすべての列車が東京・名古屋・京都・新大阪
にしか停まらなかった。 -
阪急神戸線王子公園駅はかつて「西灘」という駅名だったこと
-
私鉄の普通乗車券でも途中下車可能だった
近鉄途中下車指定駅、阪急宝塚線宝塚、京急初詣券の京急川崎等 -
100系新幹線にそっくりの200系新幹線があったこと
-
現在は阪急嵐山線の普通電車や京都線で「京トレイン」として使用されている6300系登場前、
片側両開き2扉で扉間転換クロスシートの2800系が京都線特急に使用されていたこと -
その阪急2800の車体を富山地鉄が買いとる計画があったこと
-
福知山駅から北丹鉄道という経営難の小私鉄が京都丹後鉄道宮福線の線路近くを
宮福線に並走するように河守という駅まで走っていたこと -
ブルマ
-
>>60
慶太氏が亡くなった伊豆急開通時以降昇氏に代替わりして終結に向かい
西武も義明氏に代替わりして対立はほぼ無くなったな。
西武が東急車両に製造発注したのも西武線の駅で小田急箱根フリーパスを
発売開始したのもまだ堤家全盛のころ。 -
清岡純子先生の作品が一般書店に売られていたこと。
しかも平積みで(笑) -
カートレイン九州、カートレイン北海道など寝台車に連結されたパレット貨車に自家用車も搭載できる夜行列車があったこと
-
77訂正
積載 -
普通気動車列車でも12両編成があったこと。
-
博多〜宮崎間に特急「おおよど」、急行「えびの」が肥薩線、吉都線経由で運転されていたこと
-
>>49
>昔のブルートレインはドアが半自動だったこと
20系客車のことなら、ドアは半自動ではなく開閉は手動で、
閉まっているドアのロックだけが遠隔操作で出来るというものだった。
九州で12系に併結した改造車だけは、自動扉に改造した。 -
12系に連結した20系は、かいもん、日南、さんべ、ちくまだった。これらの改造車は自動扉になった。
-
国鉄末期のダイヤ改正まで、東海道本線・山陽本線の新快速は彦根発着で、
複々線区間では内側線を走行し、須磨付近では海沿いの電車線を走行していたこと -
>>7
いや、正確には「千住間道」だ。 -
>>27
浜松町では今もやってないか? -
>>87
いったい何と勘違い…(笑)? -
88はまじレス何だかそうじゃないのか分からないな
小便小僧も悩んでるんじゃないか -
自動改札化の前は、ラッチと呼ばれる囲いの中に駅員が一人居て、切符に一枚一枚、
鋏で一定の型を切るという形で入れていた。 -
昔の男児はタダ乗りと称して、改札のスリ抜けを遊びとしてよく行っていたこと。
-
>>76
東武は知らないが、近鉄はSF化(ヌルッぽ関西とシ
ースルー)導入に伴い途中下車制度廃止
連絡券も近鉄線内途中下車前途無効
あと滋賀の近鉄こと近江鉄道も廃止になったと、連絡運輸スレにあった
現役に三岐も追加で -
それどころか京阪にも途中下車制度があったな。
京阪はどんな乗り方をしても片道101km以上にはならないので、
枚方公園とか特定の駅だけの扱いと、JRとは違っていたけど。 -
時刻表ではなく漫画誌の黄色いページに怪しげな通販の広告が載ってた事
-
>>93
京阪繋がりで、守口市以北の駅で地下鉄、南海経由の小松島港行きの切符があった -
JR四国〜南海フェリー〜南海orJR西日本の連絡切符もあったなw
小松島線廃止後もあったが、いつしかこういう切符は無くなった。
四国総局時代から長年蜜月関係だった南海とJR四国だったが、
1998年の明石大橋開業による阿波エクスプレスで大阪〜徳島間の高速バス
(南海傘下の徳島バスは1996年に開設していたがそれとは競合路線になる)
の参入と同時に一気に敵対関係に変わったのも鮮明に覚えている。
単に共に共同運行先の西日本JRバスが阪急バスと組みたくなかっただけかもしれんが。
(ただし2001年に開設した大阪〜高松線では組んでる
>>95
しかもコマルのマーク付きw -
四国といえば、仁方から堀江に国鉄の連絡船があったな。
-
ダイヤルガチャガチャテレビの上にアンテナ乗っけてたもんなんだよ
-
ワイヤードリモコン
-
>>98
いわゆるメカニカルチューナーのダイヤルでテレビの初期型はすべてこれ
VHFしかない時代は1個しかなかったがUFHが登場して2個になった。
接触面が絶えず摩耗して劣化するのでつまみがとれたり映りが悪くなったり
故障しやすかった。
ダイヤルがゆるゆるになって使い物にならなくなったら終いに直接ペンチで
軸をはさんで回したもの。
これを解消するため電動で回すものが登場し、コード付き(ワイヤードリモコン)
とワイヤレスのリモコンもあった。
80年代に電子チューナーが登場して過去のものになった。
今でも「チャンネルを回す」という言葉だけが残っている
↑今すぐ読める無料コミック大量配信中!↑